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ネノシマ04―狐のこと―  作者: 白河 夜舫
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第十一章【失礼な質問】狐子

◆第十一章【失礼な質問】狐子


 狐持ち。

 驚きはあれど、安堵の気持ちがある。名前のない現象だと思い込んでいたせいだろう。

 尾裂が憑くとお金に困らないとされていることも、妙に納得できた。家族を亡くしても大学院にいけたこと自体、とても恵まれたことなのだろう。

 狐子は現在バイトを二つしている。一つは大学図書館を週に二回と、大学の授業のT・ティーチング・アシスタントとして週に一度手伝っている。

 大学以外で交友関係を広げたくないという理由で選んだバイトである。いずれのバイトも大学に在籍していることが前提で、髪色などの規定は存在しない。T・Aのバイトについては、授業のない夏休み期間は消滅する。それでも、バイトを増やすほどお金に困ってはいないのが現実であった。



 ふわふわしたまま家に帰り、ひたすらぼんやりとしていた。

 午後八時頃、理玄から「スイカ食べにくる?」という連絡がきた。

 一人になりたいと思う一方で、猛烈に誰かといたかった。狐子は結局、それほど迷わずに理玄の家にいくことを決めた。

 理玄は庫裏ではなく、雲岩寺から徒歩三分ほどの一軒家に住んでいる。そのため雲岩寺の駐車場を利用させてもらうことにした。

 車を停めた際に、数時間前は波浪をのせたことを思い出していた。ほんの数時間前の出来事であるが、ずいぶん遠く思える。

 波浪が、狐子が見えなかった女の子を見ていたのかと思うと、色んなことに納得がいくように思った。


 狐子が玄関先まで向かうと、理玄が庭から「こっち、こっち」と狐子を呼んだ。

「夕飯食べた?」

 狐子が首を振ると、理玄は「だろうな」という顔を向けた。

「スイカ、いっぱい食べな」

 理玄は縁側に座布団を用意してくれた。そして外の水道で冷やしていたスイカを持つと、縁側から台所へ向かった。

 狐子の父が亡くなり、理玄と再会した時、彼はすでに庫裏には住んでいなかった。現在雲岩寺の庫裏には、彼の実母と継父の二人が住んでいる。

 理玄は大きなお皿に大量のスイカをのせて縁側に戻ってきた。

 そして「いっぱい食べな」と、もう一度いった。

「ありがとうございます」

「塩とかいる?」

「いらないです」

 二人はいつものように無理に会話をすることなくスイカを食べた。

 考えるべきことがあるように思うが、うまく思考がまとまらないでいる。

 しかし理玄とスイカを食べていると、ぽんと答えがでてくるのではないかと錯覚する。週に一度しか顔を合わせないが、狐子にとって理玄は、唯一近しい存在かもしれなかった。


 狐子の父が亡くなってしばらくした頃、タトゥーを入れようか迷っていた時期があった。きっかけは思い出せないが、おそらくなにかの影響である。

 それを理玄に話したことがあった。

「タトゥーシール貼ってみたら? 半年間、それで不便がなかったら、入れてみてもいいんじゃない?」

 それもいいなと思った。

 しかしタトゥーシールを貼って一ヶ月もしないうちに、それを剥がすことになった。一ヶ月の間に、タトゥーシールをファンデーションで隠す場面が何度かあった。それが一生続くのは面倒だと思ったのだった。

 それを理玄に報告すると、彼は短く笑った。

「MRIができない場合もあるらしいよ。インクが反応するとか、なんとか。医学も科学も日々進歩してるから、今はどうか知らないけど」

「そうなんですね。知らなかったです」

「インプラントだっけ? 歯医者の。あれもMRIダメらしいよ」

「そうなんですか?」

「らしいよ。しかし、やった後のデメリットの提示も大切だよなぁ。神社仏閣の落書き問題もさ、落書きしたら建造物損壊だぞって立札でもあればいいんかね? でも、そんなん野暮だよなぁ」

