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恋わずらい 〜恋できないのは君のせい〜

作者: ゆゆ

俺の名前は秋月涼太。25歳童貞の冴えないサラリーマンだ。特に特筆した能力がある訳でもなく、平々凡々な人生を送ってきた。


もちろん女性にモテたことなど一度もなく、人生に3度あると言われるモテ期というものを25年間待ち続けているが、未だ訪れる気配はない。


そんな俺だが、人生に一度だけ叶わぬ恋をしたことがある。相手は当時高校生だった俺の一年後輩の(たちばな)琴音(ことね)。俺のいたサッカー部のマネージャーだった女の子だ。彼女の明るい笑顔や人懐っこい性格にそれはもうコロッと恋に落ちてしまった。


俺の自惚れでなければ、異性で一番彼女と仲が良かったのは俺だった気がする。しかし、相手は学校中で噂になるほどの美少女だ。平々凡々な俺では釣り合いが取れないと、結局俺が2年の最後に親の転勤で転校するまで告白することは出来なかった。


その後、告白しなかったことを幾度となく後悔することになるが後の祭り、新しい恋をすることもできず、結局今の今まで引きずり続けている女々しい男、それがこの秋月涼太である。


「はぁ〜。」


とまあ、そんなことを平日の朝から自分のデスクで考えていると思わずため息をついてしまった。


「おいおい、相変わらずしけた顔してんなぁ。だから、モテないんだよお前は。」


話しかけてきたのは、同期で仲の良い青山だ。

このようにからかってはくるが、仕事も出来て根はいい奴だ。


「ほっとけ。もともと、こういう顔だ。」


「そーかよ、でも昼までには顔でも洗ってそのツラ直しとけよ?」


「おい、いくら俺が冴えないとは言え言い過ぎだろ。」


「おいおい、お前昼から大事な商談あるんじゃなかったか?まさか、忘れてんじゃねぇーだろーな。」


「あ。」


そういえば、今日は大手の会社との商談がある日だ。いや、別に忘れてた訳じゃないからね?緊張しすぎて、現実逃避してただけだから。


「いいよなぁ、なんでも相手さんはとんでもねぇ美人らしいじゃねぇか。仕事もバリバリできてとんでもない出世頭らしいぞ。」


「コンパじゃないんだぞ。代われるなら代わって欲しいくらいだよ。」


「冗談だよ、疲れた顔してたから何か頑張れる理由があればと思っただけだ。まぁ、がんばれよ!」


そう言うと、青山は手をヒラヒラさせながら自分のデスクに戻っていた。


「ありがとな、頑張ってみるよ。」


何に関しても平々凡々な俺だが、もしかしたら同期運はかなり良いのではなかろうかと思う俺なのだった。






「え!!」


遂にやって来た大手との商談、この失敗出来ない重要な時にこんなアホみたいな声をあげてしまったのには訳がある。


それは、手元にある相手の名刺とそれを渡した目の前の稀に見る超絶美人の女性せいだ。


「な、なにか?」


相手も相手でキョトンとした顔をしているが、別に俺はこの女性があまりにも綺麗だから声をあげた訳ではない。いくら女性慣れしていないとは言え、大事な商談の場でそのようなアホな理由で声をあげる俺ではない。


ではなぜこうなったのか、それはその女性が俺が人生で唯一恋し、未だに引きずり続けている女性、橘琴音その人だったからである。


キリッとした瞳の整った顔立ちと綺麗な黒髪、当時はポニーテールだったが今はミディアムロングで髪を下ろし、かきあげられた前髪からは大人の色っぽさも醸し出されている。


スーツも綺麗に着こなしており、当時の人懐っこいイメージとは変わっているが、面影はしっかり残っている。


「あ、いや…。」


数秒固まっていた俺は、そこでやっと我に帰りキョトンとしている琴音にひきつった笑顔で返した。


「あ、もしかしてなんで年下なのに役職がついているのか気になりましたか?」


どうやら、琴音の方は俺に気づいている様子はなくそんな風に訪ねてくる。


「す、すいません。」


「いえ、お気になさらず。取引先でもよく聞かれるんです。」


俺の考えていたこととは違うが、確かにそこも気になっていた。琴音は俺より一つ下のはずなので、役職がつくにはあまりに早すぎる。


「実は私、大学に入学した頃からずっとインターンとしてこの会社で経験を積ませて頂いてまして、大体の仕事内容は把握してたんです。」


「なるほど…。」


とは言ってみたものの、それを考慮しても早すぎないか?まぁ、琴音は高校の時からなんでもそつなくこなしてたし、あり得ない話ではないが。


「ははは、そうなんですよ。橘くんはそれはもう優秀でインターンの時から社員より仕事ができたものですから、学生時代から引き抜こうかと話題に上がったくらいなんですよ。」


そう付け加えたのは、琴音側のもう一人の担当者でこちらも如何にも優秀そうな中年の男性、山本さんだ。


「なんと!そうでしたか。私どももお噂はかねがね…。」


それに応えたのは、ウチの会社のもう一人の担当者で、俺の直属の上司でもある渋谷さんだ。


先程まで急に声をあげた俺を鬼の形相で睨んでいたのでもうどうしようかと思っていたが、さすがはプロ、今ではすっかりビジネススマイルが顔に張り付いている。


こうして、何とか変な空気になることなくスムーズに商談に入ることが出来た。


それにしても、まさかこんな所で長年忘れられなかった想い人に再会するとは思わなかった俺は、商談中も平常心を保つのにかなり神経を費やすことになるのだった。





「じゃあ、秋月くん!君はしっかり橘さんを送り届けるんだよ〜!おつかれ!」


どうしてこうなった!!


