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勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第一章 帰還
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第七話

 鼻と上唇に包帯を巻いた千川が、不明瞭な声で発言した。


「……ふぎは……おへが……やひまず」


 膝も負傷した彼は床に毛布を敷いて腰を下ろしていた。

 その傍らには七輪と園芸用シャベルがある。


「最初の実験台である茅ヶ崎は死んだので、

 経過観察ができなくなってしまった。

 だから、一刻も早くご子息の治療を行うため、

 あいつは神代細胞の安全確認を自分の体で行うよう志願したのです」


 顔面の負傷により発語が困難になった千川に代わり、塚元は彼が書いた決意書を読んでやる。


「断食断飲によっての調教は時間がかかるので、

 自分の赤誠(せきせい)は行動によって証明します。ご覧ください」


 千川は七輪にシャベルをかざす。しばらく荒い息をついていたが、やがて焼けた鉄を持ち上げる。そして


「……秘密の(ふぃみふほ)首領さま(ひゅりょうひゃま)万歳ふぁんざい!」


 不明瞭だが決意のこもった気合を入れ、彼は自らの右目を焼く。


「ふわああああああ!」


 悲鳴をあげながらも千川は反対の目も焼いた。そこで力尽きたのか、シャベルが手から落ちる。


「がんばったなあ……」


 塚元の目に涙がにじんだ。


「ここまでやり遂げたんです。

 彼の信仰心と忠誠心は本物ですよ。間違いない。

 だから投与実験をさせてください」


「うむ」


 礼文はうなずいた。義知の治療開始が遅れると義光の機嫌が悪くなるからだ。しかし、塚本は余計なことまでもを言い出す。


「ついては犬田を檻から出し、人として行動させて良いでしょうか?」


「……」

 

 不機嫌な沈黙を見て塚元はひるんだが、それでも主張はする。

 

「ワンワンしか言えないのでは

 神代細胞がどうなっているのか報告させることができません。

 そして手足を拘束したままでは、

 万が一にも千川が暴れだしたときに対処できません」


「……良かろう」


 たしかに筋は通っているので許可を出さないわけにはいかないが、また礼文の気が進まない事態になった。


「だが」


 せめてもの修正を彼は試みる。


「根府川も実験に参加させろ。助手としての実地教育だ」


「はい! そのようにいたします。では」


 いそいそと塚元は檻の鍵をあけ、犬田の拘束を解く。


「お前の服はあそこの棚に置いてあるからな。着替えておけ」


「ワン」


「いや、それはもういいんだってば」


「けんっ、けふけふ。すいません」


「その間に俺は根府川を呼んでくる」


 身軽く塚元は退出する。


「……」


 礼文の視線を避けるように、犬田は目を伏せたまま服を着た。



   ◆◆◆◆◆◆



「おお! やった! 

 痛みも消えたし、動きにも支障がない!」


 千川はその場で足踏みし、膝の調子を確かめる。その両耳には米粒ほどの[恒常石]がしっかりと固定されていた。


「で、顔は?」


 今回は手鏡も事前に準備されていた。


「おほっ! 男前になってる!」


 焼けたマブタを治す際に犬田は手を加え、三白眼を修正していた。鼻骨も折れていたのでついでに鼻筋を細くし、八重歯は新しく生やさず、抜けたままにしておいた。


「あとは、このぶっとい眉毛なんだが……」


「気になるようでしたら、

 ヒゲを剃るついでにカミソリで形を整えてくださいな」


「それだと剃り跡が残るしな。痛いけれど毛抜きを使うか」


 嬉しそうに千川は微笑む。


 二人とはやや離れたところで、根府川は塚元から千川の決意を聞いていた。


「そうだったんですか……ならば」


 少年は礼文の前に駆け寄る。


「お願いです! 俺も実験台にしてください!」


「ほう? それは良い心がけだ」


 礼文はうなずく。


「おい、それは研究助手の仕事とは違うぞ」


 塚元にたしなめられても、根府川は聞かない。


「ええと……[症例]というのは多いほうがいいんでしょう?

