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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
14/75

レディ・パメラ

「待たせたな、ザック」


 ジェラルドは仰向けに寝転がるアイザックを見下ろした。

「…ん?…あれ、もういいの?」


 アイザックはむっくりと起き上がり、まだ寝足りないとばかりに大欠伸をした。


「ああ」


 やたら清々しい顔のジェラルドを生ぬるい目で見る。

「で?…ってか、お姫様は?」

 辺りを見回す。


 ジェラルドはアイザックの遥か後方に視線を向け、アイザックはその方向へぐるりと首を巡らせた。


「あれ、ぐるぐる巻き?え?ジェラルドおま…あぁ、姫様薄着だったもんな」


 カレンはジェラルドの漆黒のマントをぐるっとまとっている。

 気まずそうに、二人からは顔を背けていた。


「見たのか」

 とたんにジェラルドから剣呑な雰囲気が漂う。


「え、ああいや、腹っていうか背中?みたいな?」

「忘れろ」


 言い残すと、スヴァジルを伴ってスタスタとカレンの方へ歩き出した。


「ちょっ、ジェラルド、俺はー?」

「先に戻っていい。私達はパメラ叔母の所へ寄ってから帰る」

「りょーかい」


 二人に何があったのか…は邪推しないことにし、ひとつ伸びをするとひらりとスモークに跨がりその場を去った。


 ∞∞∞


「ここだ」

 ジェラルドが馬上から告げた先には、小ぢんまりとした瀟洒な館が佇んでいる。


 貴族の私邸といった風情の、趣のある外観だ。


 騎乗したまま門扉をくぐる。


「待っていて」

 一言告げたジェラルドは、ひらりとスヴァジルから降りると、庭師に声をかけた。


「…!閣下!!」


 ジェラルドが二言三言告げると、庭師は奥へと小走りに消えた。


 カレンもオーランドから降り、手綱を持ったまま辺りを見回す。

 手を入れされ過ぎていない秋色の庭はゆったりとした空気を纏い、どこかストラトフォードの領地を思い出させる。


 2頭の馬は馬丁に預けられた。

 オーランドはおとなしく手綱を引かれている。スヴァジルと一緒だからかもしれない。


 ジェラルドはカレンに歩み寄り、黙ってマントに包まれた肩を抱くと顔にかかった髪を優しく払う。カレンはされるがままだった。

 その表情は読み取れず、目は合わない。


 多少性急だったことは認める。

 ただ、腕の中のカレンは柔らかく身を委ねてきた。

 体を離してからは羞恥からか目を合わさないが、明らかに戸惑いを露な硬い顔で、自分を御しきれていない。


 ここまで無防備なカレンは初めてだった。

 服の乱れにも気付けない様子を見るにつけ、このまま城に戻るのはまずいと思った。


 幸い叔母の屋敷が帰り道にあるので、ひとまず寄ることにしたのだ。



「まぁジェリー!どうしましたか、このような早朝に...」


 執事を伴って現れたのは、ライトブロンドの輝く髪を軽くアップにまとめた柔和な笑顔の美しい女性だった。早朝にも関わらず、品の良いドレスをさらりと着こなし、肩にショールを巻いている。


