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勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第二章 懐柔
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第三話

 刑事を含めた一同は須佐刀自子たちを出迎えるために研究所を出た。


 トンネルの出入り口についたところで、ちょうど翡翠が現れる。彼はもともと着ていた音矢の御下がりである和服ではなく、船長が自分の予備として持ってきていた上等な洋装に着替えていた。


「音矢くん! 

 君が言った通り、刀自子さまは話のわかる方だった! 

 ボクたちがやってきたことを認めてくださったぞ!」


「ああ、そうとも」


 続いてトンネルから出てきた刀自子は、音矢の前に進み出る。


「神代細胞が市街地にばらまかれることを防いだのはお手柄だ。

 称賛に値する」


 彼女は右手を差し出した。


「そして、なによりも嬉しいのは……

 翡翠の体をまともにしてくれたことだ。ありがとう」


「どういたしまして」


 緊張した面持ちで、音矢は答える。


「おや、どうした。私の握手を受けてくれないのか?」


「この右手は天然ではなく、神代細胞で作られたまがい物です。

 そのうえに、僕はさんざん残酷なことをしてきたし、

 多数の人命を奪いました。

 いわば、血で(けが)れた悪魔の手ですから」


「まったくかまわん」


 刀自子は強引に音矢の右手を握った。


「私は現役時代、

 大規模な人員削減を行ったせいで

 [首切りの鬼婆]と呼ばれたこともある。

 いまさら悪魔など怖くはない」


 握った手に、刀自子はもう片方の手も添える。


「新田どのは翡翠の体だけでなく、

 心も知能も技能も育ててくれた。その恩は忘れないぞ」


「もったいない言葉を……ありがとうございます」


 深く頭を下げる音矢に、清昌も話しかけた。


「俺としては、やはり罪は罪だと思う。

 しかし、毒をもって毒を制すということわざもある。

 というわけで、例の件については口出ししない。

 なにしろ今の俺は地方……

 いや、民間人だからな。それは警察に任せるよ」


 その言葉を聞いて、工藤と牧原は顔を見合わせる。


「さてと」


 そっと手を離し、刀自子は研究所を指さす。


「まずは情報の共有化だ。会議室で時系列の整理をしよう」


「はい」「了解」「わかりました」「仰せのままに」


 男たちは口々に返事をし、刀自子に従って建物に向かう。瀬野は少し離れたところから、一行の様子をうかがっていた。しかし、誰も自分に注意を払わない。そのことには不満があるが、安堵も得ていた。

 無視されているのを幸いに、トンネルを抜けようと試みる。しかし鉄格子は閉まっているし、壁の隠し場所には鍵がない。脱出をあきらめた彼女は、すごすごと研究所に引き返した。



   ◆◆◆◆◆◆



「僕が[真世界への道]を追放されたのは3月30日です。

 翌日は床屋に行ったり釣り船の予約をしたり、

 工藤さんへの手紙を書いたりしていました」


 会議室の大型黒板に、音矢は板書する。 


 黒板と向かい合うように長机が設置され、その中央には刀自子が陣取る。彼女は所長室から運びこまれた肘掛椅子に腰を降ろしていた。残りの男たち四人は、その両脇にならんだ普通の椅子を使っている。