 理玄はその後もぶつぶついっていたが、タトゥーの話はそれで終わりだった。

 この時のことを鮮明に覚えているのは、理玄の提案で救われた、という意識があるせいだろう。自分は世界のなにを知るでもないらしい。そんなことに気付かされた。


 スイカを食べていると、カサカサと茂みの方からタヌキがやってきた。

 理玄は「お、狸丸」と自然にタヌキを受け入れた。

「狸丸もスイカ食べるか?」

 狸丸なるタヌキは狐子を警戒しつつ、深くうなずいた。理玄が縁側からおりてスイカを渡すと、狸丸はその場でスイカを食べ始めた。

「人間に慣れているんですね」

「どうかな。人前に姿を現すのはめずらしいけどな」

 理玄はそういうと、スイカの種を庭に吐いた。

「あれ? 狐子のスイカに種ない?」

「ありますよ。飲んでます」

「あ、飲む派?」

「いえ、飲まない派ですけど」

「なんで飲んでんの?」

「吐きだすのも失礼かと思って」

「あ、ティッシュな。テレビの横にあるから使って」

 狐子は「すみません」といいつつ、家に上がってティッシュをとった。


 理玄が狸丸をなでると、狸丸はうれしそうに微笑んだ。

 スイカを食べている狸丸を見ていると「かわいいですね」と言葉が漏れた。

 コンビニの駐車場で朔馬と波浪を見た時も、似たようなことを思った。そしてその後、かすかに嫌な予感がした。

 しかし今、その感覚はない。

 自分の選択は正しかったのだと、改めて言い聞かせた。

 こんな幸福な時間が、たとえ一瞬でも自分によって、尾裂によって、奪われていいはずがないのだった。

 そう思うと、誰にでもなく「ごめんなさい」と頭を下げたい気持ちだった。

 そしてそれは、母のことも同様であった。

「なんか難しいこと考えてんの?」

 理玄はこちらを見ずにいった。

「母のこと、考えてました」

 狐子は正直にいった。

「母が死んだのも、私のせいだと思うんで」

 理玄は考えるように視線を浮かせた。

「それは尾裂がどうのって意味?」

「そうです。母が亡くなる数日前、車を運転する母を見かけたんです。その時、すごく嫌な予感がしたんです」

「尾裂がなにをしたにせよ、母親の生死には関わりがないとは思うけどな」

 そして理玄は「母親の死因、聞かされてない?」と狐子に問うた。

 理玄のいう通り、狐子は母の死因を誰に聞くこともなかった。それを聞くのが怖かった。

「理玄さんは知ってるんですか?」

 彼はうなずいた。

「教えていただけませんか?」

「肝硬変だって聞いた。アルコールにかなりやられてたらしい」

 自分を縛りつけていたなにかが、また一つ消えていった。



◆◆◆


 午前一時。

 狐子は波浪とともに、雲岩寺のふもとにある稲荷社にいた。

 朔馬と理玄は雲岩寺の鎮守社で、尾裂が起きるのを待っている。尾裂が起きたら、拘束してこの稲荷社に連れてくることになっている。

 波浪は稲荷社につくと、その周りで何かをしていたが、それがなんなのかは狐子にはわからなかった。波浪は何度も首を傾げていたが、見切りをつけたように狐子の近くに戻ってきた。二人は境内のベンチに座った。


「私、本当になにも見えてなくて……ごめんなさい」

 波浪は「とんでもないです」と首を振った。

「年の離れた妹なのかと思ってました」

 波浪は恥ずかしそうな、それでいて申し訳なさそうにいった。

――私は、妹もいいなって思いますけど

 あの時、波浪の隣には女の子の姿をした尾裂がいたのだろう。


「えっと、眠くない?」

 どういう経緯で理玄の手伝いをしているのか、いつからこういうものが見えるのか、双子の弟も同じものが見えていたのか、聞きたいことはたくさんあった。しかしどれも安易に質問できるものではないように思った。

