11. オーランド(馬)
季節は晩秋を迎え、色とりどりの枯れ葉が庭に舞い散っている。
カレンがダヴィネスへ来てから3ヶ月が経とうとしていた。
すっかりダヴィネスに馴染んだと言ってもいいほどに、自身も思いがけず日々楽しく暮らしている。
目下、カレンは暴れ馬の調教に夢中だ。
・
「鳩の次は馬ですか…」
フリードがくっくと苦笑し、ジェラルドは納得のいかない面持ちだ。
∞∞∞
数時間前に執務室をノックしたのは、特注の乗馬服を着たカレンだった。
「どうしてもジェラルド様に許可を得たいことがある」と、モリスに告げて、執務中の約束を取り付けてのおとないだ。
カレンのノックに、ジェラルドはフリードを制して自ら扉を開けた。
「!」
そこには紳士用の乗馬服に身を包み、ダークブラウンの髪を高い位置でひとつに結んで垂らした凛々しいカレンの姿があった。
多少気まずそうだが意を決したような顔で、頬が少し紅潮している。
長身のカレンは一見まるで男装の麗人のようだが、特注の乗馬服は体の線を拾っており、ジェラルドは思わず言葉を失った。
扉の向こうでモリスが戸惑うのがわかる。
「モリスお茶を」
「はっ 畏まりました」
モリスはさっさと逃げ去った。
ジェラルドは片手で額を覆った。
「入って」
と言うと、カレンの後ろに周り、両肘のあたりを両手で軽く持ち室内へと誘導した。
「おや」
机から顔を上げ、カレンの姿を認めたフリードが珍しそうにカレンを観察している。
ジェラルドは鋭い視線でフリードを制する。
「外しましょうか?」
ピンときたフリードが尋ねる。
「いえ、フリード卿もいてください」
ジェラルドが答える前に、カレンが答えた。
「…だそうだ。カレン、掛けて」
お邪魔します…と、ソファに畏まって腰かけた。
向かいにジェラルドも座る。
「その格好は?」
単刀直入に聞いてきた…声がいつもより低く、深緑の瞳にはうっすらと冷たさが張っているように見える。初めての表情にカレンは戸惑いを感じ、緊張した。
「あの…ストラトフォードの領地で着ていた乗馬服です」
ふーん、と呟き、視線を反らしてなにやら考えている。
「あの、ジェラルド様、『オーランド』のことは…「もちろん知っている」」
食いぎみだ。
不機嫌さを隠さないジェラルドに初めて接して、カレンは背中に冷や汗を感じた。
でも、オーランドのことは了承してもらわないと。
「オーランドの調教をお任せいただけないかと」
「ブレーキングを?」
「…はい」
※ブレーキング…馬に鞍や鐙を付けるための教育。信頼関係を築くための調教のこと。
腕組みで聞いていたジェラルドは、盛大なため息を吐いた。
「ヤツはベテランの調教師の手を焼いた。危険を伴う。許可はできない」
「あの、兄からどこまでお聞きかはわかりませんが、領地では何頭もの調教をしました。あの子は…オーランドは走りたがっています」
ジェラルドがあからさまにムッとした。
「ケガするのをわかっていて許可するわけがないだろう」
「ジェラルド」
フリードがピシャリと割って入った。
「なんだ」
「怖いです」
「……」
たぶん、戦場ではこの何百倍も怖かったのよね…とジェラルドの様子を見ながらカレンは想像し、考えた。
でも、結局私の心配をしてくれている。
カレンはそれにすがることにした。
タイミングがいいか悪いか、モリスがお茶を運んできた。
室内の雰囲気に一瞬おや、という顔をしたが、事も無げにテーブルにティーセットを並べていく。
注がれたお茶を、二人とも黙ったまま口にする。
カレンはカップをソーサーに置くと、真っ直ぐな視線をジェラルドに向け、一気に喋った。
「蹴られ方とか落馬の仕方はよくわかっています。お見せできませんが、脇腹には以前蹴られた傷痕があります。落馬で気を失ったこともありますが、私は生きています。馬はいつも正直で、決して人を裏切りません。…オーランドはきっと良い馬に育ちます」
「ッゴフッ」
ジェラルドはお茶を吹き出しそうになり、代わりに咳き込んだ。
「…大丈夫ですか?」
気遣わしげな顔で、ジェラルドの顔を覗いてくる。
フリードは俯いて細かく肩を震わせている。
モリスは天を仰ぐ。
「………」
ジェラルドは黙ったままだ。
「ジェラルド様…?」
乗馬服の姿も驚きだと言うのに、蹴られるだとか落馬だとか…脇腹の傷痕??
