32.【番外編】領主の仕事
※カレンの体力は回復しつつあるけれど、まだベッドが生活スペースのすべての頃〈その2〉
カレンはベッドで、ジェラルドは衝立を取り、ソファに座って朝食を取っている。
カレンは利き手が使えないので、左手を使うがやはり時間がかかる。
ジェラルドが食べさせようとしたがさすがにそれは固辞している。
先に終えたジェラルドは、果物の入ったカゴを持ちカレンのベッドへ来た。
ベッドに腰掛け、ペティナイフを取り出すと器用にリンゴの皮を剥く。
わあすごい
カレンは目の前のジェラルドの器用な手付きに見入り、感心した。
カレンは果物の皮など剥けない。
「ジェラルド様、すごいですね」
「これか?」とリンゴの長い皮を持ち上げる。
「軍では身分に関係なく何でも自分でしなくてはいけない…しかしこれは、厨房に入り浸っていた頃に習った」
リンゴを小さく切って、カレンの口へ運ぶ。
まるで親鳥みたい。
カレンは素直に口を開けてリンゴを食べた。
ジェラルドは器用にナイフで切り分けながら、自分もリンゴを食べる。カレンへ、自分へとタイミングよく1個のリンゴを二人で食べ終えた。
朝食を終えると、モリスやエマ、ニコルが片付け、続いてメイド達がベッドシーツを交換する。
その間、ジェラルドはカレンを横抱きにして待っている。時にそのままバルコニーへ出て、朝の風景を見させてくれる。
カレンはほぼ毎日のことなので申し訳なく思うが、ジェラルドは全く問題にしない。
今日も横抱きにされ待つ間、コソコソと二人で話していると、フリードが急ぎの決裁があるとのことでノックと共に入ってきた。
「お取り込み中のところすみません、急ぎます」
と言い、ローテーブルに書類を広げる。
ジェラルドは短くため息を吐くと「ここに座ってて」と、カレンを執務机の肘掛け椅子へ一端下ろした。
ジェラルドとフリードはソファに座って決裁書類を精査している。
領主の肘掛け椅子はなかなかの座り心地だ。
カレンは手持ちぶさたもあり、見るともなしに執務机に広げられている書類に目を落とした。
《リカルド橋の修繕について》
《東部ツヴァルトでの密猟報告》
《穀物出来高のシーズンレポート》
…などなど。
どうやら、各部署から上がったきた報告や要望らしい。
カレンもストラトフォードの領地では領地経営の手伝いのようなことをしていたので、まったくわからない内容ではなさそうだ。
その中で、カレンの目を引く見出しがあった。
《ミュベール孤児院についての報告》
カレンは思わずその書類を手に取り、パラリとめくって読み始めた。
「カレン?」
途中まで読んだところで、ジェラルドの声に気づく。
ハッとして、書類を閉じた。
急ぎの決裁が終わったらしく、フリードの姿はなかった。ベッドメーキングも終わっている。
「ごめんなさいジェラルド様! 勝手に読んだりして」
「いや、構わない」
ジェラルドは全く気にする風はない。
「何か気になるものがあった?」
言いながら、カレンの膝裏に手を差し込む。
「…いえ」
カレンは横抱きに持ち上げられながら、読みかけの書類のことを考えていた。
あれはおそらく…横領か人身売買。
各領地、もちろん王都にも孤児院はある。
修道院が経営しているものもあれば領主の直轄のものもあり、場合によっては個人の経営もある。領地によって様々だ。予算のかけ方もそれぞれで異なる。
つまり、ちゃんとしている所とそうでない所の差がある、ということだ。
里親や就職先まできっちり面倒を見る所もあれば、その日の食べ物さえ適当、読み書きさえ教えない、なんて所もある。経営者の手腕や人柄に頼る場合も大きいが、調査官の目が届かないケースもあり、国の予算や寄付金の横領、人身売買の隠れ蓑になるなどの犯罪についてはカレンも耳にしたことがあった。
いつの時代も恵まれない子どもはいる。
貴族の淑女は慈善事業も社交のひとつなので、定期的に孤児院へ慰問に訪れるが、中には子供達の顔も見ずに形式的な差し入れだけで済ませる夫人もいた。子供の様子を見れば、その施設がきちんと役割を成しているかはすぐわかる。慰問にはその意味合いもあるが、残念ながら義務を果たさない貴族も少なくない。
カレンも、王都では母や姉、アリシアと一緒に王立の孤児院へ定期的に慰問に通った。
