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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
7/75

マロン(1)

「いいわ、お受けしましょう」


「「カレン様?!」」「お嬢様?!」


 柔らかな日差しの入る朝食室でひとり朝食を済ませ、食後のお茶を飲みながら、執事のモリスから今日の予定を聞き終わったところだ。

 ジェラルドは、少し離れた兵士の鍛練場へ視察に行っており、昨日からいない。


 執事のモリスと侍女頭のエマ、侍女のニコルが口を揃えて聞き返したのは…

 ダットン男爵令嬢クリスティンの来訪についてだ。


 ダットン男爵は、広大な辺境の地を共に治める配下で、クリスティンは一人娘だ。


 何が問題かと言うと、ダヴィネスに着いて早々に渡された要注意人物リストの一番上にあったのが、ダットン男爵と令嬢クリスティンの名前なのだ。


 政敵というほどでもないが、時に怪しい動きを見せる輩はどの世界にもいる。転びようによっては、命取りにもなりかねない。

 王都ではこの手合いはうようよしており、カレンの父や兄も常に目を光らせていたものだ。


 腹の探り合いは日常茶飯事で、表立つことはないにしろ、女性の社交の世界でも同じことが言えた。


「カレン様、ジェラルド様がご不在ですので…」

 当然断ると思っていたモリスが慌てた様子で止めにかかる。


 ジェラルドの不在…そこを狙ったのかもしれない。


「うーん、何度かお断りしてるじゃない?それでも言ってくるって…ちょっと興味があるわ」


 モリスは天を仰ぎ見た。


 断り続けても、ジェラルドの配下となれば遅かれ早かれいずれは顔を合わせるのだ。

 いったん生活が落ち着いた今、カレンは暇だった。

 お茶会くらいの社交はそろそろ始めてもいいのではなかろうか。


「…カレン様、こう言ってはなんですが、クリスティン様は…ずっとジェラルド様を慕われていて、親子ともども『辺境伯閣下の奥方の座』を狙って、あれこれ手を回していたのです」

