3-34:竜を退ける
咆哮をあげる巨竜。
強靭な顎、禍々しい牙、不気味なほど静かな瞳――そんな一つ一つから目を逸らせない。
打ち破られた天井から光が差し込んでいる。青白いウロコと、ヴェールのように半透明な翼が、幻想的にきらめいていた。
父さんがいなくなるずっと前、小さな頃に聞いた物語を思い出してしまう。
洞窟に入った冒険者が、竜と戦う物語。
状況的にはそっくりだ。
ここは迷宮の13階層。柱がない大空間は、果てがかすんで見えるほどの大部屋だ。天井はゆうに10メートルはあるだろう。
水晶竜が頭を高く掲げる。
――グウゥオオオオ!
再度の、咆哮。
びりびりと空間中が打ち震える。逃げられれば上等、悪くすれば気絶。そんな迫力に、勝手に足が後ずさった。
ミアさんも、フェリクスさんも、ニルスさんも、それに戦士団やサフィも――みんな威圧されていた。
戦士団が悲鳴を上げる。
「か、神々はっ? 替わりに戦ってもらうことはっ?」
震える手で、僕はポーチの目覚ましの角笛を取り出した。
反応はない。光ってもいないし、振動もない。
<目覚まし>の力で神様を起こし、この竜を倒してもらうのは大きな負担になるだろう。封印が強いところでは、角笛がないと神様も全力を出し切れないんだ。
「まだです! でも――!」
声を張り、『黄金の炎』を身にまとった。
ぎゅっと角笛を握りしめる。
「僕らだけでもきっと倒せます! だ、だって……!」
怖い。
でも怖さ以上の熱が胸にある。
「王都でも、アルヴィースでも、必要な時、角笛は力を貸してくれました。角笛にいる神様が、タイミングを選んでいるんだと思います」
王都やアルヴィースを思い出せ。本当に危ない時、必要な時、この角笛は力を貸してくれた。
目覚ましの角笛には、『ヘイムダル』という神様が宿っている。
「今、角笛が反応していないとしたら……それは、今の僕達なら戦えるって、角笛の神様が信じているんだと思います」
みんな、はっとして青白い巨竜を見返した。
呼吸や姿勢がみるみる内に整っていく。
「神々の力は借ります。でも、戦うのは僕ら――そういう戦いなんだと思う」
僕も青白い竜を睨み上げた。
落ち着いて、どんな敵なのか、観察する。
こちらを見下ろす頭は、5メートルの高さにある。首は丸太みたい。地面を踏みしめる4本足や、天井を隠すヴェールのような翼は、生き物というより砦と戦うような気持ちにさせた。
それでも、きっと角笛にいる神様は、僕らが勝てると信じてる。
――お主ら、フレイヤ神の守り人か?
――それにしては、いくぶんか、周りの時が流れている気もするが……。
竜は喉を鳴らし、欠伸した。
――まぁ、終末の前では同じこと。
――お主らの仲間も。上ではい回っている有象無象も。友も家族も。みんなみんな全て……喰ろうてやろう!
竜の背では、無数のクリスタルが光を照り返している。まるで水晶の鎧を着ているみたい。
石の一つ一つがきらりきらりと輝く。空中に無数の光が飛び出した。
『水の精霊、だと……?』
ソラーナの呟きに、僕は声を出してしまった。
「背中の石って――まさか全部、精霊石?」
だから『水晶竜』というのだろう。
竜の周りに無数の水球が浮かんだ。直後、水撃が雨のように降り注ぐ。
僕らは鞭で打たれたみたいに散開した。
「か、勝つっていうけどよぉ!」
ミアさんが舌打ちしながら足を回す。
無数の精霊が、僕らめがけて水撃を放ち続けた。当たれば致命傷の雨。
これじゃ……近寄れない!
同じように素早く動きながら、ニルスさんが声を張った。
「さすがに敵が大きい! それとも君たちの敵は、規格外ばかりかっ!?」
その辺りはごめんなさい!
