11・2 教皇様に謁見
窓の外を流れる懐かしい景色に、放課後最後にこの道を通ったのはいつだっただろうかと考える。
園遊会のときだったから、もう一ヵ月ほど前になるわね。
とはいえ今日の目的地は王宮ではなくて、そのそばにある教会庁。教皇様に会いに行く。
「アドリアーナ、取り次いでくれて本当にありがとう」
と、今回の立役者にお礼を伝える。
最初はお父様にお願いするつもりだったけれど、当のお父様が精霊姫に頼んだほうが迅速な対応になるだろうと言ったのよね。
事実、アドリアーナにお願いした翌日、謁見の席をもうけてもらえた。
「ラウラ様のお役に立てて嬉しいです」と笑顔になるアドリアーナ。だけどすぐに困ったような表情になった。「でも、ええと。教皇様とお話したい内容を尋ねてもいいでしょうか? もちろんっ、ダメならいいんですよ!」
私はとなりにすわるエメリヒと顔を見合わせた。今回のことはすべて、彼とふたりで相談して決めたのだ。
「説明していなくて悪かった。これについて」と彼はアドリアーナに向けて赤い糸をつまむ。「なにかわかることはないか、尋ねたいんだ」
「赤い糸について? どうして?」と可愛らしく首をかしげるアドリアーナ。
「アルバン殿下とヴィクター殿下」と私が答える。「どう考えてもおかしいと思うの」
ふむふむとうなずくアドリアーナ。
「私に執着する理由があるとしたら、まずは容姿が女神と同じことかなと思うの」
「この国の王家で秘密裏に言い伝えられてきたことが、他の国でもある、とかな」とエメリヒが付け加える。「ただ、それらならばはラウラが生まれたときから、わかっていたはずだ。急にあいつらがラウラを求め始めた答えには、ならない」
「コンラッドとの婚約を解消したからかしら?」とアドリアーナ。
「それも考えたのだけど、その場合はコンラッドより先に、私に婚約を持ちかけていてもよかったはずなのよね」
「確かに」とアドリアーナがうなずく。
お父さまに確認したけれど、そういう事実はなかったという。
「それで、あとは思い当たるきっかけが赤い糸しかないの。出現を境にして色々と変わったから」
「なるほどです」とアドリアーナ。
「赤い糸が魔法で出現した可能性もあるとも考えていて、魔法省のリンネル様に一昨日相談する予定だったのよ」
だけど彼は急な出張で遠方に行ってしまった。戻って来るのは一週間後。だから先に教皇様に尋ねてみることにしたのよね。
正直なところ、『藁にも縋る気持ち』というのが大きい。王子たちの不可解な行動には、もう、うんざりなのよね。
◇◇
教皇様は齢七十を超えていて、歴代最高齢の記録を更新している。公務をこなし、国の公式行事にも出席するけれど、それ以外は体力を持たせるために休息していることが多いと聞いている。
だから私は、王太子の婚約者だったときも、公式の場でご挨拶をしたことが何度かあるくらい。こうやって対面でじっくり話すのは初めてのことで、少し緊張している。
でも教皇様は突拍子もない私の話に、静かに耳を傾けてくれていた。
説明をし終えると教皇様は「ふむ」と言って両手をお腹の上で組んだ。
「赤い糸のことは、私にはわかりかねます。見ることもできません」
私の右隣にすわるアドリアーナが目に見えてがっかりする。
「ただ」と教皇様。「他国の王子たちの態度が変わった理由は知っております」
「「「ええ!?」」」
なぜ教皇様が?
今日もお礼です。
☆おまけ小話☆
『エメリヒは害虫駆除に忙しい』
(エメリヒのお話です)
昼食を終えてみんなで渡り廊下を歩いていると、
「エメリヒ」と頭上から声が降って来た。
見上げると担任であり、守りびと仲間でもあるケストナーが二階の窓から俺たちを見下ろしていた。
「なんです?」と尋ねると彼は首をすくめて、
「あそこ」
と、食堂から直接庭に出る扉の辺りを指さした。俺のところからは木があって、よく見えない。
「ラウラ・ロンベルがヴィクター王子に口説かれ――」
最後まで聞かずに、「どうも!」と叫んで駆けだす。
あの男は危ない。ただ口説くだけじゃなく、おかしな魔道具を使いたがる。見た目はいかにも王子といった華やかな美男なのに、思考がぶっ飛んでいるのだ。
全速力で駆けていくと、すぐにヴィクター王子の後ろ姿が目に入った。向かいにはラウラ。その間でラウラの友人ふたりが両手を広げて、懸命にガードをしている。ありがたい!
