4-36:決壊
僕は女神様と東に走った。
朝方、太陽に向かっているのに、光は夕焼け色。世界全体が狂ってしまったようで、ひどく不気味だ。
真っ赤な光を受けながら、大狼フェンリルが逃げていく。
「ソラーナ、このまま追い払って、ヘイムダルの戦いに加わろう!」
「うむ!」
前線に至るまで、冒険者達の戦列が10層以上に連なっている。そこを『黄金の炎』を使った速さで駆けぬけた。
最前線へたどり着く。
どん、どん、と落雷のような轟音が前に進むにつれ大きくなった。
ヘイムダルとユミールが、剣と拳をぶつけ合っている。力の余波で周りの土がめくれあがり、不用意に近づいたスケルトンがバラバラになって吹き飛んだ。
「ヘイムダル!」
僕は声を張った。傷だらけの顔でヘイムダルが笑う。
「来たか!」
「うん!」
ユミールの巨体が地に拳を打ち付ける。巻き上がった土砂を、僕は身を低くして掻い潜った。
「ガァ!」
入り込んできたコボルトを短剣で切り払う。もう東ダンジョンの魔物なんて、相手にならない!
腕利き冒険者が多い東側は、すでにあちこちで魔物を押し返している。
ソラーナが囁いた。
「……加勢の前に、要注意だ。ユミールは油断できぬ」
「わかってる。ロキも言ってた、敵にも策が――」
そこで、空気がびりっと揺れた気がした。
震えが体中をはい回る。
「な、なに……?」
音の壁が叩きつけられた。
ユミールが空に向かって咆哮を放っている。
思わず腰を屈めた。そうしないと圧力で吹き飛ばされてしまいそう!
ソラーナが前に出て、僕の身を抱いた。
「これは……何かの魔力が、渡っていく!」
あちこちから魔物の叫びが強まる。冒険者の声が耳をなでた。
――なんだこれは!
――倒した、魔物が!
悲鳴に近い、狼狽声。<狩神の加護>で探知しなくても、起きた異変はすぐにわかった。
倒されて灰になりかけていた魔物達。
それが次々と起き上がり、戦闘を再開する。
冒険者が片腕しかないゴブリンに組みつかれ、悲鳴をあげながら押し寄せる魔物の波に飲まれた。
「た、助け――!」
怖さを必死に押さえつける。
ゴブリン、コボルト、オーク、炎魔犬、水馬、それに巨人兵。種類も大きさも無関係。
少しでも体が残っていたものは、蘇っている。
「グ、ガ……!」
僕は後ろを振り返った。
さっき切り払ったはずのコボルトが復活してる。短剣を左手に持ち替えていた。右腕が灰になっているからだろう。よろよろと、こっちへ歩いてきた。
「……ふ、復活?」
「いや、おそらく違う」
ソラーナが金の瞳をひらめかせた。
「これは……蘇生ではない。もっと別の、ひどいものだ」
飛び込んでくるコボルト。
「グ、ガガァァ!」
吠え声というより、悲鳴だった。
これ、楽にさせなくちゃ――。
そんな気持ちが閃いて、僕は全力で胴を薙ぐ。今度こそトドメだ。上下に両断された体は、真っ白い灰になって消える。
さらなる異変に気付いた。
コボルトが、何も落とさない。ドロップアイテム――必ず残るはずの魔石さえ残さないんだ。
「ソラーナ、これって……」
「魔物は、死ぬときに魔石を残す。息絶える時でも、いくらか魔力を残すということだ。そしてこの状況を見るに、ユミールは魔物達に命じて絞り出させている」
何を、と聞こうとした。
でも答えは明白。
「魔石か……! 魔物って、死んでも魔石分の魔力は必ず持っているから……!」
魔物が死後、必ず残す魔石。
ある意味、存在の核ともいえる魔力さえ、ユミールは絞り出させているんだ。
ソラーナがユミールを睨んだ。
「死にかけの魔物に、さらなる苦痛を与えて、もう数分の働きを強要させている!」
戦況の風向きが、また変わろうとしていた。
狼骨フェンリルがユミールのさらに後ろに下がってから、じっとこちらを見ている。
ヘイムダルが振り返り叫んだ。
「リオン、城壁へ戻れ!」
背骨を氷柱が貫いたような寒気。
そうだ、あそこには、まだあの魔物の死体がある――!
「急げ! 妹を守れ!」
一度は倒された魔物が、ヘイムダルに殺到する。前線が、真っ黒い大波に飲み込まれていく。
ただでさえ余裕がなかった戦場に、今まで倒してきた敵が加わるってことだもの……!
「でも、でも……!」
「ゆけ! 大事なものを誤るな!」
僕は、城壁に向かって走った。
何に替えても守るって誓いが、今は重い。
「……頼むぞ」
背後から、ユミールが拳を振り下ろす轟音が響いてくる。
◆
狩神ウルにとって、初めての経験が起こった。戦いの最中に、弓を取り落としそうになったのだ。
――オオオオオオォォォオオオ!
