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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
19/75

19. 持久戦

 あれ…?


 カレンは真夜中に目を覚ました。

 真夜中であるはずなのに、部屋の中がぼんやりと薄明るい。


 月明かり?…じゃない。


 満月の月明かりほどに明るくはない。

 シン…と、遮断されたような静けさを感じる。


 すぐには眠れそうにないカレンは、ベッドから身を起こした。


 寒い…!


 冬を迎えたダヴィネスだが、今夜は一段と冷えている。


 カレンは寝具の外の冷気に肩を縮ませたが、明るさの正体を知りたくて寝着のまま窓辺に近寄った。


 あ!


 外は一面の銀世界だった。


 庭の木々やベンチ、道、少し離れた尖塔…すべてが白で覆われた別世界だ。


 まだ雪は降り続いている。


 ストラトフォードの領地では雪は珍しく、めったに積もらなかった。

 なので少しでも積もると嬉しくて、外へ駆け出してよく心配されていた。


 カレンはしばらく雪景色を眺めていたが、やがてソワソワと落ち着きがなくなった。

 大粒の雪がシンシンと降る様を眺めるにつけ、その冷たさと感触を知りたくてたまらない。


 …真夜中だし、バレないわよね


 逸る心を抑えながら、冬用のガウンをサッと纏うと外履きへ足を入れ、扉に向かう。

 極力音を立てないように慎重に扉を開け、忍び足で階下へ進む。


 なるべく使用人や夜回りの警備の居なさそうな経路を頭の中でシミュレーションしつつ、庭に近い勝手口に向かう。


 と、1階の撞球室から人気が伺える。

 もしかすると、ジェラルド達はまだ起きているのかもしれない。


 カレンはうーん、と一瞬考えたが、後戻りはせずそのまま計画を実行することにした。


 …バレなきゃいいのよ。


 悪いことしてる訳じゃないもの。


 カレンは謎の前向きさを発揮した。

より一層の抜き足差し足で、先を急ぐ。


 幸い誰にも合わなかったが勝手口は使用人部屋から近い。

 たぶん気配は気取られているだろう…


 …でも!


 カレンは勝手口の扉をそっと開け、庭へと足を踏み入れた。


 わ…あ…


 冷たい外気が一気にカレンを覆う。

 カレンはそれには気を取られず、まっさらな雪を一歩ずつ踏みしめながら、庭へと進む。


 なんてキレイなの…!


