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ネノシマ04―狐のこと―  作者: 白河 夜舫
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第九章【山門前】狐子

◆第九章【山門前】狐子



 不幸だと嘆くほどの傷はない。

 教室という狭い空間に押し込まれ、その中でどうにか自分の居場所を見つけるしかない条件は皆同じである。

 逃げ場のない地獄を、誰もが通過して生きている。


 高校を卒業してからは、以前よりは生きやすくなった。

 それでも心を乱すようなことは、極力避けている。しかしここ数か月、自分でもわからないタイミングで嫌な予感がすることがあった。

 しかしその気配は以前よりもずっと薄い。だからそれは、気のせいだと思い込むようになった。



 狐子は急ぎの用事でない限り、最寄りのコンビニを使用しないようにしている。顔を覚えられたり、繋がりを持ってしまったら面倒だからである。幸いにも紫雲荘の周辺には、徒歩圏内に三つのコンビニが存在する。

 うだるような暑さの中、狐子は本日も最寄りでないコンビニに向かっていた。めずらしく理玄に呼び出されたので、彼の好きなコンビニスイーツを手土産にするためである。

 その途中、反対側の歩道前方に、見たことのある子がいると思った。そう認識すると、すぐにそれが誰かを理解した。

 理玄の元でバイトをしている子たちである。

 姿勢がいいせいか、細身のせいか、運動神経が良さそうな印象を受ける。小学生の頃は、足が速い子は一目置かれていたことを思い出す。通りすぎた時間に想いを馳せては、もう少しうまくできたらよかったと思う。しかしそんな自分を想像するのは難しかった。

 狐子は二人を目で追った。

 しかし女の子が足を止めた時、思わず目を逸らしてしまった。それが自分のせいだと直感したからだった。理由は狐子にもわからない。しかし間違いなく自分のせいだと思った。

 見なかったふりをして歩みを進めども、それを意識の外に追いやることはできなかった。こんな暑い中で具合が悪くなったなら、さぞ辛いだろう。

 そんなことを考えながら、コンビニで買い物を済ませた。


 紫雲荘へ戻る途中、先ほど見かけた男の子が雲岩寺の方へ走っていく後ろ姿が見えた。彼に関しては具合が悪いこともなさそうなので、狐子は内心ほっとした。

 しかし女の子の姿が見えないことが気になった。辺りを見渡すと、すぐにその姿は見つかった。

 彼女は日陰に一人、座り込んでいた。

 話しかける言葉も見つからないまま、狐子は彼女へ近づいていった。

「あの……」

 我ながら蚊の鳴くような声であった。

「あの、大丈夫ですか?」

 少女の視線は、虚空を見つめて静止した。それは数秒であったが、ずいぶん長く感じた。やがて彼女の瞳が狐子を捕らえた。

「すみません。大丈夫です」

 普段の彼女を知らないが、顔色はあまり良くないように思った。

「理玄さんのところで、バイトしてるんですよね? 雲岩寺にいくなら、よければ送りましょうか?」

 あなたの体調が良くないのは、もしかしたら自分のせいかも知れない。

 そんなことは口にできないが、せめて自分のできることはしてあげたかった。

「え、でも……」

 彼女は再び虚空を見つめた。焦点が合っていないというわけではないが、なんだかこちらが不安になる表情である。

「私もこれから、雲岩寺にいくんです」

 狐子は言い訳するようにいった。

 彼女を見かけたのはこれで三度目であるが、話したのはこれが初めてである。理玄と知り合いである高校生という以外は、なにもしらない。しかし理玄と外出していたことから、おそらく親しいのだろうと想像する。たったそれだけのことで、一定の信頼がおけるように思えた。

しかし目の前の少女にとって狐子は、何度かすれ違っただけの白い髪の女である。

 そんな人間の車に乗れというのは、非常識な提案だったかもしれなかった。狐子がそんな不安にかられていると、彼女は口を開いた。

「ご迷惑でなければ、お言葉に甘えていいですか? 私、ななみです。伊咲波浪」

「私は、宇彼うかの狐子ここです」

 狐子が名乗ると、波浪はやわらかく微笑んだ。

 波浪はなにかを待つように静止したが、やがて立ちくらみを警戒しながら慎重に立ち上がった。

 狐子と波浪は、目と鼻の先にある紫雲荘の駐車場へ歩き始めた。

「今日は二人で雲岩寺にきたの? あなたと、さっき一緒にいた子?」

 先日駐車場で見かけた時は、三人だったことは覚えている。

「そうです、二人です。あの、さっきの子……朔馬っていうんですけど。彼と理玄さんに連絡していいですか? すれ違いにはならないとは思うんですけど、一応」

 狐子が了承すると、波浪は慣れた手つきで携帯端末を操作した。そうしている間に、狐子の車の前へと到着した。

「ごめんなさい。かなり暑いんだけど、雲岩寺までは五分もかからないので」

 屋根のない駐車場なので、夏場の車内は蒸し風呂のように暑い。狐子は助手席の窓を開け、何度か運転席のドアを開閉して熱気を逃がした。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 助手席は書類を置きっぱなしにしてあるので、後部座席に乗ってもらうことにした。波浪はドアを開けると、ピタリと止まった。

