4-61:終わりと始まり
直径30メートルほどの光球が、3階ほどの高さに浮かんでいた。
神秘的な輝きが、倒れたユミールと、それを囲う僕らを白々と照らしている。
僕は呟いていた。
「天界と同じだ……」
創世の光球。ユミールが『喰らいかけ』ていた膨大な魔力が、その死で再び現れたのだろうか。
僕も、隣にいるソラーナとルゥも、圧倒されている。他の神様達や冒険者も、誰も声を出せないようだった。
しんと静まり返った雪原でオーディンとフレイヤが僕らの前に出る。
主神は倒れた巨人を見上げると、槍を杖のようについた。
「これは創世のための魔力が、再び結晶したものだ」
光球の下には、ユミールの40メートル近い巨体が横たわっていた。
巨人は少しずつ黒い灰へと変わり、崩れゆく。灰の塊が粉々に砕けると、そこから白く輝く魔力の粒が放出された。
黒い灰と魔力は、まるで導かれるように光球へ巻き上げられていく。
僕らに背中を向けたまま、オーディンは言葉を継いだ。
「覚えているか? ユミールは、一度、同じように『氷炎の心臓』を奪い取られた。私はそこでもユミールを殺している。しかし蘇り、終末がもたらされた」
僕はソラーナと顔を見合わせる。
神様が教えてくれた物語を思い出したんだ。
「1000年前、ユミール達が魔物と攻めてきたってことですよね?」
オーディンは頷く。白いひげが冷たい風に揺れた。
「そうだ。その理由が、今、我々の目の前で起きていることだ。この光景で、私もようやく掴めた」
雪原から、勝利の歓声が消えていた。
巨体から舞い上がる黒い灰と魔力。そして、それを吸収する30メートルほどの光球は、異様な存在感だ。
「原初の巨人ユミールには、他者を喰らうという類のない能力がある。それは肉体をこうして粉々に砕かれても維持されている」
投げ出されていたユミールの右手が、完全に灰となって崩れた。
大量の黒灰が、空を昇って光球へ近づいていく。まるで意思を持っているみたいだ。
「魔力から物質を創造することが特別なのだとすれば、物質を消滅させることもまた特別。ユミールの巨体は黒い灰へと変じたが、魔力を喰らって回復するという特性はそのまま。ゆえに、このまま放置すれば――」
はっとした。
後ろを振り返ると、ミアさん達も、神様達も、表情が強張っている。
僕は主神へ問うた。
「……いずれ、ユミールは力を取り戻す?」
オーディンは頷いた。
雪原にいる他の冒険者もざわめいている。オーディンは、もしかすると不思議な力で同じことを冒険者全体に語り掛けているのかもしれない。
じゃらりと右腕の鎖を揺らして、ミアさんが踏み出した。
「おい、神様。それじゃ、何か? あたしらはさんざん戦って、無駄だってのかい?」
オーディンは首を振った。
「違う。これほどまでに破壊されていれば、仮にこの光球をこのまま放置したとしても、ユミールの復活には長くかかる。1000年か、2000年か――いずれにしても、君達には『永遠に目覚めない』のと変わるまい」
僕はほっと息をついた。
魔力の球に、灰と光が集まっていく情景は続いている。
それでも、ユミールの体を囲う冒険者達にも安堵が広がっているようだった。そんなに長く目覚めないなら、やっぱりこの戦いは勝ちと変わらない。
ソラーナが口を開く。
「オーディンよ」
金色の瞳が、オーディンとその隣にいるフレイヤに向いた。
僕らの後ろにいる神様達も、なぜか少し険しい顔をしている。
「あなたは他の考えがある。そうではないか?」
「ふ、そうだ。ユミールを、本当に永遠に目覚めないようにする方法がある」
オーディンはやっと僕らへ振り向いた。
「この光球を天界へ運び、創世を継続することだ。ユミールは目覚めることなく、今、光球に吸収されている灰は次の世界の一部になる」
オーディンの視線が、僕のポーチに向かった。そこに取り戻した『氷炎の心臓』が納まっている。
ルゥが口を結び、僕の袖を引いた。僕は妹と目線を交わして、頷きあう。
この神様の企みを思い出さないわけにはいかなかった。
「……オーディン。あなたは、他の世界を創って、あなたの望む人間だけをそこに移動させようとしていました。その考えを、まだ捨ててないんですか?」
ソラーナ達が険しい顔をしていた理由、これか。創世の魔力を見て、オーディンが企みの続きをしようとすること、警戒してる。
