表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第一章 帰還
6/23

第六話

 7月25日 11時。


「とほほ」


 衣服を奪われた状態で、犬田は檻の中にいる。両手と両足はそれぞれ手錠で繋がれていた。


「僕は与えられた仕事をやっただけなのに、なんでこんな目にあうんだろう」


 膝を抱えて座った犬田は、背中を壁につけて目を閉じる。


「喉が渇いたなあ……ひもじいなあ……」



   ◆◆◆◆◆◆



 この日の朝7時に、手術室を訪れた礼文は作業終了の報告を犬田から受けた。


 その場で犬田に銃を突きつけ、持ち物をすべて捨てさせる。彼を檻に閉じこめてから、礼文は顔を洗い予備のワイシャツに着替えて富鳥邸に帰った。


 義光が朝食を終えて書斎に移動する頃を見計らって、礼文は報告に向かう。


 昨夜、塚元たちには報告済みのように話したが、それは嘘だ。しかし、例のごとく礼文は悪いことだと思っていない。


 いきなり正直に事の次第を伝えたなら、あわてた義光はデタラメな指示を連発して現場を混乱させるだろう。それを避けるために必要な当然の処置だと礼文は自負している。


 高級机に向かう義光の前で、礼文は彼自身が望む方向へ義光の思考を誘導するために、昨夜からの出来事を脚色して語る。


 狙い通り、義光は怒りだした。特に実験台候補として集められた少年たちから造反者が現れたことに腹が立ったようだ。高ぶる感情のまま彼は万年筆を取り、塚元に対する命令書を便箋に書きつける。そんな書きなぐりに近い状態でも、義光の字は流麗でありながら読みやすい。彼が幼いころに受けた教育の成果だ。


 目論見が成功し、礼文は意気揚々と研究所に戻る。彼は最初にハシゴをかけて、倉庫の高窓から中の様子をうかがった。


 朝食どころか水も与えられず倉庫に閉じこめられていた少年たちはグッタリして反抗する余力もないようだ。


 安心した礼文は研究棟の二階に向かう。


 千川は犬田に応急手当を受けてから彼に運ばれ、工員宿舎側の二階にある自室で休んでいた。枕もとにはヤカンとコップ、そしてゴムチューブがある。苦痛を訴えているので、研究棟二階に住んでいる塚元を呼ぶことにした。


 千川の治療と介護は塚元に任せ、次に津先の部屋を訪れる。無精ヒゲを生やした顔は汚れ、目ヤニもついていた。


 思えば、隔離が終わったあとも津先は工員宿舎二階の自室にずっと引きこもり続けていた。子供たちの世話は千川が行うから、礼文も特に津先を呼び出そうとしなかったのだ。しかし、事情が変わった。


 千川が茅ヶ崎に襲われて負傷し動けないでいることを教えると、津先の目に生気が浮かんだ。顔を洗わせてから、水を入れた大鍋と茶碗を台車で運ぶように礼文は命じる。


 倉庫の扉が開くと、少年たちはふらふらと近寄ってきた。礼文の号令で、彼らは訓練どおり一列に並んで配給を待つ。


 がぶ飲みさせると体に悪いので、まずは少量からだ。茶碗半分の水を飲み、とりあえず皆が人心地ついたところで、茅ヶ崎の次席を務めていた辻堂を新たな親衛隊隊長に任命すると発表した。彼に赤鉢巻を授けると他の少年たちは拍手で祝福した。


 刺激を受けた直後は動揺していた少年たちだが、一晩明ければ落ち着きをとりもどす。もともと物事の意味を深く考えないように教育され続けてきた彼らは、目の前の事実を無批判で受け入れることに慣れていた。


 だから茅ヶ崎の行方を問うものはいない。千川から津先へと指導係が戻ったが、それは少年たちにとって、様々な種類の陸軍式体操ではなく円形のコースをひたすら走るコーカス・レースをやらされることになったという以外の意味を持たない。