気づけば、すっかり意気投合した渋谷さんと山本さんがベロンベロンで肩を組みながら帰っていく後ろ姿を俺と琴音が見送るという謎の状況に陥っていた。


簡潔に説明すると、結果商談は上手くいったのだが、何故か意気投合した渋谷さんと山本さんが打ち上げに行こうと言い出し、それに俺と琴音も付き合う形になってしまったのだ。


「じゃ、じゃあ送って行きます。」


正直、気まずさMAXではあるがこうなった以上、琴音をこんな時間に一人で帰す訳にもいけないので恐る恐る声をかけてみる。


「ふー、いえ結構です。お構いなく。」


しかし、返ってきた答えはあまりにもそっけなかった。先程までの丁寧な態度はどこに行ったのか、琴音は目すら合わせることなく、仕事は終わったとばかりに一人で歩き出してしまう。


「え!ちょ、ちょっと!」


一人でスタスタと行ってしまう琴音に一瞬固まった俺だが、すぐさま琴音の後を小走りで追う。


今の時刻は10時を少しまわったくらいで、特段遅い時間でもないものの、女性の一人歩きは出来るだけ避けた方がいいだろう。特に、琴音は綺麗な女性だ。何がないとも限らない。


それに俺には彼女に確かめたいこともあった。


「女性の一人歩きは危険ですから!途中まででも送りますよ!」


「ホントに結構ですから、ついて来ないでください。」


琴音はまたもや少し強い口調で断った。


「いや、でも…。」


「はぁぁ、この際だから言いますけど私貴方にこれっぽっちも気なんてないですから。」


「は?」


「多いんですよね。仕事だから丁寧に接してるだけなのに勘違いして誘ってくる人。」


琴音はいかにもめんどくさそうに、スタスタと歩きながら言う。


「いや、そんなつもりは…」


確かにこれほどの美人だ、言い寄る男は数多くいただろう。高校時代も毎日のように告白されていたようだし、人一倍こういうことに敏感なのかもしれない。


琴音が嫌がってるのに無理について行くのもなんか悪い気がしてきたな。


「分かりました。じゃあ、その代わりに一つ質問しても良いですか?」


「どうぞ?」


琴音は少し怪訝そうな顔をしたが、これで話が終わるのならと質問を許してくれた。


「じゃあ、遠慮なく…。俺のこと覚えてたりしますか?」


今日久々に琴音と再会してずっと聞きたかったことをぶつけてみた。


商談の時も飲み会の時も、琴音は俺を覚えているような素振りは一度も見せなかったし、高校時代の話を振ってみるような機会も無かった。


高校時代はそれなりに仲が良かったはず…だし、もしかしたら俺を思い出してくれるかもしれない、そんな淡い期待を込めての質問だった。


「・・・。」


琴音は俺の質問には応えないまま、突然俯くようにしてその歩みを止めた。


「橘さん…?」


一体何を考えているのか、夜の暗さも相まって彼女の表情を読み取ることができない。


数秒たった後、琴音は決心したようにバッとこちらを振り向くと、俺に向かってこう言い放った。


「どちら様ですか?貴方のような人は一切心あたりありません。」


表情こそ笑顔だが、なにか怒気を含んでいるようなそんな表情だった。


「では、失礼します。」


琴音の言葉に言葉を失ってしまった俺に、彼女はスタスタと背を向けて帰って行ってしまった。








その日の夜、俺は夢を見ていた。


「りょーうくん!」


「おわ!?」


学校のベンチに腰掛けていた俺の背後からひょっこりと顔を出した琴音は、俺の間抜けズラを見て満足そうに笑う。


「お前なぁ、そういうことすんのやめろって言っただろ。あと、俺一応先輩なんだけど…。」


「はいはい、ごめんなさーい。でも、君ってばりょーくんって呼ぶと嬉しそうにニヤけてるよ?」


「に、にやけてねぇーし!あと、君じゃなくて先輩ね?」


「私、りょーくんのそういう細いとこきら〜い。」


琴音はそうからかうように笑って、俺の横に腰掛ける。


「悪かったな、細かくて。で、なんの用だよ?」


「別に、最近サボりがちな先輩に喝を入れにきただけ。」


「ああ…。今日は行くよ。心配かけて悪かったな。」


「そか…。あ、あのさ…、別にレギュラーになることだけが全てじゃないから。やっぱり、続けることが大事だと私は思う。」


「いいって、慰めてくれなくて。俺が平々凡々な人間だってことは俺が一番よく知ってるからさ…。」


俺はそう言って、つくり笑顔を浮かべる。


「ううん、りょーくんは平々凡々なんかじゃないよ。人が困ってたら真っ先に気づいて助けてあげる、君はそんな優しい人だから…。そんな人の努力が報われない訳ないよ。」


「別に優しくなんてねぇよ。そんな事でもしないと平凡な俺はみんなと同じラインに立てないってだけで…。」


「バカだなぁ、君は。君の思う「そんな事」は当たり前に出来ることじゃないって、君は気づいた方がいいよ?」


「そ、そうかな…。」


「そうだよ。私、君のそういう所好きだなぁ…。」


琴音は空を見上げるようにして言う。


「え?」


俺がそう聞き返すと、琴音はあっ!と一声漏らすと、みるみる顔を真っ赤にして口を手で押さえながら勢いよく立ち上がった。


「と、とにかく!今度部活サボったりしたら許さないってこと!じゃあねっ!」


琴音はそう口早に言うと、小走りで走り去っていった。


俺は琴音のあまりの慌てように、思わず吹き出してしまう。


「ありがとな…。」






ピピピッ ピピピッ


「ん?なんだ…、夢か…。」


