15・1 変わってしまったエメリヒ
学校に到着し馬車から降りると、そこには泣きそうな顔をしたアドリアーナが待っていた。
「ラウラ様、大変なんです! エメリヒがおかしくて!」
「エメリヒ? 彼はもう来ているの?」
尋ねながら、辺りを見回す。しばらく前から登校時は、馬車の乗降場で待ち合わせをしている。
でも見える範囲に彼の姿はない。
「ええ、教室にいます」とアドリアーナ。「絶対におかしいんです! 一緒に来てください!」
アドリアーナは私の手をつかむと、走り出した。
◇◇
教室に入ると着席したエメリヒの前にケストナー先生とマクシムさんがいて、懸命になにやら話しかけている。
「エメリヒ!」とアドリアーナが声をかけると、彼はこちらを見た。
目が合う。けれどエメリヒは冷ややかな表情だった。険しくも、甘くもない。
いつもと違う様子に、不安で胸が苦しくなる。
「おはよう、エメリヒ」と挨拶すると、彼は鷹揚にうなずいた。そして――
「すまない、ラウラ嬢。俺はずっとどうかしていたようだ。今までのことはなかったことにしてくれ。婚約もしない。ロンベル公爵には、明日謝罪に行く」
と、温度の感じられない声で告げた。
彼に求婚されたのは一昨日。
なのに、すべて間違いだったというの?
視界の端で私たちを繋ぐものを確認をしながらも、不安でドキドキする胸を手で押さえつける。
「ね、おかしいでしょ?」とアドリアーナが目に涙を浮かべて私を見る。「絶対、なにかの魔術にかかっているのよ!」
「俺は目が覚めたんだ」と冷たく言い放つエメリヒ。
「いや、どう考えてもおかしい」
とマクシムさんが言えば、ケストナー先生も
「ああ」とうなずく。「だが、俺では解析できない。もっと上級の魔術師に診てもらわないと」
「必要ない」と言下に断じるエメリヒ。
彼はガラス玉のような目を私に向けた。
「君を好きだと思ったのは、勘違いだった」
刃のような言葉が、私の心を抉る。
あまりの痛みに、息が止まりそう。だけど――。
私はエメリヒを信じている。
「わかったわ。では、これはどうする?」
そう言って、彼と私を繋ぐ赤い糸をつまんだ。
今の彼は『切る』と言うに違いない。でも私は到底そんなことは受け入れられない。
一度切れた縁は二度と繋がらない、とエメリヒ自身が言っていたもの。
なんとか『切る』行為を先延ばしにしないと。
対策を練るのは、その約束を取り付けてからよ。
エメリヒが首をかしげる。
「なにを言っている? アレはもう消えているだろう?」
「「え?」」
アドリアーナと顔を見合わせる。
「エメリヒ、見えないの?」と尋ねるアドリアーナ。
「……なにもないが」と彼は戸惑い気味に、自分の左手を見た。
エメリヒには赤い糸が見えていないのだわ。
体の奥がすっと冷たくなる。
だけれど、これはちょうどいいのかもしれない。見えていないなら、切ることもできないわよね?
「あ……」と自分とエメリヒの間を目で辿るようにして、呟く。「途中で切れているわ……」
「ほ、ほ、本当ですね」
アドリアーナが私の意図を察してくれたようで、話を合わせてくれた。
エメリヒはあからさまにホッとした表情になる。
「そういうことだ。ラウラ嬢。君を振り回してすまなかった」
「本当にひどいな。エメリヒとは思えない」
と、声がした。いつの間にやって来たのか、一学年下の守りびとノエルが、不審そうに目をすがめている。
「ま、犯人の目星はつくよね。ラウラさんとエメリヒが破局して喜ぶ人間だもん」
「アルバン殿下かヴィクター殿下だわ」とアドリアーナが言うと、
「俺に用か?」と声がした。
教室の入り口から当のアルバンが入ってくる。
「殿下、エメリヒになにかしましたか?」とアドリアーナがにらみつけた。
「なにかってなんだ?」と当惑した様子のアルバン。
するとエメリヒが、
「ラウラ嬢とは結婚しない。お前に譲ろう」と言った。
「え? 本当か」とアルバンが顔を輝かせる。だけどすぐに、眉を寄せた。「いや、エメリヒがこんなのはおかしいな。これを俺のせいだと考えていたのか」
アルバンが私を見る。
「俺はなにもしていない」
「……そのようね」
彼の態度に嘘はないように見える。それにアルバンなら、良くも悪くも交流がある。私やアドリアーナたちがこんな卑怯な手に引っかかるとは、考えないはず。
となると、犯人はヴィクター殿下の可能性が高い。他に私たちの破局を望み、なおかつエメリヒに魔術を掛けられる人というのは、そうそういないもの。
「エメリヒ。私と一緒に、放課後魔法省に行ってくれる? あなたを診てもらいたいの」
「断る。そんな時間はない」
突き放すような口調に、またも心を抉られる。
これは、いつものエメリヒじゃない。魔術のせい。
そうわかっていても苦しい。
「それとラウラ嬢。悪いがそれは」とエメリヒが私の頭を指さした。「外してくれ。好きに売り払ってくれていい」
どうやら彼の色をした髪留めのことを、言っているらしい。
私がつけたのを見て、あんなにも嬉しそうにしていたのに。
エメリヒの本心ではないとわかっていても、胸が潰れそうに痛い。
それでもなんとか、震える手で髪留めを外すと、エメリヒの机に置いた。
予鈴が鳴る。
ケストナー先生が、「放課後が無理なら、早退して行って来ていいぞ」と言ってくれたけど、エメリヒは
「冗談じゃない」と一蹴した。
「……わかったわ。エメリヒ、あなたは協力してくれなくていい」
冷ややかな表情で、もう私を見ようともしない彼にそう伝える。
大丈夫。私がなんとかするわ、絶対に。
エメリヒを失いたくなんてないもの。




