表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/52

5・1 エメリヒの微笑み

 床に伸びた赤い糸をたどるかのように廊下を進む。

 一向に消える様子も、指からほどける気配もない赤い糸。

 こんなにはっきり存在しているのに、誰にも見えていない。私とエメリヒを除いては。不思議だわ。


 応接室に入ると、私に気がついたエメリヒが長椅子から立ち上がった。糸は変わらず彼の左小指に繋がっている。

 放課後になってまだ間もないのに、エメリヒは私服を着ている。ということは、彼も学校を休んだのかもしれない。


「加減は?」と挨拶もなしにぶっきらぼうに尋ねるエメリヒ。

『問題ない』と答えようとしたものの、開きかけた口を閉じた。それは公爵令嬢として、もしくは王太子の婚約者としての答えだわ。私自身としては――

「まあまあといったところね」


 どうして正直な気持ちを口にする気になったのか、自分でもわからない。だけど、そういう気分だったのよ。

「あれほどの状態だったのだからな」と、エメリヒが険しい表情でうなずく。「訪問して悪いな。例の品を届けたら帰るつもりだったんだが」

「おかしいわ。お礼のお礼だなんて」

 

 昨日私を助けてくれたお礼を、お父様がギュンター家に贈った。予定どおりの茶葉セット。

 そうしたら、また彼のお母様が返礼品を用意してくれたらしい。エメリヒはそれを届けに来たと聞いている。


 私は今日は学校を休んだ。昨日の時点では、そんなつもりはなかったのだけど。


 キンバリー先生の回復薬は、そうとう強力だったらしい。

 効果が切れたとたんに全身が痛み始めて、私は微熱を出して寝込んでしまったのよね。

 一晩明けたらだいぶ良くなったものの、登校できるほどの状態ではなかった。


 エメリヒと私は、卓を挟んで向かい合ってすわる。

 おかしな気分だわ。

 前世を思い出す前も後も、彼とこのような席に着くことは絶対にないと思っていた。

 なのに対面でお茶を飲んでいるのだから。しかも、我が家の応接室で。


「あなたこそ大丈夫なの?」

 なぜ彼まで欠席したのか。学校に行きづらかったのか、親に止められたのか。どちらなのかしら。

「俺も、まあまあだ」と彼は答えてから、「コンラッドは昨日のうちに謝罪に来たんだって?」と話題を変えた。



 エメリヒの言うとおり、驚いたことに昨晩、コンラッドが我が家に謝罪に来た。

 もちろん心から反省したという訳ではない。事態の収拾をはかるために陛下に命じられての、渋々の謝罪だった。その内容は――


 彼が私を攻撃したのは、カッとしたせいで意図的なものではない。だから責任はない。

 彼がクラスメイトの前で騒ぎ立てたのも、悪意はない。

 事実と違う発言をしたのは、不義をした私とエメリヒをこらしめたかったから。

 総じて、コンラッドに過失は少ない。すべて状況に問題があった――というもの。


 呆れ果てたわ。

 陛下ご夫妻はもっとまともで丁重な謝罪文をくれた。私が予想したよりはずっと重く、事態を捉えてくれたらしい。だけど本人がこれではね。


 お父様はあまりの酷さに『カッとして、意図的にではなく攻撃術を発動』してしまい、コンラッドを氷柱に閉じ込めた。

 でも仕方ないわよね。怒らせた方が悪いのだもの。彼の理論によればね。


 結果として、陛下ご夫妻は私たちの婚約解消を認めてくれた。コンラッドの謝罪の様子を魔道具で見て、もう私たち父子を引き留めるのはさすがに無理だと悟ったらしい。


 氷から解放されたコンラッドは、呆然としていた。彼の魔術のレベルはかなりのもので、学校では常にトップだ。それなのに反撃する間もなくあっさり敗北したのだもの。

 彼のプライドは粉々になったみたい。きっと私たち父子に関わるのはイヤになったはずだわ。


 エメリヒに昨晩のことをすべて話し終えると彼は、

「よかったじゃないか。受けた痛みには全然釣り合ってはいないが、婚約解消は勝ちとれたんだからな」と言った。

 思わず首をかしげる。

 私を嫌っているはずなのに、まるで私の側にいるかのような発言だわ。


 昨日だって私を保健室に運び、コンラッドから庇ってもくれた。

 もしかして私がゲーム展開から逸脱した行動をとっているせいで、


「あなた、私を好きになってしまったの?」

 彼の顔がカッと赤くなった。

「まさか!」

「そうよね。あんまりあなたが親切だから、どうかしちゃったのかと思ったわ」

「俺はそんな単純じゃない。コンラッドがあまりに人でなしだから、気の毒に思えただけだ」

「あなたたちはもともと、アドリアーナを挟んでライバル関係でもあるものね」

