1・1 赤い糸の繋がる先
自分の見たものが信じられなくて、そっと瞬いた。
それからもう一度、見る。私の左手の小指。そこに結ばれている赤い糸。長く伸びて地面に落ち、芝生の間をくねくねとして、ふたたび宙に伸びる。そしてその先は、左手の小指に結ばれている。
エメリヒ・ギュンターの、左手に。
「まさか」
誰にも聞こえないように呟いて、さらにもう一度赤い糸を目でたどった。
だけどやっぱり、エメリヒに繋がっている。
これは運命の赤い糸ではないのかしら。糸が見えたとき、てっきり愛し合えるひとと繋がっているものだと思ったのだけど。
どう考えても、エメリヒはそんな相手ではないわ。
エメリヒと目が合う。菫色した可憐な瞳とは反対に、彼の目つきは鋭利な刃物のように鋭い。まるで視線で私を切り裂こうとしているみたいだ。
でも、これが通常。いつだって彼は、殺意をこめて私を睨んでいる。
そして実際に彼は、半年後に私を殺すのだ。
◇◇
この世界は、別の世界の恋愛マンガ『精霊姫と七人の守りびと』の中だ。そして私は、ヒロインの恋を邪魔する悪役令嬢。
このことに気がついた――というよりも、それを思い出したのは、今朝だ。
昨晩、私は食べ物にあたったのか、倒れた。そして一晩中、ひどい吐き気と激しい頭痛に苦しんだのよね。
それから今朝まで眠っているのか覚醒しているのか、自分でもよくわからない状態だったのだけど、その間に前世の夢を見たみたい。
目覚めたときは、ここが『精霊姫と七人の守りびと』、通称『姫なな』の世界だと、自然とわかっていたの。
自分が悪役令嬢でいずれ殺される運命だと気づき、恐怖に涙がにじんだ。その涙を指で拭おうとして、自分の左手の小指に赤い糸が結ばれていることに気がついたのよね。
この世界にも、前世と同じように赤い糸の伝説がある。いつか結ばれる運命の相手と繋がっているというアレよ。
だけどあくまで伝説で、『私の指に赤い糸があるわ!』という人に出会ったことはない。
赤い糸は、政略結婚をしなければならない貴族の子女たちのあいだではやっている、夢物語という感じなのよね。
だというのに、私の指に赤い糸がある。
まぼろしかと思ったけれど、さわれる。だけど、私以外のひとには見えないみたい。
どうして突然こんなものが出現したのか、とても不思議。けれどタイミング的に、私が悪役令嬢であることと関係があるのだと思う。
きっと破滅する運命を回避するために、私を運命の人のもとに導いてくれるに違いない――
そう考えたのだけど、繋がった先がエメリヒ・ギュンターならば、私の仮説は間違っていたのだわ。
期待をこめて赤い糸をたどってきたのが、バカみたい。
さっさとこの場を離れましょう。
私の視線の先、王立魔法学校の中庭には、エメリヒを含めて七人の『守りびと』が勢ぞろいをしている。
その中心にいるのは、マンガのヒロイン、アドリアーナ・シレア男爵令嬢。
『守りびと』が持参した豪華なお弁当を囲んで、みんなで仲良くランチ中だ。
だけれど食堂以外での食事も、お弁当持参も校則で禁止されている。『守りびと』のひとりが王太子だから、おめこぼしされているだけに過ぎない。
マンガでは、生徒たち憧れの的の食事風景として描かれていた。でも実際は、誰も快く思っていない。王太子たちに文句を言うことができないから、お愛想笑いで我関せずをつき通しているだけなのよね。
私も、前世の記憶がよみがえった今となっては、彼らと関わりあいたくない。私の破滅原因たちだもの。
現在のところ私の存在に気がついたのは、エメリヒだけ。彼は私に話しかけることは絶対にないから、今のうちに撤退するのがベストなのよ!
踵を返そうとしたその時、
「ラウラ・ロンベル!」と不機嫌な声で名前を呼ばれた。
見つかってしまった。
しかも王太子コンラッドに。仕方なく、足を止める。
「なにをしに来た! 文句ならばきかないぞ!」
婚約者に向ける第一声がそれとは、おかしくないかしら?
そう言いたいのを、ガマンする。彼に常識をといても意味はない。
今まで国王夫妻たっての願いで、諭すための言葉をたくさん彼とその仲間たちに投げかけてきた。だけど自分の運命がわかった以上、もうお役御免よ。
「ひとを探していたの。でもこちらにはいないようだから、失礼するわ」
「嘘をつけ! 今度はどういう魂胆なのだ?」
整った容貌を醜く歪めて、コンラッドが私を責める。そんな彼を、
「決めつけるのはよくないわ」と宥めたのは、ヒロインのアドリアーナ。
コンラッドは彼女の優しさに感極まって、
「さすが精霊姫、なんて寛容なのだ!」と私から注意をそらした。
今度こそ、撤退!
彼らに背を向ける間際、もう一度赤い糸の先を見た。
やっぱりエメリヒに繋がっている。私を射殺しそうな目をしている、騎士見習いに。
――ああ、そうなのね。
これは恋愛的な『運命の糸』ではないのだわ。
きっと『私を殺す運命にある人』という意味での『運命の糸』なのよ。それならば、納得できるもの。
彼らに背を向け、足早にその場を離れる。
そんな私に向かって、
「挨拶もなしに去るなど、なんて不調法なんだ!」という苦々し気な王太子の声が聞こえてきた。
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