第六話
「そして、鹿島の件だが」
「「「……」」」
固唾をのんで、彼らは次の言葉を待つ。
「まあ、最初はこんなものだろう」
殺人を軽く扱う礼文の発言は、幹部たちの一般常識を覆した。
「しかし、失敗は成功の基ともいう。
この経験を生かして次の[訂正]に備えるのだ」
呆然としていた健二は、その言葉の意味に気づいて叫ぶ。
「つ、次! 次もあるってことですか!」
「もちろん。
だが、それは君たちが適切な手法を学んでからの話となる。
そもそも[訂正]は協力者を増やすための行動なのだから、
相手を死に至らしめたら意味がない。
邪魔者を排除したければ拉致監禁などせずに、
その場で暗殺すれば済むことだからな」
「「暗殺!」」
香と俊樹の口から、同じ言葉が発せられる。しかし、声にこもった感情は正反対だった。
「さて、今日の出来事の意味を伝えよう。心して聞くように」
幹部三人は居住まいをただした。
「この殺人によって絆は結ばれた。
おたがい共犯者なのだから裏切りは許されない。
覚悟を決めて[真世界]建設のため邁進せよ。
君たちが犯した罪、
[秘密の首領]さまへ虚偽を申し立てたという重罪を償うためには
粉骨砕身の努力が必要なのだ」
「贖罪の機会を与えてくださり、感謝いたします!」
俊樹はそう言って深く頭を下げた。
「俺はこの身を捨てて、[真世界への道]に尽くします!」
「わ、私もです!」
残る二人もそれに続く。
「よし。では次の仕事を始めよう」
礼文はステッキの先で鹿島を示す。
「幹部である君たちにはこれから特殊な教育を施すが、
死体処理もその一つだ。
敵対者との闘争において、これは重要な技能となる」
健二と香は青ざめたが、俊樹は一人うなずいている。
「搬出、運搬の際に気を付けなければならないのは、
目撃した市民に通報されることだ。
そのための下処理を行う。だがその前に」
礼文は鹿島の顔を指さした。
「私の服が汚れるから、この死体をきれいにしてくれ」
「はい!」
俊樹は部屋の隅に落ちている濡れ手ぬぐいを拾って駆け寄る。まず鼻血で染まった鹿島のシャツをはぎ取ってから、顔を始め、上半身の汚れを拭き取った。
「それで良い。では」
礼文は腕まくりをしてから鹿島の上体を起こし、首を抱えた。
「ふん!」
ゴキッ
昔、同志であるイーゴリに習った技をかける。すると、死体の頸椎が折れた。礼文が手を離すと、支えを失った頭が垂れ、皮と肉に支えられて胸の前にぶら下がる。
「ひ……」
香は悲鳴を上げようとしたが、喉がつまって吐息しかもれない。
彼女の前で礼文は鹿島の腕をとり、気合を入れて肩関節も折る。
「ううううっ」
ついに耐えきれなくなり、香は部屋を飛び出した。階段を降り、その下の便所に入る。
◆◆◆◆◆◆
便所のドア越しに嘔吐する音が聞こえる。やがて汚物を流す水音が弱くなってから、ハンカチで口を押えた香が出てきた。
外で待っていた礼文は彼女を詰問する。
「妊娠しているのか?
それは悪阻とかいうものか?」
「そんな……
私は、そんな、みだらなことはしていません。
変な疑いをかけないでください」
「君は先ほど嘘をついたから、疑われるのだ。
さらに罪を重ねてはいないか、確認している」
「本当です!」
香は必死で潔白を主張する。そのとき階段の上から、健二と俊樹の声が届いた。
「角度がきついから、息を合わせないと危ないぞ」
「いや、いったん床に置いて、
二人が下から支えながら滑らせて
一階に降ろせば楽なんじゃないか?」
「それだと、段々が体にあたって痛いだろう」
「いまさらこいつのことを心配してやるの?