なぜこの娘はこうも予想の斜め上をいくのだろう。
そしてなぜ…
ジェラルドは以前感じた引っ掛かりの有りかを探ることにした。
馬のことはその後だ。
「カレン」
「はい」
「ひとつ聞きたいことがある」
「はい なんでしょう」
カレンは前のめりになった。
「ダットンの時もだが、なぜ自分の身を呈そうとする」
「そ、それは…」
それは…私を押し付けられたあなたに、少しでも恩返しをしたいから。私のできることで。私のいる内に。
とても言葉にできない。
しかし、答えなければ、オーランドは一生を狭い厩舎で過ごすかもしれない。
オーランドの黒い大きな瞳を思い浮かべ、カレンはごくりと唾を飲み込んだ。
良くある手だが、嘘の中に真実を織り込むことにした。
「私のできることをして、ダヴィネスの助けになればと思うからで…」
嘘じゃない。でも本当でもない。
ジェラルドの探るような視線が耐え難い。
「侯爵令嬢として、当然のことです」
言い放ってから、そっとジェラルドを見ると、膝の上で手を組み、じっとカレンを見つめている。先ほどまでの冷たさはなく、森と山の稜線の様なダークグリーンの瞳が、波打つようにカレンを取り込もうとする。
…無理、でもオーランド!
あまりの視線の強さに反射的に目を逸らしそうになったが、ここで逸らすとオーランドはひとりぼっちだ。
カレンは薄碧の瞳に力を込めて、ジェラルドを見返した。
ほんの数秒だが、これほど努力を要したことはない。
ジェラルドが先に目を逸らし、ふっと笑った。
「決してひとりでは乗らないこと。期限は1ヶ月だ」
「! ありがとうございます!」
カレンは小躍りしそうな勢いで立ち上がり、ジェラルドの気が変わらないうちに…と急いで部屋を辞した。
∞∞∞
私も大概甘いな、とジェラルドは独り言ちた。
だいたい、侯爵令嬢は紳士用の乗馬服を着てまで調教などしない。
ジェラルドの問いはうまくはぐらかしたようだが、本心ではないのはもろバレだ。
しかし、ジェラルドは許した。
というか、一体どうなるのかが知りたいと思ってしまったのだ。
やれやれ…
「ジェラルド、首がいくつあっても足りませんね」
訳知り顔のフリードだ。
「うるさい」
「ははは」
・
カレンがジェラルドの執務室を訪れる、ひと月ほど前。
ジェラルドから乗馬の許可が下り、カレンは3日に空けず城内の広大な馬場で乗馬を楽しんでいた。
しょっちゅうはネイサンにも悪いので、たまに城外へも出掛けた。
鹿毛のタラッサは、いつも機嫌よく優しくカレンに付き合ってくれる。
カレンは自然、厩舎への出入りも多くなった。
スヴァジルのような名馬をはじめ、何頭もの馬を扱い養うので馬丁や騎士の数も多く、馬の世話や健康管理に余念がない。
そんな中、カレンは厩舎にいる一頭の馬に気づいた。
芦毛の牡馬だ。
馬場に出ることもなく、いつも厩舎に居る。
神経質そうに敷わらを蹴っていて、人に懐く様子はない。
一度近づきかけたが、ネイサンに強く止められた。
「いかにレディでも、あいつに近づくのは止めてください。私の首が飛びます」
そう言われると、勝手はできない。
恐らく、調教に失敗した暴れ馬だ。
オーランドと名付けられた芦毛は、遠目からでも素晴らしい骨格と筋肉がうかがえる。
ただ、その黒い瞳は疑り深げで虚ろだ。
本当にもったいない。
淑女の横乗り乗馬もそろそろ止めたいと思っていたカレンは、一計を案じた。
しかし、その計画は例の栗の件で実行に移せずにいたのだ。
体調もすっかり元通りとなり、ジェラルドからの信頼も少しは得られたのでは…と期待しつつ、計画を実行に移したのだった。