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辺境の瞳~カレンとジェラルド~  作者: 鵜居川みさこ
第一章
12/75

12. 夜明け

「あれ…あそこ走ってるの、姫様じゃない?」


「なに?」


 まだ夜明け前。

 領地東部の駐屯地視察からの帰路、ジェラルドの一行は馬を走らせていた。

 ダヴィネス城まではまだ少しある。丘陵の続く地域を、アップダウンを繰り返しながら馬を駆る。


 比較的開けた平坦な道に出たとき、先頭を走るアイザックが声をあげた。


「…ああ、確かに。あの芦毛はそうですね」

 小高い丘を見上げて、フリードも同意する。


「ネイサンは」

 ジェラルドがすかさず確認する。

 ネイサンは、カレン付きの護衛だ。


「あー…豆粒だけど、たぶんあれ」

 アイザックがカレンだという芦毛の遥か後方を指差す。


「あのスピードだと追い付けないでしょう」

 フリードが冷静に続ける。


 それほどに、カレンは前のめりになって馬を疾走させていた。


「!」「!」「!」…


 聞くが早いか、ジェラルドの青毛が一行から素早く離れ、スピードを上げて丘陵を登りはじめた。


「ジェラルド!!」

 フリードが慌てる。

 主の急な行動に一同は唖然とした。


「ザックだけでいい!」

 首だけ向けて言い放ち、猛スピードで丘陵を駆け上がる。


「だ、そうなので、よろしくお願いします」

「へーへー。姫様絡むと冷静さ皆無だな。ったく楽しませてくれるよ。じゃな!」


 言い残して、アイザックは急いで馬首をめぐらせ、ジェラルドを追った。


「さてと、哀れなネイサンを回収して城に戻ろう」


 フリード達は遅れを取っている護衛の回収に向かった。


 ∞∞∞


 全速力でオーランドを走らせる。


 馬具に慣れ、カレンを乗せることに同意し訓練に耐えたオーランドは、言葉どおり羽が生えたような走りを見せた。


 カレンを乗せはじめた当初は、その違和感からカレンを振り落とそうとし、カレンは落馬こそしなかったが、顔に枝が当たって額が切れたり、手綱に指を挟んで捻挫したりした。


 顔の張り薬や手元の包帯を見咎めたジェラルドは眉をひそませ、その都度「止めてもいい」とか「1ヶ月はあっという間だな」などとカレンを煽った(とカレンは捉えている)が、カレンは毎日辛抱強くオーランドに付き合い、そして、約束通りきっちり1ヶ月でオーランドの信用を得たのだ。


 森を抜けた丘陵の先に、昇る朝日を望める場所がある。

 何度か遠乗りで付近まで行ったが、城からは離れているためいつもその手前で折り返していた。


 広大なダヴィネスの平野を見下ろせるそこへ、オーランドを駆けて行くことを目標にしていたカレンは、よりによってジェラルド不在の時に誰にも告げずそれを決行したのだ。


 まだ暗いうちにこっそりと起き、ニコルの手を借りずに手早く乗馬服に着替えた。急いでいたのと、前ボタンを止める手間が煩わしかったので、ジャケットは身につけなかった。ブラウスのボータイも結ばずに垂らしたままだ。扉が音を立てないように慎重に閉め、髪もまとめず早足で厩舎へ向かう。

