【短編】浮気夫を追い出しました。泣き寝入りなんていたしません。
「エリザ、許してくれ。気の迷いだった、本気じゃなかった。愛してるのは君だけだ」
ブラッドリーがエリザの手を握って、目をのぞき込む。
「さようでございますの。私の集めた情報からはそうは思えませんけれど。では、読んでみましょうかしら」
エリザはブラッドリーの手を振り払うと、手紙の束を読み上げる。
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オリヴィア、愛する僕の妖精
昨日のあなたは本当に愛らしかった。
朝あなたの寝顔を見て、どれほど離れがたかったことか。
もう少しでエリザと別れるから、それまで待っていておくれ。
そうすればいつまでも一緒にいられるのだから。
永遠にあなたのブラッドリー
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フローレンス、僕の愛しい女神
僕の贈ったドレスを着たあなたは、月の女神のようだった。
あなたの踏んだ地面さえも愛おしいよ。
春になったらドートマスに旅行に行かないかい?
あなたの瞳のように美しい紫の花が咲くらしい。
あなただけのブラッドリー
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サッシャ、僕の永遠の宝石
あなたに出会って、僕は愛の意味を知った。
あなたのいない世界は砂を噛むようにつまらないよ。
あなたの瞳を見るだけで、僕にはなんだってできる気がする。
明日会えるのが楽しみだ。
太陽はどうしてこんなにノロマなんだろう。
あなたに愛を誓う ブラッドリー
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「まだまだございますけど、続けますか?」
「いや、それは……。エリザ、分かってくれ。僕は寂しかったんだ。君は子供に、マリーに夢中で、僕にかまってくれなかっただろう。だからつい、出来心で」
「まあ、十回も出来心が? ブラッドリー、出来心ってせいぜい二回ぐらいまでではないかしら?」
ブラッドリーは目をキョロキョロさまよわせている。
「ブラッドリー、こちら請求書ですわ」
「な、なんだこの大金は。僕にはこんなお金はない」
「あら、慰謝料ですわよ。結婚のときに交わした契約書に書いてある通りですわ。それに、半分はあなたが恋人に使ったお金ですわよ。私、用途不明の請求書を、黙って支払うほどおめでたくはありませんもの」
エリザは請求書をブラッドリーの手から取り返した。
「この請求書、マーゴット・ゼグラー公爵夫人が買ってくださるそうですの。あなたの荷物は既にマーゴット公爵夫人宅にお送りしていますわ。あら、ちょうど迎えがきたみたいですわね」
執事が扉の向こうで頷いた。
「な、僕を売ったのか? 僕はあんな老婆のところには行かないぞ」
「まあ、ではこの請求書どういたしましょう? 私、世間知らずですから、下町の適当な債権回収屋に売ってしまうかもしれませんわ。そうすると、あなた困ったことになりません?」
エリザは無邪気な表情で小首をかしげる。
「ブラッドリー、あなた借金を返すあても才覚もございませんでしょう。であれば、体で返すしかないと思うのですわ。幸いあなたはとても美しい殿方ですから、買い手は見つかりますわ。不特定多数に安く何度も売るか、マーゴット公爵夫人に売るか、どちらがいいのかしら。あなたの人生ですもの、ブラッドリー、あなたがお選びになって」
ブラッドリーは絶望を目に浮かべ、言葉を絞り出した。
「マーゴット公爵夫人のところに行く」
エリザは晴れやかに笑った。
「そう、それがよろしいと思いますわ。マーゴット公爵夫人は裕福ですもの、あなたを甘やかしてくださるわ。ただ、マーゴット公爵夫人は飼い犬がよそでオイタをするのはお許しになりませんわ。飼い犬は主人だけに忠実であるべき、でないと放逐もしくは処分だそうですのよ。ご注意なさってくださいな」
エリザは優雅にカーテシーをする。
「それではご機嫌よう。ブラッドリー、もう二度と会うことはありませんわ。あなたの幸せをお祈りいたしますわ」
ブラッドリーはマーゴット公爵夫人の使いに連れられて行った。エリザは請求書を執事に渡す。
「マーゴット公爵夫人に直接手渡ししてね」
「はい、奥様。すぐにお届けいたします」
「しばらくひとりになりたいの、マリーをよろしくね」
「はい、お任せくださいませ」
***
エリザ・マクアダムス子爵は、十八歳のとき父を亡くし子爵位を継いだ。母は幼いときに亡くなっていた。幸い領地を任せていた家令のサミュエルが優秀だったので、エリザは王都での事業に集中することができた。
父の忠臣であった執事のゲイリーは、エリザの右腕として常に支えてくれた。必死で事業を運営し、領地経営についてサミュエルから学ぶうちに、エリザは二十三歳になっていた。
貴族女性としては行き遅れといっていい年だ。後継ぎを産まなければならない、エリザは慌てて婿入りしてくれる貴族子息を探した。
残念ながらエリザは平凡な容姿をしている。決して醜くはないが、印象に残りにくい地味な容貌だ。美人ではなく、行き遅れのエリザに婿入りしたいという令息はほとんどいなかった。
そんなとき友人のお茶会でブラッドリーに出会った。ブラッドリーは美しかった。柔らかく波打つ金髪をゆるく束ね、驚くほど濃い青色の瞳はいつもにこやかにきらめいている。スラリと背が高く、均整のとれた体躯。