金髪をなびかせて、ニルスさんはにやりと笑う。
「……だが、かえって面白い」
剣を振るえば、水撃が断ち斬られた。
「威力は、精霊の力に依存している! 数は多いが、一つ一つは4層目の小型竜と変わらない」
ミアさんが斧で、フェリクスさんは魔法で、ニルスさんは剣で、それぞれ水撃をいなし始める。
散開したからか、相手の狙いが分散していた。それに、一度見た攻撃だって思い出せれば、当時のやり方を繰り返せばいい。
「前へ、行きましょう!」
叫んだ。
水晶竜は鼻を鳴らす。
――ふんっ。
広大な舞台。
水晶竜は翼で舞い上がり、僕らから大きく距離を取った。降り注ぐ水撃で体力を削るつもりだろう。
「火線」
隙に差し込まれた、フェリクスさんの魔法。受け止めた水の壁から蒸気が散った。
竜が頭を高く掲げる。
――眷属よ!
天井に開いた穴から、いくつもの影が飛来した。招かれたのは、4層にもいた小水竜。水を操る小竜は、ボスの配下にあるんだ。
「みんな、一旦、僕の近くへっ」
手を挙げて仲間を呼び集めた。
神様の力を起き上がらせる。
――――
<スキル:薬神の加護>を使用しました。
『ヴァルキュリアの匙』……回復。魔力消費で範囲拡大。
――――
――――
<スキル:太陽の加護>を使用しました。
『黄金の炎』……身体能力の向上。時間限定で、さらなる効果。
――――
頭がズキリと痛む。
僕のレベルは、26。ここまで成長していなければ、一瞬で魔力切れになってしまっただろう。
「うう……!」
魔力の減少に耐えながら、薬神様の力で『黄金の炎』をふりまく。
ミアさん、フェリクスさん、ニルスさん、そしてサフィや戦士団――全員にソラーナの加護が行き渡った。これでもう、身体能力で遅れはとらない。
制限時間は3分間。こんな大勢にかけるなんて、そう何回もできない。
わずかな間に、近づいて、この敵に勝つ。
砦のような、この竜に。
「カァアア!」
4体の小型竜が僕らに襲い掛かる。ニルスさんとミアさんが踏み出し、得物を振るった。
瞬間、竜は斬られ、あるいは跳ね飛ばされ、灰になる。
この上なく頼れる前衛が、『黄金の炎』でさらに強化されていた。
「……これは」
振り返るニルスさんに、顎を引く。
「神様の力です! 今のうちに!」
水晶竜が怯んだらしい。
僕だってレベルアップを繰り返して、神様の――ソラーナ達の力をさらに使えるようになっている。
――おのれ!
――眷属よ!
さらにやってくる小型竜。青蝙蝠や魚人さえもそこに交じる。
狙いはきっと、時間稼ぎ。
対するのは、魔法、斧、そして剣技。
魔物の群れを押しのけて、僕らは奥へ逃げた竜を追った。
水撃も、もう恐れない。僕自身だって見切っていた。
「みんな!」
横一列になって突き進む。
竜には、波のように前線が押し上がってくるのが見えただろう。
僕は列の真ん中を進んでいた。
左右と目線を交わすと、パーティーは笑みと頷きを返してくれる。これからの作戦は、きっと届いた。
「じゃ、あたしがやろう!」
ミアさんが前に出る。集中する水撃。
全てを『緋の斧』で引き受けた。
――近寄るなっ!
長い尻尾が振りぬかれる。
「はっ」
振りかざす斧と、尻尾が激突した。
『緋の斧』が輝く。受け止めてきた魔力を、竜巻にして打ち返した。衝撃に、巨体の竜がたたらを踏む。
その間にニルスさんが、フェリクスさんが、竜の懐に飛び込んだ。
『はは! 前衛で、砦の門をこじ開けたってわけだ!』
トールの声が背中を押した。
『竜退治なんてのは、英雄にもってこいじゃねぇか!』
フェリクスさんの前に、青白い魔法文字が奔る。
「氷刃」
ぞくっとするほどの冷気がくる。氷が周囲の水を凍てつかせながら、水晶竜へ迫った。
――ちっ!