「夕方眠ったんで大丈夫です」

 理玄ならばこういう時、どんな会話をするのか考えてみたが、自分が理玄の真似ができるとは思えなかった。

「高校も、もう夏休みなの?」

「はい、今日から夏休みです」

 狐子にも高校の夏休みという期間は存在したはずであるが、なにも思い出せないので何もしていなかったか、勉強をしていたのだろう。

「高校って、楽しい?」

 なにも考えずに質問した後で、狐子はすぐに謝った。自分が高校生の時に同じ質問をされたら不快だっただろうと思ったからである。

「謝る事じゃないですよ」

「こういうふわっとした失礼な質問って、よくされてたなと思って……」

「失礼だとは思わないですけど、たしかにふわっとした質問は答えに困る時はありますよね」

 波浪は失笑した。

「でも狐子さんのさっきの質問は、ふわっとしたものではなかったですよね? なんとなくですけど」

 狐子は小さくうなずいた。

「恥ずかしい話だけど、私は今も昔もほとんど友だちがいなくて、普通の高校生活というものがよくわからなくて、純粋に聞いてみたくて」

 狐子は正直にいった。

 ここまで自分をさらけ出せるのは、一番知られたくない部分を知られてしまっているせいだろう。

「答えになってるかわかりませんけど、高校はそれなりに楽しいです。でも、休みの方がうれしいですね」

「友だちと、普段なにして遊ぶの?」

「友だちはみんな部活に入ってるので、ほとんど遊ばないです」

「あ、そうじゃなくて、休み時間とか昼休みとか」

「休み時間は小テストの勉強か、教室移動してますね。遊ぶってことはない気がします。朝練があって、早弁してる子も多くいますね。昼休みは、お弁当を買いにいく子に付き合ったり、お弁当を食べて歯磨きしてるとすぐに終わりますね」

 友だちと呼べる存在がいれば、休み時間も昼休みもすぐに終わる感覚なのだろう。クラスに居場所がある者とは、そういう感覚で生きているのかと新鮮な気持ちになる。そしてそれを羨ましく思う。

「すごく楽しいこともなければ、すごくつらいこともないので、恵まれてるとは思います」

「中学生や小学生の時も、そんな感じだったの? 友だちとケンカとかしなかった?」

 波浪は視線を浮かせた。

「ケンカ、とかはないですかね? でも小学生の時は……数えきれないくらい、ムカつくことはありました」

「え? あ、そうなの?」

 無傷な人間などいないと思っていたはずである。しかし憂うことがないように見える高校生からそんな言葉を聞くと、最低にもほっとする。

「そうですね。自分も周りも、驚くほど馬鹿だったと思うので」

 人はなにかに傷ついて成長する。

 狐子自身もそうであったことを思い出す。

 大人の理不尽な言葉も、幼い友人の言葉も、本来ならば心のどこかに残り続けるはずだった。きっといわれた瞬間は怒りや悲しみを覚え、その相手を一時的に嫌悪した。

 しかしその翌日、相手が病気やケガに見舞われると、そんな感情は霧散する。そして一瞬でも相手を嫌悪してしまったことを後悔する。

「私の場合、怒りをおぼえた途端にその人がケガをするから、そのまま疎遠になることが普通だったんだけど、みんなちゃんと仲直りをするものなの?」

「疎遠になることもあると思いますけど、たぶん仲直りすることの方が多いと思います」

「疎遠になった人に、いじめられたりすることってあるの?」

「え、いじめですか? そういう頭のおかしい人は、私の周りにはいなかったと思いますけど」

 いじめをする人間を、頭のおかしい人とさらりと言い切れるのは、彼女の本心だからなのだろう。

「私は色んな人に嫌われてたけど、ありがたいことに、いじめみたいなものはなかったの。それは私の体質を怖がってのことなのか、周りに分別がある人が多かったおかげなのか、いまだにわからなくて……」