まあ、王子様みたいな人がいるわ、エリザはついブラッドリーを不躾に見つめてしまった。ブラッドリーはエリザの視線に気づくと、パアッと屈託のない笑顔を浮かべる。
まるで、私に会えて嬉しいみたいに見えるわ、そんなわけないのに。エリザはドギマギしながら紅茶を飲んだ。
「エリザ・マクアダムス女子爵でいらっしゃいますか?」
エリザはブラッドリーをぽかーんと見上げる。どうして王子様が私に話しかけているのかしら? エリザは混乱して答えられなかった。
「僕、ブラッドリー・エガートンです。エガートン子爵の四男です。あちらにキレイなバラが咲いているそうですよ、一緒に見に行きませんか?」
ブラッドリーのたくましい腕に支えられ、エリザは夢心地のまま庭園を歩いた。
フワフワした気分のまま屋敷に帰って、ボーッとしていると手紙が届いた。
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エリザ様
あなたにお会いできて嬉しかったです。
お花がお好きなのですね。
週末に湖にピクニックに行きませんか。
あなたのように可憐な花が咲いているそうです。
ブラッドリー
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エリザはこれは夢かと、何度も何度も手紙を読んだ。自分の目が信じられなくて、侍女のハンナにも読んでもらった。ハンナは喜び、早く返事を書くよう催促する。エリザは震える手で何度も書き直し、やっと手紙を書き上げた。
なんだかよく分からないうちに、ふたりの距離は縮まり、あれよあれよという間にブラッドリーの婿入りが決まった。今思うと、ゲイリーはあまりよく思っていないようだったが、初めての恋に有頂天になっていたエリザは気づかなかった。
「僕の家は貧乏でね、持参金を用意できないんだ」
ブラッドリーは悲しそうに言う。
「でも、エリザへの愛は誰にも負けないよ」
エリザは嬉しかった。この美しい人と毎日一緒に暮らすのだ。夢ではなかろうか、何度も頬をつねって、ブラッドリーに優しく止められた。
結婚式で、初めてブラッドリーはエリザにキスをした。大切にされてるんだわ、エリザは幸せでいっぱいだった。
***
エリザは夫婦の寝室に入る。短かったが、幸せなときも確かにあったのだ。
ブラッドリーは三回だけエリザを抱いた。
「あなたが愛おしすぎて、壊しそうで、胸が苦しくなるんだ」
ブラッドリーは辛そうな目でエリザを見つめる。エリザは愛されすぎて怖かった。
エリザに懐妊の兆候が現れると、ブラッドリーは寝室を別にしたいと言った。
「あなたの体に障ってはいけないだろう。赤ちゃんに影響があるとよくないし。ゆっくり寝て、元気な子を産んでくれるかい、僕のお姫様」
エリザは、なんて優しい旦那さまなんだろうと感動した。
ブラッドリーはだんだん、朝帰りするようになった。
「子供のいる友人に話を聞いていたんだ。僕も父親になるからね」
エリザは返事をしなかった。
エリザは執事のゲイリーと長い話をした。
もう愛はないのだと分かった。
元々愛などなかったのだと知った。
エリザはハンナに見守られて出産した。半日に及ぶ激痛に耐え、ブラッドリーにそっくりな美しい女の子を産んだ。エリザはマリーと名づけた。ブラッドリーは屋敷にいなかった。
エリザはブラッドリーを売り飛ばすことにした。あんな父親はマリーに必要ない。
ゲイリーが全てを手配した。ブラッドリーはエリザ様の毒になる、それが屋敷の者たちの一致した意見だった。
エリザは木箱を寝室の床に置く。
机の上に飾っていた陶器の鈴を手に取る。ブラッドリーが初めての街歩きで買ってくれたものだ。エリザは鈴を木箱に叩きつける。
「愛していたのに」
壁に飾っていたドライフラワーを投げ入れる。初めてもらったバラの花束だった。
「私のこと好きだって言ったじゃない」
手紙の入った小さな箱を落とす。
「美しい人が好きなら、どうして私に声をかけたの」
指輪を抜いた。
「あなたは私に愛をくれなかった」
指輪を落とす。
「でも、マリーを授けてくれたわ」
木箱の蓋を閉めた。
「さようなら、私の愛したあなた」
涙は出なかった。ただ虚しかった。
***
エリザはマーゴット公爵夫人から受け取った莫大なお金で、新しい事業を始めた。法律や金融に詳しい貧乏貴族の令息や、情報収集が得意な平民を雇った。
今日は記念すべきお客さま第一号との面会だ。
「アンバー・サイフリッド伯爵夫人でいらっしゃいますね。私エリザ・マクアダムスと申します。旦那さまと円満に離婚する方法をお探しでいらっしゃるのですね。ぜひお話をお聞かせください。お力になれると思いますわ」
エリザは、不幸な結婚を我慢して続けている女性を助けたかった。貴族の離婚は簡単ではない、金と情報と力が必要だ。そして、親身になって助けてくれる人が。
幸いエリザには、信頼できる者がたくさんいるし、資金も経験もある。惨めな思いをする女性を助けられれば、いつか自分の傷も癒えるのではないか。
エリザはアンバーの手をそっと握る。
「一緒に自由をつかみとりましょう」
エリザは力強く頷いた。
私たちの未来はこれからじゃないか。
<完>
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