 瀬野はというと、黒板の前に置かれた背もたれがない木の椅子に座らされ、一同の視線に身を縮めていた。


「お前さん、着の身着のままで追い出されたんだろう?」 


 音矢に向けて工藤が発言する。


「釣り船の貸し切りなんぞ、そこそこの金が要る。

 それはどっから出したんだ」


「もともと[真世界への道]には

 長居をするつもりなどなかったので、

 いろいろ準備をしていたんですよ。

 僕自身に給料は支払われなかったのですが、

 ちょいと心の具合が悪くなった津先という人の

 お給金が宙に浮く形になっていましたので、

 それを小為替にして封筒で送り、

 郵便局の個人箱にコツコツと貯めていました。

 他にも帳簿の管理を任されていたので

 筆先でもってこう、ドガチャカ ドガチャカと」


「落語の番頭さんかよ」


「あはは。とんだ【味噌蔵】ですね。

 まあ、そんな感じで支払われて当然の報酬を

 自主的に確保していたわけです。

 これは労働者の権利ですよ」


 音矢は次の日付を板書する。


「4月1日、僕は宿屋で休養していました。

 特筆すべき行動はありません」


「その日、私は予定より早く台湾から帰国した。

 先月届いたこれを読んだからだ」


 刀自子の取りだした物に、皆が注目した。


「あ、それは僕が 

 せんに投函したものです」


 翡翠の似顔絵を音矢が葉書にかいたのは1931年〔光文6年〕の7月だ。


「[柘榴男]の件で

[真世界への道]の実験が膠着(こうちゃく)してしまったため、

 事態を動かすために一石を投じることにしたんです。

 華族名鑑で調べた須佐刀自子さまの隠居所に、

 この葉書を送りました。

 もし僕の推測がはずれていて

 須佐昇一郎さんが神代細胞とかかわっていなければ

 藪蛇(やぶへび)になりますので、

 詳しい事情は省いてあたりさわりのない挨拶を書き、

 もしも関与が無ければ

 間違いで済ませられるようにしたわけですね」


「しかし、葉書を出したのは三年前だ。

 なぜ、今になって?」


 翡翠は小首をかしげる。この動作は大人の体になっても変わらなかった。


「どうやら、国際郵便で迷子になっていたようだな。

 それについては後で説明しよう。

 とにかく、この葉書を見て私は帰国を決意し船を予約し

 1日の土曜日に神戸到着。

 鉄路で帝都に向かい、

 2日の日曜日には朱砂侯爵家を訪問した」


「え、あなたは侯爵さまですか?」


「爵位を持っているのは親父だ。

 そして俺は次男だから後を継ぐこともない。

 単なる華族だから気を使わないでくれ」


「いや、使いますよ」


 パシン


 刀自子は扇子を鳴らして自分に注目させた。


「話を戻すぞ。他の者は2日に何をしていた?」


「僕は予約した釣り船に乗って孤島に上陸し、

 翡翠さんの体を僕の細胞で修復しました」


「その日は日曜日だったので、警視庁は休みです」


「では、次の日ですね。工藤さんたちが動いたのは」


 音矢の問いに、工藤が答えた。


「3日の月曜日、

 俺は横濱署から転送されてきたお前さんの手紙を読んで、

 すぐさま上司の牧原警視に報告した。

 確認のためにお前さんと接触したかったんだが、

 手紙には 

〈所用があって離れ小島に滞在していますので、

 詳しいことはこちらから出向いて説明します。

 しばしお待ちください〉としか書いていない。

 これには困ったぜ」


「ええ。予定では二週間くらい休暇をとってから

 行動するつもりでしたからね。

 なにしろ[真世界への道]では働きづめだったもので」


「しかたねえから、

 とにかく手紙に書いてあった暗唱番号を使って

 個人箱を開けてもらい中身を読んだ。

 それで、牧原警視が以前から得ていた情報の信憑性(しんぴょうせい)が高まった。

 均分団とはちょいと毛色の違う組織が発生し、

 恒星学園大学と菫青(きんせい)女子大学にはびこりつつあるというやつだ。

 俺はそこの学籍簿を閲覧して、

 お前さんがデタラメな名前を

 名簿に書きなぐったわけじゃねえことを確認した。

 他のところにもいろいろ手を回しておいた」


 音矢が板書を終えると、刀自子が発言する。


「私は3日、朱砂侯爵の息子である清昌を伴い、

 戸越弁護士事務所を訪問した。

 私が翡翠や水晶の保護を依頼した入谷弁護士は

 引退し郷里に帰ってしまったそうなので、

 もう一人の当事者である瀬野から事情を聴きたかったのだが、

 たまたま不在だった」


「……友人の結婚式に出席するため、

 3日間の有給を取って新潟に行ってたんです……」


「やむを得ず、

 清昌に手伝ってもらいながら戸越を問い詰めると、

 彼は自分が知る限りのことをすべて白状してくれた。

 そして私は邪魔の入らないところで

 瀬野から話が聞きたいと彼に頼んだ。

 戸越は瀬野の下宿に電話をかけ、

 そこの管理人に伝言を託した。

 行方不明者が例の孤島に隠れている可能性があるから、

 休暇明けの5日には事務所に出勤せず直接出張してくれ、

 車は下宿横に駐車して鍵は管理人さんに預けておく、と。

 そして戸越から鍵を借り、清昌が下宿まで車を移動させた」


「あの、クズ所長!」


 パシン


 刀自子は扇子を鳴らした。


「まだ、お前に発言は許しておらん。しばらく待て」


「……」


 鋭い声に怯えたのか、瀬野は口を閉じる。替わって清昌が語りだした。


「あの葉書には[音矢くん]なる人名が記載されている。

 俺はその名に心当たりがあった。

 俺が横須賀で勤務していたころ、

 地方新聞のスクープに登場した

 横濱の少年が

 たしかそういう名前だった気がしたんだ」


「それを聞いて、

 うちの書生だった牧原が

 警視庁に栄転するきっかけとなった件のことを私は思い出した。

 そして入谷弁護士は[新田音矢]なる男を雇っていた。

 ひょっとしたら、

 横濱の少年と翡翠の世話役は同一人物であるかもしれぬと考え、

 少年が現在どうしているか、4日に牧原に電話で問い合わせた」


「その少年から手紙を受け取っていた私たちは、

 彼はどこかの離れ小島にいるらしいと答えました」


「情報を突き合せた結果、

 新田音矢は翡翠のいる孤島に潜伏している可能性が高いと判断し、

 牧原と工藤はそろって出張手続きをとることになった。

 そして5日に船に乗り、ここにいたるわけだ」


 板書していたチョークを置き、音矢は感慨深げに一同を見回す。


「いやあ、人の縁というのは意外なところで繋がっているんですねえ」


「まったくだな。さて、最近の時系列はわかったな? 