 これで親衛隊の秩序は回復した。次は研究所の指導者としての復権を目指す。礼文は塚元を図書室に呼び出した。



   ◆◆◆◆◆◆



 礼文は塚元を二階の図書室に連れていった。


 椅子に座った礼文の前に塚元は立たされた。彼の顔には不満の色が浮かんでいる。


「これからのことを説明する前に、

 まず秘密の首領さまのお力について語ろう。

 あのお方はけっして強権を振りかざして服従を押し付けない。

 むしろ私たち信者のほうが秘密の首領のお力に感服し、

 御意思の通りに行動することを自ら選ぶのだ」


「お力? ああ……そうだ。

 俺が臆病風に吹かれて投与を先延ばしにしたことを

 秘密の首領さまは言い当てた」


 不満は消え、その代わりに畏怖の感情が塚元にあらわれた。


「あのお方は[すべてを見通す目]をお持ちだ。

 その視野は今各地で起こっていることのみならず、

 過去、そして未来にまで及んでいる。

 塚元先生が自分を追放した陸軍戸山ヶ原科学研究所についての恨みつらみを

 毎夜毎夜一人でつぶやき、布団を殴っていることも」


「ええ! そんなことまで、わかるのか?」


「他にもいろいろと、

 あなたの所業を秘密の首領さまはご覧になっていた。

 鼻毛を抜いてはじっくりと鑑賞するのは、楽しい趣味なのですかな? 

 いや、鼻毛くらいならまだいいが、あなたは足の爪の」


「わ、わわわ! やめてくれ!」


「ああ、やめておこう。今は先生の恥をさらすべきときではないからな」


 二、三回呼吸をしてから、塚元は抗議した。


「しかし、すべてを見通す力があるなら、

 そもそも茅ヶ崎の脱走を防いでくれればよかったのに」


「もしもそうしたなら、

 塚元先生は未だに投与をためらい、

 研究を進めようとしなかっただろう? 

 彼の死は尊い犠牲なのだよ」


「だったら、俺に直接命令してくれればいいのに。

 いや、すべてを見通せるなら、

 神代細胞の正しい利用法を最初から教えてくれればいいんだ。

 それなら無駄に試行錯誤しなくてすむ」


「[秘密の首領]さまは

 人が神の傀儡(くぐつ)となることを望まれていらっしゃらない。

 人類にはまだまだ明らかになっていない可能性がある。

 それを自ら発見し、努力と工夫によって発展し、

 ついには新しい神となるまで成長させることが、

 秘密の首領さまの最終目的なのだ。

 そのために我らにはさまざまな試練が与えられる。

 いま、ここで行われている実験もその一つだ。

 予言しておくが、

 仮説をたて、実証していく過程のどこかで必ず研究は行き詰まるだろう。

 そこであきらめて逃げ出せば、救済は訪れない。

 立ちはだかる壁を乗り越えたものにだけ正しい方向に通じる道は開かれ、

 死後はなにもかもが完全で社会的矛盾の無い

 [真世界]という理想郷に転生できるのだ」


「そうか! [真世界への道]とは、そういう意味だったのか!」


 たった今、礼文が思いついたこじつけを塚元は信じこんだようだ。


「さて、では大きな試練の話をしよう」


 自分の機転に満足した礼文は、本来の目的を口にする。


「私は犬田について、こう言った。


[この男は、きわめて凶悪な男だ]

[こいつは大人しい様子で油断させ、敵を倒すことを得意としている]

[これまでに15人を犬田は始末している]

[日常茶飯事に用いるありふれた道具でも、彼が手にすれば強力な武器となる]