時刻は午前5時を過ぎたあたり。まだ起きるのには早いが、なんとなくもう一度寝る気にはなれなかった。


「「どちら様ですか?」か…。」


覚悟はしてたけど、結構きついなぁ。


出会ってから9年、離れてからは8年ずっと想い続けてきた相手に忘れられていた。


俺が大切に思っていた高校時代の思い出も琴音にとってはよくある何でもない日常の一コマに過ぎなかったのかもしれない。


「まぁ、そうだよな…。」


そもそも、俺のような凡人が琴音に恋すること自体が無謀だったのだ。あわよくば…、なんて考えるべきじゃなかった。

琴音は俺のような凡人では一生掴むことのできない高嶺の花だ。


まぁ、簡単に諦められるくらいなら9年も初恋を拗らせてはいなのだが。


「寝よ…。」


いつか大学時代の友達にこんなことを言われたことがある。


「お前のは恋って言うより、恋わずらいだな。」


その時俺は、その言葉が自分の中で妙にしっくりきたような気がしていた。


いくら忘れようとしても忘れることが出来ない、何をしていてもふと気付くと彼女のことを考えている。

そんな状態が9年だ。


まさしく恋わずらい。治療法のない恋の病だ。







翌日の夜、会社を出た俺は相変わらずもいった感じでとぼとぼと一人帰路についていた。


今日はいつも通りの業務で琴音の会社との打ち合わせもなく、内心ホッとしていた。


正直、今琴音と会ったら普段通りを装える気がしない。


「本気で青山に担当変わってもらおうかな…。」


そんなことを考えつつ、いつも通りの帰り道を歩いていると、何やら前方で揉めている二つの影がある。

よく見えないが、シルエット的に男性と女性が揉めているようだ。


おいおい、こんな道端で修羅場かよ。

どうせよくある男女の痴話喧嘩だろう。翌日にはすぐ忘れてイチャイチャしてるに違いない。

よくもまぁ、こんな人目のある所で、やるならせめて人目の無いところでやれば良いのに。


しかし、めんどくさいな。俺の家に帰るにはこの道を通るほかないのだが…。


まぁ、滅多に巻き込まれるようなことはないだろう。ここは一般通過おじさんとしてやり過ごすとしよう。


そんなこんなで、歩みを進めていくと、いよいよ男女の顔の見える位置まで近づいてきた。


男の方は背が高く、高級そうなスーツを来たいかにもエリートといった男性で、女性の方はと言うと綺麗な黒髪に目を見張るような整った顔立ちの女性だった。


ってちょっと待てよ、男の方は知らないがこの女優顔負けの美人には見覚えがあるぞ。


俺が見間違うはずもない正真正銘、橘琴音その人だ。


今、一番会いたくない人に出会ってしまったダメージもあったが、それよりも琴音が男と揉めていることの方に関心がいってしまう。


詳しくは分からないが、どうやら男の方が少し強めに琴音に言い寄っているように俺には見えた。


なんか、雲行きが怪しくなってきたぞ…。


しかしこれは琴音とこの男との問題であり、高校時代のただの友人、琴音にとってはそれ以下の存在でしかない俺が口を挟むようなことではない。


何も起こらない事を祈りつつ、琴音の横を素通りしようとしたその時、男が急に琴音の腕をぐっと掴んだ。


「痛いッ!」


そんな琴音の声が聞こえる。


「琴音ッ!」


俺は思わず琴音の腕を取って守るように引き寄せていた。


「りょーくん!?」


琴音が俺の顔を見てそう言った気がするが、今はそれどころではない。


「なんだ、アンタは!」


男はいきなりの俺の出現に一瞬驚いたようだったが、すぐに強い口調でそう凄んできた。


しまった…、一般通過おじさんを決めるつもりが思わず割り込んでしまった。

しかし男の方が少し乱暴だったのは間違いないし、こうなった以上覚悟を決めるしかない。


「ただの通りすがりの者ですが、揉めているように見えたので。」


「アンタに関係ないだろう!俺は彼女と話をしているんだ!」


元々少し興奮していた様子だったが、俺が入ったことでより興奮してしまっている。


「なら、もっと冷静に話をするべきでしょう!女性に乱暴しないでください!」


「チッ、もういい!琴音、また来るからな!」


男は吐き捨てるようにそう言うと、スタスタと歩き去っていた。


「何なんだったんだ、一体…。」


俺は去って行く男を呆然と見つめる。


「あ、あの…。」


「あ!!ご、ごめん!」


男を止めるのに必死で琴音の肩を抱いたままの体勢だったことをすっかり忘れていた俺は、慌てて琴音から飛び退いた。


琴音は顔をほんのり赤く染めて、、少し背の高い俺を上目遣いするように見つめていた。

もしかして、顔を真っ赤にして怒っているのだろうか?


そういば、さっきの男とどのような関係なのか聞いていなかったし、俺のせいで男が帰ってしまったのを怒っているのかもしれない。


「な、なんで君が謝るのよ…。」


しかし予想とは違い、声色からしてどうやら彼女に怒っているような様子はない。


「いや、なんか勝手に口出ししちまったし…。」


「いいのよ。正直しつこくて参ってたんだよね…。ありがとう、助かった。」


そう言って琴音は俺に微笑む。

昔と変わらない美しい笑顔、俺は琴音のこの表情が一番好きだった。

まるで、高校時代に戻ったかのような感覚だった。


と、そこまで考えて俺はふとあることに気付く。

なんか俺、琴音と普通に喋ってないか?


俺は気付かぬ内にまるで昔のような口調で琴音に話しかけていたし、琴音もまた昔のような口調で返してくれている。


コイツ、俺のこと気づいてるんじゃないか?

