3-39:黄昏の豊穣神
冒険者ニルスは、夕焼けのフローシアを歩いていた。
本当なら外にいるべきではない。オーディス神殿に呼ばれていた。そこに、新しく、そして初めてパーティーを組んだ者が待っている。
知ってはいたが、足が勝手に神殿の外へ向いていた。
たどり着いたのは港。
湖は、燃えるような夕陽に染まっていた。世界が火に包まれた光景にも見え、記憶の奥底が刺激される。
「……う」
ニルスは頭を押さえる。
たまらず掴んだ金髪には、じっとりと汗が滲んでいた。
少年、リオンが目覚ましの角笛と呼ばれる角笛を吹いた。その瞬間から何かがおかしい。
深呼吸をして、湖と向き合う。
馬車が数台は走れそうな大橋が、フローシアの街とダンジョン島を結んでいた。もしニルスが鳥になったなら、橋は湖に引かれた一本の線に見えただろう。
これほど大きな橋が水中から現れたのだから、街は大混乱であったはずだ。
さらに目立つのは、橋の中ほどから伸びる塔。白の外壁は夕日を受けて赤くなっている。
湖面を風が渡っていった。明日は風が強いかもしれない。
じわじわと頭の痛みが戻ってきた。
「……俺は」
黄昏から逃げるように、ニルスは湖に背を向ける。
人とぶつかりながら動いた。
長身が目立つせいか、何人かは冒険者としてのニルスに気づき、心配そうに声をかけてくれる。
けれども、気分の悪さと、違和感は増すばかりだった。
まるで胸の内側から何かが――自分の知らない何者かが目覚めてくるかのようだ。
フローシアの迷宮で見た2柱の神が、胸を過ぎる。豊穣神フレイと、妹フレイヤ。どちらも魔力が織り上げた偽物――『写し身』であったことが調査でわかっていた。
うわ言がこぼれる。
「かみ、がみ……?」
どれくらい、歩いただろうか。
ニルスは人気のない倉庫街にいた。スキル<剣豪>の感覚が、背後からの気配を捉える。
「誰だ」
振り返ると、それは細身の男だった。
「……お忘れですか、鼠骨のラタですよ」
ニルスは眉をひそめた。
「……ラタ?」
「これは寂しい。まぁ、記憶を封じているのですから、無理からぬことですが」
ニルスの頭に、ぼんやりと知識が浮かぶ。
セイズ魔法。
それは、人の心に作用する魔法だった。
「あなたは、自分で自分にセイズ魔法をかけて、本来の記憶を封じていたのです。記憶がないのですから、完璧な擬態になったでしょうし、神の気配も漏れなかった」
痛みで頭が割れそうだった。
「その体は、完全に人間のものですしね。ユミール様にスキルを食われ、抜け殻になった体に、あなたは宿っているにすぎません」
ラタと言った男はにたりと笑って、ニルスに親指ほどの金属片を差し出す。
「フローシアの隠しエリアを開く、魔法鍵。特に魔力の強いこちらを、お返しします」
出されたものは、確かに迷宮の魔法鍵によく似ていた。
ただ、見てきたものよりやや大型で、中央には宝石が埋まっている。
「夢は終わりですよ」
抵抗するようにニルスは首を振ったが、ラタはその手に無理やり金属片を握らせた。
「そろそろ、保険を使う頃でしょう。ダンジョンの親鍵は――迷宮の主の、あなたが持つべきものだ」
ニルスの頭がさらに痛んだ。
「思い出してください。あなたの一番大切なもの。妹神フレイヤからの贈り物、ブリーシンガメンの首飾りを!」
ニルスは懐から焦げた首飾りを取り出した。いくつもの金属片を細い鎖でまとめたものだが、今は無残に煤けている。
彼自身は、攫われた妹の遺したものと記憶していた。
けれども今ならば違うとわかる。
単に遺されたのではなく、妹から託されたのだ。
くすんでいた首飾りは、黄金に輝いた。受け取った金属片が、首飾りの中央、首元の位置へ納まる。
汚れや錆が取れていき、ニルスが持つ首飾りは美しく金色にきらめく。
お兄様、と呼ぶ声を、ニルスは聞いた気がした。
幻聴に違いないが。なにせ、1000年も昔に聞いたきりなのだ。
「……俺は」
妹を探す冒険者ニルス。
だがそれは、仮初の記憶。世界を旅して、目覚めた神々へ近づくため、己の心をそのように操ったのだ。
セイズ魔法がそれを可能にさせていた。
ニルスが持つ首飾りは、本当の己を見失わないための保険である。もともとは妹の持つ神具であったから、心の核は――妹への思いは維持される。
放浪を始める前、ニルスは首飾りの金属片をいくつも外していた。それぞれの金属片は、迷宮の扉を操る魔法鍵になる。
そもそもが迷宮の主、豊穣神の神具の一部であるからだ。
――お兄様。
頭に響く声を思い出しながら、ニルスは首飾りを握りしめる。
ラタが壁に背を預けて、問いかけた。
「目が覚めましたか?」
「……ああ」
ぎゅっと、妹が残した首飾りを握る。
確かな足取りで倉庫街を歩き、もう一度、港へ出た。
