3-41:最悪の敵
馬に乗った男は、『ラタ』と名乗った。神様の言葉を借りるなら、この男も魔物なんだろう。
状況は悪い。最悪と言っても、いいくらい。
強い風が吹き抜けて、広場の土煙を巻き上げる。
通りへの出口は賊が塞いで、後ろには魔物ラタが馬に乗って控えている。
僕は<太陽の加護>を使い、『黄金の炎』を身にまとった。
もし敵が賊だけなら、壁をよじ登って脱出できたかもしれない。強化された身体能力なら、それくらいはできる。
問題は、目の前の剣士。
剣を抜き放ったニルスさんだ。
緊張が胸をせりあがってくる。父さんが教えてくれた呼吸法を思い出そうとしても、うまくいかない。だって、僕は一度はニルスさんに父さんを重ねたのだから。
思い出そうとすればするほど、視界がダブって、声は震えるだけだった。
「……嘘、なんですよね?」
衝撃が大きすぎて、膝から崩れてしまいそうだ。
ニルスさんは――フレイ神は、瞬きもしない。
「セイズ魔法を使った」
その剣で断ち割るような、明確な答えだった。
「一つ、神としての記憶を消し、そして『妹を探す兄』という偽の記憶を持てば、君たちに怪しまれない」
二つ目の指を立てる。
「二つ、セイズ魔法は心を操る魔法ゆえ、神の力を封じることもできる。人間として近づくには、記憶だけでなく、神としての力も封じた方が都合がいい。君に味方する神々が、気取る可能性があったから」
親切に明かしているわけじゃない。
僕に、現実を突きつけているんだ。一度はパーティーになれたと思った冒険者は、初めから敵だったって。
「そんな……」
惑わされるな、と自分に言い聞かせた。
でも思考が止まらない。
ダンジョンで目にしたフレイ神は、妹のフレイヤ神と同じく、偽物――『写し身』であったことがわかってる。本物は氷から抜け出して、こうして、人の体に宿っていたってことなのだろうか。
金髪を風になびかせて、フレイ神は首飾りを握りしめる。
何かを誓うみたいに額に当てて、丁寧に懐へ戻した。
はっと声が漏れる。
「あれは……」
間違いなく、ニルスさんが持っていた首飾り。妹さんの手がかりとして、大切にしていたものだ。
「ニルスさんは、妹さんを探しているって……」
「その点は嘘ではない。私は妹を探している」
フレイは無表情に言う。
「豊穣の女神、フレイヤを」
なんとなく、わかる。そこだけは――家族を探す気持ちだけは、心を操るセイズ魔法でも隠せなかったのだろう。
ロキの声が頭に響く。
『ブリーシンガメンの首飾り、妹神フレイヤの神具だ。フレイヤの首にないと思ったら、兄が持っていたわけか』
魔神様は続ける。
『サフィがそうであったように、「守り」の効果があるアイテムは、封印の氷を弱めるのかもしれない。それでフレイは、自力で封印から意識を取り戻した――状況の辻褄はあうが、彼の動機がまだわからない』
神様の言う通りだ。
魔物に味方をして、僕達にフレイヤ神を目覚めさせないようにする理由が、どうしたってわからない。
神様なのに、神様の目覚ましを邪魔するのって、おかしいよ!
「……一つ、聞かせて」
僕は叫んだ。
「どうして、敵なんですか!?」
「妹を守るためだ。オーディンの企みが成れば、フレイヤは……」
僕は、次の言葉を聞き逃すまいと、前のめりになった。
フレイの剣が動く。流れるように、自然に、切っ先が僕へ向いた。
「っ」
閃光のような切りつけ。
身をひねって回避する。
追撃を短剣でいなし、跳び下がった。
『黄金の炎』がなければ、僕はきっと真っ二つだったろう。
「はっ」
息が漏れた。
言葉で、僕の注意を逸らそうとしたんだ。これ、駆け引きだ……!
フレイの目は冷たく澄んでいる。
戦わなくちゃいけないのに、心の芯がいやいやしていた。
僕はこの人と――妹を探すこの人と、戦いたくない!
