9・2 エメリヒの誕生日
サプライズを仕掛けるというのは、とてもドキドキするものなのね。うまくいくか、気づかれないかと心配で落ち着かない。
厳しい王妃教育を受けていなかったら、表情に出てしまっていたに違いないわ。
完璧な『普段の顔』で何気ない話をしながら、ロンベル邸に到着した馬車からおりる。
「お帰りなさいませ」と頭を下げる執事に向かって、
「予定どおりにお客様よ」と告げる。
私のあとから降りてきたのは、エメリヒ。学校の制服姿で、片手にはカバン。お互いに学校帰りなのだから、当然ね。
今日はエメリヒの誕生日。でもアドリアーナによると、父親と不仲の彼は、自邸で誕生会を開くことはないという。だから彼女と守りびとたちは、週末にフランツ・レーゼルの屋敷に集まって祝うとか。そして私は当日のお祝いを頼まれた。しかもサプライズで。
どうして私がと不思議だけど、エメリヒにはたくさん助けてもらっているからイヤじゃない。
ただ。私はサプライズの仕掛け人には向かないことが、よぉくわかった。
嘘の理由をついて屋敷に誘うだけのことで、心臓が爆発しそうになっていたのだから。
応接間に入り、向かい合ってすわる。
「それで、相談ってなんだ?」
開口一番、深刻な表情で尋ねるエメリヒ。
ああ、胃が痛いわ。
「ごめんなさい。それは嘘なの」
「は?」
彼の眉がぎゅいんと跳ね上がる。
「どういうことだ。悩みはないのか」
「ええ」
「そうか。よかった」
エメリヒは表情をゆるめて、ほっと息をついた。
「俺に相談するぐらいだから、相当にまずい案件なのかと思った」
心底安堵した表情の彼に、ますます良心が痛む。
そこへ執事がやってきて、お茶を並べる。そして最後に、ワンホールのケーキを置いた。
「こちらはお嬢様の手作りショートケーキにございます」
「手作り? って、これって」とエメリヒが不思議そうに私を見た。
顔が信じられないほど熱い。
「プレートの文字も、もちろんお嬢様の手書きでございます」と執事が余計なことを言う。
そこにはチョコでお祝いの言葉が書いてあるのだけど、ものすごく難しくて、何度か書き直した。
「お誕生日おめでとう。今日なのよね?」
「そうだが、なんで……」
「アドリアーナに頼まれたの。彼女たちは当日のお祝いができないらしくて、代わりに私が祝ってほしいって」
「代わり」と一言呟いて口を閉じるエメリヒ。
「あ、イヤイヤではないわよ。お誕生日と聞いて、お祝いしたいと思ったもの」
「大丈夫、わかってる。このケーキの完成度、イヤイヤには見えない」
エメリヒが微笑む。
また私を殺しにかかってきたのね。心臓が勢いよく跳ねて、苦しい。
「すごく美味しそうだ。なんでもできてラウラはすごいな」
「こちらのケーキは三十二回失敗し、プレートは二十三回書き直しました」
しれっと執事が暴露した。
「どうして言っちゃうのよ!」
「事実でございます」
執事は慇懃に頭を下げて、部屋を出ていく。
エメリヒは驚いたらしく、見開いた目をしていた。
「だってほら、お祝いだからヘンなものは出せないでしょう?」
「ラウラが作ったものなら、どんなものでも嬉しい」と、彼はまた微笑んだ。「俺は世界一の幸せ者だ」
「大げさすぎない?」
「本気だが?」と真剣な顔。
「やっぱりギュンター公爵夫人と大奥様もお招きすればよかったかしら」
「どうしてそうなる?」
「だって自邸では祝わないって」
「……なるほど。同情か」そう言ってエメリヒは嘆息した。「誕生会は開かないが、母上とおばあさまは祝ってくれる。心配するな」
「そうなの? よかったわ」
エメリヒが言うには、誕生会もお母様とおばあさまは開きたいと言ってくれているという。だけど開催すると、公爵とお兄様が延々と文句を言ってくるので面倒だとか。
その説明を聞いている間に、落ち着けた。でも、ほんのちょっとだけ。まだ、大事なミッションが残っている。
私はあらかじめ長椅子のクッションの下に隠しておいた、箱を取り出した。
「これはプレゼント。気に入ってもらえるといいのだけど」
エメリヒが手に取り、箱にかけてあるリボンをほどく。
ドキドキしすぎて心臓が口から飛び出してしまいそう。
プレゼントは、ペーパーナイフにした。アドリアーナたちは身につける物にしたほうがいいとうるさかったけれど、そんなものをもらっても困ると思ったのよね。
ナイフというところが微妙に騎士っぽさもあると思うし、いいチョイスだと思うのよ。
いらなければ屋敷の使用人にあげてしまえばいいんだし。
だけど、本当にこれで喜んでもらえるのか心配になってきたわ。
エメリヒがフタを開ける。
「ペーパーナイフか!」
声が弾んでいる。
よかった、喜んでもらえたみたい。
「きれいだ」と彼はナイフを取り出して手に取る。「刃にも文様があるぞ」
「魔除けの蔦模様なんですって。それに刃物自体に、魔除けの意味がある国もあるから」
この世界ではどうか知らないけれど、日本ではそうだったはず。
「騎士のお仕事は危険もあるでしょ? だからいいかなと思ったの」
「ああ。すごく嬉しい」とエメリヒがまた微笑んだ。今まででよりも更に甘く柔らかい。「大切にする」
「ええ」
心臓が耐えられそうになくなり、視線をそらす。
目に入るのは、赤い糸。今日も変わりなく私たちを繋いでいる。
いまだにこれの意味はわからない。素敵なお友達、って訳ではないわよね?
「おや?」と声がした。珍しく在宅していたらしいお父様が、ドアの前に立っていた。
エメリヒがすかさず立ち上がる。
「お邪魔しております、公爵閣下」
「ああ、先日ぶりだな、ギュンター」と営業スマイルを浮かべるお父様。
んん? お父さまは最近、エメリヒに会ったことがあるような口ぶりね。
「そうか」とお父様がケーキを見ながらうなずく。「ラウラが練習していたケーキは今日のためだったのか。我が愛し子の手料理だ。ギュンター、一口一口、感謝をして食べるのだぞ」
「はいっ」と礼儀正しく答えるエメリヒ。
「そんなたいそうなものではないわ。私もアドリアーナみたいに、自分で作ってみたいと思っただけだもの」
「だが父が食べられたのは、試作品だけだ」お父さまはそう言ってにっこりすると、「そこにあるケーキには値千金の価値があるんだぞ」と言って去って行った。
「大げさだわ」
向かいに座りなおしたエメリヒが、
「そんなことはない。公爵閣下は正しい」と微笑んだ。
ああ、もう!
見慣れない笑顔は心臓に悪いからイヤなのよ、と伝えたほうがいいかしら。
でないと私、そのうち心臓が破裂して死んでしまうと思うのよ。
ああでもそうしたら、やっぱり赤い糸は殺す者と殺される者とを繋いだ糸だったということね。




