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勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第二章 懐柔
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第五話

 座り疲れていたうえに精神的な疲労も加わって、一同は遠くに移動する気力を失っていた。


 廊下で腕を回したり、膝を曲げ伸ばしするなどして体をほぐしながら、翡翠と刀自子の話し合いが終わるのを待つ。


「なんだかなあ」


 牧原がぼやく。


「俺たちは詐欺集団についての事情聴取をするためにここにやってきた。

  しかし今は、三角関係の痴話話(ちわばなし)につき合わされている。

  どういうことなんだ、これは」


「まあ、もう少しの我慢だ。

 あいつの茶番はもうすぐ終わる。

 それを待つ間、俺の話を聞いてくれ」


 壁に寄り掛かり、清昌は語る。


「あの[真世界への道]自体はまだちっぽけで大した脅威ではない。

 それよりも、富鳥を支援している奴ら、

 一部の華族と革新官僚と唯日主義軍人が問題なんだ。

 もちろん、革新官僚の動向について目に余ると感じている華族もいる。

 俺の親父もその一人だ。

 唯日主義を信奉する軍人はというとテロで政治を動かそうとしているが、

 それはとても危険なことだ。

 今の日本は嵐の中を行く船みたいなもの。

 こんなときに船員が反乱を起こして船長や航海士を殺してしまったら、

 難破してしまうじゃないか。

 唯日主義軍人は戦争の専門家であるという自信ばかりあって、

 外交や経済には素人だということに気づいていない。

 我が身のいたらなさを自覚するためには、

 一定水準以上の知識を必要とするからな。

 それで俺は軍を政治から切り離して文民統制に戻したいんだ。

 ほら、餅は餅屋っていうだろう」


「先ほど、横須賀勤務とおっしゃられていましたね。

 朱砂さんは海軍に在籍していらっしゃるんですか?」


「ああ。

 だが去年の首相暗殺事件を批判した結果、予備役になった。

 それでクルーザーを使った観光業を始めたんだよ。

 まあ、とにかく日本はどんどん危険な方向に進んでいっている。

 それはわかるだろう?」


「はい」

「その通りですが、俺たちの力では」


「あきらめるのは、まだ早い。

 これから巻き返すんだ。あいつらを利用して」


「どうやってですか?」


「富鳥は身体強化ができる水晶の細胞を重視して実験を進め、

 それを改良した超克細胞を独占している。

 だが、こちらには新田の改良神代細胞がある。

 強化はできないが怪我の修復だけでも需要はあるだろう。

 それに加えて翡翠の空間界面もある。

 あれは科学に革命をもたらす未知のエネルギーだ。

 うまく使えば莫大な利益をもたらす。

 二つの力で日本の針路を修正するんだよ」


「そう、うまくいきますかねえ」


「あやぶむのも当然だろう。

 そして公然と現在の状況に反旗をかかげたら、

 たちまち攻撃を受けるからな。あの古田議員のように」


 義父の地盤を譲り受けて国会議員となった古田富貴雄には、内務省警保局勤務の経歴がある。


「おかげで、

 古田の系列にあたる元部下たちもとばっちりをうけて、

 冷や飯食いのありさまなんだろう? 