そういば、先程も俺の顔を見て「りょーくん」とか口走っていた気もする。

ちなみに、俺のことをりょーくんと呼んだのは後にも先にも琴音ただ一人だった。


「なぁ、琴音?」


「うん?」


「もしかしてだけど、俺のこと気づいてるよな?」


「あ…、」


琴音はあからさまにしまった!と言う顔をする。

たしか、琴音は昔から文武両道ではあったが変なところで抜けているようなところがあった。


「ぜ、ぜんっぜんり…、君のことなんか覚えてないから!もう、ほんと誰ですか?って感じ!」


琴音は早口で捲し立ててくるが、全然誤魔化せていない。


「さっき、俺のことりょーくんって呼んだよな?」


「は、はぁ?よ、呼んでないし、君の勘違いじゃないの?」


「いやいや、絶対呼んでただろ。それにタメ口で喋ってる時点でもう…。」


そこまで言うと、琴音はググググッと唸りながら俺を睨んだ。


「睨むなよ…。でも、なんだ良かった〜。完全忘れられてると思って悩んだ時間を返してくれよ。」


内心めちゃくちゃ喜んでしまっている俺は、顔がニヤけるのを押さえながらそう揶揄う。


しかし、琴音は少し俯いて数秒黙りこくった。


「琴音…?」


「う、うるさい!私は君のことなんか知らない!君みたいな薄情者…知らない…。」


いきなり声を荒げた琴音は、冗談で言っているようには見えなかった。

俺は知らない内に何か琴音にしてしまったのだろうか?それに、琴音の言った薄情者という言葉が妙に俺の心に引っかかっていた。


「分かったよ…。俺のことなんか覚えてないよな、ごめん。」


「・・・。」


琴音は答えずに、俺から顔を背ける。


「とりあえず、送ってくよ。結構暗いしさ。」


「いいよ…、一人で帰れるから。」


琴音はそれを断り一人で歩いていってしまう。


しかし、こればっかりはこちらも譲るわけにはいかない。俺は帰ろうとする琴音の腕を後ろからそっと掴み、琴音を引き止める。


「腕震えてんじゃねぇか。怖かったんだろ?これだけは、俺も譲れないから。」


琴音は今初めて自分が震えていたことに気づいたのか、一瞬ハッとした顔をすると震える自分の腕をぎゅっとと握った。


「分かった…。家までお願い。」


琴音は俺の真剣な表情に折れたのか、家まで送り届けることを許してくれた。






俺は琴音の歩幅に合わせて、肩を並べるようにして歩く。そう言えば、高校時代もこうやって二人で帰ってたな。


久しぶりに琴音と肩を並べて歩くことができて嬉しい反面、すっかり大人びた彼女を見ると少し寂しいような気もする。


「琴音。言いたくなければ言わなくても良いんだけどさ、さっきの人とはどういう?」


警戒心の強い琴音が2人きりで会っているくらいだ、それなりに深い関係なのは分かるが、あんな場面に出くわしてしまえば気にせずにはいられない。


「あの人は…、〇〇社の社長の息子さん。」


これは驚いた、〇〇社と言えばかなりの大手じゃないか。その社長の息子となればかなりのお金持ちだろうな、言われてみれば見るからに高そうなスーツを着ていた。


「そ、そうなんだ…。で?どんな関係なんだ?」


「それは…。」


琴音は俺の質問に答えようとして、何かを思いついたように口籠った。


「琴音?」


「彼は私の元彼なの。」


琴音は俺の反応を観察する様にしながら、そう告げる。


「も、元彼!?」


俺はあまりのショックに思わず咳き込んでしまう。


「そ、そ、そうなんだ…。」


まさかとは思っていたが、やはりそういう関係だったか…。しかし、よく考えてみたらそれも当然のことだろう。こんな魅力的な女性を世の男どもが放っておく訳がない。それに琴音も年頃の女性だ、これまでも数多くの恋愛をしてきたことだろう。


ああ、自分で言ってて悲しくなってきたな…。


「そうなの。付き合ってる時は、とっても素敵な人だったのよ?優しいし、かっこいいし、エスコートも完璧だし?それに…、あっちの相性も良かったしね?」


「ぐはッ!」


ああまずい、心にダメージを負いすぎて血反吐を吐いてしまった。

あっちってどっちのことだろうね?うん、童貞の俺には全然ワカラナイヨ。


しかも、なんで琴音は俺に当てつけるように言ってくるんだ?今日、俺を殺しにきたのかな…? 


