第三話
「ひゃはは! はい、突発事態に対応する予行練習、終了!」
「え?」
「は?」
一同があっけにとられた隙を彼は逃さない。
「つまり、今のは全部お芝居!
みんな、びっくりさせて悪かったな。
でも、こういうのは抜き打ちでやらないと
本当の非常事態が起きた時に困るんだよ。
いつ均分主義者や官憲の襲撃があるかわからないからな。
治に居て乱を忘れず。常に備えておく必要がある。
たしかにオレたちには[秘密の首領]さまがついているが、
なにもかも[おんぶにだっこ]ではいけないと、
礼文さまもおっしゃっていた。
[真世界への道]の会員は課せられる試練を乗り越えるため、
自らを鍛えていかなければならないんだ」
俊樹の言葉を聞いて、
「それもそうだ」
「やっぱり、
会員でありながら
[秘密の首領]さまへの冒涜を行う悪人なんているはずがないわよね」
「やれやれ、何事もなくてよかったよ」
ほとんどの会員たちは納得した。鹿島も何か言おうとしたようだが、その気配を俊樹は読む。笑顔をたもったまま、すばやく肩を強くつかむと老人の動きは止まった。
「みんな、乱入者役を演じてくれた鹿島さんに拍手!」
パチパチパチパチパチパチ
手を打ち鳴らす音に紛れて、俊樹は鹿島にささやいた。不満げな表情を浮かべながらも、彼は抵抗しない。
「じゃあ、オレたち幹部と鹿島さんは打ち合わせに戻るから、
みんな開演時間まで待機していてくれ。
いや、時間ギリギリに駆けこむ人もいるかもしれないから、
少し遅らせたほうがいいかもな」
「ああ、そうですね」
「受け付けは任せて」
騒ぎが収まったことに安堵した丹羽と根小田は、持ち場に戻おった。路場を含めた他の会員たちも自分の席に向かう。
廊下では無言だったが、給湯室の戸を閉めてから健二と香は俊樹に詰め寄る。
「礼文さまは、お前だけに指令を託したのか!」
「一人だけ抜け駆けするなんて、ずるいわよ!」
「ちがうちがう。
あれは大騒ぎになっていた場を収めるための方便だよ。
礼文さまはこの件にかかわっていない。
すべてオレの独断で、
鹿島さんの抗議を芝居だったことにした。ごめん」
彼が頭を下げると、二人の怒りは収まった。
「そうだったのか。誤解して悪かったな」
「……まあ、あの状況ではしかたないわ。
でもこれからのことは礼文さまに指示を仰ぐか、
せめて私たちとも相談してから実行してね」
「もちろんだとも」
俊樹に釘を刺しておいてから、香は鹿島に目を向ける。
彼は机に積まれた菓子箱を物欲しそうに眺めていた。
「つまり、不適切な発言は演技ではなく、
本気だったということなの。なんて罰当たりな。
……これは徹底的に糾弾を」
「いや、ちょっと待ってくれ。
冷静になって考えると、今は会合を実行するほうが先だろう」
最後まで言わせず、健二が口をはさんだ。
「わざわざ足を運んでくれたみんなが待っているんだし、
集会所の使用時間だって限られている。
約束では4時半、
最悪でも5時には後始末を終えて
管理人さんに鍵を返さなければならない」
「[真世界への道]の会員でもない
木っ端公務員なんかの機嫌をうかがう必要なんかある?
正しい知識を持たない俗物なんか、
[最終決戦]が終わったら泥土と化すんだもの。
どうだっていいでしょ」
「それは、まだまだずっと先のことだろう。
しかし一か月後にはまた会合を開くんだ。
時間超過のせいで集会所を貸してもらえなくなると困る」
にらみ合う二人の間に、俊樹が割って入った。
「健二さんの意見はもっともだ。
これからの活動の妨げになるようなことは避けたほうがいい」
「あなたは、私が間違っているっていうの!」
「そんなことはない。
[秘密の首領]さまや礼文さまの権威を
冒涜するような発言を放置するなど、
信仰者として許されない行為だ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「順番に片づけていこう。
会合を無事に終えてから、あらためて鹿島さんと討論する。
場所は公園脇支部でいいだろう」
健二の親戚が一家皆殺しにされた家を、彼ら幹部は[真世界への道]の支部として使用している。
「討論なんて! 正しいのは私たちなのよ!