 理科の実験でも一回やって成功しただけでは

 マグレの可能性を否定できません。

 夏休みの自由研究でも

 5、6回はやらないと先生に丸をもらえないですよ。

 だから、俺を使って新たな実験をしてください」


「そのためには苦しい試練を」


「耐えてみせます! 

 忠誠心は千川さんに習って、すぐさま証明します! 

 しばし、お待ちを」


 根府川は手術室から飛び出した。


「何をする気だ?」


「千川さんのマネということは、かなり過激なことでは」


「いかん! あいつはまだ子供なのに!」


 後を追おうとする塚元を、礼文は止めた。


「一例だけの結果をもってして、

 ご子息を治療するわけにもいくまい。

 だから彼の決意を尊重しよう」


「……」


 唇を噛んで、塚元は立ち尽くす。


 やがて根府川は片手にヤカンを下げて帰ってきた。


「調理室では昼食準備中だったので、

 ちょうど湯を沸かしていました。これで広域の火傷を作ります」


「おおい!」「ばっ、バカ野郎!」「ちょっと、それは!」


 塚元と千川、そして犬田が同時に叫び少年に手を伸ばした。しかし間に合わない。


 高々とヤカンを右手で掲げ、その注ぎ口から流れる熱湯を根府川は頭からかぶった。


「ぎゃああああああ!」


 見る間に彼の頭皮、そして首から肩にかけてが赤く腫れあがっていく。


「……」「……」


 塚元と千川は声を出せなかった。


 パチパチパチ


 礼文は拍手で答える。


「見事な覚悟だ。まさに[真世界への道]信者の見本だな」


「あっ、あり……が……」


 うずくまった根府川は痛みでそれ以上喋れない。


「犬田、さっさと神代細胞を分けてやれ」


「はい」


 スケッチブックと鉛筆を手にして、犬田は少年の傍らに座る。床にこぼれた湯で彼の尻は濡れた。


「後始末が大変だ……

 こうなるから、僕はお湯ではなくシャベルを使ったんだけどなあ。

 とほほ」


 ぼやきながらも、右手を根府川の頭に当てて神代細胞を塗布する。その一方で膝の上に置いたスケッチブックに、彼は左手で器用に損傷部位のイラストを描きつけていった。



   ◆◆◆◆◆◆



 辻堂は自ら実験台に志願した。


 新入りである根府川が研究助手として塚元の威を借り特権的なふるまいをするのを見て、親衛隊隊長としてのプライドが傷つけられていることを礼文は隠し通路から観察して知り、辻堂をそそのかしたのだ。

 

 しかし、彼は熱湯をかぶる覚悟ができていなかったので一日断飲食の調教を受け、それでもまだためらっていたのでさらに二日断食したあげく、小冊子の内容を読み上げ続けるという修行で意識がもうろうとしたところにヤカンを渡され、反射的に湯をかぶったので調教終了とみなされた。傷を神代細胞で修復した辻堂は、檻に戻される。


「№3の経過は上々のようだな」


 塚元は檻の前に立って中の少年を観察する。


「不死身の肉体を得たが、暴れだす様子はない。

 やはり欠番は例外的存在だったのだ」


 №3とは辻堂のことだ。塚元は犬田にorigin(オリジン)という意味を持たせて№0を振った。次の茅ヶ崎は撃たれた傷が治ると、すぐさま暴れだし、そのうえ脱走しようとするという不祥事を起こしたので、記録に残さないことにした。


「感染の恐れもほぼ払拭ふっしょくされているが念のためだ。

 24時間くらいここにいてもらうぞ」


「はい」


 辻堂は素直に返事をして、檻の中で腰を下ろした。


 最近、日常の観察記録も根府川にまかせることが多くなった。今も少年はスケッチの彩色に励んでいる。塚元が犬田に命じたのは床に零れた湯の始末だ。あからさまな格下扱いに文句も言わず、彼は黙々とモップを使っている。



   ◆◆◆◆◆◆



 千川に投与実験をする準備をしていたときに、彼を№1として記載することを告げると、犬田は戸惑った。


『ええ? 

【さまざまな科学実験と、その研究ノートの作成手順】

 という学習参考書には、

 たとえ予想とは違った結果、

 不具合が起こった結果であっても

 正直に記録しろと書いてありましたよ? 

