第1話(前) 悪夢から始まった一日
「なぁ。女ってなんで男のことを好きになるんだろうな。ネットニュースで見て思ったけど、女性が性的な目で見られるのが嫌だって主張する気持ちは分かるし、おじさん臭いという意見も分かる。男なんてただ気持ち悪いだけなんて意見なら理解出来るんだよ。自分の思うようにならない時に暴力的になったり怒号で迫ったりする一面も気持ち悪い。だったら、一体男の何処を女性は好きになって、恋なんてするんだろうな。」
揺れる電車の中、今朝もつり革を掴みながら登校する。
爽やかな朝にはそぐわない程低俗な疑問を口に出した世鬽は、停車した駅のホームの上を上機嫌に跳ね歩く雀を眺めていた。
飛び立つそれを目で追い掛けると、眩しい陽光から目にお仕置きを受けた。
「……は?じゃあ、お前はなんで男の俺とこうしてつるんでるんだよ。」
隣に並んで立つ同性の友人は、くだらない話題をふった俺に溜息を付きながらつきあってくれた。俺の親友、立石諒壱は、この話題に酷く呆れかえっていた。
「いや、別に俺はお前に恋してないし。あ。もしかして期待した?ごめんね。俺は同性とは恋出来そうにないんだ。」
「あ?……。あーいや、確かに流れ的にはそう取れるけど、別にそんなことが言いたい訳ではなくてだな。お前がいう“男”の気持ち悪さなら同性でも友達としてさえ絡みたくはないはずだ。」
「まあ、たしかに。それくらい嫌な奴なら友達にもなりたくないや。」
「だろ?だったらお前は何故、お前が嫌う男である俺と親友でいる。」
「……。うーん。まあ俺は、お前を良い奴だって知っているからな。」
「なら男の中にも良い奴が居て、お前と同じ様に、恋する女とやらもきっとそれを区別出来ているんだろうよ。」
「……。なるほどね。」
そんなことを呟いてから、寝ぼけた顔で大きな欠伸をする。
今日の朝、悪夢から日の出と同時に目を覚ましてしまった俺は、抱えた不安を打ち消すように再度筋トレを行った。
その成果と言っていいのかは分からないが、体の節々が痛い。
筋トレ自体はほぼ毎日やっていることではあるのだが、どうやら昨日は自分を追い込み過ぎたようだ。
疲れから眠気に襲われて虚空を眺める。
「お前、またなんかやったのか。」
少しだけ心配するように、親友は真剣な眼差しで俺を見た。
「……あ。」
失言だったか。
友人と駄弁ることで、少しでも心を落ち着けようとしている自分がいることに今となって気が付いた。いつもなら口にしないような愚痴をつい付いてまで。こんなの、嫌いな奴が出来たと言っているようなものだ。確かにゲス野郎とは色々あったが、それは親友に向けるようなことではないだろう。
いつもならもうとっくに振っ切れている筈なのに、今日は妙に朝の悪夢から得た嫌な感覚を引き摺っていた。
「その様子じゃ、また他人の揉め事に首を突っ込んだみたいだな。本当、毎度毎度どうやったらそんなに他人の事情に介入出来るのやら。困ってるなら手を貸すぞ?」
「いや、別にそんなんじゃな」
ゾワリとした悪寒を感じる。
車窓の奥に、僕が見えた気がした。
……。何だ。何かおかしい。やっぱり、今日はいつもと何かが違う。
冷静に辺りに視線を散らしてみるも、特に異変は感じられない。
―――参ったな。ただ疲れているだけのような気がしてきた。
今日はいつもより精神が不安定で落ち着かない。
何処か少し焦りを感じていて、何かに恐怖感を抱いてずっと怯えている。
いったい、なんだっていうんだ。
今日だって、周りはいつもと何も変わらない平々凡々な日常の筈なのに。
夢は夢。現実とは何ら関係ない筈だ。
チラチラと周囲に気を配ってみても、このモヤモヤの正体は分からない。
この平穏が、誰かに崩されようとしている。またあの地獄が帰って来るんじゃないか?もっといっぱい人が死んで、自分自身も苦しめられて。
そして、今度こそ殺される。
俺は、そんな不安に苛まれていた。
深呼吸をしながら、雲一つ無い青空を見上げた。
世界はこんなにも広いのに、この狭い空間で怯えて。
馬鹿だなぁ、俺。
少し気づかれをして、溜息を吐いた。今感じている不安はただの妄想だ。
あんな悪夢のような出来事は滅多に起きない。いや、もう二度と体験することはないだろうと、頭の中で自分を無理くり納得させようとする。
……………………………………。
「―――おい。おいって。大丈夫か?お前。なんだか顔色が悪いように見えるぞ。もしかして」