ひゃはは。健二さんはユーモアのセンスがあるねえ」
「……そうだな。まったくその通りだ」
ドス ドス
重い音とともに、健二と俊樹が後ろ向きで降りてきた。彼らが運んでいるのは、シーツと細縄で梱包された四角い物体だ。
「香くん、あれが何かわかるか?」
「ええっと……荷物?」
礼文は満足げにうなずいて、説明する。
「普通は人体というと長細いシルエットを想起するだろう。
しかし各所の骨を折って畳むことにより、
まともな人間ではありえない姿勢をとらせることで
死体を荷物に偽装できるのだ」
「ひっ!」
香はそれから離れようと後ずさる。
礼文は彼女の嘔吐が終わる前に外に出て、車のドアを開けておいた。
男二人は靴を履いてから鹿島を運び、後部座席の足元に置く。健二はそのまま奥の席に座った。だが俊樹は玄関に戻り自分と仲間の持ち物、そして掃除用具の入ったバケツを手にしてから車に入った。自分と健二の分はシーツでくるまれたものの上に並べ、ハンドバッグとバケツを香に渡してから彼は座席に腰を降ろし、ドアを閉めた。
「さあ、出発だ。君は助手席に乗ってくれ」
「私も?」
「当然だ。
同格の幹部として香くんにも他の二人と同じ教育を施す。
[真世界への道]は男女差別などしない平等な組織だからな」
「あ、……はい」
いまさら不服を唱えることもできず、香は命令に従った。
◆◆◆◆◆◆
礼文が操縦する車は住宅街をぬけ、荒れた畑に囲まれた屋敷の前に到着する。表札はまだ《北原》のままだ。
正門の扉を鍵で開け、礼文は前庭に車を乗り入れた。手入れがされていない木々の枝は勝手に伸び、積もった落ち葉を押しのけるようにして雑草が繁殖している。しかし7月13日に礼文は大量の殺虫剤を撒いた。それから四日後の今日、まだ藪蚊は他所から移住してきていない。
天にあるのは三日月。その明りだけでは、ほぼ闇だ。礼文は非常用として車に置いている懐中電灯を取り、幹部たちの先に立って歩きだす。丸い光を頼りに一同は裏庭に向かった。北原家には二つの蔵がある。その前で彼らは足を止めた。
「鹿島を降ろせ」
健二と俊樹は命令に従った。重い荷物運びから解放された二人は、手を振ってそのこわばりを癒す。
「道具を探してくるから、ここで待機しているように」
暗闇の中、幹部たちは掃除用具が入ったバケツと共に取り残された。
「これからはカンパンと水だけではなく懐中電灯も持ち歩こう。
重くなるけれど、それも鍛錬だ」
「俺もそうしよう」
俊樹と健二の会話はそこで途切れる。
「ううう……」
香が身を震わせたのは汗に濡れた服に体温を奪われたためだけではない。しゃくりあげる声も呻きに交じり始めた。
「大丈夫か?」
俊樹が声をかける。健二も香を気づかった。
「香さんは[訂正]をして身も心もひどく疲れているだろう。
礼文さまにお願いして、
帰らせてもらったほうがいいんじゃないのか?
こういうことを言うと怒るかもしれないけれど、
やっぱり俺たちと君では体力に差があるんだし」
「……私は……」
彼女は普段、自分が女だからといって下に見るな、男にかばわれるほど私は弱くないと発言している。ずっと男女平等を香は求めてきた。その信条を放棄するかどうか、彼女は迷っている。
やがて、決断を下した香は口を開く。
「……そうね……私」
「甘やかしてはならない」
言い終わる前に、戻ってきた礼文がたしなめた。
「彼女は[秘密の首領]に対して罪を犯した。
その償いのために粉骨砕身努力せよと私は命じ、
香くんはそれに同意した。
その誓を破り安寧に流されたなら、彼女の魂は救われない。
死すれば地獄に墜ち、永遠に苦しみ続けることになる。
香くんのためを思うなら、
むしろ叱咤激励してやるべきだろう」
「すみません。心得違いでした」
「申し訳ありません」
俊樹と健二は礼文に詫びる。
「……」
正論で抑えこまれては、理屈で抗議することもできない。だから香は無言で頭を下げた。
「わかればよろしい」
礼文は俊樹に歩み寄る。彼は懐中電灯を持った手の脇にスコップを抱えていた。園芸用ではなく、雪かきにも使えるサイズだ。
「一本しか見つからなかった。だから君が掘ってくれ」
俊樹は礼文からスコップを受け取った。
「死体を埋めるんですね。どこにしましょうか」
「そうだな。蔵と蔵の間でいいだろう」
礼文は指定した場所を懐中電灯で照らす。
「深さは3メートルくらいですか?
