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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
23/75

23.【番外編】テイスティング

※カレンがオーランドのブレーキングに励んでいた頃のお話です。

 オーランドと向き合う日々が続いている。


 やりがいはあるが、オーランドの気分にはまだムラがある。

 ブレーキングはとにかく根気を要する。少しでも集中力を切らすと大ケガの元だ。


 今日は、少し前に手綱に挟んで捻挫した指が痛む。

 毎日同じ箇所に力を入れるので、なかなか良くならない。


「はぁ、まいったわね…」

 ジェラルドとの約束の1ヶ月のうち、半月が過ぎている。

 カレンは焦っていた。


 ・


 カチャンッ!


 あっと思った時には遅かった。


 朝食の時、捻挫をしている右指に力が入らず、思わずナイフをお皿の上に落としてしまったのだ。

 向かいに座っているジェラルドは、ハッとカレンを見た。


「申し訳、ございません…」

 カレンは己のマナーの悪さに恥じ入り、顔を赤くした。


「…いや、構わない」

 普段は、食事の際は一切音を立てないカレンだ。

 ナイフを落とした原因は…

 ジェラルドは、カレンの右手の薬指と小指をまとめて巻いている包帯を苦々しく見た。


「…カレン、右手が痛むのでは?」


「いえ…」


「カレン、無理はしてほしくない。…例えオーランドの調教を止めても、誰もあなたを責めたりはしない」

 ジェラルドは幾分強い視線で言った。


「…調教は、続けます」


 ジェラルドは短いため息を吐いた。

 こうなってはカレンは絶対に止めないことはわかっている。

 カレンが辺境へ来て数ヶ月経つ。ジェラルドはカレンの性格をかなり正確に把握していた。


「…ニコル」

 ジェラルドは控えているニコルへ呼び掛けた。


「! はい!」

 突然の領主の呼び掛けにニコルは驚く。


「カレンの怪我について聞かせてもらいたい」


 !