 それはもうあらゆる手を使って…


 エマが言いにくそうに話す。


 …なるほど。そこへ筆頭侯爵家令嬢のカレンが現れ、ジェラルドをかっさらっていった(真相は違うが)という訳か…それは気になるだろう。


 ますます興味がわく。


「お嬢様…」

 ニコルも心配そうだ。


 カレンは短くため息をついた。

「もうみんな、大丈夫よ。相手は一人だし白昼堂々何をするっていうの」


「しかし…」


「短時間で済ませるわ。護衛も増やしてくれて構いません」



 女の情念の怖さを侮ると痛い目をみることを、この時のカレンはまだ知らなかった。



 ∞∞∞


 カレンのお気に入りの中庭の一角に茶席は設えられた。


 目に見える護衛はそれほどでもないが、木の影や茨のアーチの脇にも護衛はいる。


「本日はお目通りありがとう存じます。ダットン男爵が長女、クリスティンにございます」


 令嬢らしく控えめな笑みを湛え礼を取るクリスティンは、燃えるような赤毛と対の緑の目を持っており、小柄なごく普通の貴族令嬢らしい昼の軽装だった。


「ようこそ。カレン・ストラトフォードです。さあお掛けになって」


 幾度となく茶会の主催をこなしてきたカレンは如才なく振る舞う。


 席を薦めた刹那、クリスティンの鋭い視線を感じた。

 素早く確認すると、左手の指輪を凝視している。

 その目はギラリと嫌な輝きだ。


 カレンは一瞬ギョッとしたが、顔には出さない。想定内だ。


 二人は席に着くと、エマがカップにお茶を注ぐ。


「あの、カレン様…とお呼びしても?」

 先ほどの目付きは素早く終い、友愛の笑みを湛えて話しかける。

「ええ、もちろん」


 エマが怪訝そうな顔をする。


「ではカレン様、これを…」と言いながら、同行した侍女に持たせた菓子折りに視線を向けた。

「ダヴィネス城の料理人はもちろん素晴らしい腕前でしょうが、うちの料理人は王都仕込みで、特にお菓子の腕前が自慢ですの。よろしければ今日のお茶請けにと思いまして…」


 その言葉に、エマとモリスが固まったことに気づく。


 まだ大丈夫だ。


「まあそれはありがとう…モリス」


 モリスは多少緊張した面持ちではあるが、ダットン家の侍女から菓子折りを受け取り、厨房へ向かった。



 お茶をいただきながら、たわいない会話を続ける。


「こちらにはもう慣れられましたか?王都とは気候が異なりますので…」

「ええ、お陰さまで。なにもかも新鮮です。ジェラルド様も使用人達もよくしてくれますので」


 あえてジェラルドの名前を出して反応を見る。


 とたんに、緑の目にギラつきがよみがえる。


「…そのようですわね」


 空気が少しひやりと感じる。


 これも想定内。


 沈黙していると、モリスがお持たせのタルトを切り分けた皿をトレイに乗せて持ってきた。

 さっきよりも顔つきが険しい。


 と、皿を乗せたトレイをエマに渡す素振りで、エマの耳元に何かささやくと、エマが眉根を寄せ、素早くカレンに耳打ちしてきた。


「召し上がられませんよう」


 目の前に置かれた一切れの小さなタルト。

 見目麗しく、ベージュのクリームが艶々しい。


 …ああ、あれが入っているのね。

 “あれ”とは…


 カレンは栗が食べられない。

 いや、食べられはするが、体が拒否反応を起こすのだ。いわゆるアレルギー反応だ。

 幼い頃、領地の栗を初めて食べた時に意識不明の重体になったことがある。

 時々、食べ物が体質に合わない、ということがあるのは世間一般でよく知られている。

 カレンの場合、栗だった。

 その時は焼き栗をたらふく食べたので、原因はすぐに判明した。

 幸い、すぐに吐き出させられ事なきを得たが、父は領地の栗の木を一本残らず切り倒そうとした。

 しかし、領地民にとっては得難い森の恵だから、と領地家令に引き留められ実施には至らなかった。


 栗のことは、侯爵家からの申し送りにきっちり組み込まれていたので、ダヴィネスの食卓にのぼることはまずないが、大っぴらにできることではないので、カレンの食事に携わる者だけが知ることだ。


 カレンは目の前のタルトを観察した。

 よく見なければわからないが、タルトの下層に栗の小さな粒が見える。もしかして上のクリームには粉にした栗が入っているのかもしれない。


「さあ、どうぞお召し上がりに」

 クリスティンは、にっこりと微笑んだ。


 偶然ではないだろう、どこで栗の情報を仕入れたか…


 カレンはデザートフォークを手にした。


「カレン様!」「お嬢様!」


 エマとニコルが思わず小さく声に出したが、カレンはそれを目で制した。


 拒むこともできるが、それでは既成事実は作れない。

 毒ではないのだ。


 クリスティンの口許に不適な笑みが浮かぶ。


 タルトの尖った先を少しだけ切り取り、口へ運んだ。


 ふむ、美味しい…が、ぞわりとした感覚が全身に走る。


「いかがですか?お気に召しまして?どうぞもう一口お召し上がりになってくださいませ」


 どこか空明るいクリスティンの声が聞こえる。


 カレンは機械的にもう一切れタルトを切り取り、口へ運ぼうとした。


「だめだ。食べるな」


 後ろからフォークを持つ右手首を捕まれた。

 同時にムスクウッディの香りに包まれる。


 声の主は、ジェラルドだった。


「カレン?」


 ダークグリーンの瞳がカレンの顔を覗き込む。


 手からデザートフォークが滑り落ち、急激に意識が遠のく。


 ∞∞∞


 ザワザワと回りが慌ただしく動き、朦朧とした意識の中、口の中に手を突っ込まれ、胃の内容物を容赦なく吐き出させられたのは覚えている。

(後から、手を突っ込んだのはジェラルドだったとニコルから聞いた)