それなのに、な……う、ゴホン、ゴホン」
[真世界への道]では禁句とされている[なぜ]をうっかり口にしてしまいそうになった香は、咳払いでごまかした。
「オレは、今回のことを
[秘密の首領]さまから与えられた試練だと解釈している。
先ほども言ったが、
これから[真世界への道]が世間に進出していく過程で
オレたちの集会を妨害し信仰を否定しようとする輩が
次々に現れるだろう。
そいつらを論破し撃退するための力をつけるには、
実戦形式による鍛錬が必要だ。
たぶん、鹿島さんはその仮想敵として選ばれたんだよ」
「ふん。ワシは自らの意思でここに来たんだ。
ゴッコの神様なんかの命令なんかではない」
「よくも!」
「またしても冒涜を!」
詰め寄ろうとする二人を俊樹は抑え、鹿島に話しかけた。
「そうそう。その調子でお願いしますよ。
敵は強くなければ練習になりません」
「お前らの相手をしてやるのも、やぶさかではない。
だが、そんなことをしてワシに何の得がある」
俊樹は振り返って、確認をとった。
「健二さん、あそこに備蓄してある缶詰、
鹿島さんにも食べさせていいかな?」
「缶詰?」
鹿島の目が真剣みを帯びる。
「ああ、桃とかミカンとかの缶詰か。
あれは中元や歳暮でもらって食べきれないやつだから供出したやつだし、
別に構わないが」
健二の実家は鼓星工務店という会社を経営しているので、盆暮れには大量の贈り物が届く。
姿勢を戻してから、俊樹は提案した。
「鹿島さん、
いろいろ話したい事があるでしょうけれど今は集会があるから、
以前に集まった松木さんち、
屋根の赤いあの家に行って待っていてください。
例の事件はまだ忘れられていないから、
道順は近所の人に聞けばわかります。
勝手口の鍵は横のバケツの下に隠してあるから、
それで開けて入ってくれませんか?
今は電気も上下水道もガスも開通してますから快適に過ごせますよ。
応接室にある扇風機で涼をとることもできますし、
食器棚の下にある缶詰は
どれでも開けて食べていただいて構いませんから」
「そ、そうか」
意地汚い笑みを鹿島は浮かべる。
「健二さん。練習場の提供ありがとう」
礼を言う俊樹に、香は冷たい目を向けている。その視線を受け止めて、彼は要請した。
「香さん。あなたには真っ向勝負の論戦をやってもらいたい。
オレはこのとおり、
どうしても事態を丸く収めよう納めようとする傾向がある。
香さんを見習って、
言い訳で表面を取り繕うばかりの弱い自分を変えたいんだ」
「あら、そう?」
少し得意げに、香は答える。
「では、まず会合を遂行してから改めて鹿島さんと話し合う。
これでいいだろうか」
「ああ。俺は構わない」
「私も」
決を採ったところで、俊樹はドアを開けた。
「それでは鹿島さん、協力をお願いします」
「わかった。待っているぞ」
偉そうに反り返り、鹿島は退出した。
俊樹は大きく息を吐き、部屋の隅にある自分のトートバックに目をやった。持ち物の一番下にはジャックナイフが隠されている。
◆◆◆◆◆◆
幸い、鹿島以外にトラブルはなく、集会は無事に終わった。
「これからあのお爺さんの接待しなきゃいけないわけ? 大変ねえ」
「そのせいでね。
今夜あの家に集まるのは幹部だけってことになったのよ」
「じゃあ、
みんなで合宿するのは次回のお楽しみってことね」
彼らの通う大学は夏季休暇中。本来なら三幹部の他に根小田や丹羽などの会員たちが集会を済ませてから近所の店で惣菜などを買い、公園脇支部に泊まってレクリエーションを行う予定だった。
「でも、やっぱり私の帰宅は遅くなるかもしれないの。
もしも下宿の大家さんから
根小田さんのところに電話で問い合わせが来たら、
そちらに泊まっていると言ってくれない?」
「モチよ。
予定では妹が工作してくれる手筈だったけれど、
今回は私自身がやるから確実。安心して」
自信ありげに、根小田は請け合う。
「お爺さんっていうのは話が長いものだし。しょうがないよね。
幹部さんたち、よろしくお願いします。
そのかわりこっちの仕事はちゃんとやっておくよ。
会場の後始末も鍵の返却も任せてくれ」
丹羽も頼まれた仕事を快諾する。
「……俺も手伝います」
路場はそれだけ言って、机を運びはじめた。
「ありがとう」
「助かるよ」
礼を言ってから、三人の幹部は緊張した面持ちで公園脇支部に向かった。
◆◆◆◆◆◆
かつて松木呉羽とその両親が住んでいた家は当世流行りの文化住宅だ。屋根は赤く、二階の外壁にはその一部分だけ新しく塗り替えたらしい跡が残っている。玄関を開ければ中廊下につながる上がり框がある。左には二階につづく急な階段。右には洋風のドア2つがならび、反対側にはフスマ。廊下の奥にあるガラス障子は開け放たれ食堂件台所が丸見えになっていた。
三人は自分たちの荷物をいったん廊下に置いた。健二が手前にあるほうのドアを開ける。そこは西洋式の調度品が供えられた応接間だ。
ドアのそばにある帽子掛けにはカンカン帽と背広の上着がかけられていた。テーブルには食べ散らかされた空き缶が並び、缶切りとフォークがその横にある。そしてソファーに座った鹿島は、扇風機の風を浴びてくつろいでいた。
健二と香は闘志をむき出しにした様子で、鹿島の前に並んで座る。俊樹はテキパキと空き缶類を手に取り、台所の隅にある燃えないゴミ入れに持っていった。彼はずっと永井貞夫に下僕としてこき使われてきたので、後片づけという仕事が体に染みついている。
「では」
「まず」
健二と香が同時に口を切る。それに気づいて、どちらが先に話すか目配せをしようとした隙をついて、
「まあ、あせるな」
鹿島が先手をさした。
「新入りであるキミたちは、
[真世界への道]の歴史を途中からしか知らない。
開設当初からの会員として、
ワシは[秘密の首領]が生まれた経緯を教えてしんぜよう。
事実に立脚してこそ正しい行動方針がおのずから定まるというものだ。
アレイスター・クローリー曰く[真実は喜びなり]。
会報の小冊子にも書いてあったろう」
「……ええ……と……」
健二が記憶の中にある小冊子の記事を探ろうとしていたとき、香が声を張り上げる。
◆◆◆◆◆◆
その声は台所で布巾を絞っていた俊樹の耳にも届いた。
「冒涜者の穢れた口で[真実]なんて言葉を語らないで!