 すべてが白を纏った世界。何もかもが別世界だ。

 雪は、音もなくしんしんと降り続く。


 手のひらを上に向けて、雪を受ける。

 ふわりふわりと手のひらに落ちては、形なく溶ける。


 カレンは冷たいという感覚はなく、新雪を踏みしめるように、一歩、また一歩と歩を進めた。


 ∞∞∞


 暖炉の火を入れた撞球室では、ジェラルド、フリード、アイザックの3人が飲み明かしていた。


 冬のダヴィネスは、閉ざされた地となる。

 その前までに諸々の交渉事や視察などを一通り終わらせねばならない。

 辺境の地は今は落ち着いていて、他の気に病む事態もない。

 冬を迎えるにあたり一仕事を終えた、気のおけない仲間内のささやかなる祝杯を上げていた。


 いずれも鍛えられた酒豪だ。


 杯を重ね深夜に差し掛かった。


「「「!」」」


 ふいに窓の外に気配を感じ、三人同時に緊張が走って動きが止まる。

 酔ってはいても軍人の感覚が瞬時に反応した。


 窓に背を向けて座っていたアイザックが素早く剣の柄を手にし振り向くが、外は降りしきる雪景色だ。


 殺気は感じなかったジェラルドも不振に思い窓へ首を巡らせる。


 窓から正面の位置に座していたフリードは動じていないが、一瞬呆気に取られ、続いて笑いをこらえながら言った。


「…大きな白ウサギが通りましたよ、ジェラルド」


「ウサギぃ???」

 アイザックが要領を得ない様子で聞き返す。


 ジェラルドは、何のことだ、と訝しんだが、あっ、と次の瞬間すべてを察して立ち上がった。


「…酒が入ってます。お手柔らかに」

 言いながらフリードはジェラルドの上着を手渡す。


「心配には及ばない」

 口許に不敵の笑みを浮かべ、ジェラルドは足早に部屋を去った。


 残されたアイザックは、意味がわからん、とドッサリと元の位置へ腰を下ろした。が、少し峻巡するとガバッと身を起こす。

「……ってか、まさか姫様?!」


「気が休まりませんね、ジェラルドも」

 フリードは楽しそうに、一息にグラスを空けた。


 ∞∞∞


 はぁ、気持ちがいい…


 カレンは庭の中に立ち、白い息を吐いた。

 寒さや冷たさは感じない。

 ただ、雪と自分だけの世界。


 その場でゆっくり自転する。


 上を向くと暗い空から次々と雪が舞い降り、吸い込まれそうだ。


「!」


 上を見上げ過ぎて足元がふらつき、倒れそうになった。


「きゃ…!」


 と、次の瞬間にはしっかりと腰を抱かれ、ジェラルドの顔が目の前にあった。


「!」


 カレンは大きく目を瞠く。


「危なかった」


 …やっぱりバレた…


「…雪は楽しい?」

「…はい、とても…」


 抱き抱えられたまま答える。

 いつものムスクウッディにお酒の香りが漂い、ドキリとする。


「朝まで待てなかった…?」


 う…、まったくの子ども扱いだが、事実なので仕方がない。


 ジェラルドは普段と変わらない態度だが、話の方向が少し怪しくなってきた。


「…しかし」


 と言い、そのまま自らの頬をカレンの頬にくっつけた。


 熱い頬が触れ、カレンは驚きと羞恥で固まった。

 ざらり…と伸びた髭が当たり、その野性的な感触にゾクリとする。


「氷みたいだ」


 本当に目が離せない、と低く耳元で囁かれ、体が溶けそうな感覚に傾く。


 ゆっくり頬を離したジェラルドはカレンの薄い寝着にさっと目を走らせたが、その瞳は揺らめきはしても極めて冷静さを留めている。


 カレンの手を持つと、その冷たさに顔をしかめた。


「中に入ろう」


 カレンを起こすと、自らの上着を肩から掛け、そのまま肩を抱いて屋敷へ戻るとまっすぐ撞球室へ入った。


 暖炉に暖められた空気が一気にカレンを包み、いかに体が冷えているかを感じる。


 フリードとアイザックはすでにおらず、モリスが桶に湯を溜め、ふかふかのタオルを何枚か用意していた。


「カレン、座って足を出して」


 目で指示を出すと、モリスはタオルを置き退出した。


 足…すっかり忘れてたわ…

 足元に目を落とすと、見るも無惨な外履きが目に入る。

 美しい刺繍の成されたそれは今や雪の水分に濡れ変色していた。

 外履きとはいえ、雪仕様ではないのだ。


 促されるままに暖炉の側の椅子に座ると、ジェラルドは何も言わずカレンの外履きを脱がせ、片足を持ち、手づからそっと湯をかけた。


「!」


 もはや冷たすぎて熱い。

 冷えきった爪先がじんじんと熱く、声が出そうになる。


 しかも素足を見せ、ジェラルドの手を煩わせていることに恥ずかしいやら申し訳ないやらで、消え入りそうだ。


「熱かった?」


 カレンの反応を見て、ジェラルドが心配そうに声をかける。


「…いえ、…あの、…申し訳ありません」


「なにが?」


「あの、こんな格好で外に出て…ご心配をお掛けして…」


 こんなことまでしてもらって…


 ジェラルドはカレンの足を湯に浸すので忙しい。無言だ。


 カレンの両足を無事湯に浸すと、ちらりとカレンの目をみて、短く息を吐いた。

 自分の手を拭い、次に大きなタオルでカレンの頭を拭きはじめる。


 怒っている雰囲気ではないが、呆れられた末の…という感じだ。

 てもなんだろう、いつもより素っ気なさを感じる…


「誰もあなたを止められない」

 当たり前のこと、というような言葉だった。


 頭を拭く手は限りなく優しい。


 と、カレンの頭の揺れで、肩に掛けられたジェラルドの上着がパサリと落ちた。


「…!」


 ジェラルドの手が止まり、カレンに釘付けになる。


 ほの明るい暖炉の炎に照らされた紅潮した顔。そのライトブルーの瞳はキラキラと揺らめいている。髪はおろか全身が濡れそぼり、薄い寝着は今にも透けそうだ。

 小さな足は湯に浸けられたまま、無防備な姿を惜しげもなく晒している。


「…ッ、カレン…」


「? はい」


 ジェラルドは目も合わさず素早く上着をカレンに羽織り直させ、扉の外のモリスに急いで何かを告げた。


 カレンは大人しく、自分で髪を拭くことにした。


 でも、このままだとジェラルド様の上着が濡れてしまう…


 そう思い、上着を脱ごうとする。


「カレン、頼む、脱がないでほしい、どうかそのままで」

 慌てて止める。


「でも…」


 ジェラルドは横を向き、口に手を充てたままだ。


 その表情は読み取れないが、耳が赤い。


 ジェラルドは窓辺に向かうと、カレンに背を向けたままだ。


 その時、ノックが聞こえた。

「入れ」


 モリスとともに、眠い目をしたニコルが現れ、カレンの姿に目を見開くも、即座にてきぱきとカレンの世話をし、準備した室内履きや乾いたガウンを着せるとさっさと共に撞球室を後にした。


