ダヴィネス初期(1)探検
そうだわ、ここはうち(侯爵家)じゃなかった。
カレンは目覚めたと同時に、見慣れぬ薄暗い天蓋を見つめた。
ダヴィネス領へ来てから2週間ほどが経つ。
「城の中はどこへ行ってもいいし、何をしてもしなくても構わない」
というジェラルドの言葉通り、気ままな毎日を過ごしている。
まずはこの地に慣れなければ始まらない、という真意だろうが、放置とも取れなくはない。
ジェラルドとは3~4回食事を共にした程度で、ほぼ関わりのない状態だ。
本格的な冬を迎える前に調整する案件が多いらしく、領地内を歴訪しているとのことで、不在の状態ですれ違いが続く。
好きにしていい、の言葉どおり、カレンは好奇心の赴くままに行動した。
ここ1週間は、もっぱら城内の探索をしている。
ダヴィネス城は要塞なので、すべてにおいてスケールが違う。
王城とも赴きが異なり、見所が多い。
居住区域は執事のモリスか侍女頭のエマが、そして要塞についてはカレン付きの護衛のネイサンが付き添い、案内や説明をしてくれた。
特にカレンの興味を引いたのは、巨大なホールと図書室だった。
一体何人入れるのだろうという総大理石で創られた荘厳なホールは、王城のそれよりも広いのではないのだろか…。大舞踏会でも余裕で開けそうだ。
ホールは、かつてはダヴィネス軍の決起会や、王族を招いての晩餐会が行われたとのこと。
図書室も巨大で蔵書も素晴らしい。初版本などの古い書籍も多く、歴史の重みを感じる。
担当の文官が親切丁寧に案内してくれた。
長い冬も退屈せずに過ごせるように、という配慮もあるとのことだ。
カレンは早速、丸一日を図書室で過ごしたりした。
応接室や客間の数も多く、それぞれに趣向を凝らした落ち着いた設えだ。
掃除も行き届いており、すべてにおいて申し分ない。
キッチンにも顔を出し、料理長のオズワルドと挨拶を交わした。一見気難しそうな料理長だが、あれこれと気さくに質問するカレンに心を許してくれたのか、ジビエの話に花が咲いた。
要塞へと繋がる回廊には、年期の入った甲冑や武器を飾ってあり、ここは最前線の軍用基地なのだと気づかされる。
「恐くはないですか?」
ネイサンに聞かれた。
「ええ、初めて間近で見ますが、とても興味深いわ」
ネイサンは一瞬驚いた顔をしたが、
「それならよかったです」
と、安心した様子だ。
恐いもなにも、わが国はダヴィネス閣下率いるこの辺境軍に守られている。ありがたがりこそすれ、恐いなど思い違いも甚だしい。
王都に居ては決して目にすることのなかったもの達は、重みを持ってカレンへと訴えてくる。
百聞は一見に如かずだわ…。
馬好きのカレンは厩舎や馬場にも足を運んだ。立派な軍用馬や馬車馬がズラリと並ぶ姿は壮観で、皆よく手入れされている。
ついでに馬を育成している牧場や種馬牧場へも行きたいと行ったが、それはまたの機会に…とネイサンに折り目正しくやんわり断られた。
仕方ない。
カンッカンッと鋭い乾いた音が聞こえ、そちらの方へ気を取られる。
「兵士の鍛練場です」
なるほど。
「見てもいいですか?」
「…そうですね、レディに気を取られる者がいるかも知れませんので、こっそりとなら」
ネイサンに案内され、鍛練場からは死角になる物陰から様子を覗いた。
様々な年代の騎士や兵士が木剣を奮って汗を流している。
中には少年もおり、皆真剣そのものだ。
「あ、ジェラルド様ですね」
突如、ネイサンが指差す。
「アイザック卿がお相手ですね…これはおもしろい」
指差す方を見る。
アイザックは第一騎士団長で筆頭騎士なので、常にジェラルドと行動を共にする。
大柄な二人が剣を奮う様は凄まじく、そこだけ別空間のようだ。
ジェラルドもアイザックも上半身は裸で、汗を飛ばしながらの真剣勝負だ。
「ジェラルド様の相手が務まるのは、アイザック卿かフリード卿…私など足元にも及びません」
二人を見つめるネイサンが誰ともなしに呟く。
「ジェラルド様はお忙しい間を縫って、ご自身の鍛練を怠りませんし、兵士達の稽古も気軽に付けてくださいます」
…へえ。
さすがはその名に違わない、名実ともに骨太な辺境伯閣下というわけね…
カレンは自分でも気づかないうちに、次第にジェラルドの姿に釘付けになっていた。
逞しい体躯から繰り広げられる剣技、その筋肉の滑らかな動き、伝う汗…
髪は乱れ、精悍な面立ちは獣のような野性味を放っている。
そのダークグリーンの瞳は鋭く、相手の動きを決して逃さない。
なんだろう、胸がザワザワする。
と、その時、ジェラルドの視線が一瞬こちらへと向けられたように感じた。
「!」
カレンは思わずくるりと背中を向けた。
「? レディ?」
どうやらネイサンは、ジェラルドの視線に気づかなかったらしい。
次に、おお!と鍛練中の兵士達からどよめきが起こった。
「あ、ジェラルド様が勝ちましたね」
ネイサンは嬉しそうだ。
カレンはゆっくりと鍛練場に向きを戻した。
「ったく、お前、急に本気出すなよー!」
仰向けになり、首もとに剣を向けられたアイザックが抗議する。
「はは、悪い。つい、な」
ジェラルドはアイザックを片手で起こした。
少年兵から手拭きを受け取り、汗を拭いながら、まっすぐこちらへと歩いて来る。
「こんな所まできていたのか」
えっ、バレてたの?
カレンはネイサンを見た。
「あー、ジェラルド様に隠し事は無理っぽかったです。すみません」
頭をかきながら、ははは、と人の良さそうな笑顔だ。
「カレン、城塞の探検は楽しい?」
ジェラルドは輝くような笑顔で尋ねる。
近くに来ると、汗とムスクウッディの混じった男性的な香りに包まれ、カレンはドキリとする。
しかも、上半身は裸でその筋肉の隆起が汗を伴って生々しく、カレンは思わず目を伏せた。
「あ、はい。初めて目にするものばかりで…」
「そうか」
「あ!お姫様!…ああ、ジェラルドのやつ、だからかー!」
アイザックがカレンに気づき、悔しそうに納得している。
「え、お姫様?」
「レディ?」
カレンの存在に気づいた兵士達が、ザワザワと色めき立つ。
その様子を見て、ジェラルドは眉をひそめた。
「ネイサン、カレンと戻れ」
「はっ」
ネイサンは、ジェラルドの出す剣呑な雰囲気をすぐさま察知し、命令に従う。
「あ、あの」
「今夜のディナーで」
「…はい。失礼します」
カレンはジェラルドに礼をすると、ネイサンとともに鍛練場を後にした。
行かなきゃよかったかな…
カレンは先ほどのジェラルドの姿を思い出す。
怒ってはいなかったと思う。
でも、お邪魔してしまったわね。
そして、急に顔が熱くなるのを感じた。
ダメダメ、そういうのじゃないから。
無理矢理に自分を納得させるカレンだった。
・
「あれ、姫様戻ったの?」
「ああ、兵士達には目に毒だ。こんなむさ苦しい所まで来るとは思わなかった」
ふーん、とアイザックは思わせ振りな目付きでジェラルドを見る。
「無理してない?」
「なにがだ」
「べっつに~」
自覚は…ないんかい?
アイザックは、人知れずため息を吐くのだった。