27. 辺境の伊達男、もしくは悪魔(下)
遡ること1日前。
カレンがベアトリスのモイエ邸へ行ったことを確認し、ジェラルドの執務室へダヴィネス城の各部署のリーダー達が集められた。
「ランドール対策緊急会議」だ。
決して狭くはない部屋だが、それでもかなりの顔触れが集まり狭く感じられた。
「皆、忙しいところすまない」
ジェラルドは執務机を背に、少しもたれ掛かった姿勢で腕組みをして立っていた。
「明日からランドールが来る」
知らなかった者からは、ああ…と残念そうな声が出る。
「察するに…秋に南部へ視察に行かなかったことへの意趣返しの意味が強い」
実は、カレンの栗の一件があり、領地内歴訪スケジュールのうち南部への視察をスキップしたのだ。
「いつも通り皆の手を煩わすだろうが、対応を頼みたい」
承知しました、とか、心得ております、などと皆は各々口にする。
ジェラルドは律儀に礼を述べる。
「ただ今回は…特に注視してもらいたいことがある」
全員、領主の言葉に耳を傾ける。
「カレンだ」
皆、真剣な顔で頷く。
ヤツに常識的な対応はもはや期待しないが…それでも、と前置きし、
「カレンを領主夫人として正しくわからせたい。チャンスは与えるつもりだが…もしカレンを傷つけるようなマネをすれば、容赦はしない。その考えがある」
そのことを知りおいてもらいたい。
と、鋭い眼光を放ちながら言い切った。
ひえっと部屋中が震え上がる。
ランドールの性格をわかり過ぎるほどわかっているジェラルドは、今回は良い機会だとも考えていた。
辺境の地が落ち着いた今、変わろうとする流れに歯向かうのは愚策だ。
長きに亘り、戦場に身を置いていた者に取っては受け入れがたいことかも知れない。
だが、時代は確実に変化する。
辺境の地の一部を預かるのであれば、当然わかっていなければならないことだ。
ジェラルドは僅かな期待に賭けていた。
∞∞∞
ランドールの来訪2日目。
昨日はしてやられたが、カレンはやられてなるものかと朝から受けて立つ気は満々だ。
昨日ランドールは、南部の報告をした後、そのまま酒盛りへとなだれ込み、それは朝方まで続いたらしい。
本来、客人を迎えての晩餐会の予定であったがランドールに予定は通用しない。
なので、カレンは昨日のディナーは一人で取った。
決意(?)の独り寝のはずが、起きるとなぜか体からジェラルドの香りがして、抱きしめられていたのは夢ではなかったのかと、一人で赤くなった。
しかし目覚めた時にジェラルドの姿はなく、今も朝食室にその姿はない。
一人で静かに朝食を取っていると、ふいに扉が開き、寝着姿にガウンを羽織ったランドールが眠い目を擦りながら入ってきた。
起き抜けは昨日のような毒気はなく、天使の様相だ。
給仕をしていた侍従のトーマスと、ニコルがハッと驚く。
(モリスやエマはランドール滞在のイレギュラー対応で忙しく、他の侍従や侍女が対応してくれている)
「ふあぁぁ…あれ、君ひとり?ジェラルドは?」
「おはようございます。スタンレイ男爵。ジェラルド様は既に執務をされています」
カレンは立ち上がり、軽めの礼を取った。
警戒は緩めない。
「ふうん」
なんとなく手持ち無沙汰な感がある。
「ご朝食をお召し上がりになりますか?」
「んー、お茶だけ」
言うと、勝手にカレンの向かい側へ座った。
カレンは侍従に目で指示を出し、ランドールのお茶を準備させた。
ランドールは気だるげで、頬杖をついたままカレンを観察している。
朝方まで飲んでいただろうに、よく起きてきたものだ。
カレンは普段通りお茶を飲んでいた。
「…きみ、さ、」
「はい」
侯爵令嬢の笑みで対応する。
「いつまでここに居るの?」
はじまった。
トーマスとニコルにも緊張が走ったのがわかる。
「…ええと、ずっと?」
ランドールはお茶を飲みかけて、くすっと鼻で笑った。
「…本気?本気でジェラルドの奥方に収まる気なんだ?…ふぅん」
カレンは令嬢の笑みは崩さず、反応を見る。
と、ランドールはカチンと音を立ててカップをソーサーに置くと、ターコイズの瞳にさっきまではなかった意地の悪い光を宿した。