探偵小説で仕入れた知識によると、
それくらい掘らないと死体が発見されてしまうらしいのです」
「ハシゴがないから、そこまでは無理だ。
今は1メートルほど掘っておけばよろしい」
「了解しました」
光を頼りに俊樹は進む。
「ここらでいいですか?」
スコップの先で、俊樹は地面を突く。
「よろしく頼む」
礼文は懐中電灯が照らす方向を変えた。闇の中からは穴を掘る音が聞こえる。
新たに照らされたのは、一番手前にある蔵の戸だ。彼はそこを開けた。中にこもっていたのは腐った血の匂いだ。
礼文はそれを覚悟していたが、幹部二人はまったく予想していない。
「うっぷ」
「やだ、臭い」
不意打ちを食らってひるむ二人へ、礼文は冷静に指示する。
「君たちにも仕事を与える。バケツを持って蔵の中に入れ」
「了解」
「ええっ」
健二は素直に従ったが、香は動かない。
「贖罪のために働くと誓ったろう!
このままでは地獄に墜ちるぞ!」
「は、はいい」
叱られて、香は恐る恐る足を動かした。彼女の後から礼文は最後に蔵へ入る。彼が持つ明りで内部は照らされた。
「これは……」
健二はそれを見ていぶかしげな声をあげる。
ランプの乗った机。椅子が二脚。その片方は倒れている。
転がったバケツと柄杓。先端に網を取りつけたロープ。
床に流れた大量の血は大雑把にぬぐい取られている。だが清掃は完全ではなく、ところどころに痕が残る。
7月13日に重傷を負った音矢を翡翠と瀬野が回収したときのままで、現場は放置されていた。
「健二くん。ランプをつけてくれ。台座にスイッチがついている」
「はい」
気味悪そうに血痕をよけながら、健二は机に歩み寄る。
懐中電灯に加えて、乾電池式ランプの明りで礼文は床を眺めた。どうやら神代細胞はすべて翡翠が回収していったようだ。
「持ってきたものと、そこにあるバケツを持って出ろ。
井戸で水を汲んで床を掃除するのだ。
私は母屋で瞑想をして
[秘密の首領]さまにこれからの指示を仰ぐ」
「はい」
「……わかりました」
血に怯える香に配慮して、健二は蔵の中に落ちているバケツのほうに向かった。香は支部から持ちこんだバケツの中に入っている掃除用具を床に置いて、蔵から出る。
◆◆◆◆◆◆
やがて、母屋で休憩していた礼文は庭に戻ってきた。
懐中電灯で蔵の間を照らす。俊樹は奇妙な形の穴を作りあげていた。
「単純に四角い穴を全部垂直に掘り下げず、
その一辺を坂道にしたんです。
労働量は増えますが、
梯子がなくても深く掘れるように工夫してみました」
「なるほど」
「オレはカンパンも持っていますし飲料水は井戸がありますし、
泊りがけで作業すれば、明日の昼ごろには」
「手を見せてみろ」
懐中電灯で照らされた俊樹の手のひらには、いくつもの豆ができ、中には破れて血がにじんでいるものもあった。
「やはりな。これでは明日からの作業は無理だ」
「そんな! オレはまだまだ働けます」
「今は気が張っているから疲労を感じないのだ。
しかし、明日になれば筋肉痛も発生し、
同じペースで労働することはできない。
これは私の経験に基づく判断だ」
昔、まだレフと名乗っていたころの礼文が敵を射殺したとき、同志のミーシャが後始末を引き受けてくれた。彼は今回と同じように人気のない場所へ穴を掘って埋めようとしたのだが、翌日にレフとステパノが様子を見に行くと動けなくなっていた。お坊ちゃま育ちのミーシャが己の実力もわきまえずに安請け合いをしたことについて愚痴をこぼしてから、ステパノはスコップを手に取る。道具が一本しかなかったのでレフたちは交代で作業を行った。
「だから今日は浅くてもいいから、
とにかく土に埋めてしまおうとしたのだ。
直射日光と外気にさらすより、
少しは腐臭の発生を防げるからな」
「つまり、
オレは勝手な判断で無駄な仕事をしてしまったんですね。
礼文さまの御言いつけ通りにしていれば、
すでに埋めてしまえたのに」
うつむく俊樹に礼文は語る。
「君は積極的に活動しようとする。
しかし、その動機は真摯な献身や忠誠心ではない。
己の知力を見せびらかしたい、
他人から認められたいという
自己顕示欲からくる行動ではないか?」
「……あ……はい。いわれてみれば……」