 次に事の発端を、私から説明する」


 一同が注目する中、刀自子は語り始めた。



   ◆◆◆◆◆◆



「翡翠と水晶の父、須佐昇一郎は私の弟だ。

 正都帝大最年少で博士号を取得するほど優秀な頭脳を持っていたが、

 その分……人づきあいが不得意だった。

 感情の振れ幅が激しく、

 激すれば他人に当たり散らすだけではなく、

 自傷行為に及ぶこともあった。

 だから両親も私も、腫れ物に触るように扱うしかなかった。

 昇二郎を生んで母が亡くなってからはさらに悪化し、

 まさにニトログリセリンを管理するような日々が続いた」


「しかし、興味のあることに集中しているときは別だ。

 家の庭に建てた研究室で顕微鏡をのぞき、

 今日はこんな発見をしたよと嬉しそうに目をかがやかせて話す昇一郎は、

 まるで天使のようにかわいらしかった。

 怒り狂うときは地獄の悪鬼のようだったのだがな」


「そのようなわけで、

 昇一郎にはとにかく好きな研究をさせておく。

 それに必要なものは

 要求するままに与えるという対応が常となってしまった。

 父ばかりではなく、後を継いだ私は同じようにした。

 あの子が陸軍から不思議な細胞をもらったので、

 明治維新のドサクサで父が入手した孤島に

 研究所を作りたいと言ったときも、私は反対しなかった。

 その内容を詳しく聞くこともなかった。

 しつこく問いただすと、昇一郎は怒りだすからだ」


「孤島の桟橋やトンネル、

 研究所の建設は軍の工兵隊がやってくれたから、

 私の協力は資金を援助するだけだった。

 やがて協力者として呼び寄せた女から

 双子の息子が生まれたと連絡があっても、

 私は出生届を代行し仕送り額を増やすだけしかしなかった。

 父の後を継いで須佐製薬の社長となった私は

 とても忙しかったから。

 そして、あの昇一郎の息子とあれば似たような性格だろう、

 親子が喧嘩を始めたら、もう対応しきれない。

 しかも双子とあれば、揉め事も二倍になると恐れ……

 問題に直面することから逃げたのだ」


「関東大震災時も、

 私は倒壊した工場や社屋の建て直しにかまけて、

 孤島の様子をすぐに見に行かなかった。

 陸軍から

 『危険な薬物が漏出したので研究員たちはもうすぐ全滅する、

  薬剤が薄れるまで誰も近づくな』と

 須佐博士からの無線連絡があったと聞かされたという理由もある」


「再建計画が軌道に乗った1924年、2月。

 私はやっと孤島を訪れる決心を固めた。

 昇一郎の手紙でトンネルの鍵がどこにあるかは知っていたので、

 定期連絡に使っていた漁師に頼んで孤島に送ってもらった。

 部下は連れていかなかった。

 昇一郎との別れに、他人を介在させたくなかったのだ」


「そこで、私は……翡翠を発見した。

 だが、その姿は現在と異なる。

 額から角を生やし、体にはいくつもの縫合痕が残る、

 ひどくやせこけた裸の子供だった。

 おまけに不思議な緑色の膜に包まれている。

 そのなかで翡翠は体を丸め、私が呼びかけても反応を示さなかった」


「研究所の図書室には水晶がいた。

 こちらは紫色の石に包まれた彫像のようになっていた。

 やはり話しかけても返事はない。

 そこに残された研究日記を読み、

 私は初めて神代細胞について詳しく知った。

 そして、二人の子供が死んでいるわけではなく、

 休眠状態にいることも理解した。

 だが、蘇らせる術はわからなかったので

 翡翠も図書室に運び、外からカギをかけた。

 何も知らずに孤島に侵入する人がいるかもしれないと危惧したからだ。

 二人を作り物だと勘違いされて、持ち出されては困るからな。

 そうして私は本土に帰った」


「1929年、8月。

 年齢による衰えを感じた私は社長を引退することにした。

 夫も賛成してくれた。

 彼は朱砂侯爵家から婿養子にきた、

 現当主の叔父にあたる春政はるまさだ。

 そのため通常の業務だけでなく、

 社長の椅子を昇二郎に引き継ぐための仕事が増えたので、

 私は体調を崩した。

 それで、入谷弁護士に翡翠と水晶の保護を依頼したのだ。

 昇二郎は昇一郎のことも私のことも嫌っているので、

 甥の世話などしてくれないと予想したからだ」


「朱砂侯爵家当主のもう一人の叔父である貞政さだまさから、

 私は非嫡出子の保護を得意とする入谷弁護士を紹介してもらった。

 貞政は私の夫の兄にあたる。

 ここら辺の家系図はややこしいので、後で説明しよう」


「入谷は孤島の調査を、部下に命じた。

 それがそこにいる女、瀬野小夜子だ」


 パシン


 刀自子は扇子を鳴らした。


「瀬野。ここからはお前の話だ。

 孤島で何を見たか、今度こそ正直に話せ」


 しかし、彼女の射すくめるような視線に体をこわばらせ、瀬野は口を開かない。




  次回に続く。




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