槍をついて、神様は首を振った。
「それは違う。そも、創世の魔力は減ってしまった。それゆえ、次の世界を創るにも長い時間がかかるだろう。次の世界ができあがるのは、もはや君達がいなくなったずっと後になる。さらに」
オーディンは、隣にいるフレイヤを見た。
「私はもう『創造』の力を使うことはできぬ」
苦笑するオーディンは、その時だけ、精悍さを失ってひどく疲れて見えた。
「何かを生み出すには、想いで像をなす力がいる。想像力だ。豊穣の女神の人間への意思、妹が家族を守ろうとする意思、私にはもはやそれほどの意思は生み出せない」
伏せられた灰色の目。
僕は、この人が見て、心に留めてきた多くのことを思う。
「あなたは……」
オーディンは、ほとんど独りで魔物に対抗する術を考えていた。世界を覆う『封印』も、そのあと創造の力で逃げ出すことも、オーディンが他の神様に明かさなかったものらしいから。
……やり方は、納得できない。それでも、この人なりに戦っていたんだ。
フレイヤが、胸に手を当てて引き取る。
「創世には、次の世界を思い描くことができるだけの、意思が必要なのです」
疲れと衰えで、想像力を――創造する力を失った。
実際に、オーディンは一回目の企みではフレイヤを操って創世を行わせ、次の企みではルゥを操っている。
「余計なことを話したな」
オーディンが顎を引いた時、もう鋭い目に戻っていた。
「創世はフレイヤが行う。豊穣神ゆえに、緑豊かな世界になろう。長く時間がかかるゆえ、他の神の目にも触れる」
トールがやっと笑った。
「はっは! 妙な真似したら、オーディンに雷を落としていいってことだな?」
オーディンは笑わなかった。
後ろを振り返って、神様達を見渡す。
「お主らも、今は地上の迷宮にいる他の神からも、魔力を借りることになるぞ。ユミールを完全に、復活できぬようにするためにな」
雷神トール、魔神ロキ、狩神ウル、薬神シグリスは、それぞれ腕を組んで何かを考えているようだった。
黒いローブ姿のロキが手をひらひら振り、話し始める。
「……いいかな? ユミールという物質は消滅できない。だから、別の世界を生み出す中で、変質させてしまう。ユミールが卵に戻ったと例えるなら、卵を割ってケーキにしてしまうような話だね」
ロキは目を光らせる。
「……わからないな。本当にそれしか手がないのかい? 新たに創った別の世界で、ユミールが復活するかもよ?」
「おそらく、そうはなるまい」
オーディンは槍の先を光球へ向けた。
「あの黒灰に、光球を喰らおうとする獰猛さまでは感じられぬ。まるであの灰自身が、創世の一部になることを望んでいるようにな」
僕は、崩れゆくユミールの体を見渡す。黒い灰は、確かに光球へ向かっているけれど、そのあとは穏やかに球の周囲を回っているだけだった。
輝く星が周りに塵をまとっているようにも見える。
オーディンが言い足した。
「『氷炎の心臓』は、あくまで力に過ぎない。ユミールの記憶や意思は、灰になった巨体にこそあり、ゆえに今はあの灰が宿しているはずだ」
『意思』と言われて思い浮かぶことがある。
空隙の戦いで、ユミールと交わした言葉だ。
僕は2人の会話に割って入る。
「あ、あの! ユミールは、『飢えて』いました」
でも何かを喰らうだけでは、飢える一方で。あの魔物の飢えは、寂しさなのだから。
神様からの注目で声が少し震えるけど、これだけは伝えたい。
「ユミールは家族も仲間も持たなかった。というより、持てなかった。だから、僕とルゥのことも――他の人のことも理解できないのだと思います」
戦いで、僕とユミールは、お互いが理解しあえないことを、わかりあったのだと思う。僕らはあまりにも違うから。
僕らとユミールの間には、寒々とした空隙が口を開けている。
でも――
「でも、何か気持ちが変わったのかもしれません」
もしユミールが寂しさを埋めるのであれば、家族や仲間を持たなければいけない。
何かを喰らうんじゃなくて、何かを生み出さないといけない。
かつてユミールが、一度は神様を創造したように。
『飢え』という気持ちしか持たなかったユミールだけど……何かが変わったから、こうして『創世』を望んでいるのかもしれなかった。
ロキが肩をすくめる。