「…君って、筆頭侯爵家のご令嬢だよね。お姉さんは隣国の王太子妃って聞いたよ。君だってもっと別のとこあるんじゃない?なんでわざわざ辺境伯へお嫁入りすんのさ」
…まだ穏やかな方だろう。ここは一般的な答えで…
「陛下のご命令ですので」
「面白くない答えだね」
まぁ、そうだろう。
「ジェラルドも夕べ同じこと言ってたよ。陛下のご命令だからーって」
だからって、破棄できない理由にはならないよねーと独り言のように呟く。
ランドールは両手で顔を支える形で頬杖をつくと、ターコイズの瞳をカレンへ据え付けた。
「君はジェラルドのために一体何ができるの?…後継者を生むってこと以外で。見たところ、生まれつき備わってるもの以外は何も無さそうだけど」
カレンはフム…と考える“ふり”をした。
「そうですね…確かに私は何もできないかも知れません」
ランドールの目を見据えて続ける。
「もしかしてお望みの後継者すら生めないかも。…でも、ジェラルド様がいいとおっしゃるなら、いいのでは?それこそ…配下の者がとやかく言い立てすることではないかと思いますが?」
全くの本心というわけではないが、鋭い矢にはそれ相応の対処で持って応えた。
「!」
ランドールが短く息を飲んだのがわかった。
カレンは涼しい顔でお茶を飲む。
「…君、僕が大人しく聞いてると思って図に乗ってない?」
よく見ると、目の下にうっすらと青いクマが浮いている。飲み過ぎだか寝不足だか。その両方かも。
「ふふふ、いえまさか」
なんだか、この感じは懐かしい。
カレンは王都での社交を思い出した。
令嬢達とのお茶会では、ほとんどはたわいもないお喋りに終始する。
しかしごくたまに、険悪な雰囲気へ流れる場面がある。
恋の鞘当てのお相手が同じだったとか、たまたま格上の令嬢よりいいアクセサリーを着けていて、相手が狭量で見咎められたとか…
令嬢達は言葉巧みに平静を装うが、女同士は時に本当に難しいし、面倒だ。
特に“嫉妬”が絡むと感情が昂るあまり表情は取り繕えず、その場で解決しないこともある。
カレンも身に覚えのない嫉妬に曝された経験がある。その時は結局、兄に頼って誤解を解いてもらった。
嫉妬…か…。
昨日のランドールの態度からしても明らかだろう。
「君の今の居場所は、本来は“ベッカ”のものだったのに」
ふいにランドールが別の矢を放った。
「?!」
ベッカ…?
カレンは新たな登場人物の名前に戸惑った。
ランドールはカレンの反応を素早く察知し、口の端をニイと上げた。
「知らなかったの?へえ…」
満足そうに言うと立ち上がり、お茶ごちそーさま、と侍従達に天使の微笑みを残して部屋を去る。
ニコルはその微笑みに当てられ、頬を赤らめる。
ランドールに耐性のないニコルには、人たらしに注意するように後で言うとして…
ベッカ…いったい誰のことかしら…
カレンは考えあぐね、新たな情報源の必要性を感じた。
・
妊婦のベアトリス様の手を再々煩わせてはいけない。
レディ・パメラに事情を話せば、ランドールの滞在中はここに居ればいいと、必ず引き留められるだろう…でもそれは違う。
ジェラルド周りの側近達は忙しいだろうし…
もちろん、ジェラルドに聞いてもいいが、恐らく日中はランドールの相手が忙しい。
会えるのは今夜、昨日流れた晩餐会だろう。
それまでに早めに何とか情報が欲しい。
うーん…
カレンは自分の手持ちのカードの少なさに困惑した。
自室の中をウロウロと歩き回っていたが、窓辺へと近寄る。
庭は薄く根雪になっていて、また今夜あたり積もるかも知れない。
と、庭の遥か向こう、馬場のあるあたりから出た先の開けた稜線に乗馬の一団が見える。
数にして10頭ほど。
カレンは窓を開け放した。
冷たい空気と風が一気に部屋へ入り、暖炉の火が煽られる。
ニコルが慌てるが、カレンはそのまま窓から身を乗り出して乗馬の一団に目を凝らす。
かなり小さいが、それでも見分けはついた。
あれは…ジェラルド様のスヴァジルと、アイザック卿のスモーク…タラッサも居る…
護衛に至るまで、ダヴィネス側の馬は絶対に間違えない自信がある。
知らない馬はランドール側の馬だ。
フリード卿の芦毛のダビデがいない。
あ、これはチャンスだわ。
