80:牙を剥く悪魔
「あー暇。暇ヒマひま!」
退屈を持て余した神、イーデアはそのような言葉を宣いながらあちこちを歩き回っている。もちろん、それで暇が潰せるはずもない。
ここは神の宮殿。人々がファルステラと呼ぶ世界から遥か上空、星が最も近い場所に存在する、神々の住まう場所。その宮殿は頂点にある"ステージ"を中心とした十の宮で構成される。その十の宮にレーヴ十神、それぞれの神が収まるのである。
だが今やレーヴ十神は残り六柱。空席となった四つの宮が、ただ寂しくそびえていた。
そんな神の宮殿を歩いて、イーデアが向かったのはレーヴ十神、アストラの宮。
宮へつながる門を開き、イーデアはアストラのいる部屋を虱潰しに探す。
思いの外、アストラは早く見つかった。魔術の神、アストラは黄白色の魔力光を発するパネルとコンソールに囲まれた部屋で、何やら慌ただしそうに作業をしていた。
そんなアストラに遠慮など全くない様子で、イーデアは声をかけた。
「ねえアストラ、また新しいの作ってよ」
イーデアの声に何ら反応を示さないアストラ。待てども待てども言葉が帰ってこないので、イーデアは部屋に入ろうとした。その時、邪魔するなと言わんばかりにアストラは声を発する。
「昨日、新しいゲーム、作ったバかリ。イーデア、消化速度が早スぎル」
「なんだよ、いいジャン他にやること無いんだシ」
アストラは深くため息をついた。
休憩だと言って、アストラはイーデアに向き直る。
そして、自分の宮を歩きながらイーデアに諭す。
「そもそもゲーム作ルのハ、相当な時間ガかかル。何日もかけテ作っタものを数時間で消化されルのは、釈然とシない」
「出た、作る側の勝手な言い分~~」
「そっちこソ、消費者の勝手な言い分」
アストラが作っているものは、アストラル体を用いる魔術、魔導によって動くもので、境界に存在するような機械のゲームとは一線を画する。
だがそれは単に動かす手法が違うだけで、作る手順にはさほど違いはない。一本ゲームを作るのにも結構な時間がかかるし、手の込んだものなら半年、一年など当たり前のようにかかる。境界のゲームが今や数年単位で制作するのと同じで、アストラの作るものもそれほどかかってしまうのだ。
だが消費者はそんな製作者の主張など知ったこっちゃないといった様子だった。
「……は、何でもいいよ。とにかくヒマ」
アストラ、今日二度目のため息。
宮殿の縁に立ち、ただ星空を眺める。……それは厳密には星空ではなく、星になれない物質たちの、魔力の煌めきであった。
「ならバ御座船の様子でも見に行っタらどうか」
御座船。シェキナーダたちが計画した、別の世界への航行手段となる船である。これを利用し、新たな地平で新たな世界を築く……それがシェキナーダたちの計画だった。
「あーそっちはパス。あのシェキナーダの顔見るのもゴメンだよ」
イーデアが肩をすくめて答える。
「だいたいあいつ、最終調整するとか言って信徒でさえも自分の宮に入れないじゃん。入れるのは魔導の神たるアストラくらいだよ」
「そのボクも先日お役御免になった」
それは御座船の魔導構文の調整が終わったため……つまり、自分の仕事は終わったためである。元々仕事のないイーデアとは違う事情だった。
「あ、そう。じゃあお互いヒマなんじゃん」
自分にはやることがある――――アストラがそう反論しようとした、その時。
「ならばその暇潰しに協力して差し上げよう」
遥か上方から、低くしわがれた声が響いた。
「……誰だ!?」
振り向いたイーデアとアストラの視線の先には、巨大な影。
星の光で逆光となりその姿はよく見えなかったが、その姿は少なくとも人型だった。だが小さい。人間の子供くらいの大きさだろうか。だがその姿形などどうでもいい。ここに許可なく来ている時点で、それがまつろわぬ者であることは変わりないのだから。