 結局なにがいいたかったのか、狐子自身もわからなくなってしまい、歯切れの悪い終わりになってしまった。

 波浪にも狐子の困惑が伝染したのか「なにもわからない」という顔で、地面を見つめていた。

「よくわからないですけど。特定の誰かを恨まずにいられるのは、すごくいいことだと思います」

 波浪はいった。

 きっと必死にしぼり出してくれた言葉である。気を使わせて申し訳ないと思いつつも、波浪の言葉を反芻するうちに、自分は誰も恨んでいないことに気がついた。

「確かに、誰も恨んでない気がする」

 波浪は安心したように微笑んだ。

「それは本当に、ものすごくいいことだと思います」

 波浪がしみじみといったので、彼女にはそんな人物がいるように思えた。

 狐子が波浪の横顔をみていると、彼女は「思い出し笑いじゃないですけど、思い出し怒りで眠れない時とか、いまだにあるんですよね」といった。

「その子とは、疎遠になったの?」

「いえ、今もすごく仲いいです」

 怒りがぶり返してくるほどのことをされた子と、今もすごく仲がいいのは、どういう感覚なのか狐子には分からなかった。

「そういう心の広さは、私にはない気がする」

 そもそも人を許した経験があるのかが、微妙なところである。

「心が広いわけじゃないですよ。その子は近所の幼なじみなんですけど、そうじゃなければ疎遠になってたかも知れません」

「でも許してるから、今も仲がいいんでしょ?」

 波浪は考え込むように押し黙った。

「微妙ですね。思い出し怒りで眠れない時は、謝ってもらいます。深夜に連絡いれます」

「え? その人は、謝ってくれるの?」

「謝ってくれます。悪いことした自覚はしっかりあるみたいなんで。でも謝ってもらっても、それほどすっきりしないんですよね。むしろ謝らせている自分が成長してないように思えて、みじめになるというか……」

 波浪は息を吐いた。かなり複雑な感情があるのだろう。

「だからなるべく、自分で消化するようにしてます」

 面白い関係のように思うが、幼い頃からの友人とは、みんなそんなものなのだろうか。

「でも、思い出し怒りに対して、いちいち謝ってくれる人は、かなり特殊だとは思います。そういう人だから、今も仲がいいのかもしれません」

 波浪は狐子の心を見透かすかのようにいった。

「家族とか兄弟とか、そんな感覚に近いかもしれません」

 きっと波浪はわかりやすく例えてくれたはずである。しかしその感覚さえも、狐子にはよくわからなかった。

「でもたけしが朔馬に優しくしてると、なんだか救われた気持ちになるんです。あ、その幼なじみが毅っていうんです」

 毅。元気そうな名である。

「毅は人にゲームを教える時、とんでもなくえらそうなんです。それはもう、何様なんだってくらいえらそうで、とにかくえらそうなんです」

 よほど嫌だったのだろう。

 狐子は一人の時間が多く、ゲームをすることもある。その際に暴言を吐くプレイヤーに遭遇することは何度もあった。そういう人が身近にいるということなのだろう。

「その影響もあって、私はほとんどゲームをしなくなりました。元々ゲームをする才能はなかったと思うことにしてます。ゲームを見てる分には楽しいので、憎しみはないです。頭を使ってない会話というか、参加しなくていい会話って聞いてると安心するんですよね」

 波浪は無感情にいった。

「でもさっきもいったんですけど、毅が朔馬にゲームを教える時、ちゃんと優しいんです。そんな姿をみてると、毅も成長したんだなって、私がそのいしずえになったんだなって、そう思うとだいぶ救われる気がするんです」

 礎という言葉を、日常会話で初めてきいたように思う。本人は真剣なのだろうし、きっと大きな出来事だったのだろう。


 幼い頃に受けた傷なんて、一生引きずるものではない。

 そういえる大人は、どれくらいいるのだろう。その記憶や感情は、誰にとっても強烈に刻まれ、人格形成に関わっていく。

 それは誰にとっても同じことである。

 尾裂から解放されたとしても、このままの自分を背負って生きていくしかないのだった。









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