20. レディ・パメラ 再び
翌日、朝からよく晴れたお陰でかろうじて根雪にはならず、カレンは午後からのレディ・パメラのお茶のお誘いを断らずに済んだ。
今朝はカレンも日が高くなってから目覚めたが、ジェラルドは深酒が祟ったのか、珍しくまだ就寝中とのことで顔を合わせていない。
カレンはそのことにホッとした。
モリスが気を遣い、ジェラルドを起こそうかと聞いてきたが、1年の仕事が一息ついたこの時、少しでもゆっくりしてもらいたいし…なにより夕べのことを思うとどんな顔で会えばいいのかわからないので、それは断った。
料理長オズワルド特製の焼き菓子を持参して、レディ・パメラのお邸へ向かうべく、ニコルと共に馬車に乗り込んだ。
・
「カレンさん、お待ちしてたのよ、いらっしゃい!」
レディ・パメラの包み込むような、柔らかな笑みが嬉しい。
カレンの全身を眺めて、
「今日は打って変わって素晴らしい淑女ぶりね」
と意味ありげにウィンクをする姿がとても素敵だ。
小じんまりとした明るい居間に通され、手土産を渡すとお茶をいただく。
おしゃれのこと、お菓子のこと、王都におられたこともあるようで、美術への造詣も深く、レディとの話は付きない。たわいない明るい話題が今のカレンにとってはありがたい。
ジェラルドとの話は、なぜか聞かれなかった。
時間があっという間に過ぎる。
ふと気づくと、外はすっかり夕暮れ時だ。
いけない、そろそろお暇しなくては…そう思った時、
「カレンさん、ひとつご提案があるの。まだまだお話は尽きないし…今日はうちへお泊まりなさいな。ね?」
レディが提案してきた。
「そんな…ご迷惑では…」
「まさか!私、嬉しくて仕方ないのよ!滅多にない機会だもの、ね?」
なんだって許しそうなる、この微笑みは罪だわ…
甘えてもいいのかしら…
カレンは少し戸惑ったが、レディのご厚意をありがたく受けることにした。
ダヴィネスへ来てから初めての外泊、それも大好きになったレディ・パメラのお邸。心が浮き立つのを感じる。
それに正直、カレンもまだレディとお話をしたかったのだ。
それに。
ジェラルドとはなんとなく顔を合わせ辛いし、渡りに舟なのかもしれない…。
そんなカレンの表情を読み取り、レディは執事に申し付けてペンと便箋をせっせとカレンの前へ用意した。
侍女は先にお返ししましょうね、あ、護衛もね、帰りは送りますからね、と手回しがすごい。
書き終えた手紙をニコルに託すと、レディ・パメラの独壇場となる。
「さあカレンさん、女同士のお楽しみはこれからよ!」
・
「お言葉ですがジェラルド、その景気の悪い顔、なんとかなりませんか?」
フリードは書き物の顔を上げずにジェラルドに苦言を呈する。
その顔には、昨日の深酒の欠片すら感じられない。
カレンの外泊の手紙を受け取った直後のこと。
「そうそう、狭量な男は嫌われるゾってなー」
アイザックも応戦する。
こちらはまだ青い顔色で、水の入ったグラスを手離せない。
「うるさい」
多少疲れたような面持ちではあるが、そうあとは引いていないジェラルドは、二人を睨む。
しかし、心内では苦笑していた。
たった1日でも、カレンの顔を見なければどうにも落ち着かない。この城にカレンの居ないという事実が耐え難いのだ。
…まったく。とんでもない女神に魅いられたものだ。
迎えにも行けない。
カレンの手紙と共に手渡されたもう一通は、パメラからのものだった。
- 迎えには来るべからず -
パメラの意味深な顔が思い浮かぶ。
さらりと書かれた一行を見るにつけ、ジェラルドは深いため息を吐いた。
・
「それは…いいのよカレンさん、お預けを食らわせておけば!」
言いながら、レディ・パメラはコロコロと笑う。
居心地の良い居間の、パチパチと燃え盛る暖炉の前。
美しいクッションを所狭しと置き重ねた上で、カレンとレディ・パメラは気取らない女性同士の話に華を咲かせていた。
ご自慢のワインセラーから極上の1本を開けていただき、カレンはクープグラスの中で泡立つ液体をうっとりと見つめた。
口当たりがよく、素晴らしい味わいなので、いくらでも飲める。
カレンさんはイケる口ね、とレディは上機嫌だ。
夜になり、話は昼間出なかったカレンとジェラルドのことになる。
レディは、なかなか容赦のない質問をカレンに投げ掛けるが、お酒の力も借りてカレンは身構えることなく素直に聞かれた質問に答える。
「…そういうものでしょうか…?」
カレンは多少恥じらいながらもレディに返した。
うんうん、とレディは首肯する。
「婚約期間ですもの。だいたいね、あの子もいい年して…」
黒い鬼神だか何だか知らないけど…と、ジェラルドにいささかお怒りのご様子だ。
でもね、とレディは続ける。
「昔からほんと真面目なのよね。代を継いでからは特に。やっと辺境の地を取りまとめた所へ、あなたみたいな理想を体現したような女性が突然現れて…自分でも戸惑ってるんじゃないかしら?」
面映ゆい。