カレンは急いで窓を閉め、ニコルを通じてフリードへのおとないを申し入れた。
最も信頼のおける情報源、フリードは、一人ジェラルドの執務室で業務をこなしていた。
「すみません、誰かのせいで業務が滞っておりまして…」
今も呑気に遠乗りです。ジェラルドを離さなくて…
申し訳なさそうにカレンに告げると、ソファを進めてくれた。
ニコルは居るが「まだ頭と体は繋げておきたいので…」と苦笑混じりで、扉を薄く開けておくことは忘れない。
さすがに如才ない。
「いえ、こちらこそそんな時に申し訳ございません。短時間で済ませますので」
「それで、私は何をお答えすれば?私がお答えできることならば、何でもお答えします」
と、素晴らしく合理的だ。
ならばこちらもズバリと聞こう。
「“ベッカ”様って、どなたなのかしら…?」
フリードは「おお」と目を見張った。が、次の瞬間、少し視線を横にずらしたのをカレンは見逃さなかった。
「…フリード卿のお答えできる範囲で構いません」
「あ、いえ、その名前は…ランドールから?」
「はい。今朝方、朝食室にお見えになってその時に…」
そうでしたか…まったく油断ならない、と、フリードは息を吐くと話しはじめた。
“ベッカ”とは、ランドールの双子の姉で、正しくはレベッカ嬢とのこと。
そして…彼女はすでにこの世の人ではないこと。
さらに、
「ジェラルドのかつての婚約者でした」
「!」
なんですって?
「と言っても正式にではなく、よくある親同士の口約束でしたが」
「…そうでしたか…」
カレンはなんとなく点と点が繋がりそうな予感がする。
「私は南部の出身で、ランドールとは遠縁にあたります」
カレンの複雑な顔を見て、フリードが語り出す。
「ジェラルドやアイザック、ランドールとは幼い頃からの知り合いで、ランドールはいつも我々の後をついて回っていました」
カレンは静かに耳を傾ける。
「レベッカ様は幼少から体が弱く、我らの初陣のすぐ後にお亡くなりになりました…私も数える程しかお会いしたことはありません」
程なく、ランドールは代を継ぎ、辺境軍に加わる。
「戦場で久しぶりに会ったランドールは、見た目こそ変わりませんが…一言で言うと“ヤバいヤツ”でした」
苦笑している。
かなり際どい、ギリギリの戦術ゆえの“悪魔”で、時にジェラルドは厳しく制したという。
「戦場にもルールというものがありますから」
フリードはどこか遠くを見つめている。
「ランドールは何か心許ないというか、線引きが危ういというか、常に目を光らせておく必要がありましたね」
それは今も変わりませんが、と締めくくった。
・
…考えがまとまらない。
しかし確実に、ランドールに対する闘争心はしなしなと消えていく。
カレンは自室に戻ると、いつものように料理長のオズワルドと今夜のディナーの相談をし、またもウロウロと部屋の中を歩き回った。
フリード卿の話は、もっと早くに聞きたかった。
いや、聞いていたところで何かが変わったとは言いがたいが、それにしても…根が深い。深すぎる。
「はあ…」
ジェラルド様に会いたいけれど、今は無理よね…。
どれくらいそうしていただろう、気温がぐっと下がり、外は雪が降り始めている。
暖炉の火をつついていると、ニコルが「お嬢様、そろそろお支度を…」と声を掛けてきた。
どんな顔をしてランドールと接するか…迷うところはあるが、形式的な晩餐会とはいえ会わないわけにはいかない。
たとえ向こうがカレンの顔など見たくなくても。
カレンは気分を切り替え、準備を整えることにした。
ダイニングへ行くと、すでにジェラルドとランドールは来ていた。
「お待たせいたしました」
カレンが現れると、ジェラルドがすぐに立ち上がりエスコートに近づく。
ジェラルドは何か言いたそうな顔だが、これからのことを考えるとカレンに余裕はなく、一瞬だけ目を会わせたが、すぐにそらしてしまった。
取りあえずは侯爵令嬢版で様子を見ることにする。
ジェラルドがカレンをエスコートする様子を黙って目で追っていたランドールだが、カレンが向かい側の席へ着くと、カレンの顔を挑戦的な顔でじっと見つめ、口の端でフッと笑った。
「…」
なんだろう、カレンはなんの感情も沸いてこない。