 カレンは慌ててハッと顔を上げ、ニコルを見て口を引き結び「言わないで!」という念を送る。


 ニコルはちらりとカレンを見たが、思うところがあり正直にジェラルドへ報告することにする。

 どう見ても、最近のカレンは無理をしていた。


「…はい。指のお怪我がなかなか良くなられないようで、調教のあとはいつも腫れています。痛みもあるかと…冷やすと幾分腫れは引きますが…毎日そのような感じです」


 カレンはニコルが話す間中『ニコル~~~~余計なことは言わないで!』と、顔をしかめてニコルを見ている。


「…お顔の傷も、ようやくふさがった所で…痕が残らないか心配です」


 …ニコル、ちょっと正直過ぎるわ。


 カレンはジェラルドに、オーランドの調教を止めさせられるのではないかと気が気ではない。


 ニコルの話を聞きながらカレンの様子を横目で見ていたジェラルドは、口の端に笑みを浮かべていた。


 と、ジェラルドが何も言わずに立ち上がり、カレンへ近づいた。


「?」


 カレンは何だろうとジェラルドを見る。


 ジェラルドは座ったカレンへ顔を近づけると、そっと額の傷の近くへ手を置き、傷をじっと見る。


「!」

 カレンは突然のジェラルドの行動と距離の近さに驚く間もなく、されるがままだ。


「痕は残らないだろう」

 しかし結構大きな傷だな…とブツブツと呟いている。


 今度はスッと膝まずくと、怪我をしたカレンの右手を両手に取った。


「こうすると痛む?」

 腕から掌を慎重に動かして、カレンの様子を伺う。


「大丈夫です」

 カレンは首を横に振りながら答える。


「ではこれは?」

 違う角度に動かす。


「…大丈夫です」

 痛みはない。


「これは?」

「ッツ!!」


 瞬間、鋭い痛みが走り肩がビクリと反応し、顔が痛みに歪む。


「すまないカレン!」

 ジェラルドはカレンの肩を優しく撫でる。


「捻挫からの使い痛みだ…モリス」

「はっ」

「もう少しきつく固定した方がいい。侍医を呼ぶように」

「畏まりました」


 ジェラルドは立ち上がる。

「カレン」


「…はい」

 カレンは意気消沈していた。

 調教取り止めを覚悟する。


 ジェラルドはそんなカレンの顔を見て、ふっと笑う。

「そんなに気を落とさなくてもいい。2.3日休めば腫れも痛みも収まるだろう」


「2.3日?!」


 カレンは思わずバッとジェラルドを見上げた。


 調教は毎日したい。

 時間がないのだ。


 ジェラルドはカレンの勢いに片眉を上げた。

「…カレン、今無理をすれば、一生ナイフどころか…手綱も握れなくなるぞ」


「え?」


 ジェラルドは頷くと、再びカレンの細い肩に手を置き、顔を近づけた。

「たった3日だ、カレン。休みなさい。オーランドにもたまには休みが必要だ」


 ?! なにソレ?調教は毎日しないと…でも、手綱が握れなくなっては元も子もない。

 カレンは思案顔になる。


「あの…」

「何?」


「2日ではダメですか?」

 カレンは自覚なく上目遣いでジェラルドを見上げた。


「!」


 なんという目で見るんだ。

 長い睫毛に縁取られた薄碧の瞳が切実にジェラルドに訴える。

 …やはりこの娘は一筋縄ではいかない。


 ジェラルドは大きなため息を吐くと、肩に置いた手で、次に細い顎を摘まんだ。

「3日だ、カレン」

 言い含めるように。


「お願いします。2日間は大人しくします」

 カレンは必死だ。


 数秒、深緑と薄碧の瞳がぶつかる。


「…仕方ない。わかった、2日だ」

 ジェラルドは折れた。


「ありがとうございます!」

 とたんにカレンのライトブルーの瞳に輝きが増す。


 ジェラルドはその輝く瞳を見ながら、カレンの顎から手を離すと、人差し指の背でその艶やかな頬をゆっくりと撫でた。

 透き通る瞳の輝きを、頬の柔らかな感触を楽しむ。


 カレンはジェラルドのスキンシップには幾分慣れたが、至近距離で深緑の瞳に捕らえられたままは、心臓に悪い。


「あの…ジェラルド様?」

 ジェラルドの口元は笑みを浮かべていて、カレンは胸のドキドキが止まらない。


 ジェラルドはカレンからそっと手を離し、体を起こすと自分の席に戻った。

「あぁ、カレン、明日の午後は少し付き合って欲しい」

 座る直前にカレンを見た。


 カレンは体が解放されたのも束の間、またジェラルドの瞳に捕らわれる。


「はい、わかりました」

 カレンはなんのことかわからないが素直に応えた。


 ジェラルドは引き締まった口許に笑みを浮かべると、再びお茶のカップを手に取った。


 ・


 その日は、侍医から右手をきつめに固定され、部屋で大人しく過ごした。


 途中、護衛のネイサンにしっかり見張られながら厩舎のオーランドの様子を見に行ったが、オーランドは以前のような神経質な様子ではなく大人しく餌を食べている。

 しかもカレンに気づくと、僅かだかしかしハッキリと信頼の表情が黒い瞳に見て取れる。


「…オーランド…」

 カレンは胸に温かなものが広がるのを感じた。


 調教のお休みは良かったのかも知れない。

 カレンは焦りすぎて、もしかするとオーランドにも無理を強いていたかも…と心内で反省した。


 …やっぱりジェラルド様には敵わないわ。


 自室に戻ると、今朝のことを思い起こす。


 私の体を心配してくださっていた。

 優しく触れる手の感触を思い出すだけで、カレンは落ち着かなくなる。


 私、いったいどうしたんだろう…?


