英雄クレース
神殿でひと休みしていると、メロアが運んできたのは鏡だった。
金縁の装飾に、独特な輝きを放つ宝石が埋め込まれている。
フレーナはピカピカに光る鏡面を覗き込んだ。
「これは?」
『あるじの様子を見てみよう。えい』
メロアが尻尾で鏡をこすると、鏡面に変化が。
水面のように揺らいで風景が映し出された。
なだらかな草原だ。
奥には森が広がっている。
そして……鏡の中を横切った巨大な影。
「わっ!?」
『驚く必要はないのだ。あのでっかい竜はあるじ』
メロアをそのまま数倍に拡大したような蛇竜が映っている。
蛇竜は草原を駆けて森の方に視線を巡らせていた。
何かを探しているようだ。
「私、最初はメア様が人間の姿で驚いたんですけど……あれは仮初の御姿だったんですね」
『どっちが本当の姿とかないのだ。どっちもあるじ』
「はぇー」
フレーナは夢中で鏡の中を覗き込む。
いったいメアがどんな行動を取るのか。
彼女は気になって仕方なかった。
***
(見られてる……)
メアは異空間から感じる視線を受けて苦笑した。
この視線はフレーナとメロアのものだろう。
特に気にする必要はない。
神としての仕事をまっとうすればいいだけだ。
(…………)
探しているのは件の魔物。
現れた魔物は『闇縫い蝙蝠』というらしい。
素人では到底駆除できず、竜に匹敵する凶悪種だ。
人里に紛れ込めば甚大な被害は免れない。
もっとも、神の敵ではないが。
『──そこか』
前方、数百メートル先。
森の影に潜む巨大な蝙蝠を感知した。
メアは翼をはためかせて滑空の姿勢を取る。
一気に飛び去ったメア。
彼の体躯はそのまま森の中を突き進み、やがて巨大な影に食らいつく。
闇縫い蝙蝠は反応する暇もなく、突然の襲撃者に引き裂かれた。
蝙蝠の残骸は黒い塵となって霧散していく。
メアはその様子を確認し、一息ついた。
なんだかフレーナの歓声が聞こえた気が。
(一応、他にも魔物がいないか確認してみるか)
そう思い立ったメアは身をくねらせる。
近くに魔物がいればすぐに感知可能。
集中して気を巡らせてみたのだが……
『……?』
意外にも、引っ掛かったのは魔物の気配ではなかった。
人の気配だ。
確実にこちらへ迫ってきている。
村人には村から出るなと伝えていたはずだが。
王都から派遣されてきた兵士か何かだろうか?
「……ほう。凶悪な魔物が出たと聞いたが、見たことのない種類だな。蛇竜か?」
背中に大剣を背負った青年。
白い髪を逆立たせ、紅の瞳でメアを見据えていた。
体つきは非常によく、歴戦の勇士を思わせる。
纏う気も素人のそれではない。
メアは彼の姿に見覚えがあった。
つい最近、見かけた気が……
『待て。俺は魔物ではない』
「人語を話した、だと……!? なるほど、そうやって人をかどわかす竜種もいるのか。知能の高い種族だと聞いていたが、まさか人語を解するとは……」
青年は今にも斬り掛かりそうな殺気。
まともに会話を試みようとしたメアだが、なんだか無理そうだ。
しかし困った。
基本的に、神は人前で人間の姿にはならない。
上位種であるという威厳を保たなければならないからだ。
さすがに一緒に暮らすフレーナには人間の姿を見せるが。
しかし、この青年は竜の姿のままだと襲ってきそうで。
メアは迷っていた。
『まあ、落ち着けよ。俺は魔物の討伐を依頼された神なんだ』
「神をも騙るか、愚物が。その不敬……万死に値する!
ロクミナの英雄、クレース・ロッカ……貴様を屠るッ!」
瞬間、クレースと名乗った青年はメアに斬り掛かった。
『だから落ち着けと』
だが、相手は正真正銘の神。
メアは軽く尻尾で弾き返した。
「なにっ!?」
『クレースって、王都に立ってた銅像の人か。てことはシシロ村出身で、フレーナとも知り合いか?』
「フレーナ……? ああ、そうだが……懐かしい名前だな。小さいころはフレーナと、トリナ、シーラとよく遊んでいた。
男一人なので寂しかったが……ってなぜ知っている!?」
クレースは驚愕したように仰け反った。
この調子から推察するに、おそらく村を経由せずに魔物退治に来たのだろう。
もういいか、とメアは嘆息する。
彼は竜の身体を組み替えて人間に戻った。
「さっきも言ったけど、俺が恵山に住む神。シシロ村の人から依頼を受けて魔物を倒してたんだよ」
「に、人間に戻った……まさか本当に神様なので?」
「どうやって証明すればいいかな。というか、竜と人の姿を使い分けられる時点で理解してほしいんだけど」
「は、はいっ! 充分に理解いたしました! これは大変なご無礼を……」
クレースは真っ青になって土下座する。
しかしメアは彼を制止して立ち上がらせた。
「謝罪はいい。お前は正しく村を守ろうとしただけで、義の心は充分に伝わった」
「ありがとうございます! 慈悲深い御心に感謝します!」
クレースは左右されやすいが純粋な人間らしい。
メアは彼の性格をおおまかに把握した。
王都の英雄だそうだが、悪徳貴族に利用されないか心配だ。
フレーナとどこか似通った純粋さを持っている。
こういう人間はメアの好みだった。
「これから結界を張り直す。お前も来るか?」
「はっ! ぜひお供させていただきます!」
クレースがシシロ近辺に戻ってくるのは、実に十年前のこと。
様変わりした村の様子も知らぬまま、彼はメアと共に歩いて行った。