 幸い使用人には会わなかったが、24時間眠ることのない要塞なので、誰かには見られているだろう。

 しかし、オーランドの世話をしている事は周知の事実なので、早すぎる朝駆けとでも思って見過ごしてもらえたらありがたい。

 しかもジェラルドは不在だ。報告のしようもない。

 確信犯だ。


 ジェラルドはといえば、オーランドの調教については一線を引いていた。もちろん報告は受けていたが、静観を決めていたのだ。

 わざわざ苦労を買って出たカレンに対してどうこうというのではなく、カレンが約束を守る限りは自分の出る幕ではない、といった風だった。

 もちろん、カレンには内緒で一度ならず様子を見に行ったことはフリードしか知らない。


 ~


 いい子ね、オーランド。


 全速力で駆けるオーランドから伝わる筋肉の動きと、疾走するスピードとの一体感がカレンを高揚させる。


 駆け抜ける先の景色が、少しずつ白んでいる。

 晩秋の朝、冷気を含む澄んだ空気が全身を駆け抜ける。

 まとめていない髪が棚引き、オーランドの歩調に合わせて揺れる。


 ~


 厩舎に着くともう馬丁が来ていて、しまったと思ったが、顔には出さずオーランドと朝駆けに行く、と涼しい顔で告げ、自らオーランドに鞍を着け、さっさと出発した。

 馬丁には悪かったが、護衛の有無を問う隙は与えなかった。


 服装や態度にいつもと違う様子を感じた優秀な馬丁は直ぐに兵舎へ繋ぎを取ったが、慌てたネイサンは遅れを取ったのだ。


 ∞∞∞


 ほどなく、切り立った丘の手前までたどり着くとオーランドの歩調をゆっくり緩め、カレンは下馬した。

「素晴らしいわ、オーランド。ありがとう」

 言いながら、オーランドの汗をかいた首を撫でる。

 オーランドはブルッと鼻を鳴らすと、カレンの体に首を巻き付けた。


 手綱を引いたまま丘の突端へ進むと、空は夜と朝がちょうど混じりあった色合いを見せ、その下には遥か遠くまで、素晴らしい景色が広がっていた。


「見てオーランド、ダヴィネスが広がってる」


 広大な緑地とところどころ枯れ葉色の森が地の果てまで続いており、遠くに切り立った山の稜線が見える。


 あ、この景色…


 カレンは、ドキリと胸がなるのを感じた。

 いつもカレンの胸を震わせる、あの瞳。

 まさにそれが目の前の風景と重なる。


 ああどうしよう、どうしたらいいんだろう


 目の奥がジン…と熱くなる。

 目を閉じて、この風景を体じゅうに感じるよう、カレンは両手を大きく横へ伸ばした。


 しばらくそうしていると、オーランドが鼻面をカレンにすり付けてきた。

「待ってオーランド、もう少しだけ…」


 ブルルッと鼻を鳴らしたかと思うと、あろうことかカレンのブラウスを噛んで引っ張った。ブラウスはトラウザーから引っ張り出され、お腹にヒヤリと冷たい空気を感じた。


「きゃ、オーランド…!」


「素晴らしい景色だな」


「え、ええ本当に」


 って、え???