「なら…、なんで…元彼さんと…あんなことに…?」


俺は心に瀕死のダメージを受けつつもなんとか話を続ける。


「うん…、実はずっと交際を申し込まれてて、断ってるんだけど諦めてくれなくて。それに、あの人ちょっと強引なところがあるから。」


なるほど、それであんなことに…。

しかし、モテるというのも結構大変なんだな。


「そっか…。あのさ、今日のこともあるし明日からしばらく一緒に帰るか?」


「いいよ、悪いし…。それに、あまり君を巻き込みたくない。」


「遠慮すんなって、それで琴音が安心できるなら俺は良いからさ。」


これは俺の本心だ。こんな俺でも琴音の助けになるならなんでもやってやりたい。

決して、俺が一緒に帰りたいからとかじゃないから。ホントだから…。


「ふふッ!君のそういうところ全然変わってないね?」


「そういうとこってなんだよ?」


「困ってる時に、絶対手を差し伸べてくれるところだよ。」


「そうかな?」


「そうだよ。まぁ、みんなにもってところはちょっとモヤッとするけど…。」


「え?」


「なんでもない。っと、そんなこと話してたらもう着いちゃった。」


どうやら、色々と話している内に琴音の住むマンションに着いてしまったようだ。


「今日は、ありがとう。すっごく助かった。」


「おう。気にすんな。」


「じゃあね。」


琴音は小さく手を振ると、スタスタと背を向けて歩いていく。


美人というのは後ろ姿さえも絵になるもので、名残惜しく琴音の後ろ姿を見つめていると、琴音はそれに気づいたのか再び振り返る。そして、


「りょーくん!明日も、その…。よろしく!」


琴音はそう言うと足早にマンションに入っていった。


「それって…。」


その帰り、俺は珍しく鼻歌を歌いながらるんるん気分で帰路に着くのであった。






〜琴音視点〜


今日、最近しつこく会いにくるあのボンボンに言い寄られているところをあの人に助けられた。


名前は秋月涼太。高校の時に出会い、今もなお実らない想いを寄せている相手だ。


出会いは私がマネージャーとして入部したサッカー部…、だと向こうは思っているだろうが、ほんとは違う。


私達が初めて出会ったのは、私の高校入学試験の日だ。


「ど、どうしよう!」


入試の当日、私はたどり着いた高校の門の前で顔を青ざめさせていた。


「受験票がない…!?」


そう、私はよりにもよって入試当日に受験票を無くすという大ポカをやらかしていた。

昨日も、家を出る前にも、カバンに受験票が入っていたのは確認していたので、家に忘れたという線はない。


どうやら、ここに来るまでの何処かに落としてきてしまったらしい。私はもう頭が真っ白になって半泣きの状態だった。


時間に余裕を持って家を出たとはいえ、今から来た道を辿ってどこに落としたのかも分からない受験票を探しにいく時間などない。


このままでは、今までこの日のために努力してきたことが全て水の泡になってしまう。


そうしてどうすることもできず私が途方に暮れていたとき、1人の男の子が声をかけてきた。


「あの…。」


「え?」


その人は上級生だろうか、この高校の制服を身に纏っていて、そのカバンにはサッカーボールがぶら下げられていた。


いくら生徒とはいえ入試の日に学校には立ち入れないはずなので、部活の朝練にでもきたのだろう。


「もしかして、これって君のかな?」


その人が手に持っていたのは、紛れもなく私の受験票だった。彼が言うには、受験票が通学路に落ちているのを見つけ、大急ぎで学校まで走ってきたのだそうだ。よく見れば、彼は顔を真っ赤にしてかなり汗もかいていた。


「あ、ああ…。」


私は、受験票が見つかった安堵から思わず目から涙が溢れて出てしまっていた。


「ああ、泣かないで!ほ、ほら、これあげるから。」


彼はいきなり泣き出した私に慌てた様子でハンカチを渡してくれた。


「ありがとうございました!」


私は彼のハンカチで涙を拭いながら、彼に何度も頭をさげていた。


「も、もういいから!ほら、もう行きな?時間大丈夫なの?」


彼は照れ臭そうにしながら、尚も私のことを気遣ってくれていた。


「本当にありがとうございました!じゃあ、私行ってきます。」


私は最後にもう一度彼に頭を下げると、テスト会場へと向かう。


「あ!ちょっと待って!」


彼は私を呼び止めると、最後にこう言った。


「テストの時は、今の出来事は一旦忘れよう。こういうのは平常心が大切だからな。いつも通りの君なら絶対大丈夫だ!春に君の制服姿が見れるのを楽しみにしてるよ。」


彼はそう言って走り去っていった。

気づくと、先程まで緊張で高鳴っていた胸がいつの間にか平常に戻っていた。


そうして、私は彼のお陰で入試に合格し、無事入学。


何故名前すら聞かなかったのかと後悔しつつも、彼の持っていたサッカーボールを頼りにサッカー部に入部し、ようやく彼を見つけた。


この頃は別に彼が好きだった訳ではない、ただお礼が言いたい…、ただそれだけだった。

しかし、いざ彼を前にすると気づいて欲しいという欲が出でしまい、結局自分から言い出すタイミングを逃してしまった。

だから、私は彼を支えることで恩を返すことにした。


部活の時もホントはダメだけど、彼を最優先にしてたし、彼が困っていたら真っ先に声をかけた。

彼が部活をサボりがちだった時も、毎日のように会いに行った。


そうして、彼と過ごしている内にいつの間にか彼に惹かれている自分がいることに気づいた。


え?彼のどこを好きになったのかって?

そんなの挙げればキリがないけど、一番は困っている人に誰彼構わず手を差し伸べるところかな。


自分を犠牲にしてでも当たり前のように人に手を差し伸べることのできる彼に、憧れと同時に恋に落ちた。


その優しさが私だけに向けられたらいいのに、なんて時々思ってしまうのは秘密だ。


「りょーうくん!」


「うわっ!?だから、やめろって!」


高校一年生も後半にさしかかり、こうやってからかって笑い合うようになるまでに仲が深まった。私が彼をからかうと、めんどくさそうにしながらもなんやかんや構ってくれる彼も大好きだった。自惚れでなければ、女の子の中では私が一番彼と近しい関係にある自信もあった。


だから、この頃の私は他の大勢の男の子達と同じように、いつかは彼から私に告白してくれるんじゃないかと根拠のない自惚れにひたってしまっていたのだ。


そうして私が2年に上がる直前、彼は突然何も言わずに私の前から姿を消した…。


私が彼の転校を知ったのは、2年になって初めの部活動でだった。春休みで部活動が休みだった間に引っ越してしまったらしい。


顧問の先生によると突然決まった転校だったこともあり、挨拶もできなかったのだという。


「なんで…」


急に決まったこととは言え、何故連絡すらしてくれなかったのか、裏切られたような感覚と彼がいなくなった悲しみで3日は泣いた。


その上、彼が転校してから何故か携帯の連絡もつかなくなった。


何か嫌われるようなことしたかな…。何かにつけて絡む私がうざかったのかな…。


考えるたびにそんことばかり浮かんできて、さらに2日泣いた。


こうして、なんの進展もすることなく私の初恋は終わった。せめて、告白すればよかったなんて何度後悔したことか。


新学期早々、日に日にやつれていく私を友達はかなり心配してくれるので、心配をかけさせまいと空元気で振る舞った。


彼は知らなかったけど、彼と私が付き合っているんじゃないかという噂のお陰で減ってきていた男の子からの告白も、彼が転校してからまた一気に増えた。

最初は、一人一人丁寧に断っていたけどそれもだんだん疲れてきてやめた。


毎回肩を落として帰っていく男の子を見ると自分が重なるようで辛かった。


そうやって、抜け殻のように高校生活を消化して、そろそろ進路も考えなければという時期に差し掛かった時、あることを思い出した。


「ねぇねぇ、りょーくん。りょーくんは行きたい大学とかあるの?」


「大学?そうだなぁ、あんま考えたことないけど〇〇大学とか行けたらいいな。」


「へぇ〜、そうなんだー。」


「なんだよ?」


「別に〜?」


いつかした覚えのある会話。〇〇大学と言えば、言わずと知れた難関有名大学だ。

そこに行けばもしかしたら…、そんな安直な考えで進路を決めた。


勉強も苦手ではなかったし、狙えないこともなかった。それに、彼にもう一度会えるなら辛い受験勉強も頑張れた。


しかし、努力の甲斐あって合格を掴んだその大学に彼の姿はなかった。


それからの私は、サークルに入ることもせずひたすらにバイトとインターンに力を注ぎ込んだ。


友達もそれなりにいたし、ミスコンにも優勝した、大学も楽しくなかった訳じゃない、ただ叶うことのない初恋を忘れたかった。

大学でも、言い寄ってくる男の人は沢山いたし、新しい恋をしようともした、けどその度に彼の笑顔が、優しさが頭に浮かんで、先に進ませてくれなかった。


いや、違う。私が彼以外じゃ嫌だったのだ。


そして私は大学4年間、ついぞ新しく恋をすることなく、贔屓にしてもらっていた会社に入社した。


会社に入社してからは、仕事のことだけを考えて身を粉にして働いた。相変わらず、興味もない男からの誘いは多いかったが、この頃の私は大学4年間で身につけたスルースキルで男どもに頭を悩ますようなことは無くなっていた。