「貴様、どうやっテここへ? 宮殿の門番は――――
「門番? あの不定形のことか? それならほら……」
影が心臓のようなものを取り出し、イーデアたちに見せた。
そして、言う。
「我が斃した」
その一言で、イーデアとアストラに衝撃が走った。
神の宮殿の門を守護していたのは、紛いなりにもレーヴ十神の一柱であるグローリアであったからだ。
「……グローリアが……!」
「何だト……」
影の言うことが信じられない。だが、影が手に持つそれ……神の心臓が、影の言葉が真実である何よりの証拠だった。
「……アストラ。シェキナーダに連絡を。こいつヤバい」
「その必要はない。クラウンの"眼"で総て見ている」
辺り一面に映し出されるシェキナーダの姿。多数のパネルが神の宮殿に現れた。
「シェキナーダ!」
「イーデア、アストラ。お前達が相対しているのは悪魔だ。グローリアは奴に成す術もなく殺された」
「何……!?」
その正体は予想できていたし、驚くほどのことでもない。
だが、その悪魔にグローリアが成す術もなかったという事実が、イーデアとアストラに重くのしかかる。
グローリアは寡黙で、ともすれば何を考えているかすらわからなかった。だがその実力だけはイーデアとアストラは重々承知しているつもりだった。戦ったこともある。その時の決着は未だつかずじまいだったが……。
そんなグローリアが、悪魔に一矢報いることもなく殺された。それが何よりの衝撃だった。
「それでハ、悪魔は我々の計画を……」
知っていた。あるいは、その上で潰しに来たのだろう。
そして、今悪魔が目の前にいるということが、計画の失敗を裏付けているようなものではないか。
「で、どうするのシェキナーダ?」
「予定より早いが、御座船を発進させる」
「……そうなルか」
シェキナーダの決断は当然のものだった。魔導構文の調整は終わっている。発進自体はいつでもできる状態だった。
だが、事ここに至っては、イーデアとアストラにただ一つの事実が襲いかかる。
……彼らは御座船には乗れないという、状況的な事実が。
「イーデア、アストラ。時間を稼げ」
「……了解」
「やってやるよ!」
半ば破れかぶれな気持ちで、イーデアとアストラは応えたのだった。
・・・
一方、神の宮殿、シェキナーダの宮の下部に存在する独房では、レーヴ十神、ソフィアが力なくうなだれていた。
外の状況は把握している。だがソフィアに自ら動く気はなかった。そもそもクラウンの神威により封が為されたこの独房を抜け出す手段など無い。
「仕切りたがりのシェキナーダめ、御座船の計画はオレの発案だってのに……」
脳内に響くシェキナーダの声に思わず愚痴を漏らす。
不意に、独房の封が解け、扉が開く。
ソフィアが扉の方を見ると、そこにはソフィアを見下ろすクラウンが立っていた。
「ソフィア様」
「……クラウンか。良いのか、独房を解放したりして」
「そんなことを言っている場合ではありません。聞いたでしょう、シェキナーダ様のお話を」
ソフィアの叩いた憎まれ口を躱すクラウンに、ソフィアは苛立ちを覚えて舌打ちする。
「どいつもこいつもシェキナーダか。そんなにあいつが偉いのかよ」
「ソフィア様」
シェキナーダのことを姉と敬うクラウンは、今のソフィアの言葉を聞いてどう思ったのだろうか。ソフィア自身それを確認したい気持ちに駆られたが、クラウンの言う通りそんなことをしている場合でもない。
自分を解放した理由はわかっている。大方シェキナーダの差し金だろう。
……全く、とんだ甘ちゃんだ。ソフィアはそう思わずにはいられなかった。そんなだから悪魔に足をすくわれるんだ。
「わかってる。御座船に急ぐぞ」
