10・3 危機に陥る精霊姫
「いい加減にしてよっ!」
突然、女性の金切り声が講堂内に響き渡った。ちょうど楽団の音楽が静かなフレーズに入っていたこともあって声は隅々まで届き、ざわめきがぴたりと止んだ。
「私がフランツの婚約者になれるはずだったのにっ」
そう続いたヒステリックな声に、エメリヒの表情が変わった。
「まずい、あいつの幼馴染だ。アドリアーナを逆恨みしている」
ええ? 『マンガにそんな展開があったかしら』と考えそうになったけど、今はそんな場合ではないとすぐに気がつく。
ひとをかき分け、声がするほうに走った。
『令嬢の振る舞い』が、なんて言っている場合ではないもの。
私が悪役令嬢の役割を果たさないから、ほかの令嬢にその役割が移ったのかもしれない。
どうしてその可能性を考えなかったのだろう。
やまない罵倒に不安になりながら、ようやく騒動のもとに駆けつける。
そこだけポカンとあいた空間に、わずかな守りびとに守られながらも泣きそうな顔をしたアドリアーナと、彼女を悪鬼の表情でにらみつけ、糾弾する令嬢の姿があった。制服のリボンから一年生だとわかる。
「あなた、落ち着いて……」
彼女にそう声をかけようとしたとき、中空に拳大の石が幾つも出現した。
土魔法の攻撃だ。
アドリアーナのそばにいるのは、なぜか近衛騎士のドコーさんと豪商の息子で魔力のないリカルドだけ。彼女自身も防御はできない。
「――!!」
必死に防御魔法の呪文を唱える。
アドリアーナの前に出て、両手を広げて彼女を石礫から守ろうとするドコーさん。突然彼らの周りにふわふわとした光がいくつも現れる。
石がぶつかる寸前に、私が発動した防御壁が彼らの前に出現した。それとほぼ同時に、石礫が火に包まれ、数秒で消滅した。
となりで深く息を吐く音がした。エメリヒだった。
「よかった」
アドリアーナも幼馴染さんも、腰を抜かして床に座り込んでいる。そしてアドリアーナの周りに、ふわふわと舞う光。
あれはきっと精霊だわ。目をこらすと中にひとの姿が見えるはず。まわりの人たちも気づいたようで、騒ぎ始めた。
これは園遊会で起きるはずだった、精霊の出現だわ。アドリアーナを守るために(といっても実質なにもできないのだけど)姿を現すのよ。
私が悪役令嬢をやらなかったばっかりに、幼馴染さんが代わりに悪役令嬢になってしまった……。
◇◇
王子たちの歓迎会を中断することはできないという。
講堂から軽快な音楽が聞こえる中、講堂と外部への入り口の間にあるホワイエの隅で、守りびとフランツの幼馴染が教師に囲まれ泣きじゃくっている。
アドリアーナは守りびとたちに任せて、私はこちらに来た。でないとコンラッドが、アドリアーナの制止も無視して罵倒し続けるのだもの。それを止めてくれたのは、エメリヒだった。
「精霊姫が望んでいないだろう?」と言って、コンラッドから声を奪ったのだ。
報復が怖いけれど、今はこちらを解決しないと。
エメリヒの話によると、幼馴染は侯爵令嬢のリリアンさんで、フランツと婚約するはずだったという。ところがその寸前に精霊姫が現れ、彼が守りびとに選ばれた。
するとフランツは、『これからは守りびととして精霊姫に尽くすから、婚約者の相手なんてしている場合ではない』との理由で一方的に婚約をやめてしまったらしい。
でも彼女はフランツを好きだったのね。彼らの前にちょこちょこ現れては、一緒にいたがったという。でもフランツはずっと拒んでいたそうだ。
彼もアドリアーナも守りびとたちも、リリアンさんの気持ちに気づいていたという。でも彼女は私と違って控えめだったから、あまり深刻に考えていなかったのだとか。
リリアンさんが暴力沙汰を起こしてしまったのは、許せることではない。しかも他国の王子を歓迎する会でのことだもの。だけど彼女だけを責めるのは気の毒な状況よね。
先生たちの間を通り抜け、床に座り込んでいるリリアンさんの元へ行く。それから彼女を抱き寄せた。なるべく丁寧に背中をさする。
しばらくそうしていると、彼女のしゃくりあげる声が少し小さくなってきた。そこへ、
「あ、いたいた!」と明るい声がした。
保健医のキンバリー先生だった。手にグラスを持っている。中にはほんのりピンク色をした炭酸水が入っているみたいだ。
「君、これを飲んで」と先生は私たちの傍らにひざをつくと、リリアンさんに差し出した。「気分が落ち着くドリンク。ちょぉっと眠くなるけど、辛い気持ちも和らぐよ」
リリアンさんがノロノロとした動きで、私を見た。
「……飲んだほうがいいと思いますか?」
「そうね。辛い気持ちを抱え続けるのって地獄じゃない? 私はそうだったわ」
リリアンさんはゆっくりうなずくと、ドリンクを手にして一気に煽った。
すぐにその手からグラスがすべり落ちる。彼女はふらふらと揺れたかと思うと、私にもたれかかった。穏やかな寝息が聞こえる。
ほっと息を吐くキンバリー先生。
「なんの解決にもならないけどね。冷静でないときに責めても、追い詰めるだけだから。少し休ませてあげて」と彼女はほかの先生たちに向けて言った。
先生たちが魔法でリリアンを運び出す。それを見送り振り返ると、アドリアーナが立っていた。泣きそうな顔をしている。そんな彼女のそばにいる守りびびとは、三人だけ。当のフランツとコンラッドはいない。
「講堂のほうは落ち着いたの?」と彼女に声をかける。
突然現れた精霊に、主賓の王子たちとアルバンが、とんでもなく喰いついたのよね。質問攻めにされた彼女は、あの場を離れることができなくなってしまった。
「はい。なんとか。リリアン様をラウラ様にお任せしてしまって、すみません」
「いいのよ。他人事とは思えなかったし」
というよりも、確実に私のせいであんなことをしてしまったのだから。
精霊の出現は、起きなくてもマンガの進行に問題ないエピソードだ。
だけど、アドリアーナは目に見えて『精霊姫』として活躍しているわけではないから、その存在を疑問視するひとたちもいる。そんな敵にむけて、『アドリアーナは特別だ』とアピールするための出来事なのよね。
私には、『別の形で起きるかもしれない』と考えておく責任があった。
「私、ラウラ様のことでとても反省をしたはずなのに、こんなことになってしまって。リリアン様に申し訳ないです」
ぽろり、とアドリアーナが涙を流す。
私は今度は彼女を抱き寄せ、背中をさすった。
「そうね。私もそう思うわ」
「ラウラがそんな風に思う必要はない」
力強い声で言い切ったのは、エメリヒだった。
「悪いのは、俺たち守りびとだ」
彼と私の間で、赤い糸が揺れた。