「どうぞ?」

 波浪は「はい」と車に乗った。

「夏休みなんですか?」

 車を走らせはじめると、波浪は助手席の後ろを見つめていった。

 助手席の後ろになにかあったか思い出せなかったが、もしかしたら大学に関するなにかが置きっぱなしだったのかもしれない。

「うん、先週から夏休み」

 バックミラー越しにみる波浪に、高校生の頃の自分を重ねることは難しい。きっと狐子とは全然ちがった時間を過ごしていると、そう思い込んでいるからだろう。

 波浪とバックミラー越しに目が合ったので、狐子は慌てて目をそらした。

「あの、二人は同級生なの?」

「そうです」

「同じクラス?」

「いえ、違います。この前いたもう一人は、私の双子の弟なんですけど、朔馬は弟と同じクラスです」

「あ、双子……同級生に身内がいるのって、心強い?」

「考えたことなかったけど、そうかもしれません。でも同じクラスだったら、違う感想になったと思います」

「同じクラスになったことはないの?」

「ないです。学校の方針だと思うんですけど、九年間別のクラスでした」

 何クラスの学校かはわからないが、九年間クラスが別なら学校の方針なのだろう。

「弟がいるなんて、うらやましい」

「私は、妹もいいなって思いますけど」

「ほかに、きょうだいはいないの?」

「双子の弟だけです。だから同性とか、年齢の違うきょうだいがいる感覚は、私にはわからないです」

 それもそうだなと思いつつ、自分にきょうだいがいたらひどく疎まれていただろうと暗い想像をした。


 雲岩寺の駐車場にも屋根は存在しない。しかし高い木々のおかげで、日陰は常にどこかに存在する。狐子はなるべく日陰の多い場所に車を停めた。

「あ、返事がきました。庫裏にきて欲しいとのことです」

 波浪の送った返事が今きたらしい。

 狐子は父の月命日には、雲岩寺の寺院墓地を訪れる。その際に理玄の母に、一緒に夕飯を食べようと誘われることがある。高校生の時とは違い、その優しさに甘えることも多い。そのため雲岩寺の間取りは、だいたい把握している。

 波浪は「ありがとうございました」と車から降りると、ドアを持ったまま立ち止まった。具合が悪いのかと声をかけようと思ったが、その後何事もなくドアを閉めた。

「体調、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 波浪の顔色は若干良くなっているようには思えた。

 しかし雲岩寺の山門は、長い階段の上に存在している。それを上れるほど体調が良くなっているのかは、狐子にはわからなかった。

「関係者入口を使えば車で山門の向こうまでいけるんだけど、理玄さんに聞いてみましょうか?」

 波浪は山門を見上げた後で、なにかに気づいたように自らの足元を見つめた。

「私、もう少しここにいます。あとですぐに追いつきます」

 波浪は足元を見つめたままいった。

彼女の言葉には確固たる意志があるように思えた。

 その時ようやく、波浪には理玄と同じように霊感のようなものが備わっているのだろうか? と思うに至った。

「じゃあ、先にいってるね」

 波浪は「はい」と、こちらをみていった。

 狐子がこの場にいない方が波浪にとって都合がいいように思えた。だからこそ狐子は、それほど迷わす歩みを進めることができた。



 雲岩寺の庫裏へいき「こんにちは」と声をかけると、ほどなく理玄が顔を出した。

「悪いね、急に。あれ、ハロは? 乗せてきてくれたんだろ?」

 ハロというのは、波浪のあだ名らしい。狐子が事情を説明すると、理玄は「へぇ、なんだろな?」といいながら狐子を客間へ通した。

 客間にいた先客は、狐子と目が合うと「こんにちは」と頭を下げた。先ほど見かけた少年なので、彼が朔馬である。

「こんにちは」

 狐子も頭を下げた。

「ハロは?」

 朔馬は狐子ではなく、理玄にいった。

 理玄は先ほどの狐子の話を、そのまま朔馬に伝えた。朔馬は「雲岩寺にいるなら、まぁいいか」といった。

「で、あの子は?」

 朔馬は狐子の後ろを覗き込むようにしていった。

 理玄と狐子は、朔馬の行動に顔を見合わせた。

「あの子って? いるだろ?」

 理玄は手のひらで狐子を指した。

「この人と、いつも一緒にいた子だよ」

 朔馬はきっと嘘はいっていない。そう思ったからこそ、狐子と理玄は混乱した。

「変なこというなよ、そんな子いなかったろ?」

「俺たちこの人を、あの子とはいわない」

「つまり、どういうことだ?」

 理玄は絶望するようにいった。

「この人の側にはいつも、狐面をした女の子がいたんだ。俺たちはその子が、狐持ちだと思ってた」

 朔馬はなにかに気づいたように立ち上がった。

「ハロはあの子といる! あの子が尾裂だったんだ!」











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