 ・


 翌日の午後、カレンはダイニングのひとつに案内された。


 部屋に入ると、長いダイニングテーブルには真っ白なテーブルクロスが整えられ、ワインのボトルとワイングラスがズラリと並んでいる。


 もしかしてこれは…


「新酒のテイスティングだ」


 すぐ後ろから、ジェラルドが声を掛けた。


「ジェラルド様」

 カレンは後ろを振り返ると、ジェラルドが微笑んでいる。


 今日はジェラルドとは朝から会っていない。


「指の具合は?カレン」

 と、するりとカレンの右手を持ちながら聞いてくる。


「お陰さまで、痛みはなくなりました」

「それなら良かった」


 ジェラルドは最近、ごく自然にカレンに触れる。

 カレンは態度にこそ出さないが、まだ慣れずにいつもドキリとしてしまう。

 なぜなら、その触れ方がまるで愛しいものに触れるがごとく優しいから。

 家族や、単にエスコートする殿方とは全く違う親しみを感じる。いや、親しみというより…その先を想像させる何か…


 カレンはジェラルドに触れられることは全く嫌ではない。なぜ嫌ではないのか…カレンはわからない。


 今日も捻挫した右手に触れながらも、左手も掬い上げエスコートの形を取った。


「カレン、ワインのテイスティングをしたことは?」

 ダイニングテーブルへ歩きながら、ジェラルドが尋ねる。


「…銘柄を当てる、というゲームはしたことがあります。親友のアリー…レディ・ミラーのご実家の領地が素晴らしいワイナリーを所有していて、遊びに行った時に。でもほんのお遊びです」


 ダヴィネスはワインの産地だ。

 近年その価値が上がっており、国内に限らず近隣諸国への輸出需要も高まっている。

 ただ、品質に重きをおいての生産なので供給量は限定されていた。しかしそれがまた人気の源とも言えた。


「銘柄当てとそう変わらない」

 ジェラルドは事も無げに言う。


 しかし、新酒の出来を確かめるためのテイスティングだ。カレンは婚約者の自分が加わってもいいのか戸惑った。


「……」

 カレンが少し緊張した面持ちで黙ったのを見て、ジェラルドはくすりと笑った。


「カレン、心配しなくていい。要はダヴィネスの酒好きが集まって、ああだこうだと言い合う気軽なものだ。息抜きにはもってこいだな。あなたも楽しんで」


「それは聞き捨てなりませんなあ、閣下」


 と、テイスティングのゲストのひとりが面白そうに話し掛けてきた。

「レディ、お初にお目に掛かりますな…」


 と、ゲストの面々が各々カレンに挨拶をする。


 どうやら、身内とも言えるごく近しい方々の集まりのようで、その和やかな雰囲気にカレンはホッとする。


 フリード卿やアイザック卿もいる。

 いつもはベアトリス様も参加するそうだが、妊娠中ゆえ今日はご主人のモイエ伯爵のみの参加だ。ジェラルドの叔母様という方も今日は欠席らしい。


「このシートにワインの特徴を書いて」

 ジェラルドがカレンに説明する。

「味わいはもちろん、見た目や香りを思うままに」

 ジェラルドも雰囲気が軽い。


「…ところで、あなたは酒は強いと見ているが…合っている?」

 ジェラルドがからかうようにカレンに尋ねる。


「あの…はい。お食事の時はいつも美味しくいただいています」

 と、小声で答えた。


「それは頼もしいですな!」

 ゲストの笑いを誘ったが、カレンは恥ずかしい。


 実際のところ、カレンは酔っ払ったことはない。顔色も全く変わらないので、兄にも可愛くないとよくからかわれていた。


 ∞∞∞


「まず白からだ…確かあなたは白が好きだったかな」

 おそらく、王都の夜会で初めて目が合った時のことだ。あの時、カレンはジェラルドの瞳に驚いて、苦し紛れに白ワインを一気に呷った。


 ほんの数ヶ月前のことなのに、随分と前のように感じる。

 その人の隣に居ることにはまだ慣れないけれど…。



 ボトルには番号札のみ貼られていて、ラベルはない。先入観なしにテイスティングするためだ。


 侍従長が人数分のグラスにワインを少量ずつ注ぐ。


 カレンはテイスティングの正しいやり方は知らないので、ジェラルドを真似る。ジェラルドもカレンに分かりやすく説明しながら進める。


 ゲスト達も各々グラスを手に、

「爽やかね」「今年もいい出来だ」

 など、テイスティングを楽しみながらシートに書き込む。


 カレンも注意深くその色や香り、少し口に含んだ時の口当たりや喉ごしを確かめる。


 驚きだわ…!


