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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
18/75

18. 懇願

 翌日、一睡もできなかったジェラルドの予想に反して、カレンは朝食室に現れた。


 ジェラルドはいつものようにエスコートすべく立ち上がったが、カレンは早足で席に着きその隙を与えなかった。

 とりつく島もなく、ジェラルドはそのまま着席した。


 カレンの顔色は悪く、その表情は読み取れない。


 朝食室は朝の日差しを浴び明るく照らされているのに、その温度は極めて低い。


 主達の尋常ならざる様子を察するが、使用人達は努めていつも通りに振る舞う。


 カレンの食は進まなかったが、お茶を飲み終えるとはじめてジェラルドと視線を合わせた。

 昨日と変わらない、冷えたライトブルーの瞳。


「カレン、」

「ジェラルド様、お話があります」


 ジェラルドの言葉を遮った。


 ジェラルドは人払いをしようとしたが、皆にも聞いて欲しいというカレンの言葉に従う。


 使用人達は不安げな表情で目配せをし合う。

 ただ、フリードだけは無表情だ。


 カレンは短く息を吸うと、キッパリと言い切った。


「婚約を破棄してください」


「! …カレン!!」


 ジェラルドはガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。


 使用人達は一斉に目を瞠り、エマは小さな悲鳴を上げて両手で口を覆った。

 フリードは俯いている。


「ダメだ、いや、カレンなぜそうなる…!」


 それには答えず、カレンは淡々と続ける。

「私はストラトフォードの領地へ帰ります」

 使用人達の並ぶ方へ向き、続けた。

「皆には本当にお世話になりました。ありがとう。この数ヵ月、私は幸せでした…皆のことは忘れません」

 美しい笑みを湛え、ひとりひとりと目を合わせる。


 そして、すっとジェラルドへ向き直り、まっすぐにライトブルーの瞳を合わせた。

「ジェラルド様、今ならまだ、間に合います」


 音もなく立ち上がると少しテーブルから離れ、孤高の侯爵令嬢然とした美しい礼を取り、ニコルを伴い退室した。


 ・


 大丈夫。

 ちゃんと泣かずにできた。

 自室に向かう廊下を早足で進む。

 後に従うニコルは涙目だ。


 ・


 朝食室に居る全員が呆然と立ち尽くす中、いち早く我に帰ったジェラルドがカレンを追いかけて部屋を後にした。


 今日は間違えるわけにはいかない。


 ・


「カレン…!」


 自室に入ろうとしたまさにその時、あっという間に追い付いたジェラルドの手がカレンの細い腕を取った。


「ジェラルド様!お話することはもう…」

「私にはある」


 次の瞬間、あっと驚く間もなく、カレンはジェラルドに横抱きにされた。


 呆気に取られたニコルに「鳩は飛ばすな」と釘を刺し、ジェラルドは大股で立ち去った。


 途中、追ってきたフリードと会い、心得たフリードはジェラルドの寝室の扉を大きく開け、二人が入ると直ぐ様パタリと閉め扉を背に守るように立ち塞がった。


 カレンはなにがなにやらわからぬままだが、驚くほど優しくソファに下ろされた。


 初めて入ったジェラルドの寝室は、マホガニーの暖かな色合いで、リネンはグリーン系、ダヴィネスの領主らしい、そしてとてもジェラルドらしい男らしさで、カレンはドキリとした。