 今は、自室のベッドにぐったりと横たわっていた。


 視線を巡らせると、ダークグリーンの瞳とぶつかる。


 怒っているのか困っているのか、複雑な表情のジェラルドがいる。


「…カレン、気分は?」


 すでに日が暮れているのか、室内はぼんやりとした灯りだ。


 倦怠感はあるが、気分はそう悪くない。

 身を起こそうとすると、まだ起きるなと制される。


 どうやら室内は二人きりのようだ。


「…水、を…」


 自分でも驚くほどの掠れた声が出た。


 ジェラルドは大きなため息をつき、カレンをゆっくり抱き起こすと、グラスの水を口許に持ってきた。

 促されるまま、こくん、と一口飲む。


 その様子を訝しげに見つめるダークグリーンの瞳。


 カレンの背に、いくつもの枕をそっとあてがうと、ベッドの脇の椅子に座った。


 見たことのない疲れた顔だ。


「…言いたいことは山ほどあるが…今回のことであなたが“規格外”であることはよくわかった」


「?」


「私の認識が甘かった…すまない」


「!」


 ジェラルドは片手をカレンの頬に当てた。

 あまりにも優しい感触に、カレンの心臓が一気に跳ね上がる。


「これは極めて政治的な問題なんだ。婚約者であろうとなかろうと、身を呈していいわけはない」


 顔が近い。

 そして、カレンの予想を越えて、揺らめくその瞳は複雑な色合いだった。

 -森と山の稜線-


「…申し訳ございません…」


 掠れた声で呟く。


 ジェラルドはふっと微笑むと、頬にあった手をカレンの顎の下へ移し、顎先を軽く摘まんだ。

「そう思うなら、早く元気に。エマ達が心配している」


「…はい」


 カレンの諾を聞いた手は、そのままゆっくりと寝着の上から腕を滑らかに下り、左手の指輪をなぞって離れた。


「ゆっくり休むんだ」


 ∞∞∞


 ジェラルドはカレンの寝室を出ると、執務室へ向かう。


「待たせた」


 そこには側近のフリードを始め、ダヴィネスの中枢を担う面々が集まっていた。


「カレン様のご容態は」


 フリードがいの一番に尋ねる。


「今は落ち着いている。順調に回復するだろう」


 その言葉に、一同がわかりやすくほっとする。


「それにしても、やるね、姫様」


 アイザックは重い雰囲気を破るように重ねる。


「…図らずも、といったところだ」


 ジェラルドは執務机を背に寄りかかり、顔を曇らせた。


 あの後、クリスティンとダットン男爵一派は即座に捕らえられ、城塞で尋問中だ。


 モリスの機転で、鍛練場に早馬が来たときは何事かと肝を冷やしたが、まさかこのような事態になるとは予想だにしなかった。


 クリスティンはタルトの中身のことなど知らぬ存ぜぬの一点張りだが、そもそもそういう計画だったのだろう。彼女のジェラルドへの思慕を利用されたに過ぎない。

 問題はカレンへの栗の作用がどこから漏れたか、という一点になる。たかだか栗のことだが、場合によってはカレンにとっては命取りだ。

 このことは知るものが極限られた秘密事項だ。

 謀ったのはクリスティンを駒に使った父のダットンと見てまず間違いないので、厳しい尋問となる。

 事は中央への影響を踏まえ、厳密に進められる。


 一方で、当然その場にいたダヴィネスの者達へも事情徴収は行われた。身内を疑いたくはないが、事が事なので筋は通さねばならない。


 皆一様に、カレンは栗に気づいていたと口を揃え、その上で口にしたことに驚きを隠し得なかった。

 クリスティンより立場は上なのだ。当然食べない選択もあった。事実、食べないであろうと思っていた。


 しかし、カレンは食べた。


 もしジェラルドが止めなければ、2口目も食べていただろう。

 モリスは己の責任を問い、エマやニコルは泣きどおしだった。


「しかし、なぜここまでなさったんでしょうね、カレン様は」

 フリードは不可解、という面持ちだ。


 ジェラルドが図らずも、と言ったのは、この件が要注意人物を捕らえるきっかけとなったことだ。

 結果として、領主の婚約者の命を狙った、という事実は覆しようがない。

 しかしこれは、カレンが己の身を害するとわかった上でタルトを口にしなければ成し得なかったことなのだ。


 ジェラルドは、要注意人物のリストを渡した時の、カレンの反応を思い返した。

 手にしたリストを食い入るように見つめていたのを思い出す。


 その時は特段何も思わなかったが、どうやら知らずカレンの闘争心に火を着けたらしい。


 しかし、自らをおとりに使うのは危な過ぎる賭けだ。


 ジェラルドは髪をかきあげ、片手で口元を覆った。


「リストの1行目を消すチャンスだと捉えたのかもしれない」


「へ?」「なるほど…」

 アイザックがすっとんきょうな声を出し、フリードは妙に納得した様子だ。


 豪胆さは切れ者と言われる父侯爵や兄にも勝るということか。


 “規格外”


 ジェラルドは先ほど見た、頼りなげなライトブルーの瞳を思い出していた。


 ∞∞∞


 この縁談を進める中で、カレンについて何度か耳にした言葉がある。


 “規格外”


 カレンの兄のウィリス卿や、ウィリス卿の部下のカーヴィル卿、果ては王太子殿下までが口を揃えた言葉だ。


 陛下にいたっては、女にしておくのは惜しいとまで宣った。


 それらは、耳を疑うようなエピソードとともに語られた。


 過保護な兄のウィリス卿からは、父が甘やかしたんだ、とにかくあれは好奇心が強くてな…の言葉とともに…

 領地での馬の調教や女だてらの種馬牧場での働き、領民に混じっての祭の仕切りなどかわいいもので、狩りでは自分より大きな鹿を深追いした挙げ句仕留め、邸中の心配をよそに真夜中に鹿を引きずって帰ってきたこと…果ては多忙な父侯爵やウィリス卿に代わっての領地経営の驚くべき手腕…など。


 カーヴィル卿からは、妻君との仲を取り持つために、妻君に懸想していた放蕩貴族を実に体よく追い出し、引いてはカーヴィル卿を焚き付けたこと。


 王太子殿下からは、遊び相手をしていた妹の王女殿下を無下に扱ったことに対する、第二王子への対処など。(以降、第二王子には執着されることにはなったが…)


 一歩間違えば危なかったと言える話もあり、それらを知る陛下は、男ならば間違いなく上り詰めたであろうと、完璧な侯爵令嬢だけに留まらないカレンへの賛辞を惜しまなかった。


 …単なるお転婆の範疇は遥かに越えている。

 状況を判断し、持てる力を最大限に使い結果を出すのは、時に男でも実に困難なのだ。


 ゆえの“規格外”


 本人に自覚は…恐らくないだろう。

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