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ネノシマ04―狐のこと―  作者: 白河 夜舫
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第八章【白い髪】狐子

◆第八章【白い髪】狐子


 なんだろう? なんとなく。本当になんとなく。あの子によくないことが起きる気がする。

 狐子がそう直感すると、それはすべて的中した。

 しかしそれがどこで、どの瞬間に起こるのかはわからない。

 それを起こすことも、阻止することもできない。

 ただ、予感だけがする。


 幼い頃はわかりやすかった。故意でも事故でも、狐子を泣かせた者はケガや病気をした。狐子をからかったり、嫌味をいった者にも、同様の現象が起こるようになったのは小学生の頃であった。

 周囲の者も、狐子自身も、確信めいたものはなかった。それでも、狐子が本格的に自分を疑い始めた頃から、諸々の原因は狐子なのではないかという噂が流れ始めた。

 噂のせいもあり、狐子は次第に孤立していった。狐子自身も、周囲と距離をとるようになった。

 中学生にもなると、狐子も周囲も適度な距離を学んでいく。その事象が起こることもずいぶん減っていた。

 しかし一度だけ、男子生徒が狐子を疫病神だと罵ったことがあった。翌日その男子は、登校してこなかった。事故による複雑骨折で入院したと、朝のホームルームで担任が短く告げた。

 それでもまだ「ただの偶然だ」と言い聞かせたら、自分をごまかせた時期も存在したかもしれない。


 しかし母の訃報を聞いた時、狐子は自らの異質さを受け入れた。

 母が亡くなったのは、狐子が中学二年生の時であった。

 その時すでに、両親は正式に離婚していた。

 母は物心ついた頃から、あまり家にいなかった。

 彼女は良家の出身であったが、奔放な末娘であり、母親には向かない性分らしかった。母と二人になると、些細なことで折檻せっかんされた。狐子のすべてが彼女を苛立たせていた。なにをするにも彼女の前だと緊張し、身体がこわばった感覚を今も覚えている。

 母は狐子がきらいだったと思うし、狐子も母が好きではなかった。

 しかし母にどれほど折檻されようとも、ソレが発動することはなかった。

 両親の離婚が決定的になったのは、母の不倫だった。彼女は完全に開き直っており、狐子の親権も父に譲るといった。その際に、父は母の実家から多額の慰謝料を受け取ったようだった。

 両親の離婚について、さみしいと思う気持ちはなかった。むしろ安心する気持ちの方が強かった。

 両親が離婚して半年が経ったある日、車を運転する母を一方的に見かけた。服装も化粧も派手になっていたが、母であった。

 しかし次の瞬間、これはまずいと思った。

 とてもよくないことが起きると直感した。翌日、母の身になにが起きたのかはわからない。ただその数日後、母の訃報が届いた。

 母の死に、自分が無関係であるとは思えなかった。

 それ以降は、今まで以上に心を閉じるように生きていこうと決めた。


 中学三年生の冬、父方の祖母が急逝した。

 母の不在が多い中で、狐子を育ててくれたのは近所に住む祖母だった。祖母が亡くなったことで、この町で生きる意味はもうないように思えた。

 高校は通える範囲で、できるだけ遠い高校を受験した。そして高校進学を機に、狐子と父は引っ越すことになった。

 狐子の進学する高校も、父の勤務先も、引っ越した方が楽に通えるためである。

 高校では、狐子の体質を知る者はいなかった。それでもどこからか噂は流れてくる。しかしその方が狐子にとっても、他者にとっても安全のように思えた。

 一部の者からは遠巻きにされていたが、狐子に直接なにかをいう者はいなかった。友人と呼べる者は少なくても、高校ではそれなりに穏やかに過ごせていた。

 しかし人は近づきすぎると、無意識に傷つけ合ってしまうことがある。だからこそ狐子は、必要以上に他人と距離を取っていた。そんな狐子をよく思わない者もいたが、それはもうどうしようもないことだった。



 父に雲岩寺にいこうと誘われた時、深い意味があるように思った。

 雲岩寺はこの辺では有名なお寺で、除霊ができる僧侶もいると聞いたことがある。それが理由で、父は雲岩寺にいこうとしているのかもしれないと思った。

 そんな狐子の胸中を察してか、父は「古い友人が雲岩寺の住職だったんだ」といった。父は、その友人の墓参りにいきたいのだといった。


 父を迎えてくれたのは旧友の奥さんであり、現在の住職だった。墓参りを終えると、彼女は狐子たちを庫裏に招いてくれた。

 狐子は庭をみたいからと、それを辞退した。

 大人は意図せず、子どもに無遠慮な質問をすることがある。悪気がないことを理解していても、傷つくことが何度かあった。そしてその度に狐子の中に嫌な予感が走る。

たったそれだけのことで、雲岩寺に災いをもたらしたくはなかった。それに自分がいない方が、父も話しやすいこともあるだろうと思った。

 暇潰しのつもりであったが、雲岩寺の庭をみるのは面白かった。

 雲岩寺の帰り道、父は旧友の息子である理玄の話をした。

 理玄は幼い頃、変なものが見えると周囲を怖がらせていたらしい。その影響か、寝込むことも多く、体が弱かったとのことである。しかし年齢を重ねるにつれ、それらの頻度は減っていったらしい。