 ジェラルドはカレンのすぐそばに座り、カレンの左手を両手で上下に挟む形で包んだ。


「カレン、許しを請いたい」


 焦りを含んだ真摯な深緑の瞳がカレンを射ぬく。


 これは…ずるい。

 一晩中考えあぐね固めた決心が、今にも音を立てて崩れそうだ。

 カレンはかなり頑張って言い返す。


「でも、私はあなたに相応しくなくて…」

「なぜ?」

「…昨日の手紙に、書かれていたのでしょう、その…」

「あれは燃やした」

「?!」

「たとえ妄想であっても、あなたが貶められるのは耐え難かった…頭に血が上って…衝動的に真相を確かめたくなった。本当にすまない…」


 そんな、どうしよう…


 ショックを受けたことは確かだ。悲しかった。でもそれは、ジェラルドの口から出た言葉だからこそで。

 疑念をもたらすくらいなら、いっそのこと自分から詰め腹を切ろうと、あんな言い方になってしまった。


 こんな風に謝られては、気持ちの持って行きようがない。


「ジェラルド様、もういいのです」

 カレンは宥めるように努めて明るく答えたが、笑顔はうまく作れなかった。

「もう…」


 カレンは、ジェラルドの大きな両手から、かなり強い力で自分の手を引き抜いた。


 その左手に嵌まる、輝く指輪。


 ジェラルドはカレンの成すがまま、その動きを目で追った。


 カレンは手を胸元まで持ってきて、右手でその指輪を抜こうとした。


 …抜けない


 何度抜こうとしても抜けない。


 朝だから指が浮腫んでるのかな…


 カレンは口をへの字に曲げ、眉間にはシワを寄せて、指輪を外すことに集中している。


 と、ジェラルドがクスリと笑った。


 カレンが顔を上げると、さっきよりも近い距離にジェラルドの顔があり、打って変わって泰然とした笑みを浮かべている。


「指輪は離れたくないと言ってるぞ」


「!」


 さも面白そうに言うと、指を痛めてしまうから…とカレンの左手を再び大きな手で包み、そのまま指輪をなぞった。


 そして恭しくカレンの手を掲げ、指輪ごとゆっくりとキスをした。

 続いて、唇を離すか離さないかで、視線だけカレンへ向けた。


 揺らめく深緑の瞳の熱さに、カレンは息を飲む。


「カレン、愛している」


 どうか私から離れないでほしい

 どうかこの地に留まり、一生を共にしてほしい…


 懇願とも言える囁きに、カレンは目眩を覚える。


 端正な顔は切羽詰まり、緊張の膜が張っている。



 もう…もうダメだわ…私…


 カレンの手が、ジェラルドの少し癖のある髪にゆっくりと触れた。

 ジェラルドはハッとする。

 カレンの細い手が、そのままジェラルドの引き締まった頬へと伝う。


 ジェラルドは目を閉じ、その甘美な感触にスリッと自ら頬を預ける。

 そしてゆっくりと目を開け、カレンをとらえた。


 今まで見たこともない壮絶な色香が熱情を伴って、ジェラルドの瞳から全身から発せられている。


 その瞳に吸い込まれるように、カレンはごく自然な流れでジェラルドに口付けた。


 ジェラルドは一瞬瞠目したが、素早くカレンの腰を抱き寄せ腕の中へ収めると、キスの主導権を握った。


 はじめは軽く、カレンのこの上なく柔らかな唇を確かめるように、そして角度を変えながら次第に深める。


 一瞬ピクリとカレンの肩が震え、ジェラルドははっと我に返った。


 このまま続けると…まずい。


 惜しみつつゆっくりと唇を離すと、カレンの紅潮した顔に手を当てた。

 肩で息をしている。無理をさせたかもしれない。

 ジェラルドはキスに夢中になり我を忘れたことを悔いた。

 しかしその薄青の瞳はしっとりと潤み、ジェラルドを映している。


 隙間なく密着した体から早鐘のような心臓の音を感じる。カレンのものかジェラルドのものなのか…


「…カレン」

 少し掠れた低音がカレンの耳を擽る。


「…お慕いしています…ジェラルド様」

 カレンは自分でも驚くほどに、スッと口をついて出た。


 ジェラルドが安堵とも取れる息を短く吐いたのがわかった。

 精悍なのに、なんだか泣きそうな顔にも見えて、愛しさが込み上げてくる。


 ジェラルドとカレンの額がこつん、と触れ合う。


「ありがとう、カレン」

 カレンは額をつけたまま、小さく首を振る。


「私は…私はあなたには相応しくないと、ずっと思っていました」

「…」

「辺境伯閣下の隣に立つには、あまりに小娘だと感じてしまって、あなたの優しさに甘えてばかりで…そのうえ…」

「カレン」

「第二王子とは、誓って何もありません」

「カレン」


 カレンの瞳から、ツーっと一粒の涙が溢れる。


 ジェラルドは黙って、その宝石のような涙を唇で拭う。


「カレン、あなたの前では私はひとりの男でしかないんだ」


 大丈夫だ、何も心配することはない、とジェラルドはカレンを抱き直した。

 ジェラルドの顎の下にカレンの頭がある。

 カレンは暖かな広い胸に体を預けた。



 かなり長い間、2人はそうしていた。


「あなたには驚かされっぱなしだ」

「え?」


 ジェラルドはとつとつと呟く。

「淑女然とした近寄りがたい姿も素晴らしいが…屈託のない輝く笑顔や、何かを企む悪戯っぽい顔…突発的な行動力も…私を一気に奈落の底へ突き落とす冷えた瞳の色さえ…あなたの持ついろいろな姿が好きだ…さっきのような百面相も」


 …指輪を抜く時のことだと、カレンは羞恥した。


「カレン、私を見て」


 カレンはおずおずとジェラルドを見上げる。

 覆い被さるように見下ろす深緑の瞳は、丘から見たダヴィネスの風景そのものだった。


「カレン、あなたが許す時に、あなたのすべてを私に与えて欲しい」


 単刀直入な申し入れに驚きはしたが、とてもジェラルドらしい。

 カレンは小さくコクリとだけ、頷いた。


「…辛抱強いっておっしゃっていたのに」

 熱に浮かされたように何も考えることができないが、恥ずかしさからか、つい口をついて出てしまった。


「…時と場合によるな」

 少し意地悪そうに微笑むと、ジェラルドはカレンの額に音を立ててキスをした。


 ・


 ガチャリ…とジェラルドの寝室の扉が内側から開く。


 フリードはすかさず振り向き、扉の隙間のジェラルドの顔を一目見て、安堵の息を吐いた。


「心配させた」

「いえ…でもまさか、捨て身の縦深攻撃ではないですよね?」

 と、軍人らしい例えでジェラルドにコソッと尋ねる。


「耐えた」

「よかった」


 ジェラルドの寝室の前には、少し離れてモリスをはじめとする使用人達が心配そうに気を揉んで立っている。


「皆にも心配をかけた。すまない」

 ジェラルドに手を引かれ、カレンも気恥ずかしそうにそろそろと姿を現す。


「心配をかけました」


「では、カレン様は…!」

「またお世話になります」


 一同は一斉にほーっと安堵の息を漏らした。


 ・


 その日の午後、ダヴィネス城から早馬と鳩が飛ばされた。


 それは、ジェラルドとカレンの結婚式の日取りを告げる、各所への喜ばしい知らせだった。

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