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勝てば官軍 弐 【呪術修正物語】  作者: 桜山 風
第二章 懐柔
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第一話

 新田音矢は、そびえたつ岩山の前にいた。


 『この向こうに、翡翠さんの目的地がある』


 彼は手にしたツルハシを打ちつける。カケラが飛び散ったが、その量はわずかだ。音矢が削ることができたのは岩の表面にすぎない。


『困難なのはわかっているさ。

 でも、どうしてもやり遂げなければならないんだ。

点滴(てんてき) 石を穿(うが)つ]

 たとえ少しずつでも、努力を続ければ……』


『音矢くーん!』


 背後から、翡翠が駆け寄ってきた。


『いい人を連れてきたぞ』


『え?』


 音矢は振り向いた。


『ええええええ!』


 思わず彼は叫ぶ。

 そこにいた人物は、音矢がこれまで見たこともない異様な姿をしていたからだ。


 頭のてっぺんから爪先(つまさき)まで、銀色に輝く不思議な素材の衣服で全身が覆われ、露出しているのは顔だけだ。その目じりにはシワがあり、胸は膨らんでいる。どうやら中身は老婦人らしい。


『案ずるな。怪しいものではない』


 彼女は堂々と自己紹介をする。


『私は通りすがりの未来人だ』


『いや、おもいっきり怪しいですよ!』


 音矢の抗議を無視して、彼女は先が尖ったピストルのようなものをどこからともなく取り出した。それも銀色だ。


『危ないからどいておれ』


『音矢くん、こっちに』


 翡翠に手を引かれ、彼らは岩山から離れたところに移動する。


『いくぞ、高熱光線!』


 ピストルの先端から、真っ赤な光がほとばしった。


 ジュウウウ


 それは岩山を一気に貫通する。


『続いて、冷凍光線!』


 彼女がピストルを操作すると、こんどは青い光が発せられた。


 シュウウウウ


 焼け焦げていた岩は一気に冷やされた。そうしてトンネル内はガラス状の物質で舗装される。


『さあ、向こう側まで送ってやる。乗るがよい』


 未来人は、流線型の輪郭をした乗用車のようなもののドアを開ける。だが、それにはタイヤがない。


『ありがとうございます』


 翡翠は素直に礼を言ってから、彼女と一緒に中に入った。ドアは自動的に閉まる。


『どうやって動くんですか?』


 戸惑う音矢の前で、それは底面から空気を噴き出した。浮き上がった乗り物は滑るようにトンネルの中を走り去る。


『………………』


 無用となったツルハシを手に、音矢はただ立ちつくしていた。





「ああ、ひさしぶりに変な夢を見たなあ」


 音矢は布団の中で体を伸ばす。


「でも金縛りはないし、オバケくんも……」


 彼は枕もとの気配をうかがう。そこには何もいない。


「僕に融合してしまったから、もう会えないのかな」


 音矢は一抹の寂しさを覚えた。


 


――さあ、昔々の物語を始めましょう。


   これは異なる世界の物語。 


      そして、狡猾で凶暴な魔獣を手なずける物語――




 1933年 4月5日。


 桜の花びらが散る中、瀬野小夜子はヒシャクを取り、手桶から水を汲んだ。枯草と土で汚れた手と膝小僧をそれで洗い、ハンカチで拭く。次に彼女は愛用の大きな革バッグからチリガミを取り出した。出血した部位にそれをあててから下着を履く。