そして、努力の甲斐もあり会社でも異例のスピードで出世を果たした。仕事も楽しいし、若干一名めんどくさいボンボンに付き纏われてはいるものの、充実した生活を送れていた。彼を想う時間も少しずつだが、少なくなってきていた。


これでやっと、忘れられる。もしかしたら、新しい恋にも踏み出せるかもしれない。長く辛かった片想いからようやく解放される。


そう思った矢先、会社の取り引き先で再び彼に出会った。


「え!?」


彼は私の顔と名刺を見て、声をあげていた。

こっちだって、声をあげるのを必死に堪えてこのキョトン顔を繰り出しているのだ。


覚えていてくれたんだ…。そんなことを考えた反面、何を今更…!と怒りの気持ちも溢れてきて、結局覚えていないフリをしてやった。


彼は商談中やその後の打ち上げでも、どこかソワソワしていて、なにやら私に話かけたそうにしていたが全部無視してやった。


ベロンベロンのおじさん二人を見送ったあと、彼は私を送ろうとしてくれたが、その頃にはもう再開した嬉しさよりも、何故あの時一言の挨拶もなしに行ってしまったのかという怒りが勝ってしまっていて、彼のせいで身につけたとも言えるスルースキルを見せつけてやった。


どうやら、彼のお人好しは変わってないらしい。それでも、彼は着いてこようとして、最後にこう言った。


「俺のこと、覚えてたりしますか?」


その一言で、私の中で何かがプツンと切れた。


なんでこの人はこんなことを平然と私に言えるのだろう。忘れる訳がない、いや忘れることなどできるはずもない。それどころか、私は8年君を想い続けていたんだ。私がどんな思いでこの8年を…。


こんなのただの八つ当たりだ。そんなことは分かってる。惚れた私の負けなのだ。でも、それでも私はこの怒りを我慢出来なかった。


心だけ奪っておいて、何も言わずに私の前から消え、8年も放ったらかしにしたこの男に少しでも傷ついて欲しかった。


だから言ってやったのだ。


「どちら様ですか?」


彼が思いの他、傷ついたような表情をしていたように見えたのは気のせいだろうか。

まあ、少しくらいは傷ついてもらわなくては困る、そのつもりで言ったのだ。でも、少し言いすぎただろうか…。


そして今日、会社を出ていつも通りの帰り道を帰っているとあのボンボンが私を待ち構えていた。


この男は取り引き先で一度会っただけにも関わらず、一目惚れだとかなんとか言ってしつこく言い寄ってくる男だ。


幾度となくスルースキルで追い払っているのだが、無駄に図太い根性と無類のナルシストぶりで、「君は俺にこそ相応しい女だ。」くらいのスタンスで迫ってくる。


内心ため息を吐きながら、いつも通り冷たくあしらっていたのだが、全く自分になびかない私に痺れを切らしたのかついに強引に迫ってきた。


いくらスルースキルがカンストしているとはいえ、男性にこうも高圧的に来られると流石に恐怖を感じた。


そんな時、私をボンボンから引き剥がすように彼が間に割って入ってきた。


「りょーくん!?」


あまりの驚きに思わず、懐かしい呼び方をしてしまう。


彼は昔と変わらない頼もしさで、ボンボンを追い払うと、照れ臭そうに笑った。あれだけ冷たく遠ざけたのに、それでも彼は私を助けてくれた。


まったく、君はこれでどれだけの女の子を落としてきたの?


