83:残った神々
――――草原は、辺り一面が焼け野原になっていた。
未だ燃え盛る草木に、立ち上る煙。それまでの雄大な光景などは見る影もない。
ベート平原。その中央付近に、神の御座船は墜落した。そして、それから少し離れた場所に、ひとつ、ふたつ、クレーターが出来ていた。
「……ぅ……」
クレーターの一つ、その中心に、レーヴ十神の一柱、ソフィアが倒れていた。
ソフィアが目を覚ますと、緩慢な動きで立ち上がり、ゆらりゆらりと揺れるように歩いていく。クレーターから出てみると、見渡す限りの草原……だったものが広がっている。今やその場所は燃える草木の荒野である。
もはやそこがどこなのかもわからぬ状況ではあるが、周囲に見える景色から、ソフィアは今いる場所を特定する。
「ここは……ベート平原か……」
驚くほど様変わりしたベート平原だが、北方に見える学都ギーメル、西方の山々、東方の森林地帯など、その景色自体は変わっていない。異常なのはこの一帯だけだ。
「あれは……」
空を飛んで辺りを見渡すと、同じようなクレーターが一つ。それと、大きな煙が上がっているもう一つ。
一歩一歩、おぼつかない足取りで、ソフィアはクレーターへと向かう。足が鉛のように重く、思い通りに動かせなかった。
何分経っただろうか。やっとの思いでクレーターの縁へとたどり着く。
その淵には、ソフィアと同じようにクラウンが倒れていた。
足を引きずりながら、ソフィアはクラウンの側に寄ろうとする。足を踏み外してバランスを崩し、クレーターを転げ落ちる。うまく力が入らない中、やっとのことで立ち上がると、ソフィアはクラウンに呼びかけた。
「クラウン。おい、クラウン」
返事はない。だが生きているのは分かっている。ソフィアたちレーヴ十神は、死ねばその身体自体が崩壊し、砂のようになって消えるからだ。
「ん……あ、姉上……」
クラウンはうわ言を述べている。それに対し、ソフィアは失笑を漏らす。この期に及んでシェキナーダのことしか考えていないこの神に、もはや呆れもしない。
「姉上!」
クラウンは飛び起きる。ソフィアと比べ、目立った外傷もない。そのため力も有り余っているのだろう。
ソフィアはそんなクラウンに対して声をかける。
「――――ようクラウン。お互いくたばってないようだな」
クラウンはソフィアに顔を向ける。その眼光から感情は読み取れない。
「ソフィア様……私たちは……」
「聞いて喜べ。計画は失敗だ」
自嘲的な笑みを込めて、ソフィアは言い放った。
それを聞き、クラウンの眼光が少しだけ揺らいだ。おまけに言うと、言葉に詰まった様子を見せた。
「この半年近くあくせく働いて、その結果がこれだ。笑うだろ」
ソフィアとクラウンはクレーターから這い上がる。
そして、ソフィアは遠くで上がる煙を顎で差す。
「見な。あれが御座船だ」
クラウンがソフィアの指した方角を見ると、そこには黒い煙を今も吐く御座船、その残骸が横たわっていた。
「……ひどい……」
恐る恐る、満身創痍のその身体で、ソフィアとクラウンは御座船に寄る。近づくにつれて、その凄惨さがありありと実感できた。船体のいたる所には穴が空き、帆はビリビリに破れ、船首に至っては折れている。……いや、船首で済めばよかったかもしれない。御座船は船体そのものが真っ二つになっていた。
次元さえ超えられる船を造ったつもりだった。だが現実はこれだ。未知なる場所へ旅立つ前に潰された。
「奴ら、その気になれば総てぶち壊せたんだ。いつでも。だがそれをしなかった。何故だと思う?」
そうだ。悪魔はいとも簡単にこちらの計画を完膚なきまでに叩き潰した。いつでも、好きな時にそれができた。
なら何故事ここに至るまで放置したのか。
クラウンは答えない。それこそが答えだと言わんばかりだ。
「あざ笑っていたのさ、オレ達を」
ソフィアは拳を握りしめる。その右手から灰色に光る神気を纏う体液が滴り落ちるのも厭わず。
「ソフィア様……」
クラウンはただ、ソフィアの名を呼ぶのみだった。その白い眼光が表す感情は、ソフィアには読み解けない。
ふと、ソフィアは自らを呼ぶ声が他にあることに気づき、御座船を見渡す。
「た……助けて……」
「ソ、フィア、様……」
「ん……?」
すると、御座船の中から、信徒と思わしき人物の影が数人、姿を表した。
既に神官服は焼け落ち、その影は裸同然。その顕になった肌も、火傷がおびただしい。腕も千切れ、潰れた足でどうにか歩いている状態だ。もはや助からない。ソフィアはそう直感した。
「お、お助け、を――――」
「っ、信者ども……」
それは、紛うことなきソフィアの信徒だった。顔も姿形も、もはや誰なのかすら判別がつかなかった。刻まれた聖印だけが、その者たちがソフィアの信徒である証明だった。
信徒たちは倒れる。その衝撃で、かろうじて形を保っていた足も崩れ落ちる。
それでもなお、信徒たちは手を伸ばす。もう助からないのに、助けを求めて神にすがるのだ。
「……まだ、生きていたのか」
だが、ソフィアが発したのはそのただ一言のみだった。