「私の演説に興味を持ったから[真世界への道]に加入したと、
君は言っていたな。
だが、真の理由を君は隠している。
チェリー・ピッキングを使ったのは今日が初めてではあるまい。
詐術だけではなく、嘘もついて君は皆を騙している」
「!」
図星を突かれて、俊樹は息をのんだ。
「なにか隠し事があるからこそ、
歪んだ形で自己顕示欲が現れるのだ。
行動原理が歪んでいれば結果にも悪い影響が出る。
それは君だけの問題ではない。
周囲にいる健二くん、香くんなど、
君を信頼している仲間たちにも被害が及ぶだろう」
「……」
「君が必死で隠している内容さえも、
[秘密の首領]さまはお見通しだ。
だから君の隠し事を暴くのは私にとって難しいことではない。
しかし、これまでそれをとがめることはなかった。
なぜなら、隠し事をするにあたって君にも切実な事情があったことを、
[秘密の首領]さまは理解していらっしゃるからだ。
だが、このままでは君が成長しない。
自分の非を認め、
告白することで俊樹くんは試練を乗り越えることができるのだ」
「は……い……」
「といっても、なにも準備しない状態で事にあたるのは辛いだろう。
だから私に向けて真実を記した手紙を書きたまえ。
そのうえで、告白するのに適切な機会を与えよう」
「ありがとうございます!」
礼文は本当に俊樹の秘密を知っているわけではない。隠し事を持つことも、真意を詐術や嘘でごまかすことも、人間ならだれでもやっている普通の行為に過ぎない。そして自己顕示欲を率直に開放できないのは、青年期にはよくあることだ。一般的なことをいかにも訳知り顔で言って見せ、カマをかけたら見事に引っかかったので、その弱みをついて支配しようとしているにすぎない。しかし、俊樹は礼文のことを自分の苦しい事情を理解し、優しく成長を促す立派な指導者だと思いこんでしまった。
「わかればよろしい。
では、最後の力を使って死体を埋めてくれ」
「はい。頑張ります!」
命令通りに動く俊樹を見て、礼文は満足した。そして懐中電灯の方向を変える。
「さて、蔵の中ではどうなっている?」
掃除はあらかた終わっていた。健二も疲れた色を見せていたが、香の様子はひどかった。身だしなみ程度の薄化粧は汗と涙で崩れ、目の周りと鼻は充血して赤くなっている。
その精神状態を示すかのように彼女の体は震え続けていた。
「香くん」
健二よりも先に自分の名を呼ばれた。そのことがうれしく、丸まっていた彼女の背筋は伸びる。
「肉体的なハンデを乗り越え、君は任務をやり遂げた。
[秘密の首領]さまも香くんの成長をお喜びになっているぞ」
「ありがとう……ございます!」
香は新たな涙を流す。しかしそれは辛いものではない。恐怖と苦痛が充満していた香の心は、思いがけない優しい言葉で救われる。
最後に交代で俊樹の作業を手伝わせ、とりあえず埋葬は終わった。
「さあ、支部に帰るぞ。一晩ゆっくり眠るといい。
身だしなみを整えるのは明日でよかろう」
疲れていた三人は、その言葉に従った。
夜道を走る車の中で、礼文は彼らに指示を与える。
「次の幹部集会は一週間後……
いや、一日余裕を持たせて25日の土曜日だ。
12時ごろ集合して、一緒に飯でも食おう。
集会で出すようなサンドイッチなどの軽食でも準備しておいてくれ」
「食事……ですか」
「あの家で?」
げんなりとした様子で健二と香は問う。
「もちろんだ。あの支部はこれからも使うからな。
場所にまつわる心理的なわだかまりを乗り越えるのが、
君たちに与えられた試練だ」
「了解です」
俊樹はきっぱりと答えた。健二と香も、力なくうなずく。
◆◆◆◆◆◆
翌朝、礼文の予言通り俊樹は筋肉痛に襲われた。それは[訂正]を行った香や健二も同じだ。そのうえ汗で濡れた服のまま布団も敷かずに眠ったので幹部たちは風邪をひいた。
そういうわけなので、年頃の男女がそろっていたにもかかわらず、彼らにはみだらな行為をする余裕はなかった。
三幹部たちはやっとのことで顔だけ洗い、発熱で怠い体を、節々の痛みに耐えながらぎこちなく動かして帰宅する。汚れた服と体から異臭を漂わせてノソノソと移動する姿は、まるで屍が歩いているようだった。
次回に続く