ユミールが咆哮をあげている。生き物全て震わせる、原初の巨人の――創造主の叫び。
人間だけでなく、魔物までが一瞬だけ戦うのをやめる。雷が鳴った時に身をすくませるのと似ているかもしれない。本能的な恐れは、どんな生き物でも誤魔化せない。
「――はっ!」
ウルは我に返った。
視線を下に向け、弓を構え、今まで追っていたその人物を探す。
――いない。
眉をひそめる。
「……フレイ、どこへ消えた?」
咆哮とタイミングを合わせて、気配を消したのだろう。
フレイ神は今や人間の体に宿っていた。完全に神としての力を封じれば人間に紛れることができる。警戒していたが、ユミールの咆哮で注意が奪われたところを狙われた。
「ボクとしたことが!」
その時、地上で叫びが起こる。
城壁の近く、倒されたはずのハティが錫杖をついて立ち上がっていた。
「グ、ガ、グ!」
元は2メートル超の巨体だったが、左半身はすでにない。膝から下も灰になっており、立ち上がったというよりは、身を起こしたという方が相応しかった。
眉間は深く陥没し、左目から顎下にかけて、そっくり欠けている。口が耳まで裂けた右半面と、欠落し目だけが残るもう半面。虚ろな眼差しが城壁を睨んでいる。
「ガァ……」
それでも、ハティは魔法を使った。
創造主に命じられたまま、苦痛と恐怖の叫びをあげ、錫杖を振るう。
「蘇生……!?」
ウルは矢を乱れ撃つ。
両目や胸といった急所を神威の矢で射抜かれても、ハティは魔法を止めない。
狩神の胸が寒くなった。
まるで操り人形だ。痛みも意思もなく、恐怖にだけ突き動かされている。
ミアやフェリクス達が近くに残っていたが、鎖斧も、魔法も、ハティの体を粉砕するには及ばない。
「ギギ、ガ、カァ!」
伝説の魔物の、最後のあがき。
特大の魔石を残して消えるところ、その魔石分の力を、全て魔法に変えていく。
城壁は、速攻をもう退けたと思い込んでいただろう。そこに、炎、岩、そして氷が豪雨となって降り注ぐ。
連鎖するのは、怒号と悲鳴。小人達がもう一度備え付けた巨大弓や、置いてあったゴーレム核が軒並み破壊された。
「ガ……ア……ぁ」
生涯最後の破壊を振りまいて、ハティはどうっと倒れる。
ハティは黒い灰ではなく、白い灰となった。かっと見開かれた目と、舌をひきつらせた口が、苦痛を物語っている。
ウルの喉から声が漏れた。
「恐怖で、命の最後まで戦わせたのか」
ぞくりとする。
原初の巨人と、魔物達の関係。
それは圧倒的な、支配と被支配だ。
「……まずいぞ」
ウルは、神々に向かって念じた。
「すまない、フレイを見失った。この空気、猛烈な反撃が来るぞ!」
ウルは歯噛みする。
相手を狙いに誘い込んで、戦闘を有利に進める――それが作戦だ。
けれども、フェンリル達を退けた今、城壁前の防備は薄くなっている。誘い込まれたのは、神々の方かもしれない。
◆
男は血と泥にまみれた姿で、城壁に戻る負傷者に紛れていた。
無理をしてきたせいか、視界が滲んで、足元がおぼつかない。
よろめいた時に、誰かが男の肩を支えた。
「……ひどい姿だな。ほら、掴まれ」
男は小さく顎を引く。
「ああ」
体は泥まみれ。金髪はくすみ、あちこちについた血がぷんと鼻を刺激した。
といっても、血の方は返り血ばかりだが。
肩を借りながら、男は負傷者のように城壁へ向かって歩いた。
やがて、城壁前から魔物の吠え声が響いてくる。
恐慌したハティだ。最後の命まで使い果たして、魔法を城壁に乱射する。
予定通りの成り行きに、男は目を細めた。
「……可哀そうに。だが捨て駒ごくろう、ハティ」
死んだあとは魔石さえ残るまい。自分の核となる、魔石として残るべき魔力さえ、魔法にして投射してしまう。
耐え難い苦痛だったはずだ。自分の体に火を放つ方が、まだしも苦しみは少ないだろう。
微笑し、フレイは顔につけていた泥をぬぐった。
「私も行くか」
剣を、一閃する。
肩を貸してくれていた冒険者が倒れた。
死体を踏みつけて進む。
すでに城壁の足元だ。ハティの魔法で、壁からはいくつもの黒煙が上がっている。
フレイは、神殿の大塔を見上げた。
あの中に妹がいる。泥をかぶって身をひそめるなど、神々しさなどまったくない行為だ。それでも妹のためなら、どんな恥辱でも、非道でも、耐えて見せる。
フレイは泥のついた顔で笑った。
駆け出す。
「お前、フレイか!」
フローシアで顔見知りだった冒険者がいたのだろう。
そう叫んで来るが、容赦なく切り捨てる。
フレイは走った。
上空のウルに見つかる。
次々と矢がやってくるが、今が、最大の好機だ。切り払いきれない矢が背に刺さる。それでも足を止めなかった。
城壁が迫る。駆けのぼる。
弓使い。巨大弓。小人のゴーレム。
かろうじて残った防御設備を、次々と切り裂いていく。誰か来い、続いてくれ、と願いながら。
――オオオォオオオ!
今度は、世界蛇の咆哮だ。巨体は魔力でさらに大きくなり、一時的に、神殿の大塔より頭の位置が高くなる。
トール神との戦いは劣勢だったが、この魔物も死力を絞ることを強制されているのだろう。
城壁の上で、フレイは剣を石積に突き刺した。魔力を流し込む。
全力で叫んだ。
「ここだ! 来い!」
大蛇にミョルニルが打ち込まれ、血を吐いた。それでも世界蛇は痛みを感じていないかのように、城壁に体を叩き付ける。
ハティの魔法、フレイの魔力で弱っていた城壁が、世界蛇の突進で崩れ去る。
大蛇の体を盾にして、鼓舞された魔物の群れが神殿の城壁へ殺到した。
遠くでは、無数の復活した魔物と共に、ユミールがヘイムダルの守りを抜いた。蛇が穿った穴に向け、ユミール達が迫ってくる。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10月8日(土)の予定です。
(1日、間が空きます)
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第1話からソラーナとリオンの活躍をお楽しみいただければ幸いです!
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