その言葉は、信徒たちには聞こえなかったようだ。未だ手を伸ばし続ける信徒たち。だが次第にその力も尽き、やがて一人、また一人と動かなくなっていった。
ソフィアは動かない。ただその信徒たちを見つめるだけだった。
「ソフィア様……」
クラウンの声。ソフィアにはその意味するところがわかっていた。先程から近付いてくる気配が四つあったからだ。
その四つとは、あいつら以外に考えられない。
アメミヤ・テラスとその一行だ。
だが、ソフィアは振り返らない。
「――――半年前、悪魔たちはやってきた。空を埋め尽くす暗雲と、世界を虚数化する黒い雨と共に」
不意に、ソフィアは語り始める。自分でも、それがなぜかはわからない。
「最初はオレたちも戦った。だが戦いは長引き、膠着するのが目に見えていた。だから方針を変えた」
その戦いでクルーエルとかいう悪魔と戦い、敗北を喫したシビアギボールは消耗し、アメミヤ・テラスたちに倒されるほどまで弱体化した。
破壊神の敗北。方針を変えなければならなくなったのはその影響もある。
「境界から死者の魂を集め、その魂にオレたちの権能の一部を与え、それを縁として奴らの魂を吸い上げる計画を立てた。
その魂と信者たちの魂、精霊たちの魂を使って、こことは違う遥か彼方に、新しい世界を作るためのオレの計画……」
それが転世者計画、そして御座船だった。
だが、それももう過去の話。
「すべて、すべて水の泡だ」
ソフィアの声に、隠しきれない怒気がこもる。
「それもこれも、お前のせいだ、境界の神性……!」
振り返り、言い放つ。
見ればそこには、アメミヤ・テラスをはじめ、エルタイルとかいう魔導士の少年、カンマとかいう未来視の少年、そしてルゥコとかいう精霊使いの少女がいた。
「あぁそうだ! お前たちがオレらを四柱も殺してくれたお陰でなァ!」
「なっ……」
言葉とともに無意識の内に神気が漏れ出ていたようで、彼らはその雰囲気に圧倒されたようだった。
だがそんなことにも負けじとエルタイルが言い返す。
「何言ってやがる、てめぇらからけしかけておいて!」
エルタイルの言うことは正しかった。パトスとハミルは別として、確かに、シビアギボールとサン・ビュナスを唆したのはソフィアその神である。それを棚に上げての発言は、彼らにとっていい気分ではなかっただろう。
だがそんな事知ったことか、とソフィアは思った。
怒りだ。怒りしかない。
もうこのむしゃくしゃした思いは、誰かにぶつけねば収まらない。
そこにいたのだ、悪く思うな。
ソフィアはアメミヤ・テラスたちに向けて、筋の通らない怒りを向けた。
「エルくん」
「でもよ、テラス……!」
なおも正論で説き伏せようとするエルタイルを、アメミヤ・テラスは制した。
そして、こう述べるのだ。
「……話し合うつもりは無いんだね?」
「ハッ。今更何を話し合うんだよ。協力してくださいって頼み込むつもりかァ?」
「そうだと言ったら?」
あまりにも予想通りの解答に、ソフィアは失笑を漏らした。
「ふざけるなよアメミヤ・テラス! その気がねえのは重々承知だろうが!」
ソフィアのこの返答を聞き、アメミヤ・テラスはため息を一つ。その横では、カンマとルゥコが口々に反応を示す。方や呆然、方や憤慨、である。
「な、なんて言い分……」
「噂には聞いてたけど、ここまで自分勝手だなんて思わなかった!」
カンマは頭を抱え、ルゥコは肩を狭めて怒っている。
そんな二人を横目に、アメミヤ・テラスは至って冷静である。他の三人が言いたいことを言っているお陰で、かの神は落ち着いていられるのだろう。
アメミヤ・テラスはクラウンを見やる。
「そっちの方は?」
クラウンは何も答えない。沈黙したままだ。
「……何も言わず、か」
「止めるなよクラウン。オレは今最高に苛ついてるんだ。少しくらい発散させろよな!」
あまりにも身勝手な言い草だ。それは自分でもわかっている。だが今までもそうしてきたのだ。だからこれは何も変わらない。変わらないのだ。
「そっちがその気なら……」
アメミヤ・テラスは日輪と鏡の翅を展開し、浮かび上がる。
そして、三人に呼びかける。
「エルくん、ルゥコちゃん、あとカンマくん!」
「おう!」
「戦闘だね……!」
エルタイルとルゥコが戦闘態勢に入るも――――
「手出しは無用だ、私だけでやる!」
その一言で脱力した。
「って、おい!」
「天宮さん!?」
二人がずっこける中で、カンマは一人、分かったような顔をしている。いや、実際に分かっているのか。
どうあれ、舐めた対応だ。満身創痍なら一人で十分とでも思ったか。
「……だろうと思ってた」
「悪いね」
ソフィアは風を操って空へと舞い上がり、アメミヤ・テラスとその高度を合わせる。向き合って、その灰色の眼光でもって睨みつける。
お互いに構えをとって、戦いの火蓋が切られるのを今か今かと待つ。
その火蓋を切るのは、他者ではない。己と敵以外に存在しない。
そう、それはもう間もなくやってくる。
「はっ。ナメてくれるなァ、アメミヤ・テラス『くん』!」
「お前……いい加減その『くん』付けやめろ!」
その会話を皮切りに、二人の戦いは始まった。




