先生
――来て
耳から聞こえるのではない、頭に直接響いてくるような不思議な声を晃が聞いたのは、とある日曜日の事だった。
「あー、寝たらもう明日は学校かぁ……」
そうつぶやき、ベッドに横になった晃は、眠りに落ちる前、夢現の中で確かにその声を聞いた。
直後、体が浮かびあがり揺れるような感覚に見舞われる。
「冷てっ!」
突然背中に冷や水をかけられたような気がして、晃は思わず飛び起きた。
辺りは真っ暗闇で、目が慣れていないせいか周りの状況を把握する事はできないが、手の感触からどうやら自分は雨かなにかでぬかるんだ地面の上に寝転がっているようだ。
(夢……じゃないよな?)
そう思い、試しに頬を手で強くつねってみる。
痛い。
晃は確認するととりあえず立ち上がった。
ズシ、と右腕に妙な重量感を感じて、いつの間にか自分が持っていたなにかをじっと見る。
それは一振りの剣だった。
「なんだ、こりゃ」
特に変わった装飾がしてある訳ではないが、その刀身はゆらゆらと波状に震えている。また、何故か暗闇の中で薄らと紅い光を放っており、まるで炎だな、と晃は思った。
「とりあえず……ここがどこか調べないとな」
パニックに陥り、叫び出しそうになるのを必死にこらえ晃は歩き出した。
心臓は早鐘のように脈打ち、不安から体温が妙に下がって、こらえようとしてもガタガタと震えてしまう。
そうして十分程あるいた晃は、前方に浮かぶ幾つもの光を発見した。
それは即ち、町がある事を示している。
「よっしゃ!」
晃は心を奮い立たせるために大きくガッツポーズをとると、光目指して駆け出した。
「リエッタちゃん偉いねぇ、先生のお使いかい?」
肉屋を営む女店主、ハンナが声をかけるとリエッタと呼ばれた少女はトテトテッと言う擬音の付きそうな小走りで店先に駆け寄った。
「うん! お肉をいつもの通り下さいな!」
「あいよ!」
笑顔で応じたハンナは大きな肉切り包丁で『いつもの分』を切り分ける。
ちなみに、リエッタの家は薬屋を営む『先生』とリエッタの二人家族なのだが、どうみても人間二人に必要な肉の量ではない。人の頭二つ分はあろうかと言う肉を、リエッタはやっとと言う感じでもっていた。
「まったく、あんたんトコの先生も大喰いだねぇ。それ夕食で一度に食べちまうんだろう? たまには自分で来ればいいのに」
そんなリエッタを少々かわいそうに思っているハンナがそうこぼすと、リエッタはえへへと困ったような笑みを浮かべ、
「でも、先生はいい人だよ」
と、いない所で小言をもらっている先生をフォローした。
「ま、そうなんだけどねぇ」
じゃあねー、とハンナに手を振って歩き出そうとしたリエッタは、突然現れた人影に驚き悲鳴を上げた。
目があった瞬間悲鳴を上げられ、晃は思わず後ずさった。
「えっと、あの……」
と、少女をなだめようとして、自分がそう言えば剣を持っていた事に気づく。こんな夜に妙な男が剣を持って歩いていたらそれは異常者以外の何者でもないだろう。
「いや、違うんだ!」
慌てて右手を背に回し、剣を隠す晃。
少女の叫び声に、町の人々が続々と集まってきていた。
「あんた! なにしてんだい!」
リエッタを庇うようにたったハンナが巨大な包丁を振り上げて怒鳴る。
「いや、俺はなにも……」
弁解しようとするが、なにも思いつかず、口をパクつかせていた晃は突然後頭部に衝撃を感じた。
目の前がぼやけ、ガクッと膝をつく。
「いってー!」
「こいつ、剣なんか持ってやがるぞ!」
「押さえつけろ!」
二、三人の男が晃の両肩をむんずと掴み、剣をむしり取ろうとした。
「おい、やめろ!」
思わず体をよじる晃。
ただそれだけで、男たちはうわあーと叫びながら一メートル程吹き飛んだ。
「なんだこいつ?!」
思わぬ晃の怪力に目を丸くする男たち。
しかし、驚いたのは晃も同じだった。
格闘家に憧れて多少の筋肉トレーニングはしていたが、それでも大の大人を、それも男をこうも容易く宙に舞わせる程の筋力は無い筈だ。
「こいつやる気だぞ!」
「気を抜くな!」
殺気立つ町の人たちを見て、自分がやっちまった事に気づく晃。
どうやって逃げようか頭をフル回転させて思案していると、
「――待ちなさい」
低い、ビブラートのきいたやけに美しい声が響いた。
晃が声のする方へ顔を向けると、そこにはやけに細い、眼鏡の男が立っていた。
「先生……」
「先生だ……」
という声がどこからともなく上がる。
白い服に身を包んだその男は、眼鏡の奥の猛禽類のように鋭い瞳で晃を見据えると、町の人々にここは私にまかせてと手で示した。
「君、名前は?」
「晃……霧埼晃だけど」
フム……と先生は顎に手を当て何事か考えるそぶりをみせると、
「ではアキラ。私についてきなさい」
そう言うが早く背をむけ歩き出した。
「お、おい!」
慌てて後を追う晃。
「リエッタ! 帰りますよ!」
先生の声で我に返ったリエッタも、その後に続いた。