 と。


 しかし、先生と千川は信じなかった。

 それどころかすっかり犬田に篭絡(ろうらく)されて、

 彼を拘束するのに反対し、さまざまな便宜を図ってやった。

 二人の厚意に付けこんで犬田は生活改善と称し、ここの規律を乱した。

 その結果として少年たちの信仰心が揺らぎ、

 ついには脱走事件まで起こった。あなたの責任と罪は重い」


「……そのとおりだ。だが……」


 口答えをする塚元の言葉を、礼文は遮る。


「私は警告を無視されたが、あえて放置した。

 それは秘密の首領さまのお力を信じていたからだ。

 その結果、先延ばしされていた神代細胞の投与実験は行われ、

 犬田の凶暴性が暴かれた。

 これこそが神の御業の偉大さを証明するものだ」


「確かに……そうだ」


 塚元は手を合わせた。


「これまでの経過を報告した結果、

 富鳥氏は秘密の首領さまの名において博士に試練を与えるそうだ」


 礼文は義知の命令書を渡した。封筒から取り出した文書を読む塚元の額に、汗が流れる。


「……茅ヶ崎は、

 いかにも自分は信仰心が篤い

 秘密の首領さまの忠実な部下であると見せかけていたが、

 心の底では反逆心を燃やし続け、ついには脱走を試みた……

 次の実験台がそうならないように、

 命令には絶対服従するよう、調教する方法を確立せよ。

 塚元先生は医者なのだから、

 脳科学的、精神医学的に対応できるだろう。

 ついては神代細胞の親株である犬田を最初に調教しろ、って……

 無理だよ、そんなの。

 俺は細菌学が専門だし、他の科はもう、うろ覚えになってるし」


 まごつく塚元を礼文は挑発する。


「どうした。乗り越えるべき壁を前にしてまたもや立ちすくむのか。

 それではいつまでたっても研究が進まない。

 となれば、富鳥氏もあなたのことを見放すだろう。

 未知の細胞を研究し、

 科学の発展に寄与したいと望む学者なら、他にもいるだろうしな」


「……でも、犬田を調教するといっても……犬? 

 そうだ……昔に聞いた、あれは……うん。ひょっとしたら

 ……実際、生理的な……それに、ここでも以前から……つまり……」


 独り言をつぶやき、塚元は考えこむ。やがて、彼はうなずいた。


「わかった。やってみせる。

 ただし、人の意思をどうこうするのに、一時間や二時間では不可能。

 24時間待ってほしい」


「よかろう。それが先延ばしでないことを祈っている」


「も、もちろん時間稼ぎなどではない! 

 根拠があるから、こう言っているんだ!」


「よろしい」


 礼文は鷹揚にうなずいた。

 

「犬田で調教法が確立したら、次は負傷している千川を実験台にする。

 神代細胞無しでも生来の剛力を持ち戦闘訓練も受けている彼が暴れだしたら、

 もう止められるものはいない。

 調教はどうしても必要なのだ。

 それを理解したうえで取り組むように」


「ああ、わかっているとも」


 塚元は図書室を退出した。


 礼文は深い息を吐く。


(すべてを見通し正しい方向に導く[秘密の首領]。

 そんなものが本当にいるのなら、私はこんなに苦労をしない)


(その場に合わせた嘘を次々とつくことで、

 私は難局を乗り切っているだけだ)


(もしも秘密の首領が私を守ってくれるなら、

 千川が暴れてもなんとかなるだろう。

 対策を講じる必要などまったくない)


(その矛盾に気づかせないために、

 私は隠し通路から覗いて知った塚元の私生活を暴露し、

 秘密の首領には不思議な力があると誤解させたのだ)


(これをきっかけに塚元が敬虔な信者になってくれれば、

 大いに頼りになるのだがな)


 淡い期待を胸に、彼は自家用車で外出する。



   ◆◆◆◆◆◆



 北原邸に寄り道をしてから、礼文は大神公園脇支部に向かう。[真世界への道]の会合に出席するためだ。


 17日に起きた不祥事の影響が、幹部たちの心理にどれほどの負担をかけているか確認したい。研究所の運営以外にも仕事を抱えているので、礼文は非常に多忙であった。


 幸いなことに、彼らは無事に試練を乗り越えてくれた。以前からの教育が功を奏したのだと、礼文は満足する。富鳥邸に寄ってから研究所に帰り、彼はそこで夜を過ごす。眠る前に隠し通路に入り、手術室の様子を覗き穴から観察した。

 

 素裸の犬田は檻の中でうずくまっている。


「ほれ、餌が欲しいか?」


 塚元が煮干しを見せると、


「ワン! ワン!」


 犬田は手錠で繋がれた両手を前について吠えた。


「欲しければ、四つ足で回れ」


「ワン! ワン!」


 吠えながら、彼は命令に従う。足首も繋がれているので、その動きはぎこちない。


「お座り」


「ワン」


 腰を下ろした犬田の前に塚元は煮干しを投げ、


「おあずけ」


 号令をかけた。


「キュウン……クウン」


 情けない声をあげるが、犬田は動かない。


「よし」


 許可を受けてから、床に落ちた煮干しを彼は手を使わず口でくわえて食べた。


 礼文の故郷には犬を意味するСобака(サバーカ)という悪口がある。まさに名前通りの屈辱的な扱いを犬田が受けている姿を目の当たりにし、礼文は胸をすっきりとさせた。