白い塔が天へと伸びている。
「覚悟はとうに済ませた。妹は――フレイヤは、誰にも渡さない」
たとえ魔力の一部であっても。
心でそうつけ加えて、ニルスはラタを振り返る。
商人風の細身に化けた魔物は、上機嫌に手を叩いていた。
「素晴らしい! 偵察も、迷宮へ注意を引き付ける段取りも済みました。ユミール様も、じきに来られるでしょう。あなたがいれば――心強い」
ラタは肩を揺らして、口元を隠した。
笑いをこらえきれていない。
しばらくして、ラタは居住まいを正した。
「……ふぅ、さて。もはやこう呼ぶべきでしょう、豊穣神フレイ殿」
ニルスは顎を引く。
目に焼き付けるように、夕日に染まる塔を見つめていた。
「もう、迷わない」
ニルスは――豊穣神フレイはラタと共に踵を返し、フローシアの暗がりに消えていった。
◆
僕は神殿の最上階で、夜のフローシアを見つめていた。
窓は開いていて、おまけに5階の高さだから風がくる。
分厚い雲の隙間から、明るい月が湖面を照らしていた。高い塔は銀色に染まって、雲を突くみたいに伸びあがっている。
もしまっさらな気持ちで見たら、幻想的な景色だったのかもしれない。それこそ、王都に帰ってからルゥや母さんに絶対に話して聞かせるだろう。
でも今は、ため息が落ちた。
「ニルスさん、見つからなかったな……」
何度も窓に身を乗り出して、僕はニルスさんの姿を探していた。
けれど、<狩神の加護>を使っても、あの人の姿はまるで見つからない。
さっき、ニルスさん以外の仲間は『霜の宝珠』の部屋に集まっていた。パウリーネさんやルゥに迷宮での出来事を伝え、話し合うために。
その時も周りに尋ねたけど、ニルスさんの行方は誰も知らなかった。
「……妹さんを、1人で探しに行っちゃったのかな?」
そんな可能性もあって、なおさら心配になる。
金貨が震えて、ソラーナの声が来た。
『心配なのだな』
「うん」
ニルスさんは、お兄さんのようで、剣技は少し父さんのようでもある。
そんな人が仲間になってくれて、とても嬉しかったのに。
『今は休んでおいた方がいい。今回の塔が、敵にとっても想定外であるかはわからない。けれど、もう何が起きてもおかしくないのだ』
僕は首肯して、小さく念じた。
「ステータス」
――――
リオン 14歳 男
レベル27
スキル <目覚まし>
『起床』 ……眠っている人をすっきりと目覚めさせる。
『封印解除』……いかなる眠りも解除する。
[+] 封印を鑑定可能。
スキル <太陽の加護>
『白い炎』 ……回復。太陽の加護は呪いも祓う。
『黄金の炎』……身体能力の向上。時間限定で、さらなる効果。
『太陽の娘の剣』……武器に太陽の娘を宿らせる。
『太陽の目覚めの光』……太陽の力で、封印解除を永続させる。
スキル <雷神の加護>
『雷神の鎚』 ……強い電撃を放つ。
『戦神の意思』……自分よりも強大な敵と戦う時、一撃の威力が強化。
『ミョルニル』……雷神から、伝説の戦鎚を借り受ける。
スキル <狩神の加護>
『野生の心』……探知。魔力消費で、さらなる効果。
『■■■■』
スキル <薬神の加護>
『ヴァルキュリアの匙』……回復。魔力消費で、範囲拡大。
『シグリスの槍』……遠隔補助。魔法効果を槍にのせ、届ける。
スキル <魔神の加護>
『二枚舌』 ……2つの加護を組み合わせて使うことができる。
『精霊の友』……精霊達の力を引き出す。
『■■■■』
――――
迷宮から戻ると、僕のステータスにまた読めない部分ができていた。
たぶん、神様が与えようとしていて、けれどもまだ使うことができない――目覚めかけの力ってことだろう。
明日の戦いでこれが目覚めれば、また強くなれる。
ソラーナへ言った。
「……大丈夫。フレイヤ様は、絶対に見つける」
僕は銀色に照り輝く塔を見つめた。
さぁっと強い風が渡ってくる。湿気を帯びた、嵐を思わせる風だ。
『明日は、荒れるな』
ソラーナに頷きを返して、僕は窓から離れた。
翌朝は、再び塔を調べることになる。
お読みいただきありがとうございます。
書籍化作業がラストスパートに入りまして、
次回更新まで少しお時間をいただきます。
次回更新は、5月29日(日)の予定です。
そして、本作の書籍版は、6月15日(水)発売予定です!
イラストレーターの四季童子先生の、可愛くも美麗なイラストが楽しめます。
書籍版は以下のように改題されております。
『神の目覚めのギャラルホルン ~外れスキル《目覚まし》は、封印解除の能力でした~』
無事お届けできるよう頑張りますので、今後ともご愛顧いただければ嬉しいです。
それでは、また次回に。
3章もまた佳境ですが、リオンの活躍にご期待ください。