ジェラルドが席に着くと同時に、モリスが3人のグラスにシャンパンを注ぐ。
ジェラルドはカレンの様子を注意深く見ているが、シャンパンが注がれると眉を上げ、短いため息を吐くと領主の仕事として乾杯の音頭を取った。
「…ようこそ、ランドール・スタンレイ男爵」
3人はグラスを掲げる。
「ありがとう、ジェラルド…と、君は気分が悪いなら退席してもいいんだよ?」
ランドールはジェラルドのグラスにカチリと自分のグラスを合わせると、カレンへの攻撃を開始した。
天使の微笑みの中に毒を含ませながら。
「ランドール」
ジェラルドは幾分低い声でランドールを諌める。
とっさにカレンはジェラルドの方へ向き、短く首を横に振り、ランドールへ令嬢版の微笑みを返す。
「いいえ、まさか。失礼いたしました。改めましてようこそ、スタンレイ男爵」
互いを探り合うようなギスギスとした雰囲気のまま、ディナーは進む。
ランドールは、常にジェラルドにだけ話しかけ、カレンのことはまるで無視だ。
たまにチラリとカレンを見るが「僕とジェラルドの邪魔をするな」といった牽制を感じる。
さらにランドールは心得たもので、話はカレンのわかりづらい南部のことや、かつての戦場での思い出、今日の遠乗りからの城塞街への訪問のことなどを、さも楽しげに話題にする。
ジェラルドは「ああ」とか「そうだな」と言った、通り一遍の相づちしか打たない。
なんとなく、機嫌は下降を辿っているような…。
カレンは微笑みを絶やさず、話を聞いた。
…本当にジェラルド様のことが好きなのね…自分への当て付けに心を注ぐランドールは、やはりどこか王都の令嬢達を彷彿とさせる。
ディナーも後半に差し掛かった時、ランドールはワインを一気に流し込み、タンッと音を立ててグラスを置くとカレンを見据えた。
「ねえ君、君はジェラルドの何を知ってるの?」
「?」
「今までのジェラルドのことを何も知らないままでいいと思ってる?」
「ランドール止めろ」
落ち着いてはいるが、かなり怒っているのがわかる声音だ。
カレンはジェラルドの腕に手を伸ばし、なおも顔を横に振る。
「そんな風にジェラルドに触れていいのは君じゃないんだよ」
…そうかもしれないわね。でもあなたでもなくてよ。
「君はジェラルドの弱みにしかならないってこと、わかってるの?」
ガタンッ!と音を立ててジェラルドが立ち上がり、ランドールの胸ぐらを掴み部屋の外へ引っ張り出そうとした。
「ジェラルド様!!」「ジェラルド!!」
カレンとフリードが同時だったかも知れない。
近かったカレンが駆け寄り、ジェラルドの腕を押さえる。
「ジェラルド様、スタンレイ男爵は間違ってません!」
「何を言うんだカレン!!」
すでに怒髪天を衝く程の怒りだ。
「…へえ、案外ものわかりがいいんだね、君」
次の瞬間、ランドールはふっ飛んでいた。
フリードやランドールの護衛は間に合わない。
ジェラルドに顔を殴られ、ダイニングルームの隅まで飛んだのだ。
これには部屋にいた全員が呆気に取られた。
特にフリードは驚いた。
ジェラルドは余程のことがない限り、衝動的に暴力を奮うことはないからだ。
しかも、いくら過ぎた真似をしても今までランドールに手をあげたことは一度もない。
ジェラルドは、力なく寝転んだランドールを睨む。
「お前にチャンスを与えようとした私がバカだった」
「な…なんで、僕が…」
ランドールは鼻と口の端から流血している。
カレンは余りの衝撃に両手で口を覆っていた。
「ランドール、よく考えろ、でなければ南部はお前には任せられない」
「!!!」
ジェラルドの最後通告に、ランドールは言葉を失う。
ランドールの護衛達が顔面蒼白でランドールの元へ駆け寄る。
「カレン」
ジェラルドは振り向いた。その瞳にはすでに怒りの色はなく、代わりに有無を言わせない強い光が宿っている。
カレンは固まっていた。
「カレン」
ジェラルドはカレンに近づいたが、カレンはとっさに後ずさった。
ジェラルドの深緑の瞳が、瞬時に疑問と不安とで揺らめく。
カレンは自らの胸に手を置くと、目を瞑り短く深呼吸した。
「…申し訳ありません、失礼いたします」
そう言うと、ダイニングルームを静かに後にした。