 その話を聞いた時「すべてが真実ではないだろう」と思った。どこかでなにかを諦めて、現実と折り合いをつけたのだろうと思った。

 理玄の話をした父は、時間が解決する問題もあるといいたかったのかもしれない。

 狐子もそう思いたかったが、そんな未来を想像することは難しかった。

 高校生の狐子にとっては一日一日が、気が遠くなるほど長く、高校生活が終わることを想像することさえできなかった。


 理玄と初めて会話をしたのは、冷たい雨の降る午後だった。

「寒くないの? 中、入れば?」

 おそらく大学帰りの理玄がいった。何度か顔はみていたが、声をかけられたのは初めてであった。

 狐子は首を振り「大丈夫です。ありがとうございます」と答えた。

 理玄はそれ以上なにもいうことなく、狐子の前から去った。

 それだけのことであるが、彼は人に好かれる人種だろうと思った。そもそも狐子に声をかけてくれる者は、みんないい人だった。そんなことを思い出して、少し悲しくなった。

 それから理玄は、時々狐子に話しかけてくるようになった。狐子の返事を待つような会話はなく、理玄は淡々と寺の歴史を話した。返事や同意を求められることのない会話は、とても楽だった。

「改築されたけど、あそこは三百年あのままだな」

「三百年、ですか?」

 思わず口にすると、理玄はこちらをみた。

「木造の建物が、そんなにもつんですか?」

「そんなにめずらしくもないよ。補修してるけど、法隆寺なんか千年以上健在だろ?」

 そういえばそんな話も聞いたことがある。

 しかし狐子の頭には『三匹のこぶた』の物語が思い浮かんでいた。子豚が、ワラ、木、レンガでそれぞれ家を建てる話であったが、レンガ以外は簡単に吹き飛ばされてしまった記憶がある。

「木造の家が、一番頑丈ってことですか?」

「いや? コンクリート造の方が頑丈なんじゃない? でも長持ちするのは木造、か?」

 この違和感はなんだろう。

 理玄も同じことを思ったのか、二人で首を傾げた。それが面白くて、狐子は小さく笑った。笑ったのは久しぶりのように思った。

 高校では心が傷ついたりしないように、頑なに自分を閉じていた。いいことも、いやなことも、なにも感じなかった。心に鎧を着せて生活をしていた。

 しかしその瞬間は、久しぶりに心が緩んだ瞬間だった。

「どっちが頑丈なのか、もしわかったら教えてよ。俺も気が向いたら調べてみるよ。なにか新設する時は、参考にするわ」

 理玄はいった。

 そしてその夜、あの感覚があった。

 とても嫌な予感がした。


 翌朝、父に頼んで理玄に電話をしてもらった。

「体調、大丈夫ですか?」

 電話越しに聞くと、理玄は質問に答えず「どうして?」と問うた。

 狐子が理玄の体質を知っているように、おそらく理玄も狐子の体質を知っている。親同士が知り合いになるとは、そういうことである。

「なんだか、嫌な予感がして」

「嫌な予感って、どんな感じなの?」

 理玄は「大丈夫ですか?」という問いに答える気はないようだった。

「自分の一部が溶けだしていくような、そんな感覚です。寄り添っていた何かが身体から離れて、温度が下がっていくような感じがします」

 その感覚を初めて言語化した。

「理玄さんは、霊感のようなものがあるんですか?」

「あるよ」

 いつもの口調でさらり答えた。

「それは、どんな感じなんですか?」

「何かがはっきり見えることは少ないよ。ただ、空気が重いと感じる時がある。それがきっと人より多い。他者には聞こえない音域の音が聞こえる感覚なんだと思う」

「理玄さんからみて、私はどこかおかしいですか?」

 否定されても、肯定されても、傷つくだろうと思った。それでも質問せずにはいられなかった。

「少なくとも、そう感じたことはなかったよ。もちろん、昨日も」

 嘘はないように思った。狐子は礼をいって電話を切った。

 しかし理玄は狐子の質問に答えなかった。それがすべてのように思った。

 その後、何年も、雲岩寺へいくことはなかった。

 もう誰とも関わりたくなかった。



 勉強だけをしていたら、それなりにいい大学に進学できた。

 工学部を選んだのは、コンクリートという素材に興味を持ったからである。

理玄との会話が強く影響している。

 工学部に進学してよかったと思ったのは、入学してすぐだった。圧倒的に男子学生が多く、単独行動が普通だった。同じ学部の女子学生とも、友人と呼べるほど深く関わらなくても問題はなかった。

 それでもありがたいことに、顔をみれば挨拶をするくらいの人は数名できた。


 大学一年生の夏休みが明けてすぐの講義で「ひさしぶり」と中性的な人に声をかけられた。

 その声の主がすぐにはわからなかった。しかし大学で話しかけてくれる人は片手にも満たないので、一拍おいて誰かを理解した。

 長い黒髪が印象的だった彼女は、その髪をばっさり切り落としていた。ベリーショートというより、ほとんど坊主である。なにをいっても失礼になる気がしたので、狐子は「ひさしぶり」とだけ返した。