「い、いやあ。すまんな。昨日も徹夜でいつもの小道具を作ってて、筋トレも結構したし。ちょっと疲れてるみたいだ。安心してくれ。お前が心配するようなことは何もないよ。」
考えても仕方がないことを考え込んでしまっている時、意識の外からの声は非常に頼りになる。その声かけが不安をぶった切ってくれて、一度俺の思考は白紙に戻った。それに少し救われた気がした。
「ああ。いつものか。趣味に走るもいいが、徹夜は体に悪い。程々にしておけよ。」
「ありがとう。ご忠告痛み入るよ。」
勇樹 世鬽という人間は、ほぼ毎日のようにくだらない物を作っては諒壱に見せていた。
それは、早弁用お道具箱型トースター。
それは、切れる洗濯ハサミ。
それは、黒板自動書き取り機。
それは、時計の秒針と同じ音が鳴らせるシャープペンシル。
それは、字を消すとポテトの香ばしい匂いを放ちクラスメイトの空腹を煽る消しゴム。
どれも、本当くだらないものばかりだったが、人生を豊かにする為には充分に役だってくれている。この小道具をきっかけに声を掛けてくれるクラスメイトもいることだし、話題作りには充分な代物だ。どうだ凄いだろ。
だから諒壱の言う通り、そんなくだらない玩具を徹夜で量産することも多いのだ。
それから、諒壱となんでも無いような朝の会話をした。今日の授業がどうとか、宿題が面倒くさかった話とか、そういう何気ない日常会話。こうすることで、段々と不穏な気持ちもこの日常へと溶け込み出してくれる。不安が和らぐ。
会話を交えながら、友達という存在の素晴らしさを実感していた。
どんなに朝の通学が憂鬱でも、こうやって会話を交わすだけで、自分で考えてこのモヤモヤを解決させようとするよりも簡単に気分をいつも通りの調子に整えることが出来るのだ。どうだ。凄くない?そうだ。これを友達効果って呼ぼう。
心の不調が少しずつ緩和されていくのを感じながら、そんなことを思った。
車窓に映る、他の人からは見えないあの日の少年の幻影。
俺はそれから自然と目を逸らす。
大丈夫。大丈夫だ。
お前は今、必要ない。関係ない。
あの地獄の中で戻りたいと願った日常が、憧れがここにある。
この幸せをいつまでも大切にしていきたい。
あの出来事を引き摺ったままの状態からは、早く抜け出さないと。
「というか、宿題とか色々こなしながらよく徹夜してガラクタなんか作っていられるよな。全く、お前の体はどうなってんだか。」
「ガラクタ言うな。そうなんだけど、なんか他人に言われるとムカつくな。まあ、お前と会うまでは碌な友達もいなかったし。片っ端から一人遊びをしていく内にはまった、くだらないネタ遊びだよ。それがここまで続くとは自分でも思ってなかったけど。これが意外と楽しいんだ。馬鹿騒ぎ出きて。」
「そうなのか?だったら今度俺も混ぜてくれよ。なんか面白そうだし。俺もくだらないアイデア出してやるよ。例えばー。あー。全自動卵かけご飯機とか。」
「何それ。卵割ってご飯に乗せるだけに機械作るとか馬鹿だろ。……。確かにくだらないな。今度作ってみるか。」
「え?まじ?今の結構冗談に近かったよ?お前、本当に馬鹿だなー。」
「お前もなー。」
頭に何も詰まって無さそうな会話をしながら電車に揺られる。
「じゃあ今夜、お前の家でな。一緒に馬鹿騒ぎしてぐっすり寝るぞ。」
「……え。おいおい。まさか今の、寝不足を心配している流れからの会話だったのか。凄いな。気づかなかったよ。流石に泊まりは勘弁してくれ。明日も学校あるし、この歳になって遊ぶために朝から晩まで野郎と一緒っていうのもな。それに、そこまで深刻な話でもない。実際、今はお前という友達も居て満足出来ているし、こうしてちゃんと朝から登校もしてるだろ?なんなら今ここで見せてやろうか。俺の元気パワーを。」
変に心配させてしまうのも悪いと思い、元気であることをアピールする為にその場でニッと笑いかけながら腕を振ろうとして諒壱に止められた。
「ちょっ。待て待て待て。ここは電車の中だぞ?周りの人のことも少しは考えろ。」
「おっとそうだったな。わるい。」
都合の悪いことを全て忘れて会話に専念するあまり、ここが電車の中であることを完全に失念していた。今日は徹夜したせいか、いつもより周りが見えていない。
全く、眠た過ぎるのも考えものだな。
隣のおじさんに腕を打つける前に止めてくれて良かった。もし、もめ事にでもなっていたら面倒臭いことになっていたところだ。停学処分とかまで話が進んでも嫌だし。 ひぇ。
