94:星の神語り(4/20)~作戦
静かな睨み合いが続く。その中で、ソフィアの舌打ちだけが虚しく響く。
「くそが、腕を再生しやがった……しかも増えてるじゃねえか……!」
さらに元の体躯の二倍にもなる大きさに巨大化した。絶望というものに指標があるのなら、これほどわかりやすいものもあるまい。
ソフィアもクラウンも、目の前にそびえ立つ黒い巨躯に慄く他なかった。
「どうした。かかってこないのか?」
悪魔リフューズがその声帯を震わせ、泡混じりの声を発した。あまりにも醜い、そして聞き取りづらい声だったが、その意味するところははっきりと理解できる。
ソフィアとクラウンは答えない。ただ黙ってその巨獣を見上げるのみだった。
「ならば――――」
リフューズが動いた。
そのウミグモのような脚で一斉に踏み込み、一瞬にしてリフューズはソフィアとの距離を詰める。
「こちらから行かせてもらおう」
「ッ――――!」
そのあまりの速度にソフィアは反応が追いつかなかった。ソフィアが動かないままに、リフューズは右腕でソフィアの顔面を殴る。そして、浮いたソフィアの身体に左腕による拳鎚を下す。地面に叩きつけられ、瓦礫と共にその反動でソフィアは宙に舞う。そこに下腹部の腕による突き上げ。体勢を整える間もなく繰り出される連続攻撃に、ソフィアはただ翻弄されるのみ。
宙に投げ出されたソフィアに、リフューズの背中側の腕から放たれる圧縮空気弾が襲い来る。避ける暇も与えないリフューズの連撃。ソフィアは宙にて踊る。
「ガアアッ!!」
「まだまだ」
リフューズは飛び上がり、右腕をソフィアに向けて振り下ろす。姿勢が整わないソフィアは当然のようにその攻撃を喰らい、またも流星のごとく落下する。リフューズは空中を蹴るように、物理的に不可能な軌道でリフューズはソフィアを追って地上へ向かう。
クレーターの中心で、やっとのことで体制を整えたソフィアは、振り下ろされた右腕を刀で受け止める。だがその一撃でもたらされる衝撃は、ソフィアの足元の地面を抉り取っていく。
一つの腕だけ止めてもあと三つの腕がある。だがソフィアが止められるのは一つの腕が限界だった。
つまり、今の状態では次に来る攻撃を防ぐ手立てがない。
「この……くそったれがァァ……!」
「ソフィア様!」
ソフィアの下に向かおうとしたクラウンだが、カイトゥールの肉片が放つ怪光線たちによって阻まれる。
「暇はないぞ、偽性神」
「…………!」
ジリジリと追い詰められていく神々。それはもはや言うまでもない。
言うまでもないが、あえて言おう。
絶体絶命のピンチであった。
・・・
一方、ペイラ列巌山を前にして墜落した艦では、五感を取り戻した船員たちが慌ただしく動いていた。
悪魔カイトゥールの有する理『反感性』は、自身の"世界"の中に存在する生命体全ての五感を否応なく奪う能力であるが、逆に言えばカイトゥールの"世界"の外側に出てしまえば五感を封じる能力は働かない。それともう一つ、カイトゥールの能力が解除される条件があるのだが、それを彼らが知る由はない。
「各艦の被害状況を知らせろ! 急げ、神々が悪魔を食い止めている今しかチャンスはないぞ!」
クライブ監督官が指示を飛ばす。前方のペイラ列巌山では神々が悪魔と戦っている。それは今や人間が立ち入ることのできない地獄と化していた。
「地面との激突で2番区画に穴が空いています! 当該区画の星幽回路が切断、液体漏れを確認! 船員に負傷者多数、うち重傷者5名!」
船員が報告する。無理もないことだった。五感もないままに墜落したのだ。不時着しただけでも奇跡のようなものだった。
そうなると運が向いていると思いたくなるところではあるが、実際のところは精霊たちの独自の判断があってのものである。彼らにとってみれば「世話の焼ける人類だなあ」くらいにしか思ってはいないだろうが……。
「穴が空いた区画は隔壁を閉鎖しろ、補修している時間はない! 切断された回路は2番バイパスをつなげ! 負傷者は仙術使いの所へ! 重傷者が優先だ! 動けないものは動けるものの手を借りよ!」
「了解! 回路を2番バイパスにつなげ! 液体供給を止めるのを忘れるなよ!」
「クライブ監督官! 医務室はもう満員です!」
「その場でもいい、手の空いている仙術使いを捕まえて治療に当たらせろ! 軽傷者は自分でなんとかしろ、何のためにアリスティア殿に教えを請うたか思い出せ!」
船員の報告に対して、的確に指示を返すクライブ。やれやれ、パトス派神団として神官を率いていた経験がここで役に立つとは、とクライブは思う。だがそうしみじみともしていられない。感慨に耽る間もなく次の報告は矢のように飛んでくるのだ。
「クライブ監督官! 砲手に負傷者多数! しばらく誘導砲は使用できません!」
船員の報告は、現状を鑑みれば最悪のものだった。前方には虚界悪魔が、後方には黒紋獣が。艦の武器も使えぬままに挟み撃ち、などという展開は避けたいところだった。
それに、今のままでは神々への援護ができない。対悪魔戦術において、これは致命的な問題だった。
「砲手の治療が最優先だ!」
