12・3 可能性の問題
「お嬢様。良いことがございましたでしょう?」
帰宅して私室に入ると、メイドのリタがすぐに尋ねてきた。ニコニコとしている。
「ま! 素敵な髪飾りも、つけていらっしゃいますね」
「エメリヒにもらったの」
これも、とカバンの中からブローチの小箱を取り出す。
「ギュンター公爵令息は素敵な方ですねぇ」とリタは目を細める。
「私、彼を好きだわ」
「はい」うなずくリタの目に涙がにじんでいた。「お嬢様が前に進めてリタは安心しました。あんなクズ王子のせいでお嬢様の人生が台無しになるなんて、許せませんもの」
「……確かにそうね」
私はなんで彼に固執していたのかしら。今となってはとても不思議だわ。良いところがあったのは最初だけで、あとはずっと辛かった。
リタの言うとおりね。
あんなひとに捕らわれて、私は大切なひとを諦めるところだった。
よかった、彼を好きでいる勇気を持てて。
制服を、リタに脱がしてもらう。
「あとはご令息が旦那様のお眼鏡にかなえば、大団円ですね」
「そうね……」
エメリヒはお父様に課された条件がなにか、教えてくれなかった。
ただ、なんとなくは想像ができる。エメリヒは自分が次男であることを気にしている。しかも独立するときに公爵家の財産分与はないと、以前話していた。
お父様なら、おそらくその点を突いたと思う。
エメリヒがどう解決するつもりなのか、わからないけど。
協力を申し出たものの、断られてしまった。ひとりで解決するのが求婚者としての矜持だといって。
「でも気持ちが通じ合ったのだもの。ふたりで協力すべきだわ」
「はい? 急にどうしました?」とリタが手を止める。
「ねえ、リタ。今日はお父様が帰ってきたら、私が大切な相談があると伝えてくれる?」
エメリヒが頼ってくれないのなら、お父様から攻略すればいいのだわ。
それと、アドリアーナのことも相談しよう。今のままだと、きっと無理やりコンラッドと結婚させられる。マンガの展開に沿っているとはいえ、彼女は望んでいないもの。なんとかしないと可哀想だわ。
ただ、怖いのは精霊の出現のように、最終的にマンガと同じ状況になることだわ。
午後の服に着替え終わり、長椅子に腰かける。エメリヒにもらったブローチを手に取ったところで、ふと気づいた。
私が前世の記憶を取り戻して以降、マンガであった展開のほとんどが、現実には起きていない。だから私が殺されることも回避できると思った。
でも精霊の出現は、変容して起こったのよ。
ということは、私がエメリヒに殺されることも、変容して起こる可能性が十分あるということではないの?
もう少しでポッキーの日。で、思いついたお話。
☆おまけ小話☆
本編にはまっっっったく関係がありません。パラレルワールドだと思ってお楽しみください。
『エメリヒと守りびととポッキーゲーム』
(エメリヒのお話です。ラウラに好きと言われる何日か前の出来事)
「ポッキーゲーム?」
朝のHRが始まる前の時間。
エメリヒは戸惑い気味に、アドリアーナの発した言葉を繰り返した。
「そう」と神妙な表情でうなずく精霊姫。「昨晩ね、精霊王様が夢枕に立って、教えてくれたの。想う相手と深い信頼関係を築くために行う、神聖な儀式なんですって」
「聞いたことがないが」と教師であるケストナーが懐疑的な口調で反論する。
「でも、精霊王様が嘘を言うはずがないわ」
アドリアーナはそう言うと、手にしていたバスケットから針のように細長い小麦色のものを取り出した。
「これがポッキー。ビスケットにチョココーティングしたものが正式らしいのだけど、それは手に入らなくて」
「チョコ?」とノエルが口をはさむ。「それって食べ物なの?」
「ええ。市井で人気があるお菓子だとか」