 新酒は今年の夏に仕込んだ物なので、当然フレッシュな味わいだ。だが飲み比べると、ボトル毎の個性がはっきりとわかる。色ひとつを見ても、白のテーブルクロスの中でその輝度や粘度が見て取れ違いは明白だ。


「…面白い」

「そうでしょう?私などこれと合う食べ物は何かしらって、すぐに考えてしまうのですよ」

 ゲストのひとりのキングズレー男爵夫人が楽しそうにカレンの呟きに応じた。


「ワインは食べ物とのペアリングの妙、という意味でも広がりがありますから」

 フリードだ。心なしかいつもよりご機嫌だ。


「姫様はいろんなワインを飲んでるだろ?」

 横からアイザックが声を掛けてきた。


「いいえ、それほどでも。美味しいかどうかはわりとすぐにわかりますが、その味わいの深さまではなかなか…」


「大丈夫大丈夫、俺もわかんないから」

 と、アイザックらしく気取らない。


「カレン」

 ふいにジェラルドが呼んだ。

 見ると、こちらへ、と手で合図している。


 フリードもアイザックも「早く行け」という風に促す。


「は、はい」


「これをテイスティングしてみて」

 ジェラルドは赤ワインの入ったグラスをカレンに差し出した。

 ボトルを見ると、番号札は貼ってない。


「今年初めての出荷だ」


 そうなのね。では慎重に…と、カレンは差し出されたグラスを受け取り。目線まで持ち上げてガラス越しに中身を見る。

 素晴らしい赤だ。深みもある。

 次に鼻を近づける。


 赤らしい華やかなフローラル系の香りだ。

「…白バラ?」


「当たりです。それから?」

 側にいた相談役のシーモア卿がゲームのように楽しんでいる。


 ジェラルドは面白そうにカレンを見ている。


「んー、ハーブかしら…少し土っぽいような青いような、、」

 と、グラスを2回ほどぐるりと回してワインに空気を含ませ、また鼻へ近づける。


「ベリーももちろん、あと…」

 カレンは少し口に含む。

「!」

 カレンは目を見開いて、ジェラルドを見た。


「?」

 ジェラルドはカレンの表情を見て、完全に笑っている。


 カレンはコクリと飲み下す。

「…不思議です。ドライなイチヂクみたいな…」


「それだ」

 ジェラルドは指を鳴らした。


「当たりです」

 シーモア卿が手を叩く。


「?」

 カレンは訳がわからないが、番号のない赤ワインは個性的でとても美味しい。


「ありがとうカレン、私はどうしてもドライイチヂクが出てこなかったんだ」

 ジェラルドは嬉しそうだ。


「驚きましたね、レディは鋭い鼻と舌をお持ちのようだ」

 シーモア卿も楽しげだ。


 …それほどでもないけど、テイスティングに慣れてきたせいもあるだろう。

 でも、誉められると気恥ずかしいが嬉しい。


「自分の記憶の香りや味覚と結びつけるのが面白いです。思いがけない組み合わせもあるし…」


「確かに。五感の思い出というのは人それぞれだな。このシートを見ると…」

 ジェラルドは集められたシートの1枚を見て、突然、ははっと吹き出した。


「これを見て」

 と、カレンにそのシートを渡す。


「?」

 カレンは目を通して思わず笑みがこぼれる。


 これは…!


 ~

 白1…去年よりうまい

 白2…酸味キツいかも、でもうまい

 ・

 ・

 赤3…枯れ葉の味がする、色がちょい薄い、でもうまい

 赤4…なんでか鞣し革の匂いがする、好みが別れるかも、うまい

 ・

 ・

 ・

 ~


「ははは、ザックだな」

 ジェラルドは笑いが止まらない。


「どれどれ」

 シーモア卿やキングズレー男爵も興味深くシートを覗く。


「…これはなかなか…」

「いやいや、的を得てますぞ」

 など、皆が面白がる。


「呼んだか?」

 アイザックがカレン達に近づき、皆でアイザックのシートを見ているのを認めると、

「っあ!なんだよ!ったく笑いの種にしやがってー…姫様までかよ、ひっでーな」

 と、呆れ顔だ。


「枯れ葉なんて、いつ食べたんですか」

 いつの間にかフリードも加わり、格好の笑いのネタになっている。


 控えている使用人達も微笑んでいる。


「ったく、例えだよ例え」

 うまけりゃいいだろ、と少しおかんむりだ。


 カレンは、とてもアイザック卿らしいと思った。

「ふふ、端的でいいと思います。鞣し革も…確かに私も感じました。ただ、浮かんだイメージはアイザック卿とは少し違って…シートに書くには憚られて…」


「何が思い浮かんだ?」

 ジェラルドが楽しそうに聞く。


「…乗馬用ブーツの匂い、です」


 これには皆、大爆笑だった。


「姫様、俺のこと言えないぜ」

 アイザックも笑う。


 ∞∞∞


 日が西へ傾きかけている。


 テイスティングが行われたダイニングルームには広いバルコニーがあり、今はすべての扉が開け放たれ、カフェのようにテーブルと居心地の良い椅子が初秋の庭に向けて配されている。


