暗雲
サハトより北へ四十キロ程離れた場所にある城塞都市ルイーダ。
辺境の地に住まう貴族達が反乱を起こさぬよう監視する意味合いで作られたこの都市には、市民と共に多くの兵士たちが常駐している。
そんなルイーダに息も絶え絶えの兵士が駆け込んできたのは早朝の事だった。
肩や足等に矢が刺さったまま、馬を飛ばしてきた兵士は「ザウラが来る……」と言う言葉を残し息を引き取る。
その知らせは、すぐにヨーク城城主でありルイーダ市長であるマンサナレスの元へと届けられた。
「どういう事じゃ? 領主達が兵を集めていると言う話は入ってきていないが」
齢百六十のマンサナレスは、ツヴェルクのように長く伸びた髭を撫でながら、側近のアデーレに意見を求めた。
「いえ……私にもなんの事かわかりかねます」
切れ長の瞳に、眼鏡をかけたいかにも厳格そうな空気を纏っているアデーレは主人の問いに首をかしげる。
ここ何百年も反乱など起こった事もなく、誰かが兵を集めていると言う情報が入った事もない。もし、そのような事があれば密偵からすぐに報告がある筈だ。
「ザウラ……伝説にあるモーヴェに住まうと言う蜥蜴の民ですね」
「おとぎ話じゃよ……実在するとは考えにくい」
マンサナレスはそう言いながら隙を窺うと、横に立つアデーレの尻に手を伸ばした。
がしっ、と素早く反応したアデーレが手首を掴む。
「マンサナレス様、今は大事な話をしてるのですが?」
「おぬしの柔らかい尻を触りながら考えれば良い案も浮かぶと言う物じゃ」
ギリギリと互いに力を込め譲らない。
「申し上げます!」
二人が無言の戦いを繰り広げていると、兵士が転がるようにして執務室に入ってきた。
「なんじゃい、騒々しい!」
素早く手を戻し、城主の顔になるマンサナレス。
いつ見ても素早い変わり身だわ……とアデーレは密かに感心していた。
「難民が救助を求めて集まってきています! 近辺の領主達も一緒です!」
「何じゃと?!」
思わず目を見開き立ち上がるマンサナレス。
「アデーレ、ついて参れ!」
「はっ!」
マンサナレスはアデーレを連れ、駆け足で執務室を後にした。
一方、ルイーダを守る兵達は、中へ入れてくれと言う難民や高圧的な領主達への対応に困っていた。
「私を誰だと思っている〜〜」
「早くしろ〜〜」
「貴様の首なんぞすぐに〜〜」
と言う脅し文句はすでに耳にタコができる位聞いている。
「えーい、一体どうなってるんだ?!」
貴族への対応を部下に半ば押しつける形で休憩をとった騎士隊隊長オーウェンは、壁によりかかるとふーっとため息をついた。
今ここにきているのは部下を連れた領主。所謂貴族が数名。
そして一般的な風の民、所謂上等市民が……多数。
風の加護のない所謂平民がその倍位。
順序としては、市長に許可を得た貴族、そして上等市民、残りの枠が平民と言う順でとりあえず都市に入る事になるだろう。
「しっかし、一体何が起こってるのかねぇ」
得体のしれない不安を感じながら、オーウェンは再び仕事に戻る。
――その頃。
サハトや、その近辺の領地を制圧したザウラの軍勢は、エルフは殺し、平民達を一か所に集めていた。
平民達は恐怖に顔を引きつらせ、これからどうなるのかと不安げにしている。
そこに、巨大な袋を抱えたザウラ達がやってきて、それを地面に置くと袋の口を開いた。
少しして、中から無数の黒い蛇がはい出してくる。
蛇たちは人間の体を這い上がると、悲鳴を上げる人々の口の中へと飛び込んだ。
体中に血管が浮かび上がり、地面を転げて苦しむ人々。
やがて皮膚を覆うように鱗が生え、ザウラへと姿を変えてゆく。
「我が力を受け入れ、眷族となれ。呪われし子らよ」
サソリの上でその光景を眺めていたエレティコスがさも愉快そうに笑った。