「うちの妹たちも大好きだ」と貴族階級ではないリカルドが言う。「だがゲームは聞いたことがない」
「精霊王は人間とは時の流れが違う。大昔に行われ、今は廃れてしまったものかもしれないな」とフランツ。
「もしかして」とマクシムがポッキーを指さす。「それを両端から食べ進めたりするかい?」
「ええ! そうよ!」
アドリアーナの表情がパッと明るくなった。
「それなら知っているよ」と言ってマクシムは苦笑した。「神聖な儀式かどうかは知らないけど」
「でもよかった。これでエメリヒも安心ね。はい」と、アドリアーナはポッキーをエメリヒに渡す。「ラウラ様とやってね」
その言葉にエメリヒは、さらに戸惑いの表情になった。
「これの両端を食べる? 俺とラウラが?」
「そう!」
「だがこれ」エメリヒはポッキーをまじまじと見る。「二十センチもないぞ。すぐに顔がぶつかる」
「キス」と一言言ってにやつくケストナー。「いい口実じゃないか」
「神聖な儀式だろ」とエメリヒは赤面して言い返す。
「純情だな」と笑うケストナー。
更にノエルが、
「まあ、へたれのエメリヒには難しい儀式だね」と鼻で笑った。
「じゃあ、お前が先にやれ」エメリヒはそう言ってポッキーをノエルに差し出した。
「僕がラウラとキスしていいの?」
「お前の好きな女子とやれって言っているんだ」
「ええ? ノエルにそんな相手がいるんだ」
知らなかったなあとアドリアーナがにこにこして言う。
笑顔をなんとか保ちながらも、ノエルは泣きそうな目になっている。
「後輩をいびるな」とケストナーが言って、エメリヒの手からポッキーを取り上げると、アドリアーナに向かって
「精霊王はほかになにか言っていたか」と尋ねた。
「ええ」とアドリアーナは大真面目な顔でうなずいた。「儀式を見事成功させないと、ラウラ様はコンラッドの婚約者に戻る可能性があると――」
エメリヒは目にもとまらぬ速さで、ケストナーの手からポッキーを奪い返した。そして、
「ラウラのもとに行ってくる」
と、足早に教室を出ていく。
その姿をアドリアーナと五人のまもりびとは見送って。
「で?」とノエルはマクシムを見た。「どうすると儀式が成功なわけ?」
「キス、かなあ」とマクシムは自信なさそうに首をかしげた。
「なら、失敗確実だな。エメリヒはあれでロマンチックなところがある。儀式なんかでファーストキスは済ませない」とケストナー。
「僕もそう思うな」
「ラウラ様もきっと、そんなのは望んでいないわよね」とアドリアーナが不安そうに呟く。「でも精霊王様が適当なことを言うはずがないし。どうすればいいのかしら」
五人があれこれと話し合っていると、エメリヒが戻って来た。その手にポッキーはない。
「どうした? やったか?」とケストナー。
「男子どもがいやらしい目でラウラを見ていたから、すぐにやめた」
「自分が一番いやらしいのに……」と呟くノエル。
「でも一応、両端は食べたから成功のはず」とエメリヒは険しい表情で言って、まだ登校していないコンラッドの席を見た。「誰が渡すか。ラウラは俺が幸せにする」
「はいはい」とフランツが肩をすくめる。
と、突然アドリアーナのまわりに精霊たちが現れ、ふわふわと飛び始めた。
「え? そうなの?」と目を見開くアドリアーナ。
彼女は困ったように、エメリヒを見た。
「なんか、精霊王様のお気遣いだったみたい」
「どういうことだ?」
「こうでもしなければ、エメリヒってダメそうだからだって」
とたんにノエルが声をあげて笑い始めた。
「精霊王、よく観察してるじゃん!」
「俺はラウラを大切にしているんだ」
エメリヒはそう言い切って。
だけど、恥ずかしそうにポッキーの端をくわえているラウラの顔を思い出し、『ちょっと、もったいなかったな』と後悔したのだった。