領地の孤児院は運営は修道院に任せてあるが、領主の直轄としていたので、それこそ頻繁に訪れ子供達と遊んでいたことを思い出す。泣き顔しか見せなかった子供がたくましく成長し、自らの足で歩む姿を見るのは、領主にとっての誇りであり支えでもあるのだ。経験豊かなシスター達との触れ合いも今は懐かしい。
だが、力のないものを利用する悪い輩は、どこにでもいる。
ダヴィネス領の『ミュベール孤児院』でも、後ろ暗い事実があるならば、決して放ってはおけない。
「…カレン、今日は何をして過ごす予定?」
ジェラルドはカレンの考え込む顔には触れず、ベッドへ優しく下ろしながら聞いてきた。
「んー、いい機会なので、ダヴィネス城のディナーメニューを勉強しようかと…」
嘘ではないが、少し適当なことを言った。
「ふむ、まあ疲れない程度に」
と、額にキスを落とされた。
なんとなく含みのある顔をされたが、カレンは微笑みで返した。
その後、ジェラルドは少し書き物仕事をして城内の鍛練場へ行った。
カレンはベッドで、モリスが用意してくれたダヴィネス城の過去のメニューの記録をパラパラと捲る。
「わぁ、面白いですね」
ニコルも一緒に記録を眺める。
確かに、王都やストラトフォードの領地では見慣れない食材や料理も多く、興味深い。
今もディナーの相談は受けているが、まだまだ料理長のオズワルド任せだ。カレンももっと学ばねばならない。
…ただ、なんとなく身が入らない。
カレンは、ジェラルドの執務机にある書類に視線を移す。
《ミュベール孤児院についての報告》
あの続きが読みたかった。
でも…やっぱり、いくらそこにあるとはいえ領主のものだ。
勝手に読むわけには…
「お嬢様、何か軽いものでもお持ちしましょうか」
考え事をするカレンを気遣い、昼時でもあるのでニコルが声を掛けてきた。
「あ、ええそうね、お願いするわ」
「はい!」
ニコルは足早に出ていった。
「…」
カレンは、好奇心に逆らえなかった。これは気性なのだ。
裸足のままベッドから降りると、ソロソロと執務机に向かう。
机の上は朝よりは整頓されているが、まだあの書類はあるはず…
と、机の右端にある書類、そしてその上に無造作に置いてあるメモ書きに、カレンは仰天した。
“ Read me more! ”
(もっと私を読んで!)
…ジェラルドだ。
何もかもお見通しだった。
本当になんて優しくて茶目っ気があるんだろう。
カレンは笑い出してしまった。
・
ニコルは厨房からカレンの軽食を持って部屋へ入ると、先ほどとは打って変わり、ベッドの上で真剣な顔で書類に目を通す主の姿を目にする。
「…お嬢様?何か気になるお料理でも…?」
「ううん…あ、うん」
「?」
カレンは書類を読み終え、パサリと膝上に置いた。
…これはよくないわ
この報告書をまとめた調査官の素晴らしい几帳面さのおかげで、カレンはミュベール孤児院の悪しき実態を理解した。
ニコルの持って来てくれた、ジャガイモと香り高いキノコのポタージュを飲みながら思案する。
「お嬢様、考え事をされてるとこぼしちゃいますよ、消化にもよくありません」
確かに。
利き手ではない方を使っているのだ、注意しないと。
カレンは一旦ポタージュに集中した。
食後のお茶を飲み終えると、ニコルにカレンの部屋からペンと便箋を持って来るように言い付ける。
「ニコル、今から言うことを書いてね」
「? はい」
ニコルはベッドサイドのテーブルで、筆記具を手にした。
「まずは…」
。。。
ミュベール孤児院は、ダヴィネスの北西に位置する、個人経営の孤児院だ。
ダヴィネスは土地柄、戦争孤児が少なくない。
城塞街にある孤児院や、その他の地域にある孤児院も領地直轄で、城から派遣する院長がいる。しかしミュベールは代々家族経営で、その経験や手腕を買われて運営を任されていた。現院長となってまだ日が浅いとのことだ。
ミュベール孤児院は北西一帯をカバーしており、子供の頭数が増えたことを理由にかなりの金額の追加予算の申請をしてきたのが数ヶ月前。予算申請の時期ではないにも関わらず大胆な金額なので、調査官が秘密裏に動いて調査にあたった。
調査官はこっそりと孤児院を伺う。
何週間か様子を見る内、申請と実際の子供の人数が大きく異なることを知る。
北西はダヴィネスの中でも僻地にあたる。慰問も頻繁には来ないのをいいことに、子供の頭数をごまかしたのは明白だった。
複数の調査官で慰問を装い、中の様子も探る。