 会話をするうちに、彼女がやむをえない事情で髪を切ったわけではないと分かり、安心した。

 彼女が髪を切った理由は、単純に「暑かったから」とのことだった。最初は短めのボブであった。しかし髪型を変えた途端、電車や街中で人にぶつかられる機会が減ったことに気がついたらしい。

 髪型一つで歩きやすくなることに気づいた彼女は、なんとなく坊主にしてみたとのことである。髪型を自由にできるのは大学生の特権であると、彼女はつけ加えた。好奇の目で見られることもあるが、以前より色んなことが楽になった気がすると彼女はいった。

 外見を変えると、そういう効果もあるのかと感心した。

 それからほどなく、狐子は髪を真っ白にした。

 高校では常に、その他大勢の中に埋もれるように細心の注意を払ってきた。できるだけ目立たぬように、色んなことからはみ出さないように生活していた。

 しかし他者とちがうことをすることで、一定数のなにかを遠ざけることができるらしい。

 好きな服を着ることにも抵抗がなくなり、化粧も覚えた。髪色を変えたことで、自分の世界も少し変わったように思えた。



 父が末期ガンと告げられたのは、狐子が大学二年生になってすぐのことだった。

 延命治療はしないで欲しいと、父は狐子と医師に伝えた。

「理玄くんのお父さんもガンでね。当時中学生だった理玄くんは、毎日病院に通っていたそうだよ。新井くんは点滴だけで数か月生きたらしいんだけどね、最期は骨と皮だけになってしまったらしい」

 理玄の父の死因を、狐子はその時初めてしった。

「その話を奥さんから聞いた時に、失礼ながら痛感したんだよ。狐子にはそんなことはさせられないと。葬儀のことや、父さんが死んだあとのことは、雲岩寺に頼んであるからね。なにも心配いらないよ」

 そんなことはどうでもいい。だから生きてほしい。

狐子はそういって泣いた。

 しかし父はあっと言う間に亡くなってしまった。

 悲しみに暮れる間、色んなことが目まぐるしく過ぎていった。

 父のいった通り、葬儀などの手続きは雲岩寺の者が手際よくやってくれた。遺産相続のことも生命保険金も、どうやって受け取ったのかあまり記憶がない。ただ狐子が想像する以上に、父はお金を遺していてくれていた。

 狐子は大学をやめる必要もなく、今まで通りの生活が送れることになった。しかし父との思い出しかない一軒家で、一人で暮らしていく気にはなれなかった。一人で住むには大きすぎる家である。

 そんな時、理玄の母に声をかけてもらった。雲岩寺の管理する紫雲荘というアパートに住まないかと、彼女はいった。狐子はほとんど迷わずに、引っ越しを決意した。幸いなことに、父と暮らした家にはすぐに買い手がついた。


「髪、自分でやってんの?」

 引っ越しの挨拶に雲岩寺に顔を出すと、袈裟姿の理玄がいた。

 父の葬儀で顔を見た気もするが、父が死んでから数日の記憶はほとんどなかった。

 理玄は大学を卒業後、雲岩寺を出たと聞いていた。雲岩寺の住職は今も理玄の母であるが、彼女は数年前に再婚している。だからこそ理玄は、雲岩寺に戻ってこないのかも知れないと思っていた。

「あ、はい。自分でやってます」

 狐子の髪は大学一年生の秋から、常に真っ白であった。美容室に長くいるのが苦痛なので、今では自分で髪を白くしている。

「器用だねぇ」

 理玄はそういって、住職である母を呼びにいった。

 久しぶりに理玄と会話をすると、泣き出したいほどには懐かしかった。数年は顔をみてなかったが、そんな感覚はすぐに消えていった。


 引っ越した後で、紫雲荘の管理は理玄がしていることを知った。彼は毎週、共用部分を掃除したり、どこぞの不具合を直したりしていた。

 狐子が引っ越して三ヶ月が過ぎた頃、隣人が紫雲荘を出るとのことで、理玄と部屋の掃除を手伝った。それがきっかけで、理玄の毎週の仕事を手伝うようになった。おそらく格安で住まわせてもらっているので、もう少し早く手伝いができればよかったと狐子は反省した。

 紫雲荘に引っ越してくる者は、一年もせずにアパートをでていく。おそらく紫雲荘はなんらかの問題を背負った者が、一時的に身を寄せる場所なのだろう。

 そして自分もその一人である。

 大学院に進学するのは、狐子にとって自然な流れだった。狐子の所属する研究室では、ほとんどの者が進学する。倍率はそれほど高くないが、大学院に受かった時は心からほっとした。

 きっと学生の間しか、紫雲荘には住むことはできない。

 誰にいわれずとも、狐子はそう思っていた。

 だからこそ、少しでも長く学生でいたかった。










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