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勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第三章 勝利
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第一話

 新田音矢は自分の役柄に応じた衣装を身にまとい、舞台の袖で待機していた。カーテンの陰から彼は演技を鑑賞する。


 それは【くるみ割り人形】で、ネズミたちが暴れまわるシーン。着ぐるみは全身を覆っているが、顔面は露出している。俳優たちの名を音矢は知っていた。


『健二さん、香さん、俊樹さん』


 彼らは[真世界への道]の幹部たちだ。


路場(みちば)くん、丹羽(にわ)くん、根小田(ねこた)さん』


 広報活動に携わる信者もいる。他の会員たちも反対側の袖から舞台に出てきた。


『そして……』


 やがておどろおどろしいドラムロールが高まり、ネズミの王が黒いマントをひるがえし、登場する。


礼文(れぶん)


 威風堂々(いふうどうどう)と、彼は舞台中央にあるモミの木の前に立った。その周りにネズミたちは集まり、王を称える踊りを始めた。


 それをとがめるように銃声が響く。 


『よし、出番だ』


 軽快なマーチに合わせて、兵隊人形たちが登場する。音矢もその部隊に加わっていた。


 隊伍を組んだ兵隊たちは、突進する。

 身構えるネズミたちを無視し、彼らはそのまま舞台から飛び降りた。ポツポツと空いている席に兵隊たちはそれぞれ座る。


『なにをしているのだ!』


 礼文の怒声に、彼らは答える。


『あはは。筋書き通りですよ』


『そうそう。

 俺たちは、なすすべもなくネズミに撃退されることになってるんだ』


『出番が終わったんだから、くつろいでもいいじゃん』


『だからといって……』


 納得しかねる礼文にヤジが飛ぶ。


『ほら後ろ! 次の部隊が来てるよ!』


 礼文の背後に並んだ騎兵人形たちが(とき)の声をあげた。


『ウラー!』


 しかし、それだけだ。彼らも戦わずに舞台から降りた。ハリボテの馬が邪魔になるので着席せずに、通路に座りこむ。


『お前ら、真面目にやれ!』


『だって、指揮官が不在なんだから戦えないよ』


『くるみ割り人形のことか。そいつはどこに行った?』


『彼は、もういませんよ』


 冷ややかな声で、音矢は答える。


『奈落の底から這いあがり、

 やっと演出家兼主役の座を手にした犬田さんをあなたは追放した。

 それだけではなく、彼が存在した痕跡もすべて焼却してしまった。

 だから自分が犬田だと証明する手立てがないので、

 僕は彼が演じるはずだった役につくことはできない。

 せいぜいエキストラとして参加させてもらうのが精いっぱいというところ。

 そして出番がもう終わってしまったから、

 僕は舞台の上で行われる芝居に干渉できない』


『そうだったな……だが』


 礼文は不安げに舞台を見回す。


『ああ、あなたにスリッパを投げつける少女もいませんよ。

 配役するまえに、犬田さんが追放されてしまいましたから』


『ならば、私は無敵だ!』


 礼文は剣を高く掲げる。


『くるみ割り人形に替わり、私がこの芝居の主役を務める。

 皆の者、私に従え!』


 ただ一匹を除いて、ネズミたちはひれ伏す。


『路場くん?』


『だめだよ、突っ立っていては』


 丹羽と根小田は彼のシッポを引っ張って注意した。しかし、


『……この芝居に登場するのは俺たちだけではありません。

 ドロッセルマイヤー氏や金平糖の精、

 その他の御菓子たちも呼んできて、礼文さまにひざまずかせます』


 仲間の手を振りほどいて路場は退場する。


『それもそうだな!』


『行こう! 行こう!』


 丹羽と根小田も続いて去った。


『あいつらだけでは手が足りない。オレたちも助っ人に行こう』


『そうだな。協力して捕まえよう』


『礼文さま、行ってまいります!』


 三人の幹部も楽屋へと向かった。


 礼文は舞台に留まったネズミたちに命令する。


『お前たちは邪魔な道具を片付けろ。

 全員がそろうのだから、広くしておかなければな』


 ブー ブー


 客席から非難の声があがる。


『せっかくの飾り付けが台無しになるじゃないか!』


『クリスマスの華やかさが

 この芝居の見どころだろう』


『せめてモミの木だけは残してよ』


『ええい、うるさい! 