城塞街の孤児院の子供達と比べ、子供の顔に生気が乏しく服装も貧しい。顔や体に、明らかに暴力を奮われたであろう痣のある子供もいた。また寒い時期に、日がな1日畑作業をさせていたこともある。
極めつけは、昨日いた女児が今日にはいない、という事実だった。
北西地域は山ひとつを越えて、かつての敵国の鉱山と隣接している。
かつてはこの鉱山の所有権で揉めたこともあったが、ジェラルドの父の代から平和的に互いの領地を守っている。だが鉱山街には歓楽街があり荒くれ物や山師も多い。下働きに子供をこきつかうことも珍しくない。
ミュベールの女児は、鉱山街へ売られた可能性が高かった。
運良く、ミュベールで働く調理師を買収することに成功し言質を取ることができた。
調理師には給金もろくに支払われていない。現院長は贅沢好きで子供のことなど省みず、当たり散らしては使用人のような扱いをしているとのこと。果ては小遣い稼ぎに、適当な女児を鉱山街へ売り飛ばしていた。
極悪だった。
。。。
『・現地への管理官の派遣。予算申請の監査目的は建前で、本来の目的は、院長の動きを封じることにある。栃狂った院長が素直に観念するとも思えないので、騎士も同行すること。予告なしが望ましい。
・子供達の保護。直ちに必要な食料や衣服を、世話人とともに現地へ投入。城塞街の孤児院の協力を得ること。まずは子供達の健康状態を確認し、治療が必要な子供には適切な措置を。
・鉱山街の捜索。子供達からも居なくなった子供のことをうまく聞き出し、捜索にあたり保護すること。違法な人身売買のため危険を伴う。よって、調査に長けた者を派遣すること。腕に自信があり、さらに間諜の経験のある者だと尚よい。場合によっては金銭で蹴りをつけることもアリ。
・ミュベール孤児院は、当面は領地直轄とし運営の正常化を図る。そのための人材の斡旋、育成。』
「こんなものかしら…」
「お嬢様、メニューのお勉強だったのでは?」
ニコルが不思議顔で聞く。
「うん…そうなんだけど、優先順位というものがあってね、、」
と、カレンは眉を下げた。
まあでも、お嬢様らしいですよね、とニコルはペンを置いた。
この箇条書きを、ジェラルドがどう取るのかはまったく予想がつかない。でも、領主の元へ届く最重要事項を読ませてもらったのだ。あらそうですか、とは見過ごせない。
カレンの知る限りの知識で恥ずかしいが、何か役に立てればと思う。
「あ、ニコル、まだスペースはある?」
「はい。3~4行は大丈夫です」
ニコルは字がキレイなのだ。詰めて書いてくれたらしい。
じゃあね…
・
「ご苦労」
「はっ 異常ありません」
ジェラルドが鍛練場から戻ったのは、午後も遅い時間だった。寝室前の護衛に声を掛け、頷くと部屋へ入る。
ニコルがベッドの側から無言で立ち上がり『つい先ほどお眠りになりました』と、ヒソヒソ声でジェラルドへ報告すると部屋を去った。
ベッドのカレンは、スヤスヤと幸せそうな顔で寝息を立てており、ジェラルドは安心し癒される。
確かこの後会議がひとつあったか…と、執務机を見ると、カレンへと書類を置いた位置に、ミュベールの報告書とともに便箋が1枚置いてある。
箇条書きを読み終え、便箋の下方にはメッセージがあった。
~
Thanks for reading.
You may think I'm cocky, but that's how I feel.
Also, take me someday.
with love
Karen
(読ませてくださり感謝します。
生意気かと思われるかも知れませんが、今の私の気持ちです。
また、いつか連れて行ってください。
愛を込めて
カレン)
~
ジェラルドは笑みを漏らし、規則的な寝息を立てるカレンに近づいた。
「上出来だ、カレン」
ベッドにかがみ込むと、形の良い額にゆっくりとキスを落とした。
・
「まぁ、さすがとしか言いようがありませんよ」
ジェラルドの執務室で、便箋を読んだフリードが話す。
さすがにカレンの眠っている時は会議はできない。
「私も驚いた」
いつも驚かされるが…
「ではこの通りで?」
「ああ、頼む」
「承知しました。あ!でも」
「なんだ?」
「…この下の部分、切り取りましょうか?」
生ぬるい目で聞く。
「…そうだな、頼む」
ジェラルドは目を合わせずに答えた。
フリードはフッと笑うと、引き出しからナイフを取り出した。