   ◆◆◆◆◆◆



 一夜が明けて、礼文は身支度を整えにかかる。シャワーを浴びて新しい服に着替えていると、風呂場に根府川が来た。


「塚元先生が」


「犬田の調教が終わったから見に来てくれ、かな?」


「は、はい!」


 自分の言葉を先取りされ、根府川は驚いた。


「秘密の首領さまのお告げですか?」


「うむ。あのお方はすべてを心得ていらっしゃるのだ」


「ああ……」


 昨夜目撃したことを元に推測しただけだが、礼文の言葉に少年は感動の色を浮かべて合掌する。


「朝食を済ませてから見聞すると伝えてくれ。

 君も食堂で皆と腹ごしらえをしてくるとよい」


「はい!」


 塚元としては一刻も早く成果を確認してもらいたいのだろうが、こちらがそれに付き合う義理はない。むしろ焦らせることで己の立場というものを思い知らせてやろう。礼文はゆっくりとした足取りで会議室に向かう。執務室には余人を立ち入らせたくないので、彼はいつもそこで食事をしていた。



   ◆◆◆◆◆◆



 塚元は檻の前に立ち、便箋に記した謝罪文を読み上げる。


「……そもそも秘密の首領さまは、

 清めの儀式というかたちで、

 より信仰心を高めることができるように取り計らってくださったのです。

 しかし、わたくしは既成概念にとらわれ、

 せっかくのご配慮を台無しにしてしまいました。

 自らの過ちを深く悔い、反省するところであります……」


 義光は塚元に[真世界への道]の信者になることを求めた。組織内で指導的立場になりたいなら、まず自らの信仰心を高めるように、と書面で命じた。塚元はそもそも無神論者だったが、出世のためだと彼は割り切る。それで図書室にあった[真世界への道]の教義を記した小冊子を読み、一夜漬けで敬虔な信徒になりすましたのだ。


『幾度もの戦火で世界は混乱し、

 科学文明は限界に近づいている。

 そう、今こそ改革の時。古の儀式を復活させ、

 世界の誤りを正し、[真世界]を築く。

 それがわたしたち[真世界への道]信者の目的。

 その道を開くのは信者の中から選ばれた、特別な素質を持つ魔術師。

 魔術師は現代科学を超えた力をもって世界を変革する。

 普通の人間は毎日同じことを繰り返すことしかできない。

 人類に新しい道を指ししめし、進化させてきたのは特別な素質をもつ者。

 しかし、とりたてて個性のない普通の民たちは

 自分たちに理解できない心を恐れ非難する。

 そのため選ばれた民たちは迫害される』


 小冊子の内容を引用してから、塚元は解説した。


「飢えと渇きは理性を麻痺させます。

 それによって、社会生活で得た既成概念を解除するのです。

 どの程度解除できたかを測るため、一般人が禁忌とする行動をとらせる。

 実例をお見せいたしましょう」


 そうして、塚元は昨晩のようなことを犬田に命じる。礼文はその内容を知っていた。だが、自分の大切なものを冒涜した男が惨めに這いつくばる姿というのは、何度見ても良いものだ。そして、


「ほれ、足の裏も舐めろ」


「ワン。ペロペロ」


 塚元の仕打ちはさらに礼文の望む方向に進化していた。


 服従の決定的証拠として、本当は自分自身がこれをやりたかったのだ。しかし、犬田の舌が直接肌に触れ、唾液をぬりたくることに礼文は生理的嫌悪感をおぼえたので、今まで実行できないでいた。


「このとおり、犬田は従順になりました。調教は成功です」


「うむ」


 うなずく礼文に、部屋の隅から濁った声をかけるものがいる。


「……う…………ふぎは……おへが……」





   次回に続く




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