「おやすみなさいませ、ジェラルド様…」


 去り際に、ジェラルドの方を向き挨拶をしたが、ジェラルドは振り向かずに、ああ、とだけ答えた。


 しかしジェラルドの目は、窓ガラスに映ったカレンの姿をずっと追っていた。


 ∞∞∞


「お嬢様、目の毒過ぎます…」


「え?」


 自室に戻りながら、ニコルは小声でぼやく。


「少しはジェラルド様のお気持ちもお察しくださいませ」


「…」


 確かに、濡れた寝着は肌に張り付きそうで危うい。でも今までだって寝着の姿は見られているし、寝着のままで接したこともある。


 今日は何度目かの大迷惑を掛けてしまったが…


 まだピンときていないカレンに、ニコルが焦れったそうに言う。

「殿方に我慢を強いるのも大概になさいませってことです!」


「そうなの?」


 んもう!とニコルはプンプンしている。



 カレンは、ジェラルドが早めに回収してくれたお陰で風邪は引かなかった。

 ニコルに窘められながら世話を焼かれ、ベッドに戻る。


 寝具を口許まで引き上げ、今日のジェラルドのことを追い返してみる。

 …ジェラルドに我慢を強いている…のだろうか…ニコルの言うとおりなら、たぶんそうなのだろう。


 カレンは、身動ぎして横向きになった。


 私はいつでも大丈夫なんだけど…。


 カレンは、ジェラルドと思いが通じ合ってから、いつでもジェラルドを迎え入れる気持ちがある。

 我ながら大胆だとは思うが、ひとつ屋根の下に暮らしている好きあった婚約者なのだ。

 城の皆だって、ちっとも疑問には思わないだろう。


 …でも、ジェラルドは“カレンの許し”がいる、と言っていた。

 私の許し…って、一体いつどう言えばいいの?


 このままだと正式には結婚式の後…それが普通ではあるけれど。


 考えれば考えるほど、よくわからない。

 カレンは明け方まで悶々とし、空が白んで来る頃にようやく眠りについた。


 ∞∞∞


 フリードとアイザックは、ジェラルドがカレン回収に出てからすぐ、撞球室から執務室へ場所を変えて飲み直していた。


「さってなぁ、ジェラルド、帰ってくるかなぁ」


「下世話ですよ、ザック」


「んなこと言って、お前だって気になるだろ?」


「…まぁ、気にはなります。主のことですから」

「ほらぁ」

「でもね!…基本見守りですよ見守り」

「またソレ?」


 とその時、ガチャッ!と、執務室の扉が開き、鬱々とした顔のジェラルドが入ってきた。


 入るなり、ドッサリとソファに座り、額に手を充てた。


 フリードとアイザックは目を合わせた。


「ジェラルド、ま、一杯飲め」

 アイザックはグラスを勧める。


 ジェラルドは黙ってグラスを受け取り、注がれた酒を一気に呷った。


 その様子を二人で見て、目配せし合う。


「カレン様は無事に回収できましたか?」

 フリードが、さもなんでもない風に聞く。


「…ああ」


「聞こうか?」

 少し気の毒そうに、アイザック。


「…いや」


「なら飲め」

 と、また波々と酒を注ぐ。


「今日はとことん付き合います」

 ジェラルドを慮ってか、いつもは自制一辺倒のフリードまでがこの調子だ。



 雪は降りやみ、すべてが水を打ったように静まり返っている。


 執務室はもはや兵どもが夢のあと…のごとく、ジェラルドとフリードはソファの背もたれに頭を預け天を仰ぎ、アイザックは潰れて高いびきだ。


「…ジェラルド、起きてます?」


「…ああ」


「…ヘドウィックの持久戦を思い出していました」


「…ヘドウィックか…あまり思い出したくはないな…」


 ヘドウィックの戦い…ジェラルドが辺境伯となってから、最も厳しい戦いのひとつだ。

 何日も降り続く冷たい雨の中、思うような戦果は無く、すでに気力も体力も尽き果て限界だった。

 言葉どおり、泥水の中を這いずりまわり、一歩進んでは二歩下がるといった到底勝ちは見込めない絶望的な状況だったと言っていい。

 さすがのジェラルドも戦況を見極めるのに苦心したが、永遠に続くかと思われた雨がなぜか夜明け前にピタリと止み、神々しいまでの朝日に平原が照らされ、そこから一気に攻めに転じて勝利を修めた。

 記憶に残る戦果だった。


「…私はたまに思い出しますよ。あの時ほど自分との戦いに苦しんだことはなかった…預かり知らぬ力の偉大さを感じたことも…」


「…...」


「あれに比べれば、今のあなたの状況は贅沢です」

 フリードは首だけをジェラルドに向けた。


「…贅沢、か。そうかも知れない」

 しばらく間をおいてジェラルドが返す。


「数ヵ月前まで存在すら知らなかった相手に、心臓を鷲掴みにされている。本来なら弱味と取るべきだが…」


 ジェラルドはゆっくりと身を起こし、続けた。


「例え死のうが…喜んで心臓を差し出したいと思う自分に驚いている」


「…ジェラルド…」


「ん?」


「…重いです 想像以上に」


 はは、ほっとけ、と言うと、ジェラルドは再びソファに身を沈めた。

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