『リオン! 時間がねぇ! 俺達を目覚まししろ!』
トールの声がするけれど、僕は首を振る。ポケットに伸びようとする右手を、左手で押さえつけた。
「まだ! 僕に……僕に、話させて!」
『いいか! 敵は親切に教えてくれたわけじゃねぇ! 必ず考えがある! お前と神々を足止め、つまり時間稼ぎだ!』
今が、どんな状況なのか思い出した。
神様が入ったコインを持ったまま、僕は路地裏で囲まれている。仲間と分断されているんだ。
引き取ったのはウルだ。
『いや、トール。リオンに一理ある。情報を得る機会だ。ボクらがみんな外へ出れば、フレイは退く。引き伸ばして話させるには、今しかない』
『ぬうぅう……!』
『喋らせるんだ、ここはこらえて』
『相手は神だぞ! どういうことになるのか、わかってるのか!?』
フレイが踏み込んできた。
大上段の振り上げから、叩きつけ。『憤撃』と呼ばれる最大威力の剣技は、僕に受けることを許さない。
横に逃れる。
すぐさま先回りされ、貫くような打突がきた。
「がっ……!」
刃で受けるけど、僕は吹き飛ばされた。
『ズタズタにされるぞ……!』
トールの言葉が遠く響く。
手合わせの時に感じた、圧倒的な力量差。
突っ込んでも、きっと勝てない。けれども相手は向かってくる。
「双散撃」
スキル<剣士>の能力で、技が打ち込まれる。左右から迫る斬撃を、僕はギリギリで防御した。
掠った頬が焼けるように痛い。
「どうして、そんな神様なのに、魔物へ……!?」
「言っただろう。大切なものを守るためには、犠牲がいる」
「オーディンの企みとか……フレイヤ様のメッセージと、関係があるの?」
フレイは沈黙して、剣先を再びこっちへ向ける。
僕は声を張った。
「目覚ましっ」
青水晶の短剣、その魔法文字が緑に光る。
精霊が起こした突風だけど、フレイは躍るような足さばきで回避した。足止めにならないのは、当然かもしれない。相手は――神様なんだから。
容赦のない切り上げを、短剣で防ぐ。
「その体も、人間のものだって……!」
「人間? ああ、スキルを食われて廃人になった、哀れな男の体だ」
胸がかっと熱くなった。
向かって右側から旋回する剣。
僕は逆方向へ回転し、はね返す。
反射で放った動きだけど、フレイは目を細めた。初めて、感心したように見える。
フレイは後ろへ跳んで距離を取った。
ソラーナの声がする。
『リオン、君を信じてる! だが……!』
神様は血を吐くように言った。
『フレイは、強い神だ。スキルは神の力を人間にばらまいたもの。そして、おそらく……』
続く暴風のような攻めに、身をすくませる。
避けて、くぐって、時たま弾く。しのいでいるように見えて、踊らされているだけだ。
目に見えない糸が僕を動かしているように感じる。
完全に、相手は僕の動きも、手の内も、迷いさえ読んでいる。
「スキル<剣士>の、オリジナル……?」
「君はスキルを使わないのか?」
火花散る鍔迫り合いの中、フレイ神が囁く。
黄金の炎は使っているけれど、それじゃ、足りない。
分かっているけれど、いつものように気持ちを奮い立たせて、スキルを使うことができなかった。
女神様に、僕は『優しい最強』を誓った。
空に響く全体メッセージから、『英雄』という言葉も聞いた。
でも、一度仲間になったこの人を――それも、妹を探しているこの人を、わけも知らず倒すための力を、奮い立たせることができない。
「リオン、君の覚悟はなんだ?」
言葉と一緒に蹴りが来る。腹に鉄棒を打ち込まれたみたいで、僕は後ろへ吹き飛んだ。
背中に、壁。
肺で空気が弾けたみたい。
サフィが手入れした防具じゃなければ、気絶してた。
「問いは次々に現れる。何を大事にするのか、譲れないものは何か」
「と、問い……?」
「そうだ。私は選んだ。妹は……必ず取り戻す。そしてそれ以外は、何も選ばない。それが覚悟だ」
青い目が僕を睨みつける。
曇りも迷いも、一点もない。
話して、ワケを聞こうとしている僕とは大違いだ。
スキルが発動したのは、このままじゃ死んでしまう、という怖さからだった。
「雷神の……鎚!」
雷は、たやすくかわされた。
返す刃が僕の肩をえぐる。衝撃は、焼けるような痛みと同時に襲ってきた。
ソラーナが悲鳴をあげる。
『リオン!』
なんとか起き上がろうする。スキルを、加護を使わないといけない。
別の声も続いた。
『……限界だ。リオン、ボクらを呼べ』
ウルの言葉が頭に響くけれど、それをある声が塗りつぶした。
「お兄ちゃん!」
後ろから、ありえない呼びかけ。振り返る。
「ルゥ……?」
そこにいたのは、ルゥ。
そんな。王都にいるはず。どうして?