 牧原さん、そして工藤さん」


「ええ、まあ……

 帝都に栄転できたころはともかく、

 そこから伸び悩んで、警視から上がることができないでいますし」


「仕事を干されて暇だから、

 呼ばれてすぐに出張できたわけでしてね」


「だからこそ、力を貸してほしいんだ。

 声の大きい乱暴者に脅され、

 立ちすくんでいる名もなき民衆のために戦ってくれ」


「最初からそのつもりがあって、

 俺たちをここに連れこんだんですかい」


 工藤が暗い目で清昌を見つめる。


「そちらさんは、

 あのお嬢さんの上役を締めあげて

 事件の全体像をすでにつかんでいながら、

 俺たちには教えてくださらなかったですよねえ。

 だから俺たちは単なる均分主義者の詐欺事件だと思って、

 ホイホイ出かけてきちまった。

 ここまで大事だとあらかじめ知っていたら、

 かかわりを避けますよ。

 こちとらだって、命は惜しいんだ」


「それは……すまない。

 だが、危険すぎる仕事なので朱砂本家は介入できない。

 表立って動けるのは、跡継ぎではない俺と分家の御隠居しかいない。

 だから、どうしても助っ人が必要なんだ」


「それはそっちの事情を説明しただけでしょうが。

 まったく謝罪になってませんぜ」


「工藤。もういい」


 牧原が部下の肩を叩く。


「朱砂さんがお困りだ。

 お前だって、もうわかっているんだろう?」


「っくくくくく。

 わかっていても、

 ちょいと釘を刺しておかねえと、

 好き放題に使われちまいますからねえ」


「それでは?」


「このまま行儀よくオスワリしていたら、

 日本はダメになるし俺たちは浮かびあがれません」


「毒喰らわば皿まで。

 一たび危険な橋を渡って出世したからには、

 二度でも三度でも同じことでさあ」


「たとえ表だって動けなくとも、

 侯爵様が影から援護してくださるなら、

 これから密かに仲間を増やしていけます」


「ちっぽけな猟犬たちでも頭数さえ揃えれば、

 たとえマンモスの群れだって力を合わせて各個撃破してみせますぜ」


「ありがとう! 感謝する」


「こちらこそ。よろしくお願いします」


「お願いします」


 そろって頭を下げてから、二人は閉じたドアに目を向ける。


「新田はまだ説得を続けているのか」


「あいつが反対すればするほど、

 お嬢ちゃんは意固地になって結婚するって言い張るでしょうなあ」


「新田は恨みがある相手には容赦なく嫌がらせをしつつも、

 きっちりと自分の利益を確保する合理的なやつだ。

 なのに、現在の行動は……」


「ええ、妙なところでお人好しときやがるから、ややこしい。

 自分の体を犠牲にして神代細胞を実用化した上に、

 友人の願いをかなえるために

 自らが道化役を演じる茶番をやらかすとは」


「え?」


 清昌の漏らした声に、


「えっ?」

「へえ?」


 牧原と工藤もとまどう。


「いや、さっき俺が言った、あいつの茶番とは」


「翡翠くんは子供を作れない体ですって! 上等よ!」 


 部屋の中から聞こえる大声が、清昌の言葉をかき消した。


「子供がいなくったって幸せに暮らすことはできるわ!

 現に、須佐社長も旦那さんと夫婦仲が良かったそうじゃない!

 あんた、私に未練があるからそんなことを言うんでしょ。

 男の嫉妬は醜いわねえ」


「僕は瀬野さんのためを思って言ってるんです!」


「大きなお世話よ!」


 ちょうどそのとき刀自子と翡翠が二階から降りてきたので、清昌の言葉はうやむやなままに中断する。



   ◆◆◆◆◆◆



 4月6日木曜日、午前9時40分。清昌のクルーザー〔かれの〕は帝都港の日ノ出埠頭(ふとう)に着いた。


 そこには刀自子の執事が自家用車で迎えに来ている。車種はデイムラーだ。


「お帰りなさいませ。

 これはおことづけのあったものでございます」


 彼は、婚姻届の用紙をうやうやしく差し出した。ここに来る途中、新宿区役所に寄り道して入手したものだ。刀自子は航海中に〔かれの〕の無線を借りて葉山にある清昌の自宅に通話し、彼の召使に頼んで自分の執事へ必要事項を電話で連絡してもらっていた。


「ありがとう! さあ、署名だ。

 ……あ、しまった。ハンコをまだ作っていない」


「こちらに用意してございます」


 執事は万年筆と認印、それに朱肉も翡翠に差し出した。


「予備のハンコがいくつかあったのでな。

 とりあえずこれを使うとよい。

 現住所は私の家でいいだろう」


 刀自子にも礼を言ってから、翡翠は車のボンネットに用紙を置いて署名捺印した。証人の欄は刀自子と執事がそれぞれ記入する。


「さあ、君も」


 万年筆を受け取ったが、[瀬野小夜子]は一瞬ためらう。


 しかし、音矢のジットリとした視線を感じた彼女は、迷いを振り捨てた。愛用の革カバンから印鑑を取り出し、捺印欄に押す。その行為は職業婦人である瀬野小夜子にとって日常的なものなので、特に感慨はなかった。


「ちっ」


 むしろ背後にいる音矢の舌打ちを聞いて、気分が良くなったほどだ。


「おめでとう。

 これを提出すれば二人は晴れて夫婦となる。

 披露宴は翡翠が大学合格の後となるが、かまわないな?」


「はい。承知しております」

 

刀自子の問いに、[小夜子]はうなずいた。


「仰々しい儀式などをして、

 翡翠くんの勉学を妨げてはなりませんもの。

 しばらくの間は学業を優先してもらいます」


 本当は派手に式を挙げ、華族の仲間入りをした自分を友人たちに見せびらかしたいと彼女は願っている。しかし、その準備をしている間に刀自子の気が替わって再び結婚に反対する可能性を彼女は恐れている。だから、とにかく入籍をしてしまいたかったのだ。