「叔母」と聞いたが、どう見ても「姉」くらいにしか見えない。

 カレンは軽く衝撃を受け、次いで猛烈に恥ずかしさが込み上げた。


「パメラ突然すまない、朝食を取りたい…あと、彼女の服を借りたいんだ」


「それはもちろん…」


 と、ふとパメラと呼ばれた女性の視線がカレンへとたどられる。


「彼女は婚約者の…」


「カレン・ストラトフォードと申します」


 せめて礼儀正しく挨拶をしようと、ジェラルドを遮り、勢い強めの口調になって、しまったと思った。

 軽く片膝を曲げた形で礼を取ったが、まったく格好などついたものではない。

 ジェラルドのマントを上半身に巻き付け、髪は起き抜けの上に風にあたって自分ではどうなっているのかわからない。顔は恐らく…泣いたあとでみっともないだろう。

 穴があったら入りたい。せめてドレスならきちんと礼を取れるのに…


「あら…!あらあらあら」


 レディは両手で口を抑えて、感嘆の声を上げた。

 そして、ツツ…とカレンに駆け寄り、両手でカレンが礼を取るのを止めさせた。


「どうか私に礼など取らないでください。私はジェラルドの叔母のパメラです。今はダヴィネスの名は名乗っておりません」


 その淡褐色の瞳は包み込むように、優しくカレンを見つめた。


 それにしても…とカレンの全身を眺めてため息を吐いた。

「ねぇジェリー、あなた一体レディに何をしたの?」


「いや何も…していないワケではないが…」

 といい淀み、ちらりとカレンを見た。


 何を言っているのだろう。カレンは顔から火が出そうだ。


「え?なんですって?!…まったく男はこれだから…レディ・カレン、大丈夫ですよ、すぐに身支度を整えましょう」


 ジェラルドが圧されている。

 どうやらレディ・パメラには頭が上がらないらしい。


「…ありがとうございます。申し訳ございません、お世話になります」

 カレンは小さくなりながら答えた。


「あぁ、私こそごめんなさいね、お謝りになんてならないで。さあこちらへ」


 とカレンを気遣いながら、屋敷へと誘った。


 ~


 丘の上での出来事のあと…、体が冷たいとマントを巻かれ、ここへの道すがらもジェラルドとは会話らしいものはしていない。


 なんとなく近づくのが躊躇われて、馬を走らせるも3馬身は間を開けた。


 キスのこともジェラルドのことも恥ずかしさや戸惑いが尾を引くが、思考を奪われたように考えることができず、己の心の内を覗くことすらままならない。


 自分を保っていられなくて、困り果てての態度だった。


 ~


「さあ、お掛けになって、レディ・カレン」


 通された部屋はパメラの自室で、アイボリーの淡い色調の品の良い女性らしい部屋だ。


「あの、どうかカレンとお呼びください」


 この姿で敬称を付けられるのは返って恥ずかしいし、ジェラルドの叔母にそう呼ばれるのも違う気がした。


「では、私のこともパメラと」


 終始穏やかに、鏡台へと優しくカレンを導く所作が美しい。


 二人の侍女が、次々とドレスをベッドへと広げている。


 巻き付けていたマントをそっと脱がされ、鏡台の前に座り、鏡を見たカレンはギョッとした。


 …私、こんな姿を晒してたの????