 茅ヶ崎くんの記録を抹消しても大丈夫なんですか?』


『あの参考書は

 自由研究をする少年少女たちにとって必読の書とされてはいるが、

 しょせんは子供向けでしかない。いわば基本だ。

 だが本当の学者が論文を作成するときには高度な応用を行うんだよ。

 不具合が起きた実例なんぞを論文に入れたら、

 学会発表のときに追及されてしまうじゃないか。

 だから、良い結果だけ選り抜いて使う。

 [チャンピオンデータ]ってやつだ』


『はあ……そんなものなんですかねえ……

 基本はおろそかにしてはいけないと、僕は習いましたけれど……』


『だから、それは小学校での話だろ!

 大学では違うんだよ! 素人が口を出すな!』


 実際は研究不正にあたる行為だ。しかし、医学の常識を覆すような革新的研究論文に傷をつけたくない。だから塚元は怒鳴りつけて黙らせた。犬田はすぐさま謝罪したし、それ以降はナンバーについてなにも言わなかったが、塚元のほうには後ろめたさが残っている。



   ◆◆◆◆◆◆



 塚元が犬田をぞんざいに扱うようになった理由は、不正を指摘された件以外にもいくつかあるが、その一つには礼文の感情に影響をうけたということもある。


 接触感染の危険性がないことが証明されてからも、礼文は犬田をバイキンのように嫌っている。それだけではなく彼が直接触れたものまで同一視している。だから犬田は物品を清浄に保つため、白い手袋を常時装着させられることになった。


 しかし、いくら礼文と塚元が犬田のことをうっとうしく思っても、神代細胞を使って傷を癒せるのは彼しかいない。


 犬田から神代細胞をもらった三人から、次の実験台への移植は試みられたが失敗した。修復された個所から神代細胞を切り取り、別の少年に触れさせてはみたものの、定着することはなかったのだ。


 健康な皮膚だけではなく、切り傷や火傷にも接触させたが、神代細胞は丸くなったまま活動しない。これは感染拡大の危険が無いとの証明にはなったが、おかげで犬田の重要性が再確認されてしまった。塚元は矛盾に気づいてはいるが、一度始めたことをやめるのは自尊心が邪魔するので行動を改めることができないでいる。



   ◆◆◆◆◆◆



 義知が重度の火傷を負ってから、そろそろ一か月だ。神代細胞の有効性と感染の危険がないことがわかったので、義光は自宅療養を名目に帝都帝大医学部付属病院から息子を引き取った。医者は引き留めたが、特権階級である華族のワガママに負け、しぶしぶと退院を認めた。


「今日、いらっしゃるのですね。了解しました。

 すでにお部屋は準備してありますので、お待ちしております」


 受話器を置いてから、礼文は息を吐いた。


「やれやれ。危ないところだった。

 塚元があらかじめ準備しておくことを提案していなかったなら、

『こんな粗末なところに義知ちゃんを寝かせる気か!』

 などと大騒ぎされることになっただろうからな」


 図書室から本棚などを撤去し念入りに清掃したうえで、富鳥邸から搬入された家具や絨毯を設置し、貴賓室とした。義知が好む紅茶のセットや、ワインとグラスなど、そして病人への見舞品としてバナナも同じように運びこまれた。


 礼文は未だに主任室のソファで寝るなど、自分自身の生活環境にさえ無頓着なので、義知が療養する部屋を華族の居室としてふさわしいように整えておくことなど考えもしなかった。


 根府川が回復して研究が一段落ついてから、塚元に義知の受け入れ準備を整えるよう進言され、初めてその必要性に気づいたのだ。


 礼文は義光に家具をこちらに運んでくれるよう申し出て、執事の島口の協力を受け、なんとか今日までに環境を整えた。


 実は、このアイデアを出したのは犬田だが、彼は直接礼文に話しかけることを怖がり、塚元を通じて進言することを望んだ。その際に、自分の名前を出すと礼文さまは反発するだろうから塚元先生が考えたことにしてくれと犬田は頼んだ。