「ひどいじゃないの。こんなところで、急に」


 背後にいる男に文句を言うが、その声には甘えた気配がある。


「すまない。だが、どうしても君が欲しかったんだ」


 答えた男はギリシャ彫刻のように均整がとれた体を春の日差しにさらしていた。


「だから、このようにできる機会を逃したくなかった」


 脱ぎ捨てた着物を拾い、彼は身にまとう。借り着なので、裾丈がやや短い。


「今なら音矢くんは

 自分の部屋で音楽を聴きながら絵をかくことに集中している。

 もたもたしていたら、彼が外に出てきてしまうだろう。それで」


「わかっているわ。翡翠くん」


 小夜子は振り返り、彼と目を合わせた。今までとは異なり、翡翠を見る彼女の目線は上がっている。彼の背が伸びたからだ。


「あいつの力でこんなに素敵な体……

 翡翠くんが望んでいた大人の体を手に入れて、

 角も傷跡もなくなったのはいいけれど。

 ……あいつは私に惚れているのよね。

 だから翡翠くんとこういう仲になろうとしたら、絶対邪魔するでしょう。

 それなら、一気に既成事実を作ってしまわなけれ」


 語りかける彼女を放置して、翡翠は農作業道具入れからホイッスルを取り出した。


 ピ ピ ピ   ピ ピ ピ   ピ ピ ピ


 短く区切られた甲高い音色が、外輪山に反響する。


「ちょっと、なんなの、それは」


「……」


 翡翠は無言でホイッスルを元のところに置く。


 コケエココ コココ


 突然の音に驚いたのか、少し離れたところにある小屋の中で鶏が騒ぎ出した。


「腹も減ったし、そろそろ研究所に行こう。」


「私は、なんなのって聞いているのよ!」


 コケッコココ


 翡翠より先に鶏が返事をする。


「今日の昼飯はミツバをたっぷり乗せたウドンだ。

 昨日、桟橋で釣ったクロダイを一夜干しにしたからそれも入れよう。

 きっと美味いぞ」


「質問に答えなさい」


 野菜を刈り取ろうとする翡翠の肩を、瀬野がつかんだとき、


 ボオオオオ


 汽笛が響いた。


「ええ? なんで? 

 ここにはあの漁船しか来ないし、

 漁師さんは日が暮れるまで迎えに来ないのに、なんで?」


「音が違うから別の船が来たんだろう」


「そんな……まさか……あの人はまだ旅行中なのに? 

 でも、年寄りは気まぐれだから、予告なしで帰国?

 嫌っ! ああ、こんな時に!」


 瀬野はパタパタと手ではたいて身づくろいするが、やはり完全に整えることはできない。


「予備の服に着替えてくるから、

 誰か来たら翡翠くんがなんとかして!」


 言い捨てて、小夜子は走る。しかしその足取りは、ややぎこちない。


「きゃっ」


 研究所から音矢が出てきた。翡翠と異なり、彼は洋装だ。彼女は風下に回りこむ形で音矢を避けた。


 音矢はというと桜の木の下にいる翡翠の元へまっしぐらに駆けていく。無視されたことに瀬野は不満を覚えるが、今はそれどころではない。大急ぎで自分が使っている部屋に向かった。



   ◆◆◆◆◆◆



 孤島の桟橋に、大型ヨットから降ろされたボートが接岸する。それに乗っていたのは仕立ての良いツーピースをまとった老婦人と、船長帽をかぶった30代の男だ。


 迎えに出た音矢と翡翠と、来訪者たちは桟橋で対峙する。


「……翡翠? それとも水晶?」


 彼女の問いかけに、彼は答えた。


「ボクは翡翠です」


「ああ……すっかり立派になって……」


「あなたはどなたですか?」


 涙ぐむ老婦人に代わって、船長帽の男が答えた。


「この人は須佐刀自子(すさ とじこ)

 製薬会社の社長を引退したのちに

 海外遊覧旅行で長年の疲れを癒し、先日帰国した。

 そして今日、

 入谷弁護士に管理を任せていた甥たちに会いに来たんだ」


 男は海の方を向き、白いクルーザーを指さす。


「いい船だろう? 名前は《かれの》だ。

 俺はあの船のオーナー件船長で朱砂清昌すさ すみまさ

 発音は同じだけど、字が違うんだよ」


 自己紹介と漢字の説明を終えてから、男は迎えに出た二人に目を向ける。


「さてと、この孤島は須佐家が所有しているわけだが、

 その関係者ではない君は何者だ?」


「新田音矢と申します」


「そうか、君が……」


 清昌は回れ右をすると、口に指をあてて鋭い音を長く発した。音矢の顔を刀自子はまじまじと見つめている。


「彼はボクの御世話役として雇われたんだ。

 そして音矢くんはボクの友人にして仲間になってくれたんだ! 