そんなことを口走りそうになったが、昨日覚えてないと言ってしまった手前、覚えてないフリを続けることにした。彼も気づいてないようだし…、うん、気づいてない。


二人で帰る帰り道、彼がボンボンのことについて聞いてきた。つい、彼の反応が気になってしまって、ボンボンを元彼だと嘘をついた。


経験も無いくせに「あっちの相性も〜、」なんて言ったら、彼はめちゃくちゃ咳き込んでいた。

もしかしたら、嫉妬してくれるかもなんて思っていたけど、彼はそれ以上何も言わなかった。


でも、その代わりに明日からも一緒に帰るか?なんて聞いてくれた。やっぱり、彼のそういうところは変わっていなくてすごく嬉しかった。


そんな話をしていたら、あっという間にマンションに着いてしまって、少し名残惜しかったけどすぐに別れた。


でも、やっぱり最後には我慢出来なくて、彼の提案を受け入れるような発言をしてしまった。

ホントはあのまま有耶無耶にして断るつもりだったのに…。


身を粉にして仕事だけを考えて生活して、彼のことを吹っ切れたつもりでいたのに、結局のところはどこかで期待して彼を諦め切れずにいる。


8年も初恋を引きずって、自分がこんなに重い女だなんて知らなかった。きっと彼のことだ、可愛くて素敵な彼女がいるに違いない、そんなことわかりきっているはずなのに…。


それでも君を思う気持ちが私を離してくれない。

完治することのない恋わずらい。


私が恋できないのは、君のせい・・・。








〜涼太視点〜


翌日の会社終わり、俺は琴音の務める会社の前で、彼女が出て来るのを待っていた。

比較的俺の会社と琴音の会社が近かったこともあり、会社の前で待つことにしたのだ。


今日は帰りが楽しみ過ぎてバリバリ仕事をこなして、定時で上がってきた。青木がアホ面で驚いていたが、まあ上司にも褒められたし、とても良い気分だ。


まさかあの頃と同じように琴音と帰れるなんて、まぁ琴音からしたら男避けが出来てラッキー!くらいにしか思っていないだろうが、俺が幸せなのでオールOKだ。


そんなこんなで10分ほど待った後、会社から琴音が出てきた。


「よ!おつかれ、琴音。」


「うん…、君もおつかれ。」


琴音は俺が声をかけると、相変わらず綺麗な顔で笑いかけてくれた。


だが、俺には分かる。これは本心で笑っていない。高校時代から琴音の表情は穴が開くほど見てきた。若干だが、笑顔が引き攣っている。


仕事で何かあったのだろうか、力になれるかどうかは分からないがとりあえず聞いてみるか。


「なぁ、琴音。もしかして、なんかあった?」


「えっ!?ど、どうしてそう思うの?」


「う〜ん、何となくだけど表情が暗いような?」


「は、ははっ。君はなんでも気がつくね?」


琴音は困ったように笑ってそう言う。


「俺で良かったら聞くぞ?」


「う、うん。どうせ君にも言おうと思ってたから…。」


琴音はそう言って力なく微笑むと、ポツポツと話始めた。


「私…、昨日の〇〇社の息子さん…御影(みかげ)さんと結婚を前提にお付き合いすることになった…。」


「は!?」


予想外の琴音の言葉に、俺は口をあんぐりとさせてしまう。


「だから…その…、もう一緒に帰ってくれなくていいから。あの人、きっと嫉妬するし。」


これは一体どういうことだ?今日一日で何が起きたというのか。


そもそも、今日一緒に帰るのはあの男を警戒する為のもののはずで、確かに琴音はあの男を怖がっていた筈だ。


それに何よりも、今の琴音の表情は明らかに恋人が出来て幸せを感じているようには見えない。


「いくらなんでも急過ぎないか?昨日あんなことがあった後だし、もしアイツに何かされたんなら俺が…。」


「そんなんじゃないよ、私が自分で決めたことだから…。ごめん、やっぱり今日も一人で帰るね?」


琴音はそうやって話を切り上げると、俺に背を向けて歩き出す。


俺にはその背中がとても小さく見えた。


こんなことになったのは絶対に何か理由がある筈だ。何年俺が琴音を想ってきたと思ってんだ、いくら時間が空いたとは言え、琴音が何か隠してることぐらい顔を見りゃわかる。


このまま帰えしたらいけない、そう思った俺は昨日と同じように琴音の腕を優しく掴む。


「待てって!話ぐらい聞かせてくれよ、絶対力になってみせるから!」


しかし、琴音は俺の手を振り払う。


「しつこい!君には関係ないでしょ?もう、放っておいて!」


琴音は鋭く俺を睨みつけながらそう言い放つ。


「関係なくない!お前は俺の大事な!…、後輩だからな…!」


こんな時にも俺のヘタレは健在で、大事な人と言いかけて、結局言えずに後輩を付け足した訳だが、俺の思いは伝わった筈だ。


しかし、俺の言葉を聞いた琴音は涙を堪えるように唇を噛み締め、下を向いてしまう。


「それが…、迷惑だって…言ってんの!私の気持ち受け止める気もない癖に、そうやって気持たせるようなこと言うのやめてよ!どうせ、また私の前から勝手にいなくなる癖に…。」


俺は初めて見た琴音の涙に動揺したのもあり、彼女が言った言葉の意味を理解できずにいた。


琴音が泣いた?なんでだ、俺のせいか?

私の気持ち?受け止める?どう言う意味だ?


「もう辛いんだよ…。君を想い続けるのに疲れたの…。」


言葉が喉につっかえて、声に出ない。


「大体、君に私を止める理由なんてないじゃない…。」


琴音は最後にそう告げると、また俺に背を向けて歩き出す。


俺が固まっている内にも琴音の背中はどんどん遠ざかっていく。


まずい、このままでは琴音が行ってしまう。今、琴音を帰してしまったら何故か二度と会えない気がする。


どうする?考えろ、考えろ!


何やってんだ俺!ここまで来たらもう言うしかないだろ!気持ちを伝えるしかないだろ。


どうせ平々凡々な俺にはアニメの主人公みたいに琴音の抱える何かをサラッと解決してやることなんか出来ないんだ。


いい加減カッコつけるのやめろよ。

言えばいいだろ!アイツと結婚なんかすんなって、俺が嫌なんだって言えよ!


琴音を止めたい理由なんてそれしかないだろ!


「琴音ッ!!」


次の瞬間には、俺は思わず琴音を呼び止めていた。

しかし、琴音はそれにも立ち止まることはない。


「好きだ!!!好きなんだ、琴音!!!」


「へ…?」


そこでようやく琴音が歩みを止めた。


俺が琴音に近づくと、彼女は真っ赤になった目元と潤んだ瞳でこちらを振り向く。


「俺は、高校の時からずっと琴音のことが好きだ。それがお前を止める理由じゃだめかな…。」


琴音はその切れ長の目を見開いて、心底驚いたような表情をしている。


そして、俺の言葉を噛み締めるようにしてひとつ頷く。


「嘘だよ…。」


「嘘じゃない。高校で琴音が初めて俺に優しく微笑んでくれた時から、ずっと好きだった。」


「そんな素振り一度も見せなかったじゃない…。」


「俺が勝手に琴音との差を感じて、言い出せなかったんだ…。」


琴音の瞳にまたウルウルと涙が溜まっていく。


「私に何も言わずに勝手に居なくなった…」


「ごめん…、急に転校が決まって伝えられなかった。」


「連絡も付かなくなった…!」


「転校が決まった日に携帯が水没しちゃって…。」


琴音の瞳から涙が溢れ出し、ポロポロとこぼれていく。


「君が言ってた大学にも…、いなかった…。」


「ぐっ…、本当にごめん…。琴音にカッコつけて盛りました…。」


「私…、君が居なくなってからずっと…ずっと…」


琴音はしゃくりあげるような嗚咽を漏らしながら、綺麗な顔をぐしゃぐしゃに濡らしている。


「俺…、琴音と離れてから8年間ずっと琴音のこと想い続けてた。」


「私もだよ…ばかぁ〜!!」


琴音は子供のように声を上げて泣きじゃくりながら、俺の胸に飛び込んできた。


「俺ずっと琴音のこと忘れられなくて…、未だに童貞だし、女性と付き合ったこともない。財力も容姿もアイツには足元にも及ばない。でも、琴音を想う気持ちだけは絶対負けてないから…。絶対幸せにしてみせるから…、だから俺と付き合ってくれませんか?」