 もっけの幸いとばかりに塚元は自分の手柄としたのだが、本当のことを知る犬田が(うと)ましくなった。これも塚元が犬田をぞんざいに扱う理由の一つだ。


やがて、エンジンの音が通用門の前でとまり、クラクションが鳴らされた。

それを聞いた礼文は門を開けて、ロールスロイスの操縦を島口と交代する。後部座席には義光が座り、包帯だらけの義知を優しく支えていた。


 駐車場には千川が待機している。彼の顔はすでに三白眼と八重歯が目立つ元の顔に戻っていた。


 犬田の[恒常石]は生来の姿を基準として保とうとするので、マブタに加えた修正は一日で消え、八重歯も元通り生えてきてしまった。いまだに千川は強盗殺人犯として指名手配され、交番や銭湯に彼の写真が張り出されている。だから島口には合わせられない。


 義知の体の下に、千川は両手を差し入れた。至近距離にいる怪我人から立ち昇る、化膿しかけた肉の臭気が彼の顔にまといつく。


「うっぷ」


 つい、声が漏れてしまった。その中にある不快感に気づいたのか、義光は千川をにらむ。


「あ、どうも失礼をいたしました」


 失敗を悟った千川は頭を下げた。


「それでは、行きますよ」


 彼はできるだけそっと持ち上げたが、


「ふううっ」


 焼けただれた皮膚に刺激を受けて、義知は苦しそうに息を漏らす。喉が焼けているので声が出せないのだ。


「義知ちゃん、もう少し頑張ってね」


 大男の腕に抱えられた息子を、義光は励ました。礼文も彼らの後に続く。


 二階の貴賓室には、塚元、根府川、そして犬田が待機している。


 毛足の長い絨毯を踏み、千川は高級なベッドに義知を横たえた。


「それでは、治療を」


 塚元が言い終わる前に、犬田は土下座した。


「申し訳ありません!」


「え?」


 唐突な謝罪に、義光は目を丸くする。


「僕がもっと早く神代細胞を無害化していれば、

 ご子息をこんなにも長く苦しませずに済んだのです!

 申し訳ありません!」


「それがわかっているなら、早く治してよ!」


「はい!」


 二人のやり取りの間に、塚元は義知の包帯を剥していた。


 ひそかに目を輝かせながら、根府川は無残な火傷をクロッキーで素早く写し取る。普段からの鍛錬で、根府川の腕はだいぶ上達していた。


 犬田は手袋を外し、台に支えられた洗面器の前に立った。その中の消毒液に手を浸してから、台の横にかけられたタオルでふき取る。


「お待たせし」


 右手を義知にかざした犬田の目から、いきなり涙が噴出した。


「え」「わあ」「おおっ」「へっ」


 塚元、根府川、そして礼文と千川は驚きの声をそれぞれ発する。これまで犬田はどんな残酷なことでも眉をひそめることさえせずに平然と行ってきたからだ。


「……ああ、なんと痛ましいお姿に……」


 しかし今、彼の目からは大粒の涙が流れ、義知の顔や胸にしたたっている。


「「「「??????」」」」


 初めての事態に四人は戸惑ったが、義光の反応は違った。


「うんうん。そうだよね。

 義知ちゃんはぼくに似てハンサムだったのに

 ……こんなひどいことになっちゃってさあ……」


 あらためて息子の状態を目の当たりにし、義光は嘆いている。


 犬田は泣きながらも、右手で義知を撫でていく。


「あ! 色が!」


 むき出しになった赤い肉の上に皮膚が再生され、正常な肌色を取り戻していく様を見て、


「やったあ! その調子でドンドン治して! 早く早く!」


 義光は子供のようにはしゃぐ。


 犬田は涙を左手で拭い、掌を観察した。その表情は落ち着きを取り戻している。やがて彼は左手も義知にあてた。ちょうど胸元のあたりだ。


「わあい! 髪の毛も生えてきた!」


「……ぱ……ぱ……」


「今、パパって言った?」


「……パパ……」


「パパって言った! ああ、義知ちゃんがしゃべったよお!」


 38年前、義知が1歳だった時と同じように、彼は感極まって叫ぶ。



  次回に続く



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