「はぁ。でも、思春期の男も面倒臭いもんだな。家は野郎だらけだから男同士の寝泊まりは気にならなかったよ。」
「だったらお前、周りでお泊まり会して恋バナでキャッキャウフフしているクラスメイトとかいるか?男で。」
「ちょっと待て。お泊まり会って言い方はなんか違うだろ。それに、恋バナでキャッキャウフフって女子会じゃねーか。」
「なんでだよ。男でもすると思うよ。恋バナでキャッキャウフフ。でもわざわざお泊まり会を開いてまではしないだろ?今は友達の家まで行かなくてもオンラインで遊べる時代なんだよ。高校生の男の子は合宿意外で野郎とお泊まりしないお年頃なの。」
「そうか。でも、お前も俺もゲームしてないよな。」
「……。たしかに。」
「まあ、お前が元気ならなんでもいいよ。俺も友達が多い方ではないし、お前がいないと学校に行っても退屈だ。」
……。
諒壱からは、少し本気で心配しているような様子が伺えた。彼は、俺なんかには勿体ないくらい優しい奴みたいだ。知ってたけど。
本当に俺なんかが友達で大丈夫なのだろうか。隣に居てもいいのだろうか。ちょっとは、距離を取った方が良いのかもしれない。
時折、本気でそう思ってしまうことがある。自分で言うのもなんだが、俺はどちらかと言えば変人よりの人間だ。
だというのに、こいつはどうして……。
「心配ありがとさん。学校に着いたら保健室にでもよって一眠りすることにするよ。そうしたら疲れも取れて元気元気になるぜ?きっと。」
腕を上げて元気なポーズをすれば、後ろから後頭部をポコンと叩かれた。
「徹夜でガラクタ作ってたから一限サボりますなんて許される訳ないでしょ。それに、そのポーズが周りに迷惑って言われたんでしょ。」
「いった。てなんだ、委員長か。おはよう。てかガラクタ言うなし。」
流石に徹夜で趣味をやっていたことを理由に一限をサボるのは厳しかったか。適当な理由をでっち上げようとも委員長に見つかった時点でアウトだしな。コノヒト、ソーユーノ、ゼッタイ、ユルサナイ。
はぁ。こんな事なら本当に風邪にでもなってくれれば良かったのに。汗まみれのびちょ濡れで寝ていたのに風邪引かないなんて、なんて頑丈な体なんだ。うえ。汗まみれだったこと思い出したらなんか気持ち悪くなって来た。大丈夫。俺はちゃんとシャワーを浴びてきた。
い、一応、元気ポーズは誰かに当たらないように配慮はしていたんだけど。実際誰にも当たってないし。(※そういう問題ではありません)
後ろに振り返ってみると、いつの間にかそこには委員長ともう一人女子高生が立っていた。
二人とも同じ学校の生徒で、同じデザインの制服を着ている。
委員長は、腰に手を当てながらやれやれとした表情を浮かべていた。彼女は黒髪ロングの清楚系美人で、少しだけ目つきが鋭い。
風紀やら規律にやたら厳しい人なので、違反者を見逃すことがないように目を見張った結果、その目は吊り上がっていったのかもしれない。
いや、そんな訳はないのだが。
彼女の名前は、志藤結香。
俺の新クラスの面倒臭い系学級委員長だ。少なくとも、こうして気軽に話し合えるようになるまでは。
「ほら、またネクタイがだらけているわよ。服装はちゃんとしなさいって前から言っているでしょ?」
委員長は俺の首下に手を伸ばすと、変わりにネクタイを締めて整えてくれた。
時間を忘れて夢中で筋トレをしていたせいで、慌てて登校準備をするはめになったのだ。なんとか電車の時間には間に合ったんだから、それくらいの怠惰は許して欲しい。
まあでも?一応お礼は言っておこう。
「本当だな。ありがとう。」
「いいわよ別に。総前高の生徒として、いい加減ちゃんとしてね。」
彼女はネクタイを結び終えると、パッと手を放し、良しと満足そうに頷いた。
委員長とはこの春から知り合ったばかりだが、何気によく気に掛けて貰っている。
バカ真面目で正義感の強い性格だから、本来なら自由奔放で自堕落な性格の俺とは相容れない存在だったと昔は思っていた。
実際、始めて会ったときには絶対に関わりたくないと少し敬遠気味に思っていたし、友達になるようなことなんて絶対にないと信じていた。
如何に彼女と先生の目を欺くかを本気で考えながらそれようの装置を作っていたことすらあるくらいだ。
うん。それはそれで面白かったな。
それが何故、こんな仲になったのかというと……。