どうせ嘘八百を並べて言いくるめるつもりなんでしょう!
私は騙されないわよ!」
「なんだと! 聞きもしないうちから決めつけるな!
聖職である小学校教諭として長年勤務し、
教頭にまで出世したワシが嘘をつくわけがないだろう!」
反論する鹿島の声もかなり大きい。
「うわあ、いきなり人格攻撃と正当性の否定かよ。
それに鹿島さんも乗ってしまったし、
こりゃあ冷静な論議なんてできないな」
深呼吸してから布巾をいったん置き、俊樹は合掌する。
「我が為すことが御心に背くなら、警告を」
1分ほど祈りをささげたが、なにも起きない。
「つまり、[秘密の首領]さまは特に反対なさらないってことだ。
ならば……」
左手に布巾を持って台所から出た俊樹は、右手でトートバックを探ってジャックナイフを取り出し、それを尻ポケットに入れる。
応接間では、罵り合いが続いていた。
「そもそも、
キミのような若い娘に世界を変革することなんて
できるわけがなかろうが!」
「それこそ年寄りの偏見です!
あの腐敗したリューシャ帝国の皇帝を暗殺したのは
女性活動家が率いる集団ですよ!」
俊樹は汚れた部分をそっと拭き、布巾をテーブルの端に置く。空いた右手は尻ポケットに伸ばした。
「ふむふむ。たった一人の例しか出せないのか?
対するに男の革命家なら数えきれないほどいるぞ。
ソユーズ連邦を作ったのも男たちだ」
「え……」
香が考えている間に、俊樹は健二のそばによった。彼らは小声で相談する。
「二人とも、かなり声が大きい。多分外にも漏れている。
このまま議論が白熱すると、ご近所から苦情が来るぞ」
「それはまずい」
「上の防音室に移動してもらったらどうかな?
暑いけれど、扇風機を持ちこめばしのげるだろう」
「そうだな」
健二はうなずいて同意を示した。
「……フランス革命にだってロラン夫人という立派な活動家がいます!」
やっと思い出した記憶を頼りに香は反論した。だが鹿島は鼻で笑う。
「ふん。その彼女たちは、どちらも逮捕され死刑になったではないか。
ついでに言うと、ジャンヌ・ダルクだって同様だ。
キミもそうなりたくはないだろう?
今のうちに足を洗って花嫁修業に精をだすことだな!」
「いいえ! 私は違います。
彼女たちが信じていたのはすでに死んだニセ救世主。
でも私が信じているのは
本当の神である[秘密の首領]さまなのですから!」
「だから、それはゴッコ遊びの神様だと言っているだろうが!」
「なんだと!」
健二は立ち上がった。
「貴様、また世迷言をぬかすか」
その権幕を見て、強そうな男の怒りを再び呼び覚ましてしまったことに鹿島は気づく。身の危険を感じた彼は叫んだ。
「ワシは帰る! こんなところにいられるか!」
それこそが、俊樹が待ち望んでいた言葉だった。彼は脳内で何度も繰り返した行動を実行する。
「はい、黙って」
ジャックナイフを素早く開くと、その刃を鹿島の鼻先に突き出した。これは彼が自室でずっと練習してきた動作だ。
「……ひ」
大声を出して呼気を使い切った鹿島は、すぐさま悲鳴を上げることができない。息を吸っている間に彼の脳は事態を認識し、体は恐怖で硬直した。
「そのまま静かに二階に上がれ。防音室で話し合おう」
「……」
動かない鹿島に苛立った健二は、彼を羽交い絞めにして無理やり立たせる。
「あ、う……」
抵抗しようとした鹿島の前で、ジャックナイフの刃が銀色に輝いた。
怯え切った老人を健二は抱えこみ、そのまま防音室に連行する。
次回に続く




