6・1 一日ぶりの登校
乗降場に着いた馬車の扉が開き、ステップに足をかける。
「あ、ラウラ様!」
元気で可愛い声がした。
少し離れたところでアドリアーナが、満面の笑みで大きく手を振っている。となりのコンラッドが苦虫を潰したような顔を、まわりの生徒たちが驚愕の表情をしているのなんて、まったくのおかまいなしみたい。
以前だったら、きっと私は苛立った。
だけど今は、可愛いと思う。
「おはよう」
そう答えて、地面に降り立つ。
「あ、エメリヒも。おはよう!」
そう言ったアドリアーナの視線をたどると、私の後ろに馬車から降りるエメリヒがいた。
「おはよう」と答えるエメリヒ。それから彼は私を見た。「おはよう」
「おはよう……」
初めて彼からまともな挨拶をされた気がする。
戸惑っているとエメリヒがやって来て、さりげなく私のかばんを手に取った。
「しばらくは無理をするな。周りを頼れ」
んん?
別に無理なんてしていないけれど。
「そうですよ、ラウラ様」といつの間にかそばに来ていたアドリアーナが、『ぷんぷん』という擬音語がつきそうな表情で、可愛く私をにらむ。
「いくら魔法で治したからといって、大怪我だったんですからね。荷物なんて持っちゃダメです」
なにこれ?
急な過保護ブームなの?
それに私にこんな対応をしたら、コンラッドが――。
心配になって彼を見ると、ものすごく傲慢な顔をして私を睨んでいた。
「だいぶ行き違いがあったようだからな」と偉そうに言うコンラッド。「今回は許してやる。婚約もお前の望みどおりに解消してやるから、光栄に思え」
ちょっと待って。
この人の頭の中身ってどうなっているの?
エメリヒは呆れたようにため息をついている。
「コンラッド、ひどいわ!」と声をあげたのはアドリアーナ。「王太子のくせに事実をねじまげるの!」
うっと呻いてコンラッドがひるむ。
「自分の立場を悪くしたくないからって、ラウラ様に問題があったかのような言い方をするのは、よくないわ!」
アドリアーナ……。なんて強い子なのかしら。
コンラッドがやりこめられて、しおしおとしているわ。
「王太子のあなたがそんな風では、精霊王の加護がなくなってしまうのよ。よく考えてね!」
アドリアーナはそう言い放つと、私に笑顔を向けた。
「ラウラ様。これからコンラッドにひどい目に合わされたら、私に言ってくださいね。精霊姫として、しっかりお説教します」
「え、ええ。頼もしいわ」
私、ヒロインに懐かれるようなことをなにかしたかしら、と考える。
前世の世界では、フラグを折ろうとした悪役令嬢がそうなることは、よくある展開だったと思う。
でも、私はなにもしていないわよね?
「なんだか面白いことになっているな」
そんな声とともに目の前の生徒たちが左右に別れた。
まるで海を割ったモーゼのように、突如できた道をひとりの男子生徒が歩いてくる。
交換留学生のアルバン・シャルンホルスト王子。燃えるような赤毛に、濃い緑の瞳、派手な容姿のイケメンで、マンガの中でもこの世界でも女性人気が高い。
なにしろこの国のイケメン令息たちはみんなアドリアーナに夢中だけど、アルバンは違うから。
彼もエメリヒたちと同じクラスで、私は公式行事のときぐらいしか会話をしたことがなかった。
そんなひとが私の正面に立って、笑顔を見せる。ただ、体格の良いエメリヒよりも背が高くて、威圧感がすごくて怖い。
でも実は、前世の記憶を取り戻したあとから、こっそり彼にコンタクトを取っていた。
コンラッドと結婚したくないからいずれ内密に亡命させてほしい、とお願いするために。
「おめでとう、ラウラ。婚約は解消されるんだって?」
「ええ。おかげさまで」
「嬉しいね」とアルバンは更に笑みを深くして、私の手を取った。「ぜひ俺の妃になってくれ」
「っ!?」
妃? なんの冗談なの?
戸惑っているすきに手に口づけられそうになる。
払わなくちゃ。
そう思ったとき、横から手を引っ張られた。アドリアーナだった。
「ダメです! ラウラ様はよその国にはあげられません! ね!」
と彼女がエメリヒを見る。
いや、彼は別になんとも思わないでしょ、と思った。けれど、エメリヒはしっかりとうなずいた。
ええと、それは私の容貌が女神と同じだから。そうよね?
赤い糸が目に入る。今日も依然繋がったまま。
なぜだか、胸がドキドキする。
「決めるのはラウラだろ?」とアルバンが私の手を取り返す。「それに、コンラッドとの結婚から逃げるために、うちの国に亡命しようとしていたんだしな」
「ええ! ラウラ様はそこまで追い詰められていたんですか!」
アドリアーナは叫ぶと私に抱きついた。
「ラウラ様、本当にごめんなさい~~~~」
「いいのよ、あなただけが悪いのではないもの。気にしないで」
彼女をよしよししてから、アルバンをにらむ。
「大切なことを漏洩するなんて、それでも王子なの?」
「あそこの王子よりはまともだぞ?」とアルバンは微笑む。「それに早く行動に出ないと、君を得られないだろ? 許せ」
「冗談は結構よ。あなたが必要なのは、アドリアーナでしょ?」
シャルンホルストとの交換留学は、両国の親善が目的で提案されたものだ。
けれど入学間近に精霊姫が現れたことによって、アルバンは密命を帯びた。精霊姫を正当な手段で手に入れろ、と。
――マンガによると、そういう話だったのよね。
「確かに王子としては狙っていた。だが俺がほしいのはラウラだ」
「だとしても」と言ってエメリヒが私とアルバンの間に進み出た。「今する話じゃないだろ。遅刻する」
「そうね」
エメリヒとアドリアーナが両脇にぴったりとくっついた状態で、その場を離れる。
なんでふたりがこんなに近いのか、頭の中ははてながいっぱいだけど、ひとまずは助かったわ。
アルバンの助けはほしかったけれど、彼に口説かれたいなんて微塵も思ったことはないもの。
「あいつには気をつけろよ」
とエメリヒが低い声で囁いた。
「相当な女好きだ。言葉を真に受けないほうがいい」
「もちろんよ。何度も同じ目にはあいたくないもの。私はもう男の人は信じないの」
そう答えたら、思い出してしまった。
私がコンラッドを好きになってしまったきっかけを。
子供のころのこと。王宮に遊びに行って、侍女たちが陰で私の目を気持ち悪いと言っているのを偶然聞いてしまった。
こっそり泣いているところにコンラッドが来て、彼が言ったのよね。
「うわあ、金色の瞳。宝石みたい」って。
そう言った彼のほうがキラキラした笑顔で、宝石みたいだった。
泣いてしまうほど嬉しい言葉で、このときに彼を好きになってしまった。
のちに彼から『悪魔の目』と言われるようになることも知らずに。
男の人の言葉を信じたって、数年後には変わると知っている。
きのう褒めてくれたエメリヒだって、いつかは悪口を言うかもしれない。元々は私を大嫌いなのだから――。




