12・2 エメリヒとの出会い
「可愛い」と言って、エメリヒはまた口づけた。
「そっ、そろそろカフェに行きましょうよ」
「あと、ひとついいか。まだ話していないことがある」
「あなたは、そんなにたくさん秘密があるの?」
いいや、と首を横に振るエメリヒ。
「この前、ロンベル公爵と話していて気づいた。俺たちは子供のころに会っている」
「覚えはないわ」
エメリヒは私ほどではないけれど、特徴的な髪色と瞳をしている。会っていれば記憶に残るはずよ。
だけど今の言い方だと、彼も私だとわかっていなかったということよね。
「どういうこと?」と尋ねると、彼は
「八歳の夏だ」と答えた。
「十年も前?」
「そう」とうなずくエメリヒ。「大聖堂の真裏の茂み。俺は頭からボロ布をかぶって、壁に向かって祈っていた。そのとき堂内では誰かの葬儀が始まるところだった」
記憶をさぐる。八歳。葬儀。
「そこに同じ年頃の女の子がやって来たんだ。喪服でベールをかぶっていて、顔も髪も見えなかったし、名前も知らない」
「あ……」思い出した。「その格好で葬儀に出たことがあるわ」
「やっぱりラウラだったな。後日こっそり探したんだが、誰なのかわからなかった」と、エメリヒが淋し気に微笑んだ。
あのときの葬儀は、ロンベル家とはまったく縁がないものだったはず。故人がお母様が昔お世話になった方だとかで、私も赤ん坊のころにお会いしたことがあるそうだ。それで子供の私も葬儀に参列した。
だけど開式前に時間を持て余した私は、お母様の目をかいくぐって探検に出たのよね。
そうしたら、大聖堂の裏の茂みで同じ年頃の男の子が、必死に神様にお願いをしているのを見つけた。
そうだ。彼は確か――
「お父様に折檻を受けていると――」
「ああ。魔法が父上の指導どおりにできないせいで、毎日のようにあらゆる方法で痛めつけられていた。あのときはついに我慢ができなくなって屋敷を飛び出して、神に頼みに行ったんだ」
そう。あのときの子は、『父上を消して』と必死に祈っていた。
「信じられないわ。幼い子供になんてことを」
エメリヒがフッと表情を緩める。
「君はあのときも、そう言ったな」
「そうだったかしら」
エメリヒがうなずく。
「あのころ母と祖母は領地にいて、俺の味方になってくれる人はいなかった。君が怒ってくれて、俺は救われたんだ」
「怒っただけで?」
「そう」とエメリヒは微笑んだ。「自分を肯定してもらえた気がしたんだ」
私のたった一言で?
でもきっと、それだけエメリヒは辛い状況だったのね。
確かあのとき、私は男の子に「うちの子になればいい」と言って、彼は「お母様に会えなくなるのはイヤ」と答えたはず。
――そのあとは、どうしたのだったかしら。
「もっと沢山話したかったが」とエメリヒ。「葬儀の開式を知らせる声が聞こえて」
「そうだわ。あなたが、早く戻ったほうがいいと言ったのだわ」
「遅刻したらまずいと思ったから。当時の父は、俺が少しでも遅れると必ず折檻した」
酷い。
エメリヒの手をとって握りしめる。
「もう、大丈夫だ。――で、慌てて帰したあとに、名前を尋ねるのを忘れたことに気づいた。それでも葬儀の身内だろうから、すぐにわかると考えたんだが」
エメリヒは父親に知られないよう、こっそりと調べたらしい。だけど子供の彼では、私の身元までたどり着くことができなかったのだとか。
「もしかしたら夢でも見たんじゃないかと思っていたんだが」と微笑むエメリヒ。「まさかあの少女がラウラだったとは、驚いたよ」
「そうね。私も今の今まで、すっかり忘れていたわ」
私もしばらくは気の毒な少年のことが気になったものの、コンラッドとの婚約が決まって忙しくなり、忘れてしまったのだ。
エメリヒが微笑み、私も笑顔を返す。
ふたりの間を結ぶ赤い糸を見た。私たちはきっと、とても強い絆で結ばれているのだわ。
それがマンガでは殺す者と殺される者という関係になってしまっただけで。
この赤い糸の意味を良くするのも悪くするのも、自分自身なのよ。
「ラウラ、これ」とエメリヒがポケットから小箱を取り出した。「誕生日プレゼント。だいぶ遅れているが」
私の誕生日は七月で、赤い糸が出現するよりも前だった。
「用意するのに時間がかかって。……ちょっと重すぎるかもしれない」
「ありがとう。嬉しい」
小箱を受け取る。けれどそれほど重くはない。なんだろうとフタを開けると、可憐な菫のブローチが入っていた。花はアメシスト。葉は銀。
『重い』の意味がわかった。
このブローチは、エメリヒの色をしている。
「すごく嬉しいわ、エメリヒ。私に似合うかしら」
「ラウラにしか似合わない!」
間髪入れずに返事が返ってきた。思わずくすりと笑う。
「本当にありがとう。次の公式行事に絶対つけるわ」
「ああ。そうなんだ。実は……」
と、エメリヒは反対のポケットからもうひとつ小箱を取り出して、開けた。中身は同じデザインで少し小ぶりのものだった。
「こっちは髪留め」
「嬉しいけど、ふたつも?」
「……これなら学校にもつけていける。ブローチの制作を発注したあとに気がついたんだ」
「まあ」
つまり学校で、私がエメリヒの色を身につけているとアピールをしてほしいということね。
「確かに、重いのかもしれないわ」
エメリヒが目に見えてしょんぼりする。そんな表情もできたのね。可愛すぎるわ!
ずっと見ていたいけれど、それでは意地悪になってしまう。
「だけど嬉しい。毎日つけるわね」とすぐに言葉を継いだ。
エメリヒの顔が一気に明るくなる。
「それならデザイン違いでたくさん作ろう!」
「いらないわ。菫がいいもの。ずっとあなたの瞳って、菫みたいだなって思っていたの」
嬉しそうに微笑むエメリヒ。
「俺も気に入っている。ラウラの満月のような瞳も」
「私?」と笑う。
「ほかに好きなのは、令嬢らしくあろうとする気概だろ、だが案外涙もろいところもいい。もちろんこの艶やかな黒髪も好きだし、笑顔もツンとした表情も――」
「ちょっと待って! なんで急にそんなことを!」
エメリヒが首をかしげ妖しい笑みを浮かべた。
「もう遠慮は必要ないだろ? ラウラへの気持ちは余すところなく伝えさせてもらうから。覚悟してくれ」
「エメリヒってそんなキャラだった!?」
「どんなキャラもなにも。俺はラウラ以外を好きになったことがないから、自分ではわからないな」
え、本当に待って。
少し前まで強面騎士みたいな雰囲気だったわよね。
どうして急に甘い雰囲気を出してくるの。
これでは私の心臓がもたない。
今度こそ絶対爆発する。
「真っ赤になって。可愛いな」
そう言ってエメリヒは私の手をとると、ゆっくりと口づけをした。