「創世が始まれば、ユミールの灰は復活ではなく、新たな世界の一部になることを望む――か。あの灰は、次の世界で水や岩に変じる。でも、結局、気持ちなんてわかんないんでしょ? 灰は、おそらくユミールの最後の思いに応じて動いているだけだよ。断末魔で何を思ったか、もう聞く術はない」
僕は顎をひいた。
「そうだね。答えは、きっと1000年後だよ」
「やれやれ。これは神々に大きな宿題が出たねぇ」
ロキはオーバーに両手を上げる。
この先が本当にどうなるかはまだわからない。
ソラーナが光球を見上げる。
「わたしも、灰からは少し恐ろしさが薄らいで感じる。あの巨人なりに、仲間や家族を求めて、創世に参加しているのかもな」
喰らうだけじゃなくて、共に何かを創るために。
僕は崩れゆくユミールを見て、言った。
「今はそう信じよう」
理解が遠く及ばなくても、歩み寄るくらいは、もしかしたらできたかもしれないから。
……創世が終わった時、すでにあの魔力球に吸収されているなら、ユミールが次の世界を目にすることはないのだろうけど。でもそれは、僕らが僕ら自身の遠い子孫を目にしないのと同じことだ。
僕らはしばらく、ユミールの体が灰と崩れゆくのを眺めていた。
ルゥが僕の手を取る。僕はそれを握り返した。
「さて、創世の件は以上だが」
オーディンが槍をついた。どん、と音が雪原に渡る。
「我々、神は天界へ戻る。地上に降りて来ることはもうあるまい」
冒険者達にどよめきが走った。
僕は、トール達を見渡す。巨体のトール、黒いローブのロキ、青鎧のシグリス、狩装束のウル、それに――赤い鎧をまとった目覚ましの神様ヘイムダル。
呆然と言葉が漏れた。
「……お別れってこと?」
ヘイムダルが前に出る。苦笑して、肩をすくめた。
「天界から見ているさ。だが――正直、そんな気はしていた。天界にいて力を回復しなければ、神々は消滅しかねない」
狩神ウルが引き取る。
「封印から解かれたばかりで天界に戻るなんて、ボクも寂しいけどね。でも、まぁ――地上に居続けるには、ボクらは力を使いすぎた。おまけに『創世』なんて仕事もある。……仕事か、ああ……今度は激務じゃないといいな……」
薬神シグリスが微笑した。
「もともと、神々が人間を率いることは、長く続けるべきではないのでしょう」
「むしろ、王国の歴史でここ数か月が異例だったってことだよねぇ……」
しみじみと頷くロキ。
トールがミョルニルを掲げた。
「鎚に誓って、俺もお前達を見守ってる」
雷神様は、にっと笑った。
「胸を張れ、リオン。もう立派な戦士だろう」
最初は怖かったり、戸惑ったりした神様達。でもいなくなると思うと、寂しさが胸をついた。
僕はポケットに手を伸ばし、金貨を取り出す。
今、コインは無地だった。中に誰もいないから。
平面の金貨は泣きそうな僕を映して、きらりと朝日を照り返す。
オーディンが目を細めた。
「……最初、君にその金貨を渡した」
「助けられてばかりでした」
「そうではない。<目覚まし>で起こし屋として、君は働き続けていた。力を使い続けていた。だから、今がある」
オーディンは、目尻を少しだけ下げて、口の端を緩める。かすかだけど、それは確かに微笑だった。
「君の行いが、君自身を助けたのだ」
ありがとう、と神様は言った。
「人間がどういうものか、強さがどういうものか、見させてもらった」
雪風が、オーディンの髭とローブを揺らす。主神は僕らを囲う冒険者を、目に焼き付けるみたいに見つめ、深く深く頭を下げた。
「――そして、すまなかった。人間の、冒険者の力を、私は知ろうとしなかった」
顔を上げて主神は厳かに告げる。
「世界から神々の手は離れ、君達の――冒険の時代だ」
オーディンが口を閉じると、やがて周囲の冒険者が神様達のところへ集まっていく。
お別れを言うために。
ミアさんはトール、フェリクスさんはロキ、そんな風にみんな力をもらった神様に別れを告げていく。ルゥはフレイヤのところへ行って、抱擁を交わしていた。
フレイヤは僕の方へも、青い目を向ける。
「ありがとう、ルイシアさん。そしてリオンさん」
そこだけ春になったみたに、心が温かくなる微笑。
「お2人は、強い兄妹です。私達兄妹をも、救ってくれました」
やがて全体メッセージでも、神様が天界へ帰ったことが世界中に告げられるのだろうか。
僕は涙を振り払って、神様達を見つめる。
「みんな……」