クライブの指示に、了解、とだけ返して通信を切る船員。物事には順番がある。負傷者の治療もそうだ。今の状況であれば、重傷者と砲手が最優先だ。軽傷者は最悪そのまま戦線に投入することだってあり得る。
「機関部、大した損傷はありません! 15分もあれば航行可能です!」
「10分でやれ! 事態は一刻を争う!」
黒紋獣を振り切ってからどれくらい経っただろうか。彼らの侵攻スピードからして、追いつかれるのはあと何分か。そして、神々はいつまで持ちこたえてくれるのか。何もわからない。わからないから、クライブの額に焦燥の汗がにじむ。
そして、その少し離れた場所で、天宮照とその一行が佇んでいた。彼らには目立った外傷はない。というのも、カンマの治療を真っ先に受けることができたからである。それがなかったら骨の一本や二本は折れたままだった。
「カンマくん、これが君が言ってた"未来が見えない区間"かい?」
照がカンマに確認を取る。その問いに、カンマは頷きをもって返した。
「うん。まさか五感を奪う能力とはね」
「人間は霊的知覚が鋭くねえから、効果てきめんってわけだ」
エルタイルが憎々しげに言った。
虚界悪魔カイトゥールのその能力は、感覚のほとんどを五感に委ねる人間にとっては致命的な能力といえた。それは真性神といえども境界……現世で暮らしていた照にとっても同じことだった。例外があるとすれば飛び抜けて霊的知覚の優れた人間だろう。だがそんな人材でも、普段は五感に頼って生きている。それがいきなり遮断されれば誰でも混乱するだろう。その意味でも、この能力は強烈だ。
ともすれば、対人間において、カイトゥールの『反感性』は最強の能力と考えられる。照はともかく、カンマやルゥコがカイトゥールの"世界"に飛び込むのは自殺行為と言えるだろう。
しかし――――
「でも、ここじゃない?」
照が再び確認する。対してカンマもそれに答える。
「うん。ここじゃない。けれど……」
そうだ。ここではない。
カンマが見た"デッドエンドポイント"は。
岬を越えて、高い岩の塔を抜けた先、砂漠の処刑場。その上空で艦が沈むとのことだったが……。
既に艦は沈んでいるのに、もう一回沈むのか。そう考えると、不謹慎ながら笑ってしまう。この短い間に何回艦が沈むことになるのか、逆に気になってしまった。
閑話休題。
「ここでなんとかしておかないと、後で詰む」
今カンマが見ている未来は、カンマに対して確定の死を告げていた。
ここで悪魔を倒さず、艦が砂漠まで行った場合、カンマの見た未来が訪れる。そして、予言の時が近付いてきたのか、その未来がより鮮明に見ることができた。
同士討ちする3隻の艦。そして襲い来る3体の悪魔。誰も信じられなくなって、裏切りと嘲笑の中で、絶望にまみれてカンマは死に至る。
カンマが死んだ後のことは未来視では見えない。だが、その後の状況は推して知るべしである。
そして確実なのは、今神々が相対している悪魔。奴らを倒さなければ詰む、ということのみ。
「なら話は簡単だ。あの悪魔たちを倒せば――――」
照が言い終わらない内に、北方より何か巨大な飛来物がやってくる。金切り声のような風の音に気付いて照が見を躱すと、その飛来物は照のすぐ横を通り過ぎ、艦体に穴を空けつつ静止した。
照たちが艦体に空いた穴を囲むように見れば、それは今悪魔と戦っているはずのレーヴ十神、ソフィアだった。
「っ――――ソフィア!?」
「ッ……くそったれ……!」
口惜しげにソフィアは呟く。見れば、その鎧のような身体は所々が歪んでおり、傷だらけだった。見るからに満身創痍。
「お、おい。大丈夫か……?」
恐る恐る、エルタイルが訊いた。
これにはさしもの照も心配せずにはいられない。
……だが、
「大丈夫そうに見えるか?」
と、ソフィアはぶっきらぼうに答えるだけだった。
「……その憎まれ口なら大丈夫そうだな」
「けっ」
ソフィアは唾を吐くような仕草をした。まあ、彼らの身体の構造上、本当に唾を吐くわけではないのだが。
「あいつらはオレたちが留めておく。てめえらはさっさと先に行きやがれ」
「……だめだ、それは」
カンマが静かに否定の言葉を口にした。
これに対し、ソフィアはカンマを睨みつける。
「あん?」
だがカンマは怯まない。それはソフィアが怖くないからではない。やるべきことがあるからである。
「あの悪魔たちはここで倒す!」
この宣言に対して、ソフィアはカンマの頭を疑うような言葉を返す。
「てめぇ、正気か? あの拒絶野郎はともかく、全身顔野郎は近づくだけで五感を奪うんだぞ。てめぇらじゃ無理な相手だ」
だがカンマの決意は揺らぎはしない。
「だからここでやるんだ」
「……どうやって?」
カンマの意思の固さを理解したのか、ソフィアはカンマの言葉に対して否定ではなくその手段を問うてきた。
それに対し、カンマは答える。
「作戦がある」
「作戦だぁ?」
カンマは冷や汗をかきながら、にやりと笑った。
「乗るか、乗らないか、お前が決めるんだ。それをするのは、お前なんだから」
ソフィアはその言葉に、黙して答えない。
ただ、北峰から吹く灼熱の風が、カンマの言葉に対する答えかのように思えた。