「……」


 エメリヒは口を開いたものの、なにも言わなかった。

 ふと、マンガで私が殺される場面を思い出した。


 場面は卒業を祝う記念パーティー。悪役令嬢ラウラは突然アドリアーナを魔法で攻撃しようとする。

 だけど、それを察したエメリヒが剣で私を刺し殺す。

 アドリアーナはとなりにいたコンラッドに防御魔法で守られていて、怪我ひとつない。


 エメリヒが帯剣しているのは、近衛騎士に就職が決定している生徒には、それが許されているからだったはず。


 だけどラウラがどうしてあの場面でアドリアーナを殺そうとしたのか、わからない。詳しい説明はなかったと思う。

 マンガの内容をすべて明確に覚えているわけではないから、忘れているだけかもしれないけれど。


 それに完結まで読んでもいない。たぶん、前世の私が死んだときは連載中だった。動機が語られる場面はもっと先だったのかもしれない。


 それにしてもコンラッドはマンガのイメージとはずいぶん違う。だいぶろくでなしでイヤなヤツだわ。


「そうだ、あなたも今日は欠席したの?」

 ティーカップに口をつけていたエメリヒが、私を見た。視線は鋭い。けれど、以前ほど殺気はないような気がする。気のせいかしら。


「断っておくが、状況に怖気づいたわけではないぞ」

「そんなことは思っていないわ」

「なら、いい」と彼は息を吐いてティーカップをソーサーに戻した。「そんな噂がもう立っているらしい」

「発生源はコンラッド?」

「いや、さすがに大人しくしているみたいだ」

 エメリヒは、同じクラスの守りびとフランツ・レーゼルからの情報だと続けた。フランツはわざわざ手紙で知らせくれたそうだ。


「俺が休んだのは、近衛騎士隊長から呼び出しがかかったからだ」

 昨日の件が隊長の耳に入り、あれこれ確認をされたという。特に念入りに尋ねられたのが、王太子殿下の婚約者を奪ったのかという点だったとか。


「それから、近衛騎士になる意思はあるのかの再確認だ」

「王族と不和ではまずいからね?」

 エメリヒは黙ってうなずいた。


「本当に巻き込んでごめんなさい」

 彼のことは嫌い。でも、エメリヒは自分で身を立てなければならない立場だ。就職に不利になってしまったのは、申し訳なく思う。


「……俺がなりたいものは騎士だ。道義にもとることはしたくない」

「私を悪女だと思っているのに?」

 エメリヒがまばたく。


「意地悪な質問だったわね。答えなくていいわ。誰だって矛盾を抱えていたり二面性をもっているものだもの。コンラッドみたいに」


 それから、私も。エメリヒのことは、前世の記憶がよみがえる前から大嫌いだった。そもそもコンラッド以外の守りびと全員が嫌いなのだけど、その中でも群を抜いて嫌いだったのよ。 


 だというのに、こうやって彼と会話をすることが自然とできている。

 嫌悪もさほど感じない。

 たぶん、今の私は彼を信頼しているのだわ。


 でも、それはダメ。

 彼は私を嫌い。助けてくれたのは、たまたまのはずだもの。


「この赤い糸だが」と、彼は糸を右手でつまんだ。

「なにかわかったの?」

「昨日の件。アレについて、『騎士の矜持に基づき、ラウラ・ロンベルを助けろ』という意味があったのではないかと考えたんだ」

 彼の手から伸びる赤い糸を目でたどる。途切れることなく私に続く。


「だがそれなら、もう消えてもいいはずだ」

「そうね」

 だってこれは、殺す者と殺される者とを繋ぐ糸だもの。


 でも……。

 エメリヒが本当に私を殺すのかしら。

 コンラッドとの婚約は解消になる。私がアドリアーナを殺したくなる理由もない。

 もう、未来は変わったのではないかしら。


「じゃあ、俺はこれで」とエメリヒが立ち上がる。「明日は登校するか?」

「ええ」

「ならば、また明日」

「待って」と、私も立ちあがる。「まだ近衛隊長との話し合いがどうなったのかを、聞いていないわ」


 最初に今の状況は『まあまあ』とは聞いたけれど、それではなにもわからない。

 エメリヒの菫色のひとみが私に向けられる。


「来週から一般の騎士団に移籍する」

 息をのんだ。

 近衛騎士団と王立騎士団は別物で、身分も将来性も給金も、なにもかもが近衛のほうが上なのだ。


「今回のことで、コンラッドを守る騎士にはなれないと感じたからな」

「でも」

「お前の責任じゃない」

 エメリヒは強い口調でそう言うと、

「気にするな」と微笑んだ。


 ほんのかすかな笑みだった。

 けれど、彼が私に笑いかけるのは、初めてだわ……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