 私が主人公なのだ。だから私に合わせて舞台を作り替える!』


 色とりどりの豆電球で飾られたモミの木を、礼文は乱暴に引き倒す。


『あーららこらら……あ? なあ、あれ、いいの?』


 隣に座っていた客が、音矢の肩を叩く。


『おれ、電気技師なんだけどさ。断線しているかもしれない。

 危ないよ。止めなくていいの?』


 音矢は笑顔で答える。


『もちろんです。これも予定された筋書きですから』


『そうだったのか。

 客席と舞台をつなげるって斬新な演出だなあ。

 はじめはどうなるかと思ったけれど、なかなか面白いや』


『ありがとうございます』


 会釈してから、音矢は解説した。


『あの役者たちに本当のことは伝えていません。

 本気で、演出家兼主役の犬田が失踪したから

 アドリブで芝居を進めていると思いこんでいるんです。

 誤解から生まれる混沌こそが、演出家の意図する筋書きなんですよ』


『へえー。よく考えたもんだ。まさに前衛だね……

 ああ、他の役者たちが出てきたぞ』


 貴族の礼服から魔術師の衣装に着替えたドロッセルマイヤー氏の手をつかんで、健二が戻ってきた。香や丹羽、根小田に誘導されて金平糖の精たちも登場する。彼らの後ろからはジャックナイフを振りかざして俊樹がついてくる。


『ああ! モミの木に、なんてことを!』


 ドロッセルマイヤーは嘆きの声をあげた。


『そんな、キリストの象徴たる舞台装置はいらん! 

 私は無神論者だからな!』


『違う! モミの木は[永遠の命]の象徴なんだぞ!』


『おや、そうだったのか?』


『命の象徴をお前は倒した。

 つまり、自らの生命を断ち切ったのだ!』


『ええい、迷信を語るな!』


 剣で打たれ、彼は倒れた。


『私に逆らうものはこうなる。さあ、ひざまずけ!』


 金平糖の精たちは命令に従った。


 そのとき、音矢の隣から声が上がる。


『火花が散ってるぞ!』


『なに?』


 礼文は振り向く。しかし遅かった。

 針葉樹のフサフサとした枝を模した紙細工は、いったん火が付くと回りが早い。

 勢いよく上がる炎は瞬く間に後幕に燃え移り、舞台を赤く照らす。


『きゃあああ』


 香は恐慌状態となり突っ立ったまま悲鳴を上げる。他の役者も同様だ。しかし、適切な行動をとれるものもいた。


『礼文さま、危険です!』


『退避しましょう!』


 叫んでから、丹羽と根小田は率先して動く。ギリギリで、二人は舞台袖のカーテンへ火が燃え移るまえに逃げることができた。


『この舞台は私のものだ! せっかく主役になれたというのに……』


 礼文がためらう間に、火勢は増していく。


『命あっての物種です!』


 俊樹は礼文に抱きついた。


『健二さん、手伝ってくれ!』


『お、おう!』


 足が不自由な礼文を抱え上げ、燃え盛る舞台袖を突っ切って彼らは退場する。数匹のネズミも同行した。しかし、全員が逃げ切ることはできなかった。


『……私、無理!』


『もう、あっちの通路には行けないよ!』


 取り残された香と他の役者たちは呆然としていたが、


『みんな、下に降りるんだ!』


 ドロッセルマイヤーの声で我に返った。


『そうだ、こっちから逃げよう!』


 役者だけではなく、煙と熱気が客席にまで進出してくる。


『おい、貴様!』


 隣の観客は音矢の胸倉をつかんだ。


『これはどういうことだ! 

 さっき聞いたときは、予定の筋書きだって言っただろう!』


『あはは。舞台と客席がつながったから、

 あなたたちも役者になったんですよ。

 これこそ演出家の狙いです』


『え』


 理解できないといった様子で、男は手を離す。


 解放された音矢は、イスの上に立つ。両手を広げ、そこが舞台であるかのように声をはりあげた。


『さあ、皆さん。

 予期せぬアクシデントに怯える観客という役柄を、見事に演じてください!』


『てめえ!』

『よくも!』

『とんでもないやろうだ!』


 電気技師だけではなく、そのやり取りを聞いていた他の観客も音矢に襲い掛かろうとしたが、


『おや、僕にかまっているようなヒマがあるんですか? 