痛みも戦いも忘れて、僕は、注意を奪われてしまう。
妹の顔が、悲しげに歪んだ。
「お兄ちゃん、どうして、その人と戦うの……?」
「――っ!」
胸が苦しい。
物語のように、父さんのように、優しく強い冒険者を目指す。
そんな誓いを立てたのに、僕は妹を探すこの人と戦ってしまっている。
「それは……!」
ずきり、ずきり、と胸が痛い。
ニルスさん、いや、フレイ……?
家族を助けたい気持ちは一緒なのに、どうして仲間じゃないのだろう。
直後、ルゥの顔が楽しげに歪んだ。
「ははははははははは!」
僕は、愕然とルゥの顔で笑う魔物を見た。
「やはり、あなたは……強くはあるが、同時にとても弱い」
ルゥの体を霜が包み込む。白い光が弾けると、中からラタが現れた。
化けていたんだ。
「お前っ!」
「おや。よそ見をしていていいので?」
側面から剣が襲い掛かった。受けた短剣ごと跳ね飛ばされ、受け身を取ったところを、さらに蹴りつけられる。
僕は壁際で膝をついて、なんとか短剣を前に向けた。
視界がひどく悪い。ダメージのせいか、涙のせいかは、わからないけど。
『リオン!』
もう、認めるしかなかった。ニルスさんは敵になったんだ。
もう、戻っては――パーティーに戻ってはこない。
「助けて、神様……!」
左手で金貨を握りしめる。
ソラーナ、トール、ロキ、シグリス、そしてウルが黄金の光を散らして顕現した。
剣を持ったフレイ神は、間合いをおいて立ち止まる。
「神々に縋ったか」
フレイ神は、かすかに口を歪めたように見える。
敗北感が胸に刺さった。僕は、気持ちを立て直すことも、粘ることもできなかった。
僕の気持ちは――妹を守るという覚悟は、弱い。
荒くなった風が、フレイの金髪をまきあげる。
「覚悟がない優しさは、弱さと同じだ」
言葉は、胸に氷柱みたいに突き立った。
ソラーナが右腕を振るう。
「寝返り者が、正しい心の持ち主を笑うな!」
黄金の髪を乱して、女神様はフレイを睨みつける。
「……わたしの信徒を傷つけるお前より、お前を切ることに苦しむリオンの方が、よほど強いっ」
その時、地面が揺れた。膝をついていた僕はバランスを崩して、シグリスに支えてもらう。
フレイが北の方角を見上げた。
「――ユミールも来たようだな」
それは、原初の巨人の名前。
寒気が全身をはい回る。
フレイが見た方角は、北――街のオーディス神殿がある場所だ。
フレイやラタが退いていく。
神様が出たことで、戦況がこちらに傾いたからだ。きっと、そもそもが僕らを足止めするための戦いだったのだろう。
神様と魔物は建物の壁を蹴って屋根まで上がっていく。
方向は、同じく北だった。
「みんな!」
僕は神様を金貨に戻す。痛む体を『白い炎』で癒しながら、敵を追った。
もしオーディス神殿を狙うとしたら、目標は『あの神具』しかない!