 だから、不法侵入者ではない!」


 前に出て音矢をかばう翡翠を、さらに半回転して元の向きに戻った清昌はなだめた。


「いや、それはわかっているから別にとがめることはない。

 入谷さんから弁護士事務所を引き継いだ戸越さんから

 彼のことは聞いている」


「ああ、よかった」


「だが、新田くんは重大な犯罪にかかわった。

 そしてその証拠となる書類のありかを

 自ら警察に連絡してきたんだ」


「え、まさか」


 翡翠は音矢に詰め寄る。


「君はなぜ、そんなことを! 

 あの件が明るみに出たら、音矢くんは逮捕されてしまう!」


 だが、音矢は動揺しない。


「あはは。やったことのケジメはつけないといけませんからね。

 こういうことは早いうちに対処しておかないと、

 余計に大事おおごとになるんです」


「そうか。君が覚悟して決めたことなら、ボクは……」


 翡翠はそれ以上言葉を発することができない。


 自分より背が高くなった彼の背を軽く叩いてから、音矢は清昌に質問する。


「なぜ、朱砂さんはそんなことを知っているんですか?」


「君が手紙を送った工藤警部は神奈川県警から警視庁に栄転した。

 その上司が牧原警視で、

 彼は昔、須佐伯爵家の書生だったという縁なんだが……

 まあ、詳しくは当人たちに聞いてくれ」


「え、ここに来ているんですか?」


「ああ。ほら、ちょうど着水した」


 話をしている間に、もう一(そう)のボートがヨットから降ろされていた。


 船員が漕いで近づいてくるボートには、二人の男が乗っていた。片方はハンチング帽をかぶった、ブルドックに似ている中年男。もう一人はそれよりやや若く、細面の男だ。


「やあ、工藤さん。お久しぶりです!」


 手を振る音矢に


「ばっかやろおおおお!」


 ブルドックに似た男は潮風で飛びそうになる帽子を押さえながら、罵声を返した。


「あはは。どうやらご機嫌斜めのようですね」


 ハンドバッグから刀自子は扇子を取り出した。


 流れるような動作でそれを開くと、

 白地に浅蘇芳(あさすおう) の文様を散らした鮮やかな扇面が一同の目を引く。


 パシン


 小気味よい音をたてて、扇子を閉じる。


 同時に刀自子の背はシャンと伸び、表情も威厳に満ちたものとなった。


「これから、事情聴取を行う」


 社長が部下に話すような口調で、彼女は指示を出す。


「翡翠は私とヨットで話そう。

 新田はあの者たちと研究所に行け。

 瀬野はもう到着しておるかな?」


「はい、今日は定期便の日ではなかったのですが、臨時で来ています」


「ほう、ほう」


 刀自子は目を細めた。


「では、私が行くまで待機せよと伝えてくれ」


 年に似合わず身軽な動作で、きびすを返す。彼女の命令を待つことなく清昌はボートを支えた。


 翡翠は不安そうな表情で音矢に目をむける。


「大丈夫ですよ。

 須佐刀自子さまは須佐製薬を長年黒字経営してきた有能な人物です。

 正直に全部話せば、翡翠さんのことを悪いようにはしないでしょう」


「うむ」


 刀自子は力強くうなずいてみせた。


「わかった。では、行ってくる」


 少し危なげな動作で、翡翠はボートに乗りこんだ。



   ◆◆◆◆◆◆



 音矢の先導で、工藤と牧原はトンネルを抜ける。二人ともズボンに開襟シャツ、その上にジャケットを羽織るというラフな洋装で、書類鞄を手に下げ、風呂敷包みを担ぐといった姿だ。


「あれが研究所ですが、ちょっと寄り道しますね」


 花が半分ほど散り、青葉もちらほら見えるようになった桜の木に向けて音矢は歩き出す。


「どうです。きれいでしょう。

 もともとは無かったんですが、

 翡翠さんが苗木を取り寄せてもらって植えたんです。

 この畑もあの人が開墾したんですよ」


 彼は農機具を手に取り、翡翠が中断した作業を引き継ぐ。


「きれいだし、苦労は偲ばれる。

 だが、あいにく花を愛でる気分じゃねえんだ」


 苦々し気に工藤は答えた。





   次回に続く。


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