 テイスティングを終えたカレンらを含むゲスト達は、残った新酒のワインや、新たに開けられたダヴィネス産のワインを手に、各々が初秋の宵をゆったりと楽しんでいた。


 各テーブルにはワインに合いそうな軽食が並べられていた。


 ジェラルドは、皆が口を揃えて最高の出来だと評した白ワインを飲んでいた。


 カレンは、番号無しの赤ワインを飲んでいる。


 ジェラルドと同じテーブルに座るカレンはすっかり寛いだ気分で、ワインと軽食に舌鼓を打つ。食べ物と併せるとまた違う味わいが広がる。


「テイスティングは楽しめた?カレン」

 カレンの様子を眺めていたジェラルドが尋ねる。


「はい。とっても楽しかったです」

「それなら良かった」


「ダヴィネスのワインのことも知れましたし…お仲間に入れていただいて、ありがとうございました」

 カレンは律儀に礼を述べた。屈託のない笑みがこぼれている。


 ジェラルドはふっと笑ってカレンを見つめる。


 いつもジェラルドの前で見せる少し緊張した顔ではなく、程よく力の抜けた姿はジェラルドを魅了して止まない。


 …私の腕の中で、この微笑みを見たい。


 心に芽生えた欲望を、いつまで抑えることができるか…、ジェラルドは人知れず葛藤する。

 白ワインを一口含み、庭へと顔を向けた。


 カレンはワインを飲むジェラルドの横顔をちらりと見た。

 クセのあるダークブロンドが、秋の西陽を浴びて艶やかに光る。整った精悍な横顔、その稜線。

 グラスを持つ男らしい大きな手。

 その手はいつも、私に優しく触れる。


 カレンは、無意識にジェラルドの横顔に見とれていた。


 ふと、ジェラルドがカレンへ目線を移す。


「!」

 カレンは驚いたが、ニコリと自然に笑う。

 ワインの手助けもあるのか、今日はあまり緊張しないでジェラルドと目を合わせることができる。


 深緑…なぜこうも惹き付けられるんだろう…。


「カレン、そう言えば指の具合は?」


「あ、すっかり忘れてました」

「ははは、何よりだ」

 カレンは今の今まで指のことなど忘れていた。


 あ!

 カレンははたと気づいた。


 そうか、そうだったのね…

 今日のテイスティングへのお誘いは、毎日オーランドの調教に明け暮れる私の気を休めるための、ジェラルド様の心遣いだったんだわ…!


 指の怪我のこともあるが、自分でも気づかないうちに日々消耗していたことをジェラルドは悟ったのだ。

 調教は止めても構わないと言いつつ、こうして気遣ってくれる優しさに、カレンは感動を覚えた。


 ありがとうございます。ジェラルド様…



「そうだ閣下、レディのお気に入りの番号無しの赤の名前を付けていただけますかな?」

 キングズレー男爵がジェラルドに話し掛ける。


「そうだな…」

 と、カレンに尋ねる。

「あなたなら、どう付ける?」


「そうですね…」

 カレンは目の前のグラスの中の深い赤色の液体を見つめる。


「…Whisper」


「ささやき?」


「はい。後から後から新たな味わいが広がる気がして。何だか、飲んだ人にしかわからない秘密を囁かれているようで…」


「…なるほど。なかなか意味深だな…あなたならではだ。キングズレー、どうだ?」


「よろしいかと存じます。早速ラベルの手配に取りかかりますぞ」


「え?そんなに簡単に決めて、よろしいのですか?」

 カレンは慌てた。


「…構わない」

 と、ジェラルドはカレンの左手を取ると、そっと口付けた。


 カレンの頬に朱が走る。


 …あなたが私の耳元で秘密を囁く日が待ち遠しい


 ジェラルドはカレンの反応を見ながら、心内で呟いた。

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