翼を広げ、竜は逃れようとする。氷による拘束を警戒したんだ。
「竜断撃」
先に、ニルスさんが動いていた。
次々と生まれてくる氷柱に、スキル<剣豪>の技を叩きこむ。切られた氷の刃は、鋭さはそのままに水晶竜へ飛んで行った。
ウロコや翼に氷の刃が刺さる。
水晶竜が飛翔をやめ、地面を揺るがせて着地した。
大きく翼を広げれば、それだけ当たりやすいもの。
「捕らえました」
フェリクスさんが杖をついた。
巨木のような前足を、氷魔法が掴んでいる。
――小賢しいとは、このことだ。
水晶竜がぐばりと口を開けた。
真っ赤な口腔。背中のクリスタルが青白く光る。
魔力探知が、口に膨大な魔力が集っていることを告げた。
神様ウルが叫ぶ。
『竜息がくるよ!』
竜種は、口から強力な攻撃を放てる。炎であったり、雷であったり――まるで吐息のようだから、冒険者の間では竜息と言われた。
でも――
「目覚ましっ」
ガントレットの左手にはめたクリスタル。
そこから、炎の精霊を揺り起こす。
――グゥオオオオ!
吐き出される水撃。
ミアさん、そしてニルスさんがいる位置を薙ぎ払おうというんだ!
「させない!」
ブレスに精霊の火が命中した。猛烈な蒸気を生む。かつてロキが教えてくれた通り――確かに、水には『まどわし』の力があるのかもしれない。
フェリクスさんが呼応し、炎魔法でも蒸気を生んでいた。
――目くらまし?
僕は竜へと走る。
早く、早く、早く!
みんなの黄金の炎と、このもやが、消える前に!
――剣士も、斧士も、しばらくは動けまい。
――最も魔力の少ない子供が……何ができる?
敵の視界はもやに遮られている。でも、今自由に動ける僕が近づいているというのは、きっとわかるだろう。
一撃で仕留めたい。
二撃目を準備する間に、絶対に反撃が来る。
それでいて、万が一、距離をとられた時の追撃も考えないと。
――む?
――なんだ、この、絶大な……?
相手が、僕をわずかでも侮っている間に!
――――
<スキル:薬神の加護>を使用しました。
『シグリスの槍』……遠隔補助。魔法効果を槍にのせ、届ける。
――――
左手に、薬神様の槍を呼び出す。
右手には、雷神様の鎚。
――――
<雷神の加護>を使用します。
『ミョルニル』……雷神から、伝説の戦鎚を借り受ける。
――――
左手の槍、右手の鎚を、僕は組み合わせた。
トールの戦鎚ミョルニルが、戦乙女の槍に宿る。
――神々の、鎚……だと?
先端に矛先と鎚を持った――巨大な長柄鎚になった。
威力も、逃げられた時の投擲追撃も、この組み合わせならやり遂げられる。
――お主は、一体!?
助走、そして跳躍。水晶竜の頭は真正面。
振り上げられた雷の長柄鎚に、古代の竜は確かに目をむいた。
浮かんだ言葉を、そのまま叫ぶ。
「ヴァルキュリアの……鎚!」
先端に宿ったミョルニルが、脳天を打つ。轟音といっしょに雷光が巨竜の全身を貫いた。
間近の雷鳴に目がくらみ、耳がキーンとなる。
水晶竜が灰になり、消えていく最中。僕は遠くの壁に美しい女神様を――夢で見たフレイヤ様を見た気がした。
フローシア・ダンジョンの未踏エリアは、きっとそこにある。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は、5月11日(水)の予定です。
(隔日更新ではなく、2日空きます)





