世界を知るために
神殿を訪れたクレースの目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。
いや、特段変な光景ではない。
大広間のテーブルで、フレーナとメアが向かい合って食事をしていた。
ただそれだけなのだが、異様に幸せそうな景色だ。
邪魔するのもはばかられる。
また後で来よう。
そう考え、彼がそっと神殿を後にするべく踵を返すと……
「うおぉっ!?」
小さな空飛ぶ蛇が目前にいた。
『なにしてるのだ?』
「い、いや失敬。命神様とフレーナに用があってきたのだ」
『そっか。じゃあ呼んでくる』
メロアはぱたぱたと大広間に飛んでいく。
いつ背後を取られていたのか、クレースは気がつかなかった。
「興味深い生物ですね。アレは命神様の眷属でしょうか」
アイネロは興味津々といった様子でメロアを観察している。
やがてメロアの呼びかけによって、二人がクレースたちの下にやってきた。
「お食事中に申し訳ございません、命神様」
「いや、いい。それよりもフレーナに用があってきたんだろう?」
メアはすべてお見通しのようだ。
神の予感に驚きつつも、察しの早いことに感謝する。
クレースがフレーナに視線を向けると、彼女は気まずそうに微笑んだ。
「あー……さっきはあんまり挨拶できなかったね。久しぶり、クレース」
「ああ、久しぶりだ。さて……まずは謝罪をさせてくれ」
メアとアイネロが見守る中、クレースは最初に頭を下げた。
いきなり謝罪を受けたフレーナは慌てふためく。
クレースから謝罪を受けるようなことはされていないはずだが。
「どうしてクレースが謝るの? なにか悪いことしたの?」
「いや、違う。十年間ものあいだ、フレーナが苦しんでいるにもかかわらず俺は力になってやれなかった。もう少し早く俺が帰っていれば、少しでも顔を出していれば……お前を助けられたかもしれない。
どうか俺を許してくれ」
──なんだ、そんなことか。
まずフレーナはそう感じた。
クレースはまったく悪くない。
むしろ村人たちに怒りをぶつけてくれて感謝しているくらいだ。
フレーナはクレースの顔を上げさせて、逆に謝罪した。
「私の方こそ迷惑かけてごめんね。
でも、クレースがもっと早く来てくれていたら……私は生贄に捧げられることもなく、神様に出会うこともなかった。だから、私はこの人生を歩んでよかったよ。
過去は振り返らず、今が幸せならそれでいいの」
迷いなく吐き出されるフレーナの本心。
彼女はまるで他人事のように自分の過去を捉えていた。
思い出すのは幸福な思い出だけでいい。
そして、幸福な思い出もこれからメアとたくさん作るつもりでいたから。
「そう、か……余計なお世話だったみたいだ。
さすがは命神様の寵愛を受けし乙女。すごい精神力だな」
様子を見守っていたメアは満足そうに頷く。
最初は非常に自己肯定感の低かったフレーナも、ここまで自分の心を保てるようになった。
そしてアイネロもまた口を挟む。
「村長、トリナ様、シーラ様は拘束されることになりました。証拠は揃っていますので、これから王都で処罰を執行する予定です。
村の管理の後継は……まだ決まっていませんが、村人に任せるのではなく王都から役人を派遣しようかと」
「フレーナへの虐待、および身勝手な私刑。こんな悲劇はシシロ村の閉塞的な環境が招いたものだと考えている。俺も積極的に改善に取り組んでいくつもりだ」
アイネロとクレースが指導するなら、村の環境はまともになるだろう。
それならフレーナが世話していた家畜たちも安心というもの。
「フレーナはどうする? このまま村には戻らないつもりか?」
「えっと……実はね、旅に出るの」
「旅……?」
意外な言葉が飛び出した。
まさか旅、とは。
「神様と相談して、もっと世界を知るために旅に出ることにしたんだ」
メアとメロアと一緒に、世界を巡ってみようと決めた。
フレーナは王都に出てみて世界の広さを知った。
シシロ村だけで人生を完結させるのはやるせない。
もちろん、神殿にはメロア以外の眷属を残して。
何かあったときには、メアがすぐに戻れるようにしておく。
危険な旅路を望んでいるわけではない。
ただ楽しく、幸せと興奮に満ちた旅を夢見ていた。
「そうか。俺も村から出ることで、知らない世界を学んだ。
フレーナの旅が実りあるものになることを祈っている」
「うん、ありがとう」
クレースとフレーナは握手を交わす。
村の中でただ一人、昔と変わらずに接してくれる人がいる。
それだけでフレーナは救われた心地だった。
「さて、クレースよ。帰りましょうか。
長らく王都を不在にしていますので、あなたを心配している方もいらっしゃるでしょう」
「ああ……そうだな。では、フレーナに命神様。
失礼いたします」
恭しく礼をし、クレースとアイネロは去って行く。
去り際。クレースはそのまま神殿の外に出て行ったが、アイネロは足を止める。
そんな彼の背にメアが語りかける。
「アイネロ。お前の主にもよろしくな」
「はっ。メア様も息災でお過ごしください」
アイネはそれだけ告げて去っていった。
フレーナは首を傾げる。
今の会話はいったい。
「アイネロさんの主って? 王家仕えの魔術師なので国王陛下ですか?」
「いや、たぶんあいつは……他の神の眷属だよ。
初対面から俺の正体を見抜いてたと思う」
「えーっ!? てことは、アイネロ様とメロア様は同格ってことですか!?」
衝撃だ。
とてもじゃないが同格には見えない。
『フレーナー? それはどういう意味なのだー?』
「あ、い……いえ! メロア様の方が強そうだなーって!」
『うんうん! その通りなのだ!』
「いや、絶対メロアよりアイネロの方が強いけどな」
『なんだとー!?』
フレーナの咄嗟の言い繕いも気にせず、メアは本音をぶちまける。
メロアの主であるメアが言うなら、きっとその通りなのだろう。
怒るメロアをなだめ、フレーナとメアは食事に戻った。




