13・1 約束とキス
普段より三十分ほど早い朝の学校は、生徒の姿はちらほらある程度で、閑散としている。
それでも用心して、人の来ない裏庭にエメリヒを誘った。
幾何学的に植物が配置された庭園と違って、こちらは野趣あふれるつくりで、静かに散策をするのにもってこいなのよね。だけどその作りが災いして、虫やトカゲといった小動物が多い。だから貴族の子女たちには敬遠されているの。
私も普段なら、近づかない。
「ごめんなさいね。無理を言って早く登校してもらって」
「ラウラと過ごす時間が増えて、嬉しい」そう微笑んで、私の手を取り口元に運ぶエメリヒ。「キスをしても?」
「……いいわ」
顔が熱い。エメリヒは意地悪だわ。私が照れることをわかったうえで、あえて許可を取っているように見える。
ゆっくりと手の甲にキスを落とし、微笑む。
「俺の髪飾りもよく似合っている。きっと王子たち、いや学園中の男たちは阿鼻叫喚だな」
「あなたって独占欲が強いのね。意外だわ」
「大切なものは守らないと」
「私も、そう思っているわ。あなたを守りたいし、幸せにしたい。悲しませたくもない。だからね、エメリヒに打ち明けることにしたの」
私は昨晩、前世の記憶を彼に話すことに決めた。ただ、それは記憶としてではなく、予知夢らしきものの内容として。
赤い糸が出現する前日に、原因不明の不調で苦しんだことはすでに伝えてある。だからその際に見た夢とすれば、説得力があると思うのよね。
『なんのことだ?』と首をかしげているエメリヒに、簡単に説明する。そして最後に、一番大切なことを。
「私はね、卒業式が近くなったころ、アドリアーナを殺そうとするの。そしてその凶行を止めるために誰かに殺される」
エメリヒの顔がこわばった。
「……夢だろ? それにラウラがアドリアーナを殺そうとするはずがない」
「ええ。そんなことはしないと断言できるわ。でもね、精霊の出現の話をしたでしょ? 夢とは違った形だけど、実際に起きたの。それなら私が殺される未来も、形を変えて実現するかもしれない」
精霊出現のとき、私はだいぶ取り乱してしまった。あのときエメリヒは私が過剰に自分を責めていると感じたようで、予知夢に近いものを見たという話を信じてくれたようだ。だから。『ありえない話』と流せることができないのだと思う。
「……ラウラを殺したのは誰だ?」と、エメリヒが恐ろしく低い声で訊く。
「わからないわ」
私はそう答えて微笑んだ。
「私があなたに伝えたいのは、『もし私が誰かに殺されたとしても、エメリヒは幸せになってね』ということよ」
「は!?」エメリヒの目が、私を射殺しそうな恐ろしいものになる。「そんなことは俺がさせないし、万が一が起きたら、この俺が犯人を――」
「ダメ」と、彼の口に右手の人差し指を添えた。
初めて触れる唇に、心臓が早鐘のように鳴っている。でも、今は凛々しくあるべきときなのよ。
「私が望むのは、そんなことではないの。エメリヒが好きだから、どんなことが起きても幸せでいてほしい。前を向いて進んで行ってほしい。お願い。約束をして」
エメリヒの眼差しの険しさが刻々と増す。負けじと私もしっかりと彼を見つめる。
かなりの時間が経ったあと、ようやくエメリヒは
「わかった。約束をしよう」と言ってくれた。「それがラウラの望みならば」
「よかった」
これで安心できる。もしも、私も彼も望まないまま、殺す者と殺される者になってしまったとしても、エメリヒはきっと約束を思い出してくれる。
辛そうな表情をしたエメリヒが私の右手を取り、慈しむように、てのひらにゆっくりとキスをする。
きのうの帰りの馬車で、彼は言った。お父様から求婚の許可を得られるまでは、私に不埒なことはしないと。
私は、手のキスも含まれるのではと思うのよね。
エメリヒなりのケジメなのだとは、わかるけれど。
「エメリヒ」
「ん?」
伸びあがって、素早くキスをする。
「私からならいいでしょ? 約束のしるしに」
鼓動は早いし、顔がひどく熱い。でもきっとエメリヒも同じ。だって信じられないほど真っ赤になって、口を片手で覆ったまま固まっているもの。
――いけなかったかしら。
段々不安になってきたわ。
「あの、エメリヒ?」
「ま、待ってくれ、嬉しくて死にそうで、葛藤している……」
葛藤ってなに?
「自ら課した禁を破るかどうか……待てラウラ。可愛らしく首をかしげないでくれ!」
私はただ首を動かしただけなのに、エメリヒには可愛く見えるの?
「あ~~、もう!」
エメリヒは叫ぶと私を抱き寄せた。ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
「可愛いラウラ。好きだ。君が望むなら約束をする。だが、絶対にそんなことは起きない。二人で幸せになる未来以外は、俺が絶対に潰す!」
「そうね。ありがとう」
私もエメリヒを抱きしめ返す。
私たちは赤い糸で繋がっている。最初は良くない縁を表していると思ったけれど、今は違うと断言できる。
こんな素晴らしいものがあるのだものね。私たちの未来にはなんの心配もないはずだわ。