僕も神様に駆け寄って、お別れを言わなくちゃいけない。でも足が動かなかった。目が熱くなって、肩が少しずつ震えてきて、声さえうまく出せない。視界がどんどん滲んだ。
「ありがとう」
万感なんて言葉があるけど……神様達への気持ちはそれじゃ足りない。
言葉で表せないくらい、感謝してる。僕を『冒険者』にしてくれた。
神様達はそろって優しい顔になる。
青鎧姿の薬神シグリスが、凛と身を正して一礼した。
「こちらこそ」
目を細める間に、青い髪が風になびいていく。
狩装束の狩神ウルは手を振った。
「元気でね」
自然の神様らしく、別れも風のように軽やかだ。
黒いローブを揺らして、ロキが大仰に一礼する。
「魔法の才能はないと言ったが、訂正しよう。そっちもなかなかだった」
魔神様はウインクしてくれた。
赤髪をたてがみのようになびかせて、トールが雷鎚を肩に担いだ。
「いい戦いぶりだったぜ」
最後にヘイムダルが進み出る。赤い鎧が、ぴかっと陽光を弾き返した。大きな手を差し出されて、神様と固い握手を交わす。
「……こちらこそありがとう、正しい心の少年。俺の神具目覚ましの角笛をよく受け継いでくれた」
ポーチで角笛が震えていた。
僕は、腰のポーチを開いて神様に目覚ましの角笛を渡す。神様が残して、父さんが見つけて、僕が受け継いだアイテムが――神様の手に戻る。
ヘイムダルは眉を上げた。
「いいのか?」
「はい。父さんからは、もうたくさんのものを受け継ぎました。これは、神様の手に」
ヘイムダルは大きな手で僕の頭をなでてくれた。
「いい子だ。達者でな」
視界の端で黄金の光が揺らいだ。僕は息をのむ。
――そうだ。
ずっと一緒にいたから、この人も同じだなんて、忘れていた。別れるなんて、考えられもしなかった。
涙を拭って、僕は隣の女神様を見る。
「……ソラーナ」
「リオン」
女神様と僕は見つめあう。この人は他のどんな神様よりも、ユミールを倒すために力を使った。
他の神様が力を失って天界にいなければならないなら――ソラーナだって同じのはずだ。
「わたしは、君と共にありたい。しかし……」
まっすぐに見つめられて、かあと頬が赤くなる。泣いてる場合じゃない。
「……僕もだよ」
応えて、ソラーナの手を握る。すぅっと僕の手がすり抜けて、ぞっとした。
女神様の体から光の粒が舞い、空気に溶けるように消えていく。
「平気なの?」
「……思ったより、力の流出が早まったようだ」
女神様の、後ろの景色がさっきよりもずっと透けて見えた。
オーディンが杖をつきながら歩み寄る。
「……ソラーナの件だが」
響く主神の言葉は、宣告といえるくらい重かった。
「魔力を大きく失っている。もはや消滅してもおかしくない。たとえ天界に戻ったとしても、ギンヌンガの空隙で冷たい魔力を浴びた影響は、消えぬ」
僕は言い募った。
「ソラーナを、無事に還せませんか? 僕、何を誓ってもいいです!」
初めて出会った日のように、誓いで女神様が元気になるなら。
オーディンは告げた。
「……そう、『誓い』がある。女神が、君に誓ったものだ」
ソラーナがはっと指を顎に当てた。
「わたしは、リオンと……」
――君と、どのような時にも、わたしは共にある。
街で女神様がいった言葉だ。『優しい最強』の他に、もう一つある、僕と女神様の誓い。
オーディンは片目を閉じた。
「今、ソラーナが存在を維持しているのは、この誓いが、想いが、像をなし存在を支えているから。しかるに、天界へ戻り消滅を待つ以外の道もある」
主神が指さしたのは、僕のポーチだった。そこには『氷炎の心臓』が――『創造の力』が入っていて。
「本来であれば、ありえぬことだ。だがリオンとソラーナに報いるのに、使用しない手はあるまい」
『創造の力』は、物質を生み出す。
告げられた可能性に、僕は目を見開いた。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月1日(木)の予定です。
(1日、間が空きます)
次のエピローグで完結となります。長々とお付き合いいただきありがとうございます。
冒険の終わりまで、ぜひお楽しみくださいませ。
【コミカライズ版 コミックノヴァで連載中!】
・第3話(前半)が公開されました!
ソラーナとリオンが誓いを結ぶシーンです!
幻想的な雰囲気の、素敵な場面となっております。こちらもぜひご覧くださいませ。