しかし、そんな思案も今は関係がない。計画が失敗すれば自分も危ういのだから、協力する他にない。
階段を駆け上がり、シェキナーダの宮の大広場に鎮座する御座船を目指す。
御座船とは、一言で言えば次元航行船だ。ワームホールを通って、遥か遠い場所へ行くための。
その御座船では、シェキナーダがその信徒たちと共に出港の準備をしていた。
「姉上!」
「クラウン。……と、ソフィアか」
「何だよ、オレはお呼びじゃないってか?」
「いや」
若干後ろめたいのだろうか、シェキナーダはソフィアと視線を合わせない。この中途半端に情があるのがシェキナーダの欠点のようにも感じる。もっと冷徹に振り切っていればこちらも割り切れるものなのだが……とソフィアは考える。
いや、割り切ったところでどうともなることではない。そもそもレーヴ十神という集まりはそもそもが信仰の奪い合いをする敵の集まりのようなものだ。それをシェキナーダが無理やり型にはめているだけで。
「信者共は?」
「粗方収容した。残りはシビアギボールとサン・ビュナスの信徒だが、奴らは捨て置く」
「フン。まあ数も大したことなかったしな」
そのような状態なのだから、アメミヤ・テラスたちに遅れを取ったのだ……とソフィアは述懐する。それは今となってはどうでもいいことだが。
「これで後はイーデア様とアストラ様ですが……」
「待つ必要あるか?」
その言葉は冷酷にも思えた。
事実、クラウンの反応もそういったものだった。
「ソフィア様!」
「だって、悪魔と戦ってるんだろ。このまま奴らをおとりにして出航したほうが効率的じゃないかね?」
「だからといって、そんな……!」
その判断は状況的にも正しいことは、クラウンにも分かっていた。ただ、感情がそれを許さない。
「姉上も何か言ってください!」
だが、シェキナーダは答えない。ただ沈黙あるのみだった。
どいつもこいつも甘すぎる、とソフィアは思った。一時の感情で身を滅ぼす、まるで人間みたいな奴らだ、と。
重い空気が支配する中で、沈黙を破ったのはイーデアの声だった。
「その通り、待つ必要ないよシェキナーダ」
「イーデア様!?」
それは、クラウンの"眼"が拾った映像と音声だった。クラウンの持つ無数の"眼"は映像だけでなく、音声も捉える。そして、それをクラウンに伝える能力があるのだ。
その"眼"からの情報は、クラウンの"眼"のネットワークを通して、ソフィアたちに伝えられた。
「さっさと出航しロ。後で追イ付く」
ですが、とクラウンが食い下がると、イーデアは鬱陶しそうな素振りを見せる。
「邪魔なんだよネそー言う仲間意識。アタシらは本来、信仰を奪い合う仲だろ?」
「そうイうこトダ。早く行ケ」
「それに、もし悪魔を斃したら、残りの世界の信仰を独り占めってことになるじゃん。こんな美味しいことある?」
「半分ダ、イーデア」
何とも欲にまみれた会話だろうか。そうだ、神はこうあるべきだとソフィアは思う。こうあるからこそこちらも好き勝手できる。気兼ねなく見捨てることもできるというもの。
「だとよ。どうするシェキナーダ」
「……出航するぞ」
少しばかりの沈黙の後、シェキナーダはようやく決断した。
ソフィアはそれを聞いて、灰色の瞳をギラつかせた。
「了解。オラ信者共、魂を捧げな! この御座船はかき集めた転世者共と精霊共、それにお前らの魂を燃料にして動くんだからな!」
船に乗った信者たちが祈りを捧げ始めると、御座船は少しずつ動き始める。低い地鳴りを轟かせながら、埃を落として浮上する。
そして船は船首を回頭させ、星空の中へと漕ぎ出していく。
その中で、クラウンはただ一人、イーデアとアストラのことを思い、呟いた。
「……イーデア様、アストラ様。武運を」




