oo3- 途中代演
「うっ」
なんだこの匂い。どこかで嗅いだことのある匂いだな。ただ、嗅ぎたくはない匂いだ。
「うぅ……」
自分の足元に人が倒れていた。
服は泥まみれになって――いや、これは血か?
ねちゃっとした感触が自分の手の内にあった。
なんだこれ? なんか黒い。手も服も、床も。
「うぅ…………う……」
まだ息があるのかうめき声を上げている。
「おい、大丈夫か?」
あ、おれの声なんか変だ。こんな声だっけ。
「ん…………ぅ……」
一応は生きてそうだ。とりあえず担いでここを出るか。
ここは匂いがひどすぎる。あと黒いやつが気持ち悪い。
…
それにしてもなんなんだここ、床がどこもねっちょりしてるし、明かりがない。
どう見てもやばい状況にしかみえないから不用意に声を出すのはまずそうだしな。
にしてもこれは最悪だな。これが初仕事とは。
…
明かりが見えた。外に出た。
月の明かりだった。夜空の星が鮮明に見える。
これが自然か、こんなにもきれいなのか……。
「うー……ん」
「ん、大丈夫か?」
「あぁ」
「どうした?」
「ぁんっとぃも」
なんだ?
「くぉんな……」
「なんだ? どうした? おいっ」
大丈夫だ、まだ死んではなさそうだ。ただ早く手当しないとやばそうだな。
誰かいないのか。
……
「すいませーん! 誰かいませんかー!!」
なんで誰もいないんだ。みんな寝てるのか?
まあたしかに深夜なのかもしれないが。
しかし、こんだけうるさくしてるのに起きないのも凄えな。
ただ、さすがにもうそんなに時間を掛けてられない。
あそこで最後か――もってくれよ。
「すいませーん! 誰かー! けが人が居るんです、お願いですから」
家の中で音がした。誰かいる。
「すいません! 手当だけしてくれれば」
「お――おおっ!」
お爺さんが出てきた。
まあ、こんな時間に泥まみれの人が現れたらそりゃ無理もない。
ただ、そんなにびびられたらこっちのほうがびっくりする。
「夜分に申し訳ない。とにかくこの人の手当だけして頂けたら結構ですので」
「お、おお、そうか。とりあえず見せなさい」
「いやあ、かたじけない。ちょっと汚れてるんですが、なんとか頼みます」
ふう、なんとかなってくれればいいが。
しかし、なんでおれこんな口調なんだ?
――
「うむ、これで大丈夫じゃろう。あとは安静にしとくことじゃな」
「こんな遅い時間に失礼しました。おかげで助かりました」
「ふむ、ところで何があったのかね」
「それが私もよくわからないのですが、この人が倒れているのを見つけて――ここまで担いできた次第です」
「そうか、まあよい。もう遅いから今日はここに泊まっていきなさい。この子もここで何日か安静にさせとくのが良かろう」
「それはかたじけない。何から何までありがとうございます」
「ま、大して何もありゃせんが、ゆっくりなさるといい」
おお、ありがてえ。なんていい爺さんだ。世の中捨てたもんじゃないな。
布団はないけど、寝床があるのは実にいい。
さてと、一体なにがなんだか分からんかったがひとまず休みだ休み。こんなに動いたのは久しぶりだ。
なんだか生きている感じがする。
――
商店街。寂れている。誰もいない。シャッターは所々閉まっている。
風鈴の音がする。
商店街の横道から列を成した人々が通り過ぎていく。
みな顔を覆い、長いローブを身にまとっている。
鈴に錫杖、太鼓に笛。
紙垂や旗など、さまざまな楽器や祭事用具を振りかざしながらゆらゆらと進んでいる。
にぎやかすぎる葬列のようにアンバランスな行群だ。
前方の列が過ぎると駕籠を担ぐ列が現れた。
中央の駕籠の周りには傘を指した巫女たちが付き従っていた。
百鬼夜行の行列が通りすぎると、もとの寂れた商店街に戻った。
前よりも静かに感じられる。
…
長い商店街だ。
もし巨大な蛇に飲み込まれたのなら、こんな感じで食道を通り抜けていくのだろう。
出口のないトンネルに迷い込んでしまったような気分だ。
電話のベルが鳴っている。
小さな駄菓子屋の横に電話ボックスがあった。音は鳴り止まない。
受話器を取った。
「もしもし」
「………………」
「あの、切りますよ」
「ウワァーーーーーー!!!!」
「っ!」
は……なんだ?
「もしもしー? すまんすまん驚かせようと思って」
なんなんだいったい。
「で、どう?」
「あの……誰ですか?」
「ああ、俺? ラロゼ。で、どう?」
「何がですか?」
「なんか仕事してるんだろ?」
「そうですけど」
「ほおん。そいじゃさ、俺もいいかね? 仕事たのんで?」
「いや、まあ内容によりますかね」
「楽な仕事だよ。とりあえず今お前の目の前にある店の花車をとってそれを渡してほしい」
「取るって、取っていいんですか? 俺、何も持ち合わせてないですけど」
「ああ、いんじゃね。誰もいないだろそこ」
「まあ、いないですけど」
「報酬はあとで渡すから。じゃ、頼んだ」
電話は切られた。
「え? あの、誰に渡せば……」
どいつもこいつも説明が雑過ぎるだろ、まったく。
まあいいや。
で、その花車を渡しゃいいんだろ。
誰に渡しゃいいのか知らんけど。
電話ボックスを出た。
店は小さくレトロな感じだ。
壁に取り付けられた扇風機が回っている。
この商店街っていうのも初めてみたけど、なんかあんまり目新しく感じなかったな。
花車は木の格子に並べられていた。
どれがいいんだろ。どれでもいいか別に。何も言ってなかったしな。
「そっちのにしんさい」
え?
「そりゃあんまり品がないでな」
「は、はは。どうも……」
お婆ちゃんがいた。
「女の子にはこっちの方が良かろうて」
女の子?
「これ、渡してやんなさい」
お婆ちゃんの目線の先、店の前に女の子がいた。
「あの〜、何も持ち合わせてないんですが……」
「へっへっへ、特別やでぇ」
「あ、ありがとうございます」
お礼をいって店を出た。
女の子は白いワンピースを着ていた。
長い黒髪で、肌がぞっとするほど白い。
この子に渡せばいいのか?
「これ、いる?」
「………………」
じっとこちらを見てきた。
命を獲得した人形みたいに生々しいひとみだ。
あまりにも綺麗すぎるガラス玉が左右均等にきっちりとはめ込まれたかのように精巧な創りもの。
女の子はこくっと頷いた。
「どうぞ」
女の子はふうっと息を吹いて花車を回した。
腰まで垂れ下がっていた髪がふさぁとなびいた。
女の子はくすっと笑った。
か細いが透き通った音をしていた。
なんだろう。このぞくっとする感じは…………。
女の子はくるっと回って歩き出した。
急にふみきりのけたたましい音が鳴り出した。
電車が線路の上を走る音が聞こえた。
女の子が商店街をよこぎる道路をわたり終わった直後、
ゴォーという音とともに横道から電車が割り込んできた。
電車が通り過ぎたあとにはただしんとした空気があるだけだった。
ただ、全ての音と記憶をかっさらっていった。