oo1- Advent of death.[死の到来]
わが心の友なる悪魔へ捧ぐ
雪の降るままに任せたきり雲の上からの応答もなく、
この世は閉ざされたままの海底神殿だった。
脚光を浴びることもなく埋もれ続け、
次の文明が形成されるまでには遺跡と化していることだろう。
雲はずっと黙り込んだままだ。
謝って涙を流すことも、怒って雷鳴を轟かすこともない。
感情を失った自然ほど虚しく感じるものはない。
季節ってどんなものなのだろう。
こんなに鬱々としたものでなくて、もっと溌溂な気分になるんだろうか。
でも季節があったとしても毎日が憂鬱ならきっと何も変わらず、むしろ自分の不甲斐なさを助長させるものにしかならないんだろう。
素晴らしく美しいものと酷く陰鬱なものとが揃ったら、良いものがよりよく見えてしまうだけだ。
今じゃ鳥も虫も鳴かないけど、昔はやはり子供と一緒に飛び回っていて、空も曇ってはいなかったはずだ。
雲が無くて、雪もなく、街には何があった?
人が歩いていて、草があって――それでなんだろう。
と、雪の上にある赤いなにかが目に留まった。
赤い――なんだろう?
近づいて屈んだ。
花だ、これは花だ。
こんなところに……。
……
今日も外に出た。
あれは花だった、衝撃だ。
あんなものがこの世にまだあろうとは。
自然はとうの昔に死滅した概念に過ぎないと思っていたが、まだ確かにあったのだ。
初めて生き生きとした赤色を見た気がする。
赤いとはこんな色なのかと思った。
不思議だ。人間に出会ったところで全くいい気がしないのに、あんな小さな手のひらのようなものでこんなにも嬉々とした気分になろうとは!
これが喜びなのだきっと!!
あの後、《感情曲線》を確認すると[H:>BOM/GOAT]が示されていた。
これは過去最高度の喜びだ。
喜ぶというのがこんなにも素晴らしい体験であるとは!
《電網》で調べたところによれば、あの花は雪の降るような時に咲くようなものではないらしい。
明るい兆しが見えた気がした。
……
空は曇っていた。
二度目の衝撃にあった時は何も言えなかった。
死ぬとはなんとあっけないことか!
これまで急激なテンポで流れていた音楽が突然鈍化すると物凄く不快に感じられるように、自分が浸っていた希望的時間を捻じ曲げられて不愉快に思った。
花は折れて雪に埋もれかけていた。
これまで粛々と生きてきた場所が己の冷ややかな埋葬地になってしまうとは。
遺影はやはり最高の笑顔を飾るものなのだ。
雪が手向けの花になるとは。
白無垢でなくて、死装束になろうとは。
ただ、それは何も変なことではない。
みな自分にとってよい思い出を抱えて死んでいくものだから、死に場所も同じだ。
なぜ花が折れていたのか、意図して誰かが折ったのかは分からないが、またあの味気ない綺麗さっぱりとした日常に戻るのは確実だ。
……
雪の下でも雑草は実を結ぶのかもしれないが、相変わらず代わり映えしない景色が続く。
誰も見ていないところでも命は活動を辞めない、はずだ。
すべてが静まり返っている。
まったくなにも無さすぎて空虚さに押しつぶされそうだ。
綺麗な世界がこんなに息苦しいとは……。
こんな時こそ雨というものが全てを洗い流してくれればいいのだが。
……
もう夜だ。
ただ暗鬱な夜だ。全てが鬱々としている。
漂白剤をぶち撒けられたときに夜も一緒に白くなって、部屋だけ明るい晩だ。邪魔な光だ。
あたりはこんなにも白く綺麗さっぱりとしているのに毎日が暗い夜だ!
はつらつとした花畑は家の扉を開けて駆け出した時に頭の中から一緒に飛び出してしまったのだ。
ああ! なにかないのか!
まるで自分の体は人形だ。
どこまでもこの肢体は無感覚なままだ。
もし運命の糸を編んでいる神がいるのなら聞け。
雲など編んでいないでこのくだらない人生を編み直せ。
天変地異でも革命でも起こしてしまえ。
なんでも良いのだ!
なんでも!!
なんでも起こってしまえ!!
「お前が怒ってるじゃねえか、ええ?」
――は?
「ぼけっとしてないでさっさと行くぞ。準備はいいか?」
――誰だ? いや、なんだ?
「俺だ、俺」
――だからなんだお前。
「だから俺だって」
――いやもうお前はどうでもいい。
「まあいい、これから飛ぶんだぞ。準備はいいのかって聞いてるんだ」
――飛ぶってなんだ? どっか行くのか? どこに行くんだ?
「そうだ。どこかなんて決まってるだろ」
――こっちは決まってねえんだよ。
「あの世だ」
――あの世ってなんだ。
「お前そんなことも知らねえのか?」
――あの世ってあのあの世か?
「もちろん、あの様なあの世しかないだろ」
――ようは心中しましょうってことか? お前どっかの地縛霊か?
「俺は開死者だ。あんな奴らと一緒にするな」
――よくわからん。
「まあ心配するな、分擬体はある」
――どういうことだ?
「準備は万端ってとこだな。じゃ、飽落!」
――は? おい待っ――。
…………
……
…