 侯爵令嬢は返上だ。

 予想通りの乱れた髪と、泣きはらした顔、ブラウスの裾はオーランドに引っ張り出されたままで胸元ははだけてかなり際どい。


「…まさか、ジェラルドはなにかあなたにひどいことを?」

 マントを脱いだカレンの服の乱れようを目にしたパメラは眉をひそめた。


「いえ違います!決してそのようなことは…」

 小さく顔を横に振りながら否定する。


「そう、なら良かった…久しぶりに現れたと思ったら、こんなに素敵なお嬢様を連れて…ふふ」


 今の私の様を見て本気でそう思う人がいるだろうか…

 カレンは心内で全力で否定した。


「さてと、まずはお顔ね」

 どこかウキウキと楽しげに、パメラは侍女へあれこれと指示する。


 侍女が用意してくれた冷たい布を顔に充てると、パメラ自らがカレンの髪にブラシを通す。


 艶があってコシもある、さすがよくお手入れされてるわね…などと呟きながら丁寧に髪を梳かれ、カレンはその心地よさに次第に心の強張りがほどけるのを感じる。


 興味はあるだろうに、ジェラルドとのことを聞いてこないことが、今はありがたかった。


 侍女が次々と新しい布を取り替えてくれ、目の腫れはなんとか治まった。


 髪は低めにまとめられ、少しだけ化粧を施された。


 ふいに、鏡越しに目が合う。


「ジェラルドにはもったいないわね」

 と、淡褐色の瞳がいたずらっぽくウインクした。


 …なんて魅力的なんだろう。


「さて、次はおまちかねのドレスよ」


 言うが早いか、次々とドレスを手にすると、コレ!と張りのあるペールグリーンのドレスをカレンに充てた。

「私ねぇ、着道楽なの。素敵なドレスには目がないのよ、たとえ自分に似合わなくても」

 と、屈託のない笑顔をカレンに向ける。


 これなら丈も問題なさそうね…と言うと、侍女に混じって着付けを手伝ってくれた。


「さあできたわ。お腹が空いたでしょう?泣くと体力を消耗するもの」

 と、カレンの手を引いて朝食室へと向かった。


 ∞∞∞


 すっかり様変わりし、なんとか“令嬢”の体裁を整えたカレンが現れると、執事と話をしていたジェラルドは椅子から立ち上がり、すぐさまカレンの元へきた。

 叔母からカレンの手を奪うとテーブルまでエスコートする。


「あらまあ、ジェリー…私はカレンさんを横取りなんてしませんよ」

 パメラは呆れ顔だ。

「どうだか」

 軽口をたたく。


「カレン、大丈夫か…?」


 耳元でそっと呟く。

 あなたの顔を見たら大丈夫ではなくなりそうです…とは言えず、カレンはこくり、と頷いた。


 幸いテーブルにはパメラも付き、あれこれと2人の世話を焼いてくれたので、終始感じるジェラルドの視線にも気まずい思いをすることなく、軽めの朝食を済ませた。


 ・


「また近いうちにいらしてくださいな」


 暇を乞い、馬車寄せでパメラの見送りを受ける。


「わかった。世話になった」

 パメラとジェラルドは軽い抱擁を交わすと、パメラはカレンにも手を伸ばしてきた。


「いつでもいらしてね、お一人でも」

 柔らかな抱擁に、胸に温かなものが広がる。

 軽く背中をポンポンとされ、泣きそうになる。


「帰ろう」

 二人の様子を黙って見ていたジェラルドが、諭すように言った。


 ジェラルドはやわらカレンの腰を抱き上げ、スヴァジルに乗せようとした。


「?!…っ、あの!」


 スヴァジルには、いつの間にか二人用の鞍が取り付けられている。


「ドレスではオーランドは無理だ」

「でも、」

「スヴァジルと並走させる。大した距離ではない。心配しなくていい」


 ジェラルドは有無を言わせない。

 さっさとカレンを乗せると、自分もスヴァジルに跨がった。


 パメラや見送りに並んだ使用人達が微笑ましく二人のやり取りを見守る。


 否応なしにジェラルドの硬い胸が背中にあたり、丘でのことが甦ってカレンは表情を取り繕えず、顔を赤らめた。


「では」


 マントを翻したジェラルドは、カレンを取り囲んだ腕の手綱とオーランドの手綱をも巧みに操り、2頭の馬首を巡らせるとパメラの邸を後にした。


 パメラは2人の後ろ姿が遠のくのを見ながら柔和な微笑みを湛え、美しい礼を取っていた。


 ∞∞∞


 2頭の馬は朝の爽やかな空気の中、ゆっくりと進む。


 パメラの邸を出てから、ずっと沈黙だ。


 多少気まずさはあるが、2頭の規則的な足音、鳥のさえずり、顔にあたる冷涼な風が心地よい。

 背中の温もりは気になるが、カレンは努めて心を空にして馬上の人に徹していた。


 ふと、目の前にある大きな手を見つめる。

 よく観察する迄もなく手綱捌きがすごい。カレンなどの比ではない。


 少しの動きで正確に指示を出す様を不思議な気持ちで眺める。

 オーランドはまだカレンしか乗せないが、ジェラルドなら難なく乗りこなすだろう。やっぱり乗り手の威厳に馬は敏感だな…

 そんなことをぼんやり考えていると、頭上から声が落ちる。


「寒くはない?」


「…はい。パメラ様が外套を貸してくださったので…」


「乗馬服は後から届けると言っていた」


「はい、お世話になりました」


「……」「……」


「カレン」

「はい」


「悪かった」


「?!」


 カレンは思わず身を固めた。

 それを感じ取ったジェラルドが、カレンを囲う腕の力を弛めた。


「ジェラルド様は…何も悪くないです」

「しかし」


 カレンは少し身動ぎして振り向き下からジェラルドを見上げ、数時間ぶりに目を合わせた。


 深緑の瞳が、熱を湛えながらも不安の色を浮かべている。


 ほぼ真下から見上げる格好だが、端正で精悍な顔のラインが美しい。


 この人にこんな目をさせていいはずがない。


 カレンは短い息をひとつ吐いた。正直に言おう。

「あの、私、今日はいろいろ有りすぎて…自分でもよくわからないのです…」


「私を嫌ってはいない?」

「まさか!」


「キスは嫌ではなかった?」

「…はい」


「では…」

「待って、ジェラルド様」


 次の言葉を聞くのが恐くて遮ってしまった。


「カレン」


 辺境伯閣下にここまで言わせる自分は、一体何様のつもりか。


「カレン」


 なぜ私はこんなにも戸惑うのか。

 何が怖いんだろう…


「カレン?」


 なぜ…


 ジェラルドは呼び掛けの反応を待つのを諦め、2頭の手綱を片手に取ると、空いた手でカレンの頬を撫でる。

 カレンはハッとして肩をピクリと震わせた。

 その熱い手のあまりの優しさに、馬上ということを忘れそうになる。


「悩まなくていい。私は辛抱強いんだ」


 そう言うと、カレンのつむじにキスを落とした。


 こんなやり取りをしていても、馬の歩調に一切の乱れはない。


「速めるぞ」

 ジェラルドはカレンの応えを待たず、鐙に力を加えた。

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