彼女たちの前にすべりこむように入ると、
「ラウラには近づくなと警告したはずだが?」と王子に告げる。
するとヤツは無邪気な顔で、
「どうして王子の僕が、たかが公爵家の次男の言うことをきかないといけないのかな?」と首をかしげた。
「ロンベル公爵に頼まれている」
そう。ルーカスにではなく、公爵直々にだ。こいつが変な魔道具を使うから。
今日もヤツは手になにかを持っている。
――特大のダイヤがついた指輪だ。
こんな大きさは見たことがない。
「いいでしょ、これ?」
俺の視線に気づいた王子が、微笑む。
「魔除け効果がほどこしてあってね、僕以外の男を寄せ付けない仕様なんだ。ラウラさんに受け取ってほしいのだけど」
「絶対にイヤ!」と、背後から彼女の声がする。かすかに怯えている気配がする。
そりゃそうだ。ヴィクターの思考は恐ろしすぎる。
「そ、そんなものをもらって喜ぶ令嬢はいませんことよ!」
「死んでもつけたくないものですわ!」
ラウラの友人たちが口々に叫ぶ。
「君たちの意見は聞いていないから」とヴィクターが微笑む。「ほら、邪魔者たちはそこをどいて。僕はラウラと話したいんだ」
「友人を邪魔者という男と、話したがる令嬢がいると思うのか?」
そう言い放つと、ヴィクターは困ったように微笑んだ。
「確かにそうだ。今のは暴言だったと認めよう。誰もかれもがひとの恋路を邪魔するから、つい苛立ってしまった」
「どうしてそうなるかを考えろ!」
「嫉妬かな?」
「アホか」
「君はあと数ヵ月で平民になるそうじゃないか。僕と張り合える身分ではないものね」
くっ。
それに関しては言い返せない。
と、ラウラが出てきた。
「あ、ラウラさん! ついに僕と話す気になってくれたのですね」
気持ち悪い笑顔を浮かべて、ヴィクターが彼女に近寄る。
その指輪を持った手を、ラウラは勢いよくはたいた。指輪がどこぞへ飛んでいく。
「あら、失礼しました。無礼で耳障りなハエを追い払おうとしたら、手が当たってしまいましたわ」
「ラウラ」
「私の友人を貶めるハエなぞ、消えてほしいのですもの」
「僕はハエかい?」
そう言ってヴィクターは笑った。だけどそれまでの笑顔とは違って、目だけはじとりとしていた。
「参ったな。気の強さが本気で好みだ」
「……私はあなたなんて好みでは、ありません」
「そういうことだ」
俺はラウラの手をとり、うろたえている友人たちを促して、その場を離れた。
ヴィクターに止められるかと思ったが、そんなことはなかった。
十分に距離を取ると、ラウラたち三人は大きく息を吐いた。
「ありがとう、エメリヒ。彼、話が通じないのよ」
ラウラの言葉に友人たちが、大きくうなずく。そして、
「じゃ、私たちは先に教室に戻っていますわ、オホホホホ」と言って、足早に去っていった。
ほんと、いつもいつも気遣いがありがたい。ラウラはまったく分かっていないが。
「だけど」とラウラが眉を下げる。「カッとしてやり過ぎてしまったわ。まさかあれで気に入られるなんて」
「そうだな」と答えつつ、顔がにやけるのを抑えられなかった。
彼女は俺が侮辱されたことを怒ってくれた。
特別な存在だと認められているようで、嬉しい。
こちらも本人は、まったく気づいていないようだが。
「だって、自分の努力ではどうにもできないことを貶すのって、ズルいんだもの」
「つまりアイツは、俺を貶める侮言を他に思いつかなかったという訳だ。だから俺は気にしない」
悔しくはあるがな!
だけどラウラの顔は、ぱっと明るくなった。
「そうね。エメリヒの欠点なんて、表情が怖いことくらいだわ!」
「最近はそうでもないと思ったんだが」
ラウラに向かって微笑むと、彼女は頬を赤らめ視線をさまよわせた。
嬉しい反応だ。
「じゃ、俺たちも戻ろう。そろそろ予鈴がなるだろう」
そうねとうなずいたラウラと並んで歩き始める。
いつか。卒業までには絶対に、ラウラと手を繋いで歩く関係になる。
あんな顔を見せてくれるのだから、不可能ではないはずだ。
それまではなんとしても、ヴィクターを追い払い続けないとな。