 火勢は増していますよ』


 指摘されて現在の状況に気づく。


『うわあああ!』


 慌てて避難しようとしたが、馬のハリボテが邪魔になって渋滞する。


『どけ、こら!』

『お前こそ!』


 扉付近でも似たようなことが起きていた。我先に出ようとする観客たち、役者たちはスムーズに退場できない。


 もがく彼らを見て、音矢は高笑いする。


『あはっはははは! その調子ですよ。

  Show must go on! Show must go on!』


 音矢の英語は、イギリス式の発音だった。



「う、あああああ……」


 あくびをしつつ、夢から覚めた音矢は布団の中で伸びをする。


「いやあ、よくも寝た寝た」


 すでに太陽は昇り、遊郭のあちこちから人々が動く物音が伝わってくる。


 部屋のフスマが開いて、共寝した相方が戻ってきた。


 客に薄汚れた寝起きの顔を見せまいとしての心得だろうか、すでに洗面をすませるどころか薄化粧もはたいてある。髪は乱れているが、それも見苦しいほどではなく、ほつれ毛に色香が漂っている。


「やあ、おはよう」


「うふふ、おはようございます」


 大正を過ぎて光文ともなると、さすがにいにしえの廓言葉は廃れていた。


「昨夜の君は素晴らしかったよ。だから今朝も。ね?」


 音矢は布団をポフポフと叩いた。


「はいはい。まったく、好きものなんだからあ」


 色っぽく微笑む相方の体を彼は引き寄せる。

 窓から差しこむ朝日を浴びながら、二人は抱き合った。



 1934年〔光文9年〕。この時代の吉原には、朝帰りの客を相手にする飲食店がいくつかあった。その一軒から音矢は出る。


 彼は質素な書生服姿ではなく、銀座で仕立ててもらった洋服を身にまとっていた。手にしているのは洒落た書類鞄しょるいかばんだ。湯豆腐を肴に銚子を一本開けてほろ酔い気分になった音矢は、その足で銭湯に向かう。ここも娼家からの朝帰り客を受け入れるため、早い時間から開業している。


 掛け湯で体を清めてから、音矢は湯船につかった。


「うーああ……」


 心地よさげな声が漏れる。


「あはは、朝寝朝酒朝湯かあ。

 僕も道楽者になったもんだ。

 昔の僕がこのざまをみたら、

 きっと頭をはりとばしてやりたくなるだろう。でも……」


 肩まで湯に沈め、彼は独りごちた。


「贅沢って気持ちいいんだよね。

 ああ、お金があるとは素晴らしいことだなあ。

 須佐刀自子元伯爵夫人さまのおかげだ。

 ひょんなことから翡翠さんと知り合えてよかったな。

 持つべき友は、金持ちの伯母を持つ友だよ。

 ああ、なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ。あはは」


 湯気が煙る天井を見上げ、音矢は【抜刀隊】の一節を口笛で奏でた。


「……さてと、次は」


 そうしながら、風呂屋を出てからどこに行くか考える。


「……映画にでも……いや」


 音矢は若い女の顔を思い浮かべた。しかしそれは、先ほどまで抱いていた娼婦とは別の人物だ。


「それは来月、かえでちゃんと行こう。

 ならば、今日は……たしか日本ダービーの開幕だったな」


 この呼び方のほうが一般的だが、実は副称だ。レースの正式名称は帝都優駿大競走。府中の競馬場で行われる。


「よし、ちょいと散財してくるか」


 のぼせてきたので、彼は湯船から上がる。洗い場にいた男は音矢の左胸に刻まれた古傷をつい見てしまい、あわてて目をそらした。



 ――さあ、昔々の物語を始めましょう。

    これは異なる世界の物語。 

     そして、

      友を信じて苦難に耐える物語――



 同日、帝大では臨時の学会が開催された。

 帝都大学大講堂前で[真世界への道]信者たちは吉報を待つ。


「とうとう、この時が来た」


  一人が感慨深げにつぶやく。


「険しい道のりだったなあ」


  それに他の信者が答えた。

 伊吹俊樹も己の思いを口にする。


「しかし、お互いを信じ、

 協力し合って苦難を乗り越えてきた日々が無駄になることはない。

 今日、この時。

 まさにオレたちの正しさが証明される。

 そうして勝利をこの手につかむんだ」


  彼の脳裏には、いままでの出来事が浮かんできた。




次回に続く



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