oo8- 紅葉の区画
芝の生えていた明るい庭園とは打って変わって、森の中は薄暗かった。
庭と森との境にある木々にはロープが取り付けられ、赤い提灯がズラッと並んでいた。
森に入ろうとしたとき、猫も付いてこようとしたが、あんたはこっちじゃといって婆さんは首根っこをひょいと掴んだ。
森の中に入った途端に空気が変わり、原生林に入ったときのようにひんやりとしていた。
婆さんに教えてもらった紅葉通りというレンガの敷かれた小道を進んだ。
森の中なのにもかかわらず道の左右にはネオンの光る赤い看板が立ち並び、赤い窓をしたコテージや赤い柱の玄関など、ほぼ赤一色で彩られたペンション村のようだった。
赤い屋根瓦が付いた和風の建物から北欧風のレンガでできた家など、様式はバラバラだ。
通りを堺にして建っている家と家の間には紐が引かれて服や旗が垂れ下がっていた。
青蔦が生い茂っている家屋も散見された。
レンガ造りの街から一区画だけ取り出して山の中に持ち込んできたかのように色味が整っていた。
誰かがいるようでもなく、人の声も聞こえない。
昔使われていたが、現在は取り残されて廃墟になっているのだろうが、今でも誰かがときおり遊びに来ては有意義な時間を過ごしてさっと帰る――くらいにはきれいだ。
鳥と虫の声がするおかげか、そんなに寂れた感じはしなかった。
…
赤い区画を通り過ぎると緑が生い茂るところへ出た。
2mほどの高さをした生け垣に囲まれていて、屈んで入れそうなぐらいの隙間が中央にあった。
屈んで中を覗いた。落ち葉しか見えなかったが、そんなに何かある訳でもなさそうだった。
他に道もないので隙間から中に入った。
入った瞬間、甘い紅茶の香りがした。
中央には紅葉の木が立っており、となりに揺り籠が置かれている。
天井は日陰棚のように木の枝と蔓とで覆われ、地面は落ち葉で埋め尽くされていた。
周りは生け垣と石垣で囲まれており、石垣からは水が滲み出て地面に小さな湖が出来ている。
そこは自然がひとりでに造り上げた小さな庭園のようだった。
揺り籠の上には本が置かれていた。
「あなたが欲しかったのはそれですか?」
本を見ようとして視線を落としていると、頭の上で声がした。
ヴェールで口元しか見えないが、長い髪を垂らした女性で、白い布をまとっている。
まったく気が付かなかった。
「か、勝手に失礼しましたー」
急いで出ていこうとしたが、手首をつかまれた。
――冷たっ!
女の手は氷みたいに冷たく、なぜか水で濡れていた。
「す、す、すいません。あの、手が」
女はすっと手を離した。
――ガチで冷てえ。この人死んでんじゃねえのか?
女の腕は真っ白だ。
「ホントに勝手に失礼しました。それで、何でしょう?」
「これがあなたの望みのものじゃなくて?」
女は揺り籠に置かれている本を指し示した。
確かにこれが目当てのものだったが、果たしてそう簡単に手に入れられるかどうか。
「まあそうなんですが、これはあなたの?」
「ええ」
「貸して頂いたりとかってできませんかね?」
「ええ、良いですよ」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
――よし、さっさと帰ろう。
「ただ」
「はい、ただ?」
――まあ、タダとは行きませんよねえ。
しかし、俺何も持ってないしなあ。
「ただ、私と……」
まあ、あるとしてもこの境界服とか。
「私と契を」
他はべつにないな。
「結んで下さい」
「はい……は?」
――何を下さいって?
…
別に何も無かったといえば嘘になるけど、大したことはなかった。
女は自分の首に掛けていたネックレスから先が鋭く尖った三日月状のリングを外し、腕に付けるようにと言って、それをくれた。
俺からは何も渡すようなものがなかったが、コートに付いているその紐でいいと彼女が言ったのでそれを渡した。
あとは指切りげんまんみたいなおまじないをして、それで本は貸してもらった。
この本は幻死書と言うそうだが、『気を付けて下さいね。目で見えることと耳で聞こえることが全てとは限りませんから』と忠告された。
何に使うのかおれも知らんが、いつか返さないとな。
目当ての物は手に入れたからあとは帰るだけだ。
彼女に帰り道を教えてもらった。石垣の間に鳥居形の木組みがあり、そこが坑道のようになっていて外の庭園に続いているそうだ。
…
暗いトンネルをずっと進んでいると途中で横にそれるような道が幾つもあったが、言われた通り真っ直ぐ進んだ。
明かりが見えた。
森の端にあった遺構から出てきた。
森から離れ、庭園の方へ向かった。
西洋風の東屋があって、その下で遊ぶ小さな女の子と猫が見えた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
少し間が空いてから女の子は挨拶を返してくれた。
「ここの出口って分かる?」
「ぅん……」
か細い声で頷いた。
女の子は猫を撫でてから庭の真ん中辺りを指差した。
「あそこ?」
「ぅん」
「ありがとう」
女の子が指差した方に行こうとしたとき、座っていた猫が椅子から下りてきて付いてこようとした。
猫を掴んで女の子のもとに返したが、なぜかこちらに付いてきた。
どうしても猫がこちらに戻ってくるので女の子はちょっと悲しそうな顔をしてから手を振った。
「ばいばい」
仕方ないのでそこで女の子とは分かれて庭に向かった。
…
――なんでこの猫付いてくるんだ。
猫はずっと付いてきた。
「おい、帰れよ、おれは世話しないぞ」
そう言っても付いてくるのでもういいやと思ってそのままにさせておいた。
出口らしきものはなにも見当たらないなと思っていたら花に隠れていた井戸を見つけた。
――ああ、もしかしてこれか。
井戸の中に梯子は見当たらなかった。
――降りろじゃなくて落ちろってことか、落下好きだなこの世界は。ま、そいじゃ帰りますか。
猫にさよならをして井戸の中へ飛び下りた。