「うむ。立派な心構えだ」


 ほめておいてから、刀自子は自分の右薬指の指輪を反対側の手でつまんだ。この位置のリングは、心の安定をもたらすと言われている。それを抜き取って翡翠に渡す。


「蔵にはもっと良いものがあるが、とりあえず使おう。

 さあ、妻の手を取るがいい」


「ああ、知っています。[萬文芸]の記事で読みました。

 西洋の儀式ですね」


 彼は小夜子の左薬指に指輪をはめた。

 それには、彼女の収入ではとても買えそうにない大きさの石が使われている。


「……すてき……きれい……」


 光を受けて輝くダイヤモンドに、小夜子は心を奪われた。

 放心状態の彼女に、刀自子はテキパキと指示を出す。


「さあ、これから様々な手続きをしなければならん。

 まず、本籍地に行って戸籍謄本をもらう。

 就職の際に提出したものを戸越から見せてもらったが、

 本籍地は世田谷区だったな?」


「……は、はい」


 夢からさめたとでもいうように、小夜子は返事をした。


「それでは車で送ってやろう。私も同行する」


「え、それにはおよ」


「遠慮するな。

 戸籍を取って、

 新宿区区役所に婚姻届けを出して、

 新しい戸籍謄本を持って免許証や預金通帳の苗字変更などと、

 けっこう忙しいぞ。

 時間がかかるが、

 華族である私が口添えすれば

 少しは役人たちの筆も早くなるやもしれん」


「ああ……そうですね。お気遣いありがとうございます」


 1933年〔光文8年〕。この時代では旧姓の併記は認められていない。


「他の用もあるし、

 とりあえず15時ごろに銀座三越で翡翠たちと待ち合わせしよう。

 店内放送で呼び出してもらえば合流しやすい。あれを」


「どうぞ」


 刀自子の言葉を受け、執事は腕時計と分厚い財布を出した。


「夫が愛用していたものだ。大事に使ってくれ。

 財布の中身は当座の小遣いにするとよい」


「ありがとうございます」


 礼を言ってから翡翠は腕時計をはめ、財布はズボンのポケットに入れた。


「さあ、出発だ」


「はい」


 執事は操縦席に、後部座席には小夜子と刀自子が乗りこむ。


「「行ってらっしゃいませ」」


 翡翠と音矢に見送られて、ダイムラーは発車した。


 小夜子はふと、疑問を口にする。


「翡翠くんは、15時まで何をしてすごすのかしら」


「上野の科学博物館を見学するのだろう。

 〔かれの〕のキャビンでいろいろ話したときに、

 本土に渡ったらぜひ行きたいと言っていた」


「……そうですか」


 自分は姓を変更するために面倒くさい手続きをいくつもしなければならないのに、結婚相手である翡翠はその間楽しく遊ぶことができる。小夜子は日本の社会制度を恨めしく思った。



   ◆◆◆◆◆◆



 4月7日。

 西新宿の鳴子神社近くにある閑静な住宅街に刀自子の隠居所はある。その二階の客間で音矢は目をさました。


「久しぶりに変な夢を見てから二度寝してしまったけれど、

 時刻は……」


 カーテンの隙間から差しこむ光で、ベッドのヘッドボードに置かれた目覚まし時計を見る。6時55分だ。


「よかった。寝坊はしていないや」


 ボタンを押してベルの作動を事前に止め、音矢は伸びをする。


「僕が感じたことが、夢になって表れたんだな。

 翡翠さんを大学に行かせるため、

 そして他の願いもかなえるため、

 僕は住居や学費の確保などと大いに働くつもりだった。

 だけど、刀自子さまが帰国してきたことで、

 すべてが解決してしまった。

 ほんと、拍子抜けだよ」


 彼はベッドから降りて窓辺に向かった。


「まあ、

 いずれ彼女は利用するつもりで

 翡翠さんとは打合せ済みだったけれど、

 いくらなんでもあのタイミングで孤島にくるとは……

 僕の予想をはるかに超える事態だった。

 こういうことが起きるから、この世は面白いんだよね」


 カーテンを開けると、まぶしい光が机の上に並べられた培養液入りの標本瓶を照らす。すこし濁った液体の中に浮かぶのは、真珠色の輝きを持つ握りこぶしほどの塊に緑色の小さな石が埋めこまれた物体だ。


「おはよう、豆大福くん」


 返事はない。


 その隣に並ぶ瓶の中身も同じくらいの大きさだが、それには深紅の毛がモサモサと生えている。埋めてあるのは黒い石だ。


「おはよう。赤マリモくん」


 返事がないことを承知で、音矢はそれにも声をかける。


 次に音矢は、机の脇に置かれた紫色の(かたまり)にも挨拶する。


「おはよう、水晶くん」


 無言の塊に向かって、音矢は話を続ける。


「僕は今日引っ越すんだ。

 工藤さんに良い就職口を紹介してもらったから」


[豆大福]や[赤マリモ]の入った標本瓶と、自分の神代細胞で体を覆い休眠状態になった水晶は、工藤と牧原が瀬野を迎えに来た漁船に乗せて本土に持ちこんだ。


 漁船の母港には瀬野が乗ってきた戸越弁護士事務所の車が置いてある。それに水晶と標本瓶を積み、工藤の操縦で刀自子の隠居所に配達したのだ。彼らは銀座から帰宅した一行の帰りを待ち、これからのことを相談してから解散した。相談の中には、音矢の身の振り方も含まれていた。


「でも君は一人ぼっちにはならないよ。

 翡翠さんは毎日培養液を入れ替えに来るし、

 刀自子さまもときどき様子を見てくれるって。

 だからすぐには無理かもしれないけれど、

 人との交わりに興味が湧いてきたら、外に出てきてくれないかい? 

 きっと楽しいよ」


 そっと紫色の塊を撫でてから、音矢は身支度を整えていく。



  次回に続く。



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