「うん…、うん…!!」


琴音は俺の胸に顔を埋めながら、うんうんと頷いて応えてくれた。


数分間泣き続けた後、鼻の頭と目元を赤くした琴音が俺を下から覗くように見上げてきた。


「りょーくん…。」


「ん?」


未だに鼻はグスグスと鳴っているし、瞳に涙が溜まっている。


俺の知らない8年の間にすっかり大人の女性になり、身体もどこがとは言えないが、高校の時と比べればどえらい大人になってはいるが、俺の胸でわんわん泣いている姿を見ると本当に子供みたいだった。それだけ、想いが溢れてしまったのだろう。


「私…、まだ君のこと許してないから…。本当に私のことが好きだって言うなら…、今ちゃんと証明して…。」


「え…?」


琴音は拗ねたような顔をしながら、見上げてくる。


まぁ、琴音は美人だから目と鼻が赤かろうが、拗ねた顔をしていようが、可愛いさが倍増するだけなのだが…。


そんなことはさておき、俺は琴音の言った好きの証明が何を指しているのか、すぐにピンときた。


「ほ、ほんとにいいのか…?」


「早くして…。」


俺が琴音の両肩を持つと、琴音は俺を見上げて目を瞑る。


そして数秒後、俺の唇に柔らかくてあたたかい感触が伝わる。


女性の唇ってこんなに柔らかいのか!?


しばらく、俺が初めて触れた琴音の唇の感触に浸っていると、琴音は痺れを切らしたように俺の首に腕をかけると、いきなり俺の口に舌を滑り込ませ、俺の舌に絡めてきた。


いわゆる、ディープキスというやつだ。


その感触はと言うと、もうあまりの衝撃に少し記憶を飛ばすほどだ。


まあ、一言で表すと超絶気持ちいいと言わざるおえない。


全く、あんな技どこで覚えてきたのか…けしからん。


たっぷりと琴音を堪能した俺は、琴音から体を離すと彼女の表情を伺う。


「これで証明になったか…?」


先程までと別の意味で顔を真っ赤にしている琴音は、フイッとそっぽを向くと、ポソッと小さく答える。


「まだ…、だめ…。」


「ええ…、まだだめか?」


俺の予想とは反して、琴音はまだ物足りないらしい。


童貞の俺としては、もう今のでかなり頑張った方なのだが…。


「今から…、私の家に来て…。君が、8年間放ったらかしにした女がどれだけいい女だったか分からせてあげる。意味…分かるよね…?」


「ガハッ!!」


何という顔をするんだこの娘は!?


琴音のあまりに色気のある表情に思わず鼻血が出そうになるのを抑える俺。


俺は一体何を分からされてしまうのか…。


結果から言うと、断る理由もなく、なんならノリノリで琴音宅にお邪魔した俺は、それはもう完膚なきまでに分からされた。


それと同時に俺と琴音はお互いに空白の8年間を埋め合った。


内容としては、彼女がどんな想いでいたのか、実は彼女も男性経験が皆無だったことなど沢山のことを知り、悲しみ、喜んだ。


高校時代の俺には心底情けないと思ったが、正直琴音の初めての恋人が俺だということなど総じて俺得情報ばかりだった。


そして、何よりも気になっていた御影なるあの男との事情も聞くことができた。


どうやら、なかなか靡かない琴音に痺れを切らした御影は自分と結婚を前提に付き合わなければ琴音の会社との取り引きを取りやめるなどと脅してきたようだ。


全く清々しい程のクソ野郎だが、所詮は温室育ちのボンボン、少しばかり強行が過ぎたようだ。


いくら社長の息子とは言え、琴音の会社程の大手との取り引きなどそう簡単に取り消せる訳がない、それにそんなことをしたところで損をするのは琴音の会社だけではなく、バカ息子の父親である社長だ。


まぁ、つまりどう解決するかと言うとこのバカ息子の強行を父親である社長に伝えるまでだ。


あんな大手の社長になるような人だ、琴音の会社と取り引きすることの有用性は彼が一番理解をしているはずだ。


忙しい社長のアポをとるのは大変だったが、アポを取って終えば事はスムーズに運んだ。


俺と琴音の話を聞いてくれた社長は、琴音に自分にも非があると謝罪をし、取引がそんなことで無くなることは無いと断言してくれた。


全く、これだけ話の分かる誠実な社長さんの息子がなぜあんな風に成長してしまったのかは疑問が残るが、これにて琴音の抱える問題は綺麗さっぱり解決することが出来た。


ちなみに、あのボンボンはというと、あのあと父親である社長から勘当され、辺境の地へ飛ばされたらしい。ナンマンダブ…ナンバンダブ…。







さて、そんなこんなで色々とあった俺と琴音だがあの後、改めて俺から琴音に告白して正式にお付き合いをすることになった。


今では同棲も始めて、色々と回り道をした分、より愛が深まったと思っている。まぁ、つまり毎日イチャイチャしながら仲睦まじく暮らしているということだ。


うん?じゃあ、二人の恋わずらいは完治したのかって?


そうだなぁ、それに関してはむしろ悪化したと言った方が良いのだろうか…。


まぁ、何にせよ二人は幸せだということは間違いないだろう。


この先、俺と琴音は仲良し夫婦になって、琴音似の天使の様な女の子が誕生したりするのだが、それはまだもう少し先のお話…。





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