 背後からの言葉に、オーランドに気を待って行かれながら思わず相づちを打ったカレンは、聞き覚えのある滑らかな低音にギョッとして振り返る。


 そこには、今まさにカレンの心に浮かんでいたその人が、愛馬である青毛のスヴァジルと共に立っていた。


「…ジェラルド、さま…」


 カレンは呆然としている。


 ジェラルドは穏やかな顔だった。


「朝日が昇るぞ」


 促され首を戻すと、金色の光を放つ太陽が、夜の帳を押し上げるようにゆっくりと昇っている。

 次第にオレンジの強い光へと変化し、広大なダヴィネスの地をあまねく照らす。


 二人は、刻々と変化する景色を、ダヴィネスの地を、黙って見ている。


 カレンは、泣いていた。

 泣いている自覚はないが、涙が溢れて止まらない。


 カレンの後ろにいたジェラルドだが、カレンの肩が細かく震えていることに気づき、近づくとその顔を見た。


「カレン?」


「……」


 涙は止めどなく溢れる。


 ジェラルドはカレンの肩を持ち、ゆっくりと向かい合わせにさせた。


 されるがままのカレンだが、溢れる涙でもうよくわからない。


 ジェラルドは何も言わず、両手でカレンの小さな顔を包むと、親指で涙を拭う。


 少し上向きにされた顔は、ジェラルドが少し俯いた角度で目が合う。


 この深緑の瞳に、何度も捕らわれてしまう。

 わかっていたことなのに…


 カレンは、ジェラルドの手首をそっと持った。

 次の瞬間、強い力で体ごと抱きすくめられる。


「…!」


 驚いたが、直ぐに大きな安堵へと変わる。

 隙間なく抱き締めしめられた温かな腕の中で、カレンは泣いた。

 子どものようにしゃくり上げて。


 わからない。わからないけど、この広い胸の中では、なんの虚勢も張らず、何も持たないただの自分でいいと感じてしまう。ムスクウッディの香りに包まれて、このまま溶けてしまいたいとさえ思う。

 でも…でも…


 宥めるように、カレンの髪を撫でる優しい手が心地いい。


 ひとしきり泣き、少し落ち着いたカレンは、ジェラルドの胸に両手を置き、距離を取ろうとした。


「カレン?」

 気遣うような甘い優しい声が頭上から落ちる。


 我に返った気恥ずかしさから、顔を上げられない。

 ジェラルドはカレンの後頭部から細い首をたどると、自然に顔を上向かせた。


 伏せた長い睫毛が震えている。


 両の瞼に、ゆっくりと口づけを落とす。


「ジェラル…ッ…!」


 名前を言い切る前に唇が塞がれた。


 カレンは頭が真っ白になり、大きく目を見開いた。

 心の奥底で捕らわれたいと欲していた深緑の瞳が熱を帯びて揺らめいている。


 …今は、このままで…


 カレンは静かに目を閉じた。


 ・


 まるで颯だ


 疾走するカレンの後を追い、スヴァジルの速度をぐんぐんと上げながら、カレンの乗馬姿を観察する。


 スヴァジルは軍馬なので、漆黒の大きな逞しい体駆と筋肉で主人の期待に応える。

 辺境伯が馬上で戦う姿を知るものは“黒い鬼神”と恐れおののいたものだ。


 以前遠乗りをした時(まだカレンは横乗りだったが)も感じたが、乗馬が抜群に上手いことはわかっていた。やはり馬筋が並外れていい。

 しかしこれはもはや尋常ではない速さだ。

 ネイサンが追い付けるはずもない。

 だがこのスピードでも、馬は的確にコントロールされている。


 ちょいちょいケガをしていたこともあり、調教師からの報告を苦々しく聞いていたが、ベテラン調教師曰く、馬との距離の取り方や扱い、辛抱強さは並みではなく舌を巻くほどだ、とのことで感心しきりだった。


 腰まである長いダークブラウンの髪が、ゆらゆらと棚引いている。


 手が届きそうで届かない



 ジェラルドは、カレンのすべてが欲しいと感じるまでに、あまり時間はかからなかった。



 カレンが減速し始めた。


 気配を気取られない程度に距離を保つことにし、ジェラルドもスヴァジルを減速させる。


 下馬したカレンは、オーランドに話しかけ首を撫でた。オーランドはそれに応えて首をカレンの体へ巻き付ける。

 ジェラルドはその光景を複雑な気持ちで眺める。

 ジェラルドも下馬し、引き続き様子をうかがった。

 と、ふいにカレンが両手を広げた。


「!!」


 ジェラルドの目線からも、夜明け前の見慣れた広大な大地が見取れ、その風景に溶け込むようにカレンは大きく手を広げている。


 腰下まで届く長い艶やかな髪、微かなしかし薄闇を貫く強い光が、カレンの薄いブラウスをも貫き、細い腕から脇、続く背中の輪郭をも露にする。


 考える間もなく、ジェラルドは足早にカレンに近づくと、敏感に気配を悟ったオーランドがジェラルドの存在を伝えるようにカレンにじゃれつき、その薄いブラウスを咥えまくり上げた。


「素晴らしい景色だな」

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