カレンは頬を赤らめた。
レディから聞くジェラルドの話は、カレンの持つジェラルド像の答え合わせのようでもあり、また初めて耳にすることも多かった。
カレンは黙ってグラスに口を付ける。
「とにかく、夢中なのよ…あなたに」
レディの亡き旦那様、つまりジェラルドの叔父は実に呆気なく戦場の露と消えたと、ポツリと呟く。
「私が嫁いできた頃は、まだ辺境は落ち着いてなくてね、旦那様はほぼ邸にはおられなかったの…日々心が休まることはなかったわね…だから会える時はこれでもかってほど甘えてたわ」
と、可愛らしくペロリと舌を出す。
ただ待つことしかできない葛藤。幾夜も眠れない夜を過ごす寂しさ…察するに余りある。重いことに違いないだろうに、心を砕いてお茶目に話してくださることに、胸が熱くなる。
だからね、カレンさん、愛したいと感じたら...飛び込めばいいのよ。心のままに。
カレンはハッとする。
心のままに…
レディ・パメラは、真摯な表情でカレンを見ていた。
暖炉の薪が炎にはぜて音を立てる。
「あら、私ったらいつの間にかかわいい甥っ子の味方をしちゃったわ!ごめんなさいカレンさん」
「いえ…そんな…」
なんだかしんみりしちゃったわね、もう1本開けましょうか、確かまだ取って置きがあったはず…
とレディは侍女に声を掛けるが、飲み過ぎはお体に毒です、と執事に止められ泣く泣く諦めた。
本当にお可愛らしい方で、カレンは救われた気持ちになった。
・
美しく整えられた客間のベッドに横になっている。
心のままに…
レディの言葉を頭の中で反芻する。
ジェラルドの顔が浮かび、胸がいっぱいになると同時に、恥ずかしさが込み上げる。
明日は…お顔が見れるのかしら…
しかし残念ながら、カレンの予想は大きく外れることとなる。
・
カレンは、パメラの邸で3度目の朝を迎えた。
結局、パメラがカレンの暇を延びに延ばしている状態なのだ。
一人で暮らすパメラの話し相手、という理由では強く請われると断れる訳もなく、ずるずると滞在が延びている。
ジェラルドには城に帰れないことを昨日も一昨日も手紙にしたためたが、返事はない。
他でもない叔母様のことだもの。許してくれてるわよね。
今までも、ジェラルドの仕事の都合で何日も会えないことはあったが、ジェラルドへの気持ちを自覚してからは初めてだ。
特に今回は雪の夜のことが引っ掛かかっていた。
ただ、レディ・パメラはなかなかカレンを帰そうとしない。
しかし、カレンにとっても、辺境へ嫁いだ先輩からの話を聞ける貴重な機会なので、そこはありがたくもあり、すっかり甘えていた。
使用人達とも馴染んで、すべてに手の届く範囲で暮らす気安さにも心が和んだ。
でもさすがに…今日は帰らなきゃね。
・
パメラの邸に滞在中のカレンから、3度目の手紙が来たとき、ジェラルドはダヴィネス城の馬の育成牧場に来ていた。
今年の調教の仕上がりを確認し、その満足げな顔はカレンからの手紙に目を通すと、一瞬スッと無表情になった。
側にいたフリードにしかわからなかったかも知れない。
「…では、引き続き頼んだ」
「はい、ジェラルド様」
育成責任者に声を掛け、城に戻る。
歩きながら、声を掛ける。
「フリード」
「はっ」
「明日の予定は?」
「…特には」
そうか、とだけ答えたジェラルドの横顔をチラリと見たが、機嫌の下降はなさそうだ。
フリードはホッと胸を撫で下ろした。
翌日の早朝、ジェラルドがスヴァジルを駆ってレディ・パメラの邸へ一人で向かった、とモリスから聞いたフリードは
「よく我慢しましたよ…ジェラルド」
と、ポツリと呟いた。
・
「本当に帰るの?カレンさん…」
せめてお昼からにしては?とレディに言われたが、また参ります、とやっとのことで説き伏せた。
日を増すにつれ、ジェラルドの顔が頻繁に脳裏にチラつき、たったの3日が3週間にも感じられることに自分でも驚いていた。
朝食を終えると、レディや使用人達と別れを惜しみ、馬車ではなく無理を言って馬を借り、ダヴィネス城へ走らせる。
ドレス姿の横乗りなので、そうスピードは出せないが、それでも馬車よりは進みが早い。
ふと、進行方向の遥か遠くに、一頭の馬が見え、こちらへ駆けてくる。
青毛に漆黒のマント。
…!
カレンはスピードを緩めた。
向こうもスピードを緩め、ゆっくりと近づく。
深緑の瞳が、ずっとカレンを捕らえたままだ、
「…一生戻らないかと思った」
馬同士の鼻先が触れ合う距離になると、ジェラルドが冗談めかして言う。
「ジェラルド様…」
カレンは止まり、ジェラルドはそのまま近づくと、腕を伸ばしてカレンの頬を片手で包む。
「叔母にも困ったものだが…これ以上は私が耐えられなかった」
騎乗したまま、カレンの額へキスを落とした。
その感触にカレンはうっとりと目を閉じる。
会いたかったその人を目の前に、カレンは泣きそうな気分になり、ひたひたと心が満たされるのを感じる。
「帰ろう」
2頭の馬は並走して、